第32話 お昼寝びよりな日に


 二月末の平日、とある街にあるプラネタリウムから最寄り駅に向かうバスの車内に、私服姿の早川美波と佐藤翔太の姿があった。どうして二人が平日の昼間に街を出歩いているかといえば、二人でプラネタリウムデートをしていたからである。もちろん授業をサボったということはなく、今日は二人が通う高校で入学試験が行われており、そのため在校生の授業がなく休日となっている。

「今日のデートは、まんまと佐藤君の作戦に乗せられた感じがする」

「なにそれ? 僕の早川さんに対する作戦なんて、当たって砕けろ、くらいしかないよ」

「だって、私の誕生日の朝にさ、先にプレゼントを渡しておいて、その日の部活終わりにデートに誘うなんて、私が君のデートのお誘いを断りにくくする作戦としか思えないンですけど?」

「そんなテクニック使えるなら、二回も告白するという恥ずかしい思いはしてない」

「本当かなぁ? 実は不器用そうに装っておいてさ、私を油断させてジワジワと距離を縮めて、気を許したところで私のことをからめ取ろうとしているんじゃないの?」

 美波は隣に座る翔太の顔を覗き込むと、彼をからかうようにニコッと笑みを浮かべるのであった。そんな彼女の服装といえば、パーカーにチノパンという彼女にとって気楽な服装で、そこにいつもの白いコートを羽織っている。

「そんな風に計算高い行動ができるのであれば、僕は自分のことを格好良く演出したいよ、まったく。まあ、そう思ってもままならないのが、今の僕の現実だったりするんだけど」

 そう溜め息をつく翔太の服装は、下が太もも辺りにポケットがあるカーゴパンツで、上がトレーナー、そこにいつもの黒いコートを羽織っている。

「そうね。本当に計算高い人なら、この前のデートみたく私を駅に一人置いて先に帰ったりしないか」

「すいませんね、こんな気が回らないヤツで」

「だから好きな人に振り向いてもらえないんだろうねぇ」

「なんとも耳が痛いお言葉で。でもなぁ、あの時は本当に舞い上がっちゃって、そういうとこに頭が回っていなかったんだよね」

「なら、今日はちゃんと見送ってくださいな。なにせ私は、か弱い女の子なのですからね」

 美波が冗談めかした笑みを浮かべると、翔太は茶化すように「か弱い?」と聞き直した。

「なによ、その顔は」

「いいえ、別に。早川さんのお帰りを見送れる機会があるだけで、僕は幸せです」

「そんなおべっか言ったところで、もう遅いっ。いまので、私の佐藤君への好感度が5ポイントダウンしたからね」

「5ポイントねぇ。僕はその好感度ポイントを何ポイント集めたら、早川さんの恋人になれるのだろう?」

「そうだなぁ、百万ポイントくらい? ちなみに、現在における私の佐藤君への好感度は百ポイントくらいなので、佐藤君が私を恋人にしたいと言うなんて百万年早いっ」

 そう言う美波は本当に愉快そうな笑みを浮かべる。

「なんだかポイントの在り方が凄い事になってるけど」

「そりゃ、こうしてデートはしているけど、佐藤君はただの友達だしね。私が好意を懐く人と比べて、ポイントの増え方が違うのは当然でしょ」

「同じような事をされても、想いをよせる人とただの友達とでは、受ける印象がまるで違うってわけね」

「うん、そう。在り来りな言い方だけど、恋は人を盲目にさせるから」

「いやー、さすが経験を積んでいる人の言葉は重みが違うなぁ」

 そんな風に言う翔太が感心した顔でうなずくと、美波はそんな翔太の反応に苦笑いを浮かべつつ、バスの降車ボタンを押した。

 二人は駅のロータリーにあるバス停でバスから降りると、「もう少し喋らない?」という翔太からの提案もあり、近くのコーヒーショップで暖かい飲み物を買い、駅前の広場に立ち寄ることにした。

「んーっ、日差しが暖かい」

 美波はベンチに座ると、カップを翔太とのあいだに置いた。そして、両手を組んで空に向けて背伸びをする。

「うん、暖かいね。このまま日向ぼっこしたら、また眠っちゃいそうだなぁ」

「夜更かしする佐藤君が悪いんだよ。せっかく私とデートしているのに、上映途中で気持ち良さそうに寝息立てて寝ちゃうんだから、ホント、いい度胸しているよ」

「そう言う早川さんだって、最後らへんは気持ち良さそうに眠っていたじゃん」

「あーあ、そういうこと言っちゃうんだっ。あの暗いところで、隣の人に寄りかかられて耳元で気持ち良さそうに寝息立てられたら、誰でも寝ちゃうよ」

「えっ、僕、早川さんに寄りかかっちゃっていたの? 全然記憶ない」

 キョトンとする翔太。

「まったく、運のいいヤツめ。もしも仮に、佐藤君がワザと私に寄りかかってきていたのなら、私は黙って帰っているよ」

「それはよかった。でもさ、どうして僕がワザと寄りかかっていないって分かるの? 本当は寝たふりをしていたかもしれないのに」

「ん、知りたい? んー、まっ、いっか」

 美波はそう言うと、置いてあるカップを手に取って、隣の翔太との間隔を狭めた。そして、ぴったりと自分の肩を翔太の腕にくっつけると、そのまま体重を徐々に翔太に預けていく。

「えーと……これはなんなの?」

 戸惑う翔太の声は無視して、美波は加減して翔太に寄りかかる。

「佐藤君、人にこうやって寄りかかられると少し重たいでしょ。これでもまだ力が抜けていない分、重たさは軽減されているの。でもね、本当に寝ている人はね、重たいの。支えがなくなったように重たいんだよ」

 美波は翔太の肩にゆっくり頭を乗っける。

「私はね、佐藤君。こんな風に佐藤君が起きるまで私の肩を貸してあげたの。だから、うーんっと私に感謝しなさい」

「早川さんに感謝をすることはやぶさかではないけど、だからといって、いちいちこんな風に実践する意味ある? っていうか、こういうスキンシップの仕方は、絶対に僕のことを異性として見てないでしょ」

「やだな、佐藤君のことはちゃんと男子として認識しているよ。ただ、恋愛対象として見ていないだけ」

「さいですか」

「そうです」

 美波から自分が恋愛対象外だと明言されることは、何度も繰り返してきたやり取りなだけに、その事は、今の翔太にとって美波との掛け合いにおけるネタになりつつあった。しかし、彼女が時折見せる、友達という距離感を飛び越えてくるようなこんな振る舞いには、自身の自制心が揺らめくのを感じざるを得ない翔太なのでした。

「あら、そこにいるのは早川“元”生徒会長ではありませんかっ」

 突然、美波は自身の名前を呼ばれ、何気なく身体を起こして声のした方向に顔を向ける。すると、そこに立っていた人物の顔を認識した瞬間、美波の心の中は苦しい記憶がよみがえるとともに後悔やいきどおりの感情がにじみ出す。

 美波をワザとらしく中学で就いていた役職名を付けて呼んでみせたのは、美波が中学三年生時に同じクラスであった高橋陽葵(たかはしひまり)。そんな彼女は長い黒髪に活発そうな顔立ちをし、羽織るコートからはセーラー服がのぞいている。

「ん? あれ、私のこと覚えていませんか? ほら、私ですよ。中三の時に同じクラスだった、高橋陽葵ですよ」

 美波が陽葵に対して一言も発せずにいると、陽葵はなんとも愛想のいい顔をしてけしかける。

「大丈夫。高橋さん、あなた達のことはちゃんと覚えているから。安心して、あの事件のことも、あなた達のことも、忘れたくても一生忘れないと思うから」

 予期せず遭遇した人物に、美波はこれまでの楽しい気分が一転してぶち壊されて、自身が発する言葉のトゲトゲしさを隠そうとはしなかった。

「それはよかった。生徒会長を務めた早川さんに一年足らずで忘れられていたら、さすがに悲しいですからね。それで、お二人はもしかしてデート中でした?」

 陽葵はあからさまに美波から視線を外し、翔太に向かってニコッと微笑んでみせた。それに翔太が反応して、微笑み掛けてきた陽葵に対してペコッと会釈を返してしまう。

「デートだけど、なにっ?」

 翔太の陽葵への対応に、美波の言葉のトゲトゲしさが増した。

「そうですか、デート中でしたか。なら、お邪魔してしまって申し訳ありません。でもしかし、お隣の彼、中学の頃に早川さんと噂になった男子たちとはタイプが違っていますね」

「私が誰と出歩こうと、あなたには関係ないでしょ」

「いえいえ、私たち女子のあいだでも早川さんが噂にあがる度に、今回は誰としたかは注目の的でしたからね。ですので、イケメンばかりと噂になっていた早川さんなだけに、少し意外だったもので」

 陽葵が「少し意外」と言った瞬間に見せた嘲笑したかのような表情。それに対して明確な悪意を感じ取った美波は立ち上がり、陽葵と相対する形になる。

「ねえ、高橋さん。いま、私に絡んできたのはそういう嫌味を言うため? それとも、ほかに言いたい事でもあるの? あるなら聞いてあげる」

 美波は陽葵の目を見て言った。その美波の目色は静かな怒りを宿しており、口調も先ほどのトゲトゲしさが消えて淡々としたものに変わっていた。

「あら、デートのお相手がいるようなところでいいんですか?」

「ええ、別に構わない。あなた達とは違って、私には一切やましいところはないもの」

 翔太は驚いた。約半年間、なんだかんだで美波を見てきた翔太であるが、こんなにも美波が他者に対して敵意をむき出しにする姿を見たことがなかったからだ。

「そうですか、一切やましいところはありませんか……」

 陽葵の表情が曇っていく。

「あなたは変わらないですね。その自信満々で傲慢な態度は」

「傲慢な態度? 五人でクラスメイトの一人を虐めて、自殺未遂をするまで追い込んだのはあなた達でしょ」

 美波が冷淡な口調のままに言うと、陽葵は感情をむき出しにして口を開く。

「なによっ、自分は関係ないような言い方をして! あなただって、クラスのグループチャットであの子の悪口を書いたくせに。それで、それが虐めの空気を助長させたんでしょ!」

「そうだよ、アレをクラスのグループチャットに書き込んだのは、確かに私の落ち度だった。それは認める。でもね、まさか自分が呟いた愚痴が、そのまま誰かを虐める理由に利用されるなんて思いもしなかった」

「なにが思いもしなかったよっ! 元々虐められがちだったあんなトロい子を、生徒会長だったあなたが悪く言えば、そういう空気になるのは必然よ。そんなこと、あのクラスにいれば誰でも分かる事だったでしょ」

「そんなの、あなた達があの子のことを虐める口実がほしかっただけでしょ。自分たちがやっていた行為を正当化するために」

「あなただって、あの子のことをウザいと思ったくせに。だから、グループチャットに書き込んだんじゃないの!」

「確かに授業中に手間は掛けさせられたから愚痴をこぼしたけどね。だからと言って、あの子を虐めてやろうとか思ったりしてない。だって、私はあなた達とは違って、あの子をどうこうしたいと思うほど、あの子に関心も興味もなかったもの」

「そんな態度でいたから、あの子にあなたも虐めの加害者側だと思われたんでしょうね」

 そんな陽葵の言葉に、美波の頬が若干引きつる。

「どういう意味」

「そのままの意味ですよ。あの子にとっては虐めていた私たちと、生徒会長でありながらクラスの人間関係には無頓着だった“あなた”が、同じように許せなかったんでしょうね。だから、あの子の遺書に六番目の加害者だって書かれるんですよ、教師にも物怖じしない“生徒会長さま”」

 陽葵のそんな挑発するかの物言いに、それまで真っ直ぐ陽葵と相対していた美波が、力なく俯いてしまい、片手で前髪をくしゃっと握る。

「相談もされていない私がどうやって気付けたって言うのよ」

 そんな美波の小さな呟きはかろうじて翔太の耳に届いた。

「ねえ、高橋さん、あなたはなんなのよ。何のつもりで私に喧嘩売っているのよ!」

 呟く声が段々と大きくなっていくと美波は、俯き加減で陽葵を睨み付ける。

「あの子の自殺未遂が発覚後、私たちは三学期いっぱい停学処分だった。それなのに、あなたは弁護士の父親の力であっさりと学校生活に戻った! 遺書で同じように責められていたのに、そんなの不公平でしょ!?」

「なにが不公平よ! それはあなたたちの自業自得でしょ。私はね、何度も謝りに行った。自殺未遂の件で、どうして私が謝らなくっちゃいけないのか分からないけど、頭を下げ続けた。あなたに分かる、自分が納得できない事で誰かに謝罪しないといけない気持ちが!」

 二人の女子の怒りがぶつかる。その言い合う声は、通りすがりの人々がチラ見をする程度には大きい。

「最初は私にも書き込みの件があったから納得しようとした。したけど、できなかった。謝罪をして、それを拒絶されることの繰り返しに、だんだんと理不尽さを覚えてきて相手のことが憎くて堪らなくなってくる。悪いのはあなた達なのにね」

「なによ、すべて私たちが悪いって言うの!?」

「そうだよ、全部あなた達が悪い! あなた達が虐めなければ、あの子は自殺を図らなかった! あの自殺未遂事件に巻き込まれなければ、私は普通に高等部に行けた! まったく、あなた達のせいで私の人生滅茶苦茶! 最悪だわ!」

 美波の積もりに積もった鬱憤が吐き出されていく。そんな彼女の感情が露わになって行くにつれて、その声はだんだんと涙声に変わっていく。

「結局は自分が大事か! まさかこんなに自分勝手な人だったなんて、カリスマ生徒会長が聞いて呆れる!」

「あなたには言われたくないっ!!」

 美波は怒りにまかせて腕を振りかぶると、陽葵の顔を目掛けて手の平を振り下ろす。

「早川さんっ!」

 とっさに立ち上がった翔太は、美波と陽葵のあいだに割り込み、美波と正対する形で美波の振り下ろした腕をしっかりと掴む。

「なにするのよ! 放してよっ、佐藤君!」

 怒りそのままに睨み付ける美波の表情は、これまで翔太が見てきた早川美波という人物が見せてきた外面とは違い、邪魔をした翔太のことが心底憎たらしくて仕方ないのだと分かる。

「イヤだ」

 美波に睨み付けられて翔太はひるみはしたものの、彼女の腕を掴んだ手だけは絶対に放さない。この手を放してしまえば、美波にとってマズい結果になるのは目に見えているから。

「佐藤君、放して! 私がどんな思いで高等部進学を諦めたか! コイツらには絶対に解らないんだから!」

 目一杯の力で翔太を振りほどこうとする美波、それに負けじと身体を揺さぶれながらも掴んだ美波の腕は放さない翔太。

「お願いだから、落ち着いてっ。こんな人の目があるところで叩いたら、絶対に問題になっちゃう!」

 翔太はもう片方の手で美波の肩を掴んで、徐々に陽葵との距離を取っていく。

「佐藤君には関係ないでしょっ、私の人生がどうなろうと! もともと来たくもなかった学校なんだし、退学になった方がマシよ!」

「それが早川さんの本音でもね、ここで止めなかったら僕が後悔する! これが赤の他人同士の喧嘩ならスルーできるんだろうけど、でも今は、大好きな人が明らかに道を誤ろうとしている。なら、僕は全力で君の手を引っ張るよ」

 美波は翔太の手を振りほどこうと力いっぱいの抵抗をするが、必死に自分を止めようとする目の前の男の子の腕力にはかなわない。次第に抵抗する力もなくなってくると、目的を達成できない悔しさから涙が溢れてきた。

「……嫌いだ! 佐藤君なんて大嫌いっ! こんな事なら、佐藤君となんか出会わなきゃよかったっ!」

 美波は目にたくさんの涙をためて、目の前の翔太に思いっきり怒りをぶつけた。瞬間、翔太が目を丸くし、ゆっくりと悲しそうに笑みを浮かべる。

「どうして笑えるのよ……」

 翔太の顔を見て、力なくその場にへたり込んでしまう美波。うつむく彼女の顔からはポタポタと涙が落ちていくのであった。


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素直じゃない彼女と素直な彼 吉田勉 @yosituto

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