4 微かな希望を求めて

 ——そして、海士は宮参りをする事なく三ヶ月を迎えた。


 あれから由香里は、海士の入院先の大学病院へ通い続けている。勿論毎日と云う訳にはいかない。往復三時間掛かるし、華子の花屋の仕事も有る。母乳だって毎日そんなに出ない。それでも出る母乳は、我が子の為にと云う想いで病院へ持って行った。側に我が子が居なくて、その子の為にと思いながら母乳を絞る姿は、第三者が見ても涙が出る様に胸が痛くなってしまう。由香里は泣きながら、海士の事を想い母乳を絞っている。


 そして担当の医師の時間が空けば、由香里は海士の事を聞いた。海士の病気の現状と、どうすれば良いか。


 しかし、当時は1980年代後半。パソコンは普及始めていた。大きな大学病院などは海外とのやり取りに必要だ。海外の事例報告を確認し、海外の医師とメールでやり取りする。医学の発展にはパソコンは必要不可欠なのだ。


 しかし、パソコンは未だ家庭には普及していない。又医学の進歩は難病・心臓病については、未だ大きな進展はなかった。新薬はおろか、手術のやり方についても進展がない。担当医師の口から出る言葉は「移植」しか方法が無かった。


 「心臓移植」それは手術の中で困難を極める。人体の臓器の中にはどれをとっても不必要な物は無い。どの臓器を移植するにしても大変だ。まして、心臓は人間の命を司るポンプ。他人の臓器と本人の体が合えば良いが、拒絶反応を臓器が出すと、折角の移植手術が台無しになってしまう。しかし、由香里が我が子・海士を助ける為に出した答えは、やはり渡米して移植する事だった。


 渡米での移植。それは高額なお金が必要になってくる。国外では医療に保険が掛からない。全てが実費になれば、かなりの高額が必要になってくる。手術費もそうだが、ドナーが居なければ、ドナーが出てくるまで待たなければならない。その間に掛かる入院費用と滞在費用を考えると、やはり躊躇するのが当然だ。


 それを全てクリアしてもやはり、臓器が拒絶反応を出せば、全てが駄目になるのだ。日本国内では臓器提供は、当時まだ認めてもらえていない。逆に言えばそれだけの技術もないし、法律が未だ確立出来ていない。だから多くの人は渡米して、一握りの確率に掛けようとしている。


『生きたい。生かしたい』人が一旦生まれてくれば、寿命が尽きるまで、誰でも切実に願うのではないだろうか。周りの環境が良ければ尚更だが、環境が悪ければ人は諦めてしまうしかないのか……。


 由香里は前者だった。以前勤めていた風俗店で稼いだ貯金が二千五百万円在る。一方、夫の勇樹の実家はマグロ船団を持っている。海のダイヤとも呼ばれているマグロ。本マグロ(黒マグロ)一匹100㎏だと時価百万前後ぐらいで売れる事も有る。

 普通に獲れるのは40㎏~70㎏が多い。数か月に一匹100~200kgのマグロがまれに市場に上がるが、本マグロは貴重で、あまり捕れないから高額な値段が付く。   


 大間のマグロが有名だが、それだけ数が上がらないのだ。勇樹の実家では時期を見て、ビンチョウマグロや、キハダマグロ、メバチナグロなどを狙っている。だから本家の貯蓄や自分の貯金を考えると、出来ない事ではない。


 由香里と勇樹の貯金を合わせてみると、約三千万円ある。勇樹は一応、親に話してお金を借りた。一千万円だ。更に、漁業組合が全国に働きかけてくれて、寄付が集まった。約三百万円。そして、花屋の次郎と華子も老後に備えた貯金を惜しげもなく出してくれた。五百万円。それら、総額四千八百万円也。それだけあれば充分な金額だろう。


 すぐさま、由香里と勇樹は担当医師に相談して、渡米する事にした。海士のアメリカでの受け入れ先の病院を、担当医師に探してもらい、いつでも行ける準備をした。


 



 ——やがて時は満ちた。


 海士が生後半年となった月に渡米を決めた。由香里に勇樹。そして、担当医師が付き添い、ロサンゼルス行きの飛行機に乗った。


 やがて飛行機は爆音を響かせて、空に吸い込まれる様に消えていった。


 十数時間の後、彼等は目指すロサンゼルス空港へと着いた。付き添ってくれた若い河田医師は、以前ロスの大学へ留学していたので、この辺りの地理に詳しい。空港から病院へ直行し、海士を受け入れてもらった。病院では海士の再検査を行った。


 又それによって海士の心臓の募集登録を行った。年齢・血液型・によって登録し、ドナーが現れると適合検査が行われる。登録が早くても遅くても、適合検査に受からなければ手術が出来ない。運が微妙にからんでくる。ドナーが居なければ、入院費や滞在費等もかさむ。早く、ドナーが現れる事を祈りながら、命の火が消えない様に祈るしかない。


 又、河田医師のはからいで、病院から近い場所に部屋を借りた。安くて治安が良い所だ。ここなら、徒歩で三十分もあれば、病院へ通う事が出来る。


 こうして、海士のドナーが現れる事を待ち望みながら時間が流れていった。




 やがて一ヶ月が経った。海士のドナーは現れない。


 三ヶ月が経った……。そして、やがて半年が経った……。



 しかし、未だドナーは現れない。次から次へと心臓移植希望者は現れて、随時移植を行っているというのに、未だ海士のドナーは現れない。由香里と勇樹は焦っていた。日本から遥か離れた異国の地・アメリカで言葉も解からず生活をしている。入院費だけで一月十万円かかる。たかが盲腸の手術をしても百万円の請求が来るのだ。


 外国だから、日本の様に保険適応が効かない。更に滞在費、衣はともかくとして、食と住にも負担が掛かる。お金もそうだが、する事がないのが一番の苦になる。海士の事を想ってみても、ただ単に時間だけが流れていく。由香里は一歳の海士の側で介護と育児を行っているが、一方勇樹は他にはする事がない。生活の為、勇樹は働く事にした。日本料理店の板前となった。漁師の目で、活きの良い魚を選び、調理する。日本にいたスキルを上手く使っている。



 そして個々の想いが複雑に絡みながら、時が流れていった。


 由香里達親子が渡米してから、一年の月日が流れ様としていた。



 由香里と勇樹は、英語が話せる様になっていた。一年間外国にいて生活すれば、勉強しなくても何となく感覚で解かる様になる。言葉の壁を越える事が出来たのは良いが、お金が段々と少なくなってきた。やはり保険が利かないのが一番辛い。ちなみに手術費だけで、三千万円は最低掛かる。日本から持ってきた、お金の残高が徐々に減ってきているのが、精神的苦痛を与えるのだ。勇樹の仕事で生活の面は何とかなっているが焦りは隠せない、



 ——そんなある日の午後。


 海士の病室へ担当の看護婦から連絡が入った。

 コンコンと、いつもの病室のドアを叩く音が響き、看護婦が入ってきた。担当のジュディーの顔がほころんでいる。


「ユカリ、カイトのドナーが見つかったよ。今、先生のパソコンにメールが入ったから、情報を集めているんだけど、ほぼ間違いはないと思うよ。良かったね、ユカリ」

「——えっ、ジュディーそれ本当?」

「大丈夫だって、今度はバッチリだと思うよ。ホントによく辛抱したね」

「アリガトウ、ジュディー……ウウッ……海ちゃん、よかったネ。今まで辛抱して、本当によかった。お母さん、海ちゃんの事、絶対に助けてみせるからね……」


 我が子を抱きしめながら話しているユカリの頬に、涙が伝わって落ちていく。見知らぬ異国の地で、本当によく一年間も辛抱したものだ。我が子を助ける。という微かな希望だけが由香里と勇樹の支えになっていた。それが今叶おうとしている。長き日を耐え、忍びがたき日を耐え、ようやくやっと我が子へ、待ち望んだ心臓移植が取り行われようとしている。


 そして海士のドナーが、ヘリコプターによって海士の入院している病院へ運びこまれた。慌ただしく、そして厳かにオペが始まろうとしている。


 心臓移植。脳の手術の次ぐらいに困難なオペだ。短時間でオペを終わらせないと、患者の命に関わってくる。ましてや幼子なら体力も無く、尚更な事だ。しかし、アメリカはどれをとっても先進国だ。医療・技術・科学と。今回の海士の心臓移植も初めてではない。数十例も有り、成功の確立も大幅に上がってきている。


 オペ室の赤いランプが静かに灯ると、やがて海士の心臓移植が始まった。中では幼い海士が生きようと、懸命に戦っている。由香里と勇樹の我が子を生かしたい。という強い思いと共に海士は頑張っている。オペ室の前で、ただひたすらに由香里と勇樹は祈り続けた。それは長く苦痛にも似た沈黙の時間だった事だろう。心臓移植は時間との戦いだ。四時間以内に終わらせないと、体の方が持たなくなってしまう。小児だから尚更の事だ。


 やがて、四時間と云う時間が流れると、オペ室の赤いランプが消え、執刀医が現れてきた。中でオペをしているドクター達も命がけだ。休む事なく、長時間の集中力を保ち続けている。精も根もクタクタだ。それでもチーフ・ドクターが、由香里と勇樹に話し掛けてきた。


「——オペが無事終わりました。後は、拒絶反応が出なければいいのですが、恐らく大丈夫だと思います」

「ドクターありがとうございます。本当に、ありがとうございます……」


 何度も何度も繰り返し、由香里はチーフ・ドクターへ、お礼を言い続けた。


 幼子である海士は、術後ICUの部屋に運ばれていった。オペが上手く終わっても、その後に細心の注意を払わなければならない。感染症や拒絶反応が出れば、折角のオペが台無しになってしまう。しばしの間、親子離れ離れになってしまった。逆に云えばこの事は由香里にとって、ひと時の休息でもある。始終海士の側に居れば、精神的にも肉体的にも疲労が溜まってしまう。だが親であるから、そんな事は微塵にも思わない。矛盾が生じるが、だからこそ疲労が知らずに溜まってしまうのだ。


 術後一週間の面会謝絶が、由香里と勇樹に休息を与えた。由香里は自宅のアパートで、今まで溜まった疲れを癒す事にした。


 一週間後、海士の面会謝絶が解けた。


 由香里は依然・海士の看護に付き、勇樹は板前として働く日々が続いた。








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