5 辿り着いた先で

 食事を終えると二人は車に乗り込み、高速から国道へと降りた。


 暫らく車を走らせると、道端に温泉の看板が立っている。聞いた事が無いような地味な温泉宿がまばらと商店街が、すぐに目の前に開けてくる。尚も車を走らせると、和夫はある場所で車を停めた。


 その場所は観光協会案内センター。ここでは、地元の観光地を教えてくれる。建物の前には大きな地元の地図のような物があり、簡素ながら観光地を表示している。それを見れば、おおよその地元の観光地が分かるようになっている。


 和夫はその温泉の各ホテルの場所を大まかに確認したかったのだ。なにせ、見知らぬ場所だ。行先の場所を決めないと移動出来ない。願わくば大きなホテルで、住み込み可なら申し分ない。


 二人共車を降り、観光案内センターの中へ入って行く。案内センターの中では、暇そうに雑談している職員が数人居た。和夫はカウンター越しの一番手前にいる若い男に声を掛けた。


「――あの~……チョット、お尋ねしたい事が有るのですが……」

「はい、何でしょう?」


 声を掛けられ、若い男の顔が営業用の顔に替わる。


「言いにくいのですが……私達、この町で暮らしたいのですが、どこか……働き口が無いでしょうか?……。勿論、何だってやります。仕事が欲しいんです……」


 和夫の話を聞いて、若い男の顔が営業用から明らかに不満げな顔に変わる。


「此処は、職安じゃないよ……。そんな事言ったって、解からないよ」

「――すみませんでした……」


 落胆し踵を返そうとした和夫の背に、案内センターの部屋の奥の方から声がした。

 小太りの気が強そうな顔をした中年の女が和夫に声を掛けた。


「——あ~ちょっと待ちな。有るよ、有るよ、仕事! 確か『白雲閣』の女将が、仲居を募集していた気がするんだ。ちょっと待ってくれたら、電話で確認してみるけど、どうする?」

「はい、お願いします。妻は仲居で、私は雑用係りで結構です。住み込みならば、大変有り難いです。どうか、お願いします」


 和夫と安江はお互いの顔を見合わせ、ホッとした。見ず知らずの土地に流れ着いた先で仕事が見つかるかも知れない。これからの事を考えると僅かな希望が見えてくる。仕事に住む処と食事がセットで付いているのは、大変有難い。


 カウンターの向こうでは先程の女が電話で色々と話をしている。やがて、電話が終わると、その女がやって来た。


「OKだって。これから、私が案内するよ。良かったねぇ、丁度~若い仲居が産休に入ったから、人手が欲しかったんだって……。所で、アンタ達、親子? 夫婦?」


 歳が三十才も離れているから、知らない人が見たら解からない。どう見ても親子だろう。しかし、顔が似ていない。歳の差婚はまれに有るが、ズケズケと喋るその女の言葉に和夫と安江は顔を見合わせた。 この女、遠慮の欠片も無いようだ。


「夫婦ですが……」

「あっそ? 別にどっちでも良いんだけど、住み込みなら部屋の都合があるから聞いただけだよ。みたところ、訳アリっぽく見えるから、アンタら住み込みの方がいいんじゃないかなって思ったんだヨ。まぁ~年の差って、そんな気にしなくてもいいんだよ。あっ、私は『香田香こうだかおる』ってんだ。この辺じゃ、結構顔が利くよ。ホント、アンタ達ラッキーだったねぇ? じゃあ、行こうか?」

「はい、お願いします」


 中年女性の話し方は、ズケズケと遠慮無く口が悪く感じられるのは性格の所為だろうか? それでも、嫌味が感じられないのは不思議な感じがする。アッケラカンとして腹に何も持たないからこそ、こういう性格の話し方なのかも知れない。和夫と安は香の後について外に出た。


「じゃぁ、私の後に付いておいで……。すぐ近くだから」


 香はそう言うと、さっさと自分の車に乗り、車を走らせた。街中の商店街から、海を背にして山へ向かって行く。小高い山の中腹にその旅館『白雲閣』が堂々と建ってある。山の中腹から海への展望がとても素晴らしい。そして、この温泉街では一番大きく、老舗の旅館だ。先程の観光センターから車だと、約十分も掛からない。


 従業員用の裏手の駐車場に車を停めて、その旅館の裏口から中へ入っていった。裏口から中に入ると、すぐに事務所があった。


 香は慣れた感じで、ズンズンと入っていく。恐らく馴染みなので、遠慮が無いのだろう。香の後に付いて、事務所に入ると忙しそうに帳簿の整理をしている女が居た。女将の真由美まゆみだ。香が大きな声で話し掛けると、女将の真由美は和夫と安江をチラリと見た。


「女将さん、さっき電話で話した人を連れて来たョ。えっーと? 名前何だっけ?」

井坂和夫いさか かずおに妻の安江やすえです。何でも致しますので、どうか、よろしくお願いします……」


 香に紹介され、和夫と安江は真由美に頭を下げた。


「女将の、真由美まゆみです。ちょうど、人手が欲しかった所なの、助かるわぁ、よろしくね。そうそう、仲居の経験有る?」

「いいぇ、初めてです」

「そう? じゃあ、由紀ゆきさんに付いて習ってちょうだい。彼女しっかりしてるから、早く色々覚えてね。旦那さんは、番頭さんに聞いてちょうだい」


 香に比べて、真由美の話し方は優しく感じる。女将なのだから、当然と言えば当然かも知れない。真由美は事務所のインターホンを押し、番頭と由紀を呼んだ。


 すぐに番頭と由紀は現れ、和夫と安江共々紹介をした。


 番頭に連れられ、一旦は住み込みの為の部屋に入る。本館裏の狭く小さい建物だ。以前は住み込み用として、この建物を使っていたが、今現在ではこの旅館で働く多くの仲居達は、地元出身なので今はこの建物の部屋は使われていない。和夫と安江夫婦のみ使用する事となる。


 休む事無く仕事が始まる。贅沢は言ってられない。仕事と食事と住む部屋まで与えられているのだから。文句など言えようが無い。

 和夫と安江は服を着替えて本館へ向かった。女将が休憩の合間に、全従業員を集めて、和夫と安江を皆に紹介した。覚えなければ成らない事は山ほどある。


 和夫と安江は、黙々として働いた。





 和夫と安江がこの旅館に住み込む様になってから、一ヶ月経った。


 寒い冬に此処に来たのだから、無事に大歳を越す事が出来た。


 地味な温泉街でも結構人がやってくる。寒い風にさらされた心と体を癒しに、温泉にやってくるのだろう。日本人はそう云う人種なのかも知れない。


 そういう訳で、和夫と安江は働き詰めだ。休みが無く、顔の表情も辛そうだ。しかし、二人共『辛い』と云う言葉だけは決して言わなかった。借金の為、住む家も無く心中まで踏み切ろうとした。未だに生きる希望が持てず、ただ生きているだけ・と云う実感しか持てないでいた。


 安江にしてみれば、社長婦人と云う肩書きで、優雅な人生を夢見ていたのに、借金苦に心中と言う所まで追い詰められてきた。

 こんなはずでは? こんなはずでは? と云う思いという負の感情が支えになっているのかも知れない。


 一方、和夫の方はどうなのだろう。ゼルに心中を止められ、あのカードでまだ百万円しか降ろしていない。何に使うか未だ決めかねているのだろうか?

 いいや、違う。和夫は使うタイミングを計っているのだ。それは、和夫の表情から読み取れる。


 以前は仮にも『社長』だった。人を使う立場だったが、今ではアゴで使われている。当時の事を思い出せば、屈辱の日々に違いないのだろう。唇をかみ締めながら、何かを思いつめたその表情は、ただならぬ気配すらある。人に使われる事など、プライドが傷つくとは思っていないようだ。自分の不始末で迷惑を掛けた多くの関係者達。中でも実の弟の浩平一家に、どうやって償えば良いのか考えているのだろうか?

 残念ながら、その答えは和夫本人しか解らない。


 三月の後半に入ると、客足が少なくなって来た。ここでようやく休みが取れる。こういった商売は、儲けれる時期はトコトン稼がなければ、やっていけない。時期外れだとほとんど閑古鳥が鳴く状態がやってくるのだ。


 又、安江と和夫が同時に休む時は無い。仲居と雑用係りでは仕事の内容が違うからだ。安江が休む時は、もっぱら部屋でゴロゴロして身体の疲れをとっていた。


 一方、和夫が休みの時は、朝出掛けると、夜まで帰ってこない。


 安江が聞いても何も答えない。依然暗い表情のままで、部屋に帰ると疲れたのか、すぐに寝てしまう。


 そんな休日のすれ違いが暫らく続いていった。




 カチリ、カチリと、運命の歯車が音を立てて回り始めている事を二人は知らない。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る