幕間 北の大地1

 天下泰平の時代。怱無事令が発令され、戦で土地を切り取ることはできなくなった。


 豊臣家が天下統一し、全国の大名が臣従すると、恩賞として配れる土地が少なくなり、代わりに官位が配られることが多くなった。


 戦国の終わりと共に、豊臣政権内での働き次第で加増されるようになり、武功を挙げずとも恩賞にあずかれるようになった。


 戦働きが主な武官は政治の舞台から遠ざかり、文官が台頭し始めたのだ。


 そんな中、奉行職についていた吉清は、文官として手柄を立てやすい立場にあった。


 とはいえ、好きなように領地を切り取ったり、フロンティアを開発することに憧れないわけではない。


 やはり男として生まれたからには、領地を広げて、成り上がりたいというもの。


 そんな思いを抱えて生きるには、豊臣の天下というのは平和すぎた。


 葛西大崎の乱以降、領内の国人領主たちも大人しく従う姿勢を見せ始めた。


 また、港の建設を進めていることもあり、石巻の人口は急激に増えている。


 順調に発展していく領地に思いを馳せつつ、どこか物足りなさを感じていたのだった。

 すると、聚楽第に見慣れない風貌の男が見えた。


「あれは……」


 吉清が立ち止まっていると、同僚の亀井茲矩が口を挟んだ。


「たしか、蠣崎様……でしたかな。蝦夷島を治めておられる」


 蝦夷島、といえば、現代日本で言うところの北海道である。


 明治以降に本格的な入植が始まるとはいえ、この時代では渡島半島に和人居住地を作っているだけに過ぎないはずだ。


 吉清が頭の中で算盤をはじいた。


「木村殿、どうなされたので?」


「すまぬ。ちょっと用事を思い出した」


 亀井茲矩と別れると、すかさず蠣崎慶広を呼び止めた。


「蠣崎殿!」


「ええと、貴殿は……」


「それがしは木村吉清と申します。太閤殿下の元で奉行をしております」


「それはちょうど良かった。実は、殿下にお目通り願いたいのだが……」


「それでしたら、私が手配しましょう」


「おお、かたじけない」


 吉清の申し出に、蠣崎慶広が頭を下げた。


 とはいえ、その場ですぐに目通りが叶うはずもなく、拝謁の前に一度話し合うことにした。


 蠣崎慶広を屋敷に案内して、まずは酒を勧める。


「して、蠣崎殿……殿下にはいかなご用向きで?」


「はっ、なにぶん、辺鄙な土地より来たものですから、殿下の覚えも悪く、ここは一つ挨拶をと……」


「それだけではございますまい。聞くところによれば、貴殿は安東家からの独立を狙っているとか」


 慶広は目を丸くした。


「……どこでその話を?」


 未来の知識で知っていた、とは言えるはずもない。警戒を強める慶広に優しく微笑む。


「ご安心くだされ。決して悪いようにはいたしませぬ。それがしが、安東家より独立させてご覧にいれましょう」


「おお、これは頼もしい」


「代わりと言っては何ですが……一つ、お頼みしたいことがありましてな。……蝦夷島の北にある、樺太なる島が欲しいのです」


 慶広が一瞬きょとんとすると、笑いだした。


「そんなことで良ければ、差し上げましょう!」


 一所懸命、という言葉がある通り、武士にとって土地とは命を賭けてでも守るべきもの。土地のために戦い、時には謀反さえ起こす。


 ただ、それは米がとれることが前提にある。


 稲作ができて、領民がいて、税がとれる。そうして初めて、土地としての価値が生まれるのだ。


 和島半島の和人地こそ日本人の住む、日本文化圏の土地であるが、それ以北は化外の土地である。


 アイヌが居住しているとはいえ、農耕民族でなければ、和人との摩擦が大きくなれば反乱を起こす、厄介な土地であった。


 また、蠣崎氏が治めているといっても「本州より北で、アイヌの土地は自分たちの管轄」程度の認識でしかなかった。


 厄介な土地ゆえ開拓の旨味も低く、領有する権利を主張できるだけの土地であれば、お家の独立や官位と交換した方が割がいい。


 慶広が安堵した様子で酒をあおった。


「いやいや、真面目な顔でおっしゃるものですから、どんな無理難題を言われるのかとヒヤヒヤしましたぞ」


 慶広に釣られて吉清も酒をあおる。


 良い取引ができたことに満足しつつ、を渡すことにした。


「そうそう。それと、殿下の機嫌を取れる、とっておきの方法を教えましょう」


 吉清の話に熱心に耳を傾けた慶広は思わず「なるほど」と呟いた。






 聚楽第。拝謁を許された蠣崎慶広が、秀吉に平伏していた。


「蠣崎殿の所領を安堵し、従五位下伊豆守を授ける」


 本来であれば、所領の安堵も官位の授与も、主家にあたる安東を経由して行わなければならない。


 ただ、あえてそれを無視することで、蠣崎家は事実上の独立を勝ち取ったのだ。


 秀吉から直々に所領を安堵され、官位ももらったのなら、それはもう秀吉の直臣である。


 また、蠣崎領は米のとれない、無石の土地ということもあり、石高制の外にあった。


 しかし、吉清の働きかけで例外的に1万石の大名として格付けされることとなった。


 慶広は秀吉に頭を垂れつつ、秀吉の奉行とかいう男の顔が頭に浮かんでいた。


 ──それもこれも、木村吉清とかいう男が工作をしたおかげだ。後で礼を言っておくとしよう。


「伊豆守よ、これからも忠勤に励むがよいぞ」


「ははっ。願わくば、殿下の臣として気持ちを新たにしたく、姓を改めたく思います」


「ほう、申してみよ」


「大老である前田様と、徳川様の旧姓である松平から一文字ずつ頂いて、松前と姓を改めたく思います」


 秀吉はクックックと笑った。


 この男は、長浜城の城主となる際、秀吉が丹羽と柴田から一文字ずつもらい、羽柴と名乗ったことを知っているのだ。


 そのうえで、天下人たる秀吉から一字もらおうなどというおこがましいことはせず、その臣下である前田と徳川から一字ずつもらうことで、あくまで自分は秀吉の臣下であることをアピールしている。


 ここで毛利や上杉、宇喜多の名前が出てこないあたり、大老の中の序列も理解しているようだ。


 どちらも、秀吉の過去だったり、豊臣政権の内情に明るくなければできないことだ。そして、秀吉の威光が蝦夷まで届いていることを示唆している。


 天下の時勢の読める、目端の効く男だ。


「よかろう。そなたは今日より、松前伊豆守慶広じゃ」


「ははっ! ありがたく」






 拝謁が終わると、吉清と慶広は密かに祝杯をあげていた。


「うまくいきましたな」


「ええ、これも木村殿のおかげです」


「そうそう、せっかく京までいらしたのですから、米でも買っていったらよろしいかと」


「米?」


 松前慶広が少しムッとした。たしかに蝦夷では米が取れないが、京まで来て見るほどのものでもない。

 米の取れぬ田舎者とバカにしているのか。


 そんな松前慶広の思いとは裏腹に、吉清がひそかに耳打ちした。


「南部領で九戸政実が蜂起しましてな。近々、奥州再仕置軍が出陣します。……そうなれば、たちまち東国の米価が値上がりしましょう」


「おお! それは耳寄りなお話……。重ね重ねかたじけない」


「津軽より南部領に入る軍もございましょう。その中に、貴殿の名前も加えておきましょう」


「殿下に我が松前家の忠義をお見せする、またとない好機、ですな」


 新たな戦と金のニオイに思いを馳せ、松前慶広はニヤリと笑った。

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