3 逃亡

 ――三ヵ月後に和夫の経営する会社が倒産する羽目となった――


 いわゆる、和夫の経営する会社の直系の得意先が不渡を出したのだ。不渡を出せば決済が降りない。当然、和夫の会社へそのツケが回ってくる。一旦ツケが回って来ると、まるで連鎖反応を起こすかの様に、関連会社も支払いが未納になってくる。


 知人に誰か議員でもいれば、それなりの圧力を掛けられるのだが、残念ながら和夫には人脈と云える物が無かったのだ。「針のムシロに座る」いいや、「アリ地獄で、もがくアリ 」の方が良いかも知れない。


 アッサリ過ぎる程に、経費が回らない。経費が回らなければ、自ずと商売が出来なくなる。支払い能力が無ければ、厳しい様だが代わりに差し押さえの日が近づいて来る。借金の申請の時に、家や工場は担保に取られている。書類上は抵当権設定までされているから、逃れようが無い。


 いくつもの金融機関に赴いて、融資の話をしてみるが、どこの銀行も答えはNO!の一言しか返ってこない。もはや、先の見えない沼に入り込んでしまった……。


 フゥ~と溜息を吐きながら帰り道をトボトボ帰る。帰り道に公衆電話で話している男の後ろ姿に目が止まる。当時は仕切られた公衆電話ボックスでは無く、囲いの無い赤い公衆電話だった。通称・赤電話から、なにやら景気の良い話が聞こえてくる。何? 数百万円? 話の内容がまる聞こえだ。いわゆるダダ漏れだ。そんなに儲かっているのか? 


 電話の男は電話を切ると和夫の前を歩き始めた。すがる思いで、和夫は思い切ってその電話の男の肩を軽く叩いた。


「突然申し訳ありません。先程の電話での会話が聞こえまして……。少し、相談に乗って貰えないでしょうか?」

「――何ですか、俺・急ぐんですが……」

「先程での電話での口ぶり。アナタは証券会社の人なんじゃないですか?そ、それなら、わたしの会社の株を買って貰えないでしょうか?」


 自社株を買ってくれだって?大丈夫か、このオッサン。とてもじゃないが金持ちの雰囲気じゃないし、どうしよう……。


「あの、どこの会社の株ですか?」

「は、はい……。井坂食品です」

井坂食品ツメ混入だって?……無理、無理。今朝、何気にローカルニュースに出てたでしょ。カレーに爪が混入してた。例の、あの……もしかして社長さん、株は一部上場企業じゃ無いですよね、もしかして非上場企業なら『未公開株』ですから、私如きじゃ売買出来ませんよ。御存じ無かったですか? 弁護士か誰か知り合いが居ませんか?」

「やはり、そうでしたか……顧問弁護士に全て任せていたものですから……」

「お力に成れず申し訳ありません……。いや、ちょっと待って下さい。名刺あげますから、私の会社に行ってみてはどうですか? 私の上司が対応してくれるかも知れません」

「……いいんですか?……」

「私は平社員ですから、知識があまり無くて……名刺どうぞ」


 和夫は、証券会社の男から名刺を受け取り、名刺に見入った。


「ああ、ありがとうございます……『芝浦証券』のさんですね」

「私じゃ、対応出来なさそうなんで、一度弊社にいらして下さい」

「あ、ありがとうございます。こちらこそ、引き留めてスミマセン……」



 和夫は、肩を落として去って行った。手に取った名刺『芝浦証券』ここは大手の会社ではない。一度景気が良い時に、「先物取引」の件で自分の会社に呼んで話を聞いた事がある。二流程度だろう。これでは話にならない。先程貰った名刺をポケットの中で握りつぶした。やりきれない切なさが背中から滲み出ている。もはや、金策は尽きてしまった。万事休すか……。


 しかしながら、弟の浩平だけには迷惑を掛けたく無かった。血の繋がった兄弟だけに、顧問弁護士に相談してみたが、どう成るものでも無かった。和夫の負債で発生した金額は、すでに億を超えている。和夫の家や、土地。工場とその中に設置された設備を売却しても追いつかない。借用書に、ただ【連帯保証人】と云う欄に書かれた『井坂浩平』という文字が、悲しく浮き上がり今後の未来を大きく曇らしていた。


 借用書に保証人の名前を記入した事で、弟である浩平に債権が移り、浩平の会社も家も手放す羽目になってしまった。当然、和夫の家や会社なども既に差し押さえられている。


 こうなってしまえば後の祭り。今後何をどうすれば良いか? さえも見えなくなってしまう。光を見出せなくなり、希望が絶望と後悔の念と換わり、生きているのさえ辛く感じてしまう。弟や他の従業員や関係者に多大な迷惑を掛けてしまった事が、和夫の身に重くのしかかってくる。


 みんな、スマナイ。俺の所為で、こんな事になってしまった。本当にスマナイ。

俺が、社員教育をしっかり徹底してやっていれば……。時折、製造工程の巡視をしていれば……。クレーム対応をもっと丁寧にしていれば……。倒産の時に、自己破産申告をしていれば……。弟に保証人を頼まなければ……。

 あぁ、辛い……胸が苦しくてタマラナイ……。息をするのも苦しくて、辛い……生きていくのが、こんなに辛いのか?……ならば……。


 周りのみんなの恨みを買ってしまった。その思いが精神的に背中に覆いかぶさる様に重い。それが苦しくて逃げたくなり重度の鬱病に陥ってしまえば、生きている意味に疑問を覚え、死にたくなってしまうのだ。


「私の運、いや私自身がしっかりしていれば、こんな事にはならなかったはずなんです。弟や回りのみんなに迷惑を掛けてしまった。こんなはずでは……ウウッ……」


 和夫は地面に伏せ、泣きながら自殺の理由をゼルに話した。


『ふん、詰んねぇなあ。やっぱり、金か? お前、さっきこんなはずでは、こんなはずでは・って連発したけど、お前が自分自身を解かってねぇからそりゃ無理だろ? 何度やったって、無駄だ。人には向き、不向きと云う言葉が有るのは知ってるだろ? 所詮お前は人の上に立つ身分じゃなかったのさ……』

「では、これからどうすれば良いんですか? 神様であるアナタ様なら、何か良い考えがあるんでしょう? どうか、どうか教えて下さい。お願いします……」




 暫らくの沈黙の後、ゼルは躊躇しながら、和夫に何かを差し出した。それはゼルの掌からスウ~っと飛んできた。そして、和夫の掌に収まった。


『解かった……。これを使ってみるか?』

「これって、カードの様ですが?」

『そうだ、これはソウル・カードと云う。持ち主の寿命を金に替えてくれるカードだ。使寿。つまり、一千万使えば、お前の寿命は、十年縮む計算になる。どうだ? 使ってみるか? ちなみに、お前の寿命は俺にも見えないから、いつまで持つか解からない……来年か、もしくは百歳まで生きるか、それともお金を降ろした瞬間に終わるかも知れない。それは解からない……どうだ?それでもこのカードを使ってみるか?』


 和夫は、ゼルに渡されたカードを眺めている。和夫の掌でそのカードは白く妖しく光り輝いている。和夫の両目が一端閉じる。数秒後、再び両目を開けた。その表情は険しい表情だ。何かを覚悟した、腹を括った覚悟の緊迫感が顔に出ている。


「か、神様。私に、このカードを使わせて下さい……」


 和夫は何かを思ったのだろう。臆する事なくゼルに言った。


『いいだろう、お前の涙をそのカードの上に落とせば、そのカードがお前を主にするかどうかを決めてくれる。やってみるがいい』

「ハ、ハイ……」


 和夫は、ゼルに言われた通りに涙をカードの上に落とした。カードに涙が落ちるとそのカードは涙を吸った。涙を吸ったカードは、一瞬妖しく光り始めた。そしてカードの上にCHANGE変換という文字と井坂和夫と云う名前が浮き彫りとなった。


『ふむ、どうやらこのカードはお前を主と決めた様だな?このカードは、。勿論、いくらといっても限度がある。なにせ、お前の寿命だからな。よいか、よく考えて使うのだ。お前の寿命を、金に変換するのだからな。そして、Re:Startを切る最後のチャンスだ。では、さらばだ……』


 ゼルが自らの白く大きな翼を広げ、飛び立とうとする瞬間、和夫はゼルに言った。


「神様、もうひとつお願いです。私と、妻は睡眠薬を飲みました。このままでは……」


 和夫の言葉にゼルは飛び立つのを止め、和夫のお腹を手で撫でた。すると、ゼルの掌から、体内に入った大量の睡眠薬が出てきた。その薬を地面に落とす。


「ありがとうございます。妻も……妻も、お願いします……」


 和夫の言葉にゼルは一旦、助手席で横になっている女を見た。ゼルの顔が一瞬曇り片方の眉が吊り上がる。途端に嫌悪の表情になった。


『いいのか? この女はお前にとって災いの根元なんだぞ?』

「ええっ? 何言ってんですか、私の妻ですよ……神様、お願いします……」


 和夫の懇願にゼルは顔を曇らせたが、助手席で横たわっている女性をもう一度、一瞥すると和夫に視線を向けた。


『……解った……』


 そもそも和夫の会社が傾き掛けたのは、この安江がいたからだ。しかし、和夫はそれを知らない。若い女が、年をとった自分の元へ嫁いでくれた事がうれしいのだ。出来ることなら、共に生きていたい。いや、この若い妻だけは生きていて欲しかったのだ。


 和夫の言葉にゼルは車の助手席のドアを開け、横たわっている女のお腹を手で撫でた。同様に女の飲んだ薬が大量にゼルの掌から現れた。ゼルは掌の薬の錠剤を足元に落とした。


『最後に、これは警告だ。この女とはすぐに別れろ……。この女はお前にとって災いしかもたらさない。もはや手遅れだ。よいか、すぐに別れるのだぞ。では、さらばだ……』

「——そ、そんな……何で?……」


 ゼルの言葉に和夫は驚いている。何で、妻の安江が災いなんだ? 何がどうして? 一体何がどうしたんだ。


 ゼルは和夫の驚く状態を無視し、再び自らの白く大きな翼を広げると、ゼルは空中に浮かび、自らの翼を体で包む様にして闇夜の中に霧の様に消えようとしていた。


「――アッ~、か、か、神様、暗証番号は?……」


 すでに闇に消えてしまったゼルに向かって、和夫は叫んだ。


『暗証番号は4219だ。死に行く4219と覚えるがいい……』


 姿が見えない闇から、まるでコダマの様にゼルの言葉が響き渡った。ザワザワと風が舞い、辺りの木々を揺らしている。


「——神様、神様……ありがとうございます……」


 和夫はゼルが飛んで行った方向へ深く深く頭を下げていた。 和夫と助手席のドアの辺りの地面には、飲んだ薬が多量に散らばっていた。


 月明かりが照らす闇の中、ホーホーとふくろうの声が山々に響いていった。










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