5 最後の試練

 ——そして術後。やがて月末が来た。


 毎月の月末と云えば、医療費の支払いが待っている。術前には入院費だけでも毎月最低十万円支払っていたが、今回は術後なので、かなりの高額が要求される。病院内の会計窓口に行き、金額を聞いて由香里は驚いた。その額三千万円也。渡米前に医師から聞いていたが実際に聞くと更に驚いた。


「ええっー……やっぱり、そんな大金になるんですか?……。ここって、保険適応ってのは無いんですか?……」

「そうですよね、私も分かります。そんな大金、今直ぐ払えって無理な事分かります……でも、アナタは、日本から来た臓器移植の方なんですよね。どうか、移植手術の現状を御理解頂けます様にお願い致します」

「……はい、確かにそうです。……それは分かります。でも……やはり、大金ですね。分かりました。用意して来ます」


 移植手術は高難度であり、裏を返せば高医療な事は分かっている。高額な請求を受け、由香里は少し落ち込んだ。我が子の為とは云え、かなりの出費になる。


 由香里は一旦自宅のアパートにお金を取りに帰ってみる事にした。アパートの玄関のカギ穴にカギを入れて回す。カギを回す手に違和感があった。カギの音がしない。カギが閉まっていない。嫌な予感がする。


「あれ、カギが開いてる?……何で、勇樹さんの掛け忘れかなぁ? どうしたんだろう?」


 違和感を持ちながらアパートの玄関に入り、寝室に向かって歩いて行く。お金を隠してある場所だ。未だドル紙幣に換金していなく、誰にも解らないように、幾重にも新聞紙でくるみ、ダンボールの一番下に二重底の様に隠している。それは寝室のクローゼットの奥深くに眠る様に隠している。


 由香里は、そのお金の入っているダンボールを探した。探している手が止まる。


「……あれっ? 確か先月にはここにまだ、四千万とチョッと有ったはずなのに? 何で?……」


 ダンボールは有るが、荒らされた形跡は無い。しかし、中のお金はカラッポだ。


「うそ? どうして?……」


 ―ゾワリ―。

 途端に由香里の背中が凍り付く。頭の中が真っ白になり、目眩がして床に跪いた。


「……やられた……泥棒だ……」


 カギが開いていたのはこの為か。ここは日本じゃない。日本でも空き巣は入る。ここは、治安が決して良いとはいえない異国だ。


 由香里は全身の全ての力が抜けていくのを感じた。同時に気力も意識も遠のいていくのが冷静なくらいに解る。座ってお金を探していた姿勢が前のめりに崩れる。


 どうすれば……一体、どうすれば? どうやって、海士の病院代を……。


 混乱する意識の中ユックリと起き上がり、由香里はどうしていいか解らず夫である勇樹に連絡を取った。


 由香里からの電話を受け、慌てて勇樹が日本料理屋から帰ってきた。勇樹の顔色も真っ青だ。


「間違いないのか、由香里?」

「ええ、間違いないの……先月には、まだお金が四千万ぐらいあったのに……どうして……」

「取り敢えず、警察に連絡だ……」


 暫らくの後、警察がやってきた。多くの鑑識を伴い、現場検証を始めた。警察の関係者に聞くと、他国から移植手術を求めて、アメリカにやってくる多くの移植希望者は、大金を持っている。その金を奪う犯罪が最近多発しているそうだ。病院内にて目ぼしい患者を探し、帰り道の後ろを着けて泥棒に入る。


 アメリカと云えば貧富の差が激しい。華やかな生活をしている者達もいれば、スラム街で、ギリギリの生活をしている者達も多くいる。又、日本と違い、治安も悪い。ピストルを持った者が多くいる。希望の国! アメリカ。自由の国! アメリカ。又は別名、命がけで生きていく国! それがアメリカなのだ。


 警察は優しく由香里達を慰めるが、犯人の目星もつかないし、お金が帰ってくることは絶望的だった。


 折角、息子海士の移植手術が無事終わったと云うのに、お金が払えないと、今後の治療が受けられない。そして日本へ帰れない。勇樹は焦った。日本へ国際電話を入れようとするが、指が震えて上手く番号が押せない。やっとの事で電話が繋がった。


「もしもし、母さん?……俺だ、勇樹だけど父さんは居るか?」

「おお、勇樹かい、お前最近電話もしないで、元気かい? 所で海士の手術は無事終わったのかい?」

「今は、そんな話をしている時じゃないんだよ。父さんは、今は居るか?……」

「お父さんなら、海士の事で又お金が要るだろうからって、インド洋まで皆と一緒にミナミマグロを追っかけているよ。近場のビンチョウマグロじゃ、儲けが薄いからってミナミマグロを追っかけてるから、帰ってくるのは多分来月末か、いつになるやら解らないねぇ。所で、慌ててるけど、どうしたんだい?」

「……そうか……。ふぅ~、父さんは居ないのか……。実は、海士の手術代を……盗まれた」

「——エエッ……どうするんだよ、勇樹?」

「解んねぇよ、どうしていいか……。母さん、母さんの動かせるお金って有るか? いくらでも良いんだ……」

「アタシのお金っていっても知れてるからねぇ……う~ん、ヨシ分かった。この町の漁業組合に相談してみるわ。何とかしてみるから、勇樹、あんたシッカリしなさいよ……」

「ありがとう、母さん。父さんが居ない今、母さんだけが頼りなんだ……」

「ヨシ、任しときな……」

「また、電話するよ……」


 頼みの綱である勇樹の父は今居ない。遥か遠方のインド洋の沖合いに、ミナミマグロを追っている。これでは連絡も取れない。勇樹は電話を持ったまま、崩れる様に座り込んでしまった。母はああ言ったが、漁業組合からすでに寄付金を貰っている。


 あまり当てには出来ないのだ。



「ゴメンなさい、ごめんなさいアナタ……私が、銀行に預けていればこんな事にならなかったかも知れないのに……」

「いいんだ由香里、為替の絡みもあるし、降ろすのに面倒だったじゃないか……取り敢えず、考えよう……」


 銀行に預金すると引き出す時に為替の関係で、少し面倒になってくる。円安、円高。元手が決まっていても、引き出す時のレートでお金の金額が変化する。

 更に、通帳が気になり、持ち歩くと落としたり、誰かに引ったくりに会うかもしれない。命の危険性も有る。だから、二人は現金を自宅に隠す事にしたのだ。


 海士の為の大金を失ってしまった。とは云っても、いい考えなど浮かぶはずもなかった。うなだれたまま勇樹は、自分の勤める日本料理店へ相談に行った。一方、由香里も日本大使館へ今後の相談に行く事にした。二人は沈んだ頭を持ち上げようとせずうなだれたままアパートから出て行った。


 由香里と勇樹は、お互いがそれぞれの関係者に相談してみるが、大金のめどが全くと云っていいほど、立たなかった。何しろ金額がでかい。四千万円盗まれたのだ。そのうち三千万円が手術代なのだ。右から左へ出せられる、お金ではない。


 日本大使館から出て、力なくトボトボと歩く由香里は、やがて公園に着いた。仕方なく公園の広場の椅子に座り込んだ。


 ふと、顔を上げて辺りの景色を眺めてみる。公園には親子連れが多くいて、それぞれが楽しく遊んでいる。それぞれが楽しそうで何の苦労も感じられない様にみえる。


 まるで幸せを絵に描いた様に見えた。


「どうして? どうして? 折角、海士の手術が終わり、もう少しで日本へ帰れる。っていうのに……どうして私には不幸が訪れるの? 誰かーお金を返してー……」


 由香里は知らず知らずの内に叫んでいた。


 ぽつんと公園の椅子に座っても、無常に時間だけは流れていく。辺りは夕日が落ち様としていた。


 もう一度重たい頭を上げ、辺りを見回すと先程公園で遊んでいた家族達は帰ろうとしていた。日本と違い、暗闇になると暴漢がいつ現れるとも限らない。アメリカとはそんな国だ。由香里も思い腰を上げ、やっと帰宅する事にした。もしかしたら、犯人が捕まっているかも知れないし、勇樹もお金の目途が立っているかも知れない。それに由香里の事を心配しているかも知れない。


 由香里はフラフラと自宅のアパートへの帰り際に、馴染みのスーパーへ買い物に寄った。そこは日系人が経営している小さなスーパーだった。時間帯が合えば、よく半額とはいかないが、値引きをしてくれる。


 店に入り、最低限の食料を買い物カゴに入れ、レジに並んだ。顔なじみの店員が話し掛けてくる。


「あら、ユカリ。今日は活きの良い魚が入ったけど、買わない?」

「又、今度ね……」


 社交辞令ともとれる会話の中、由香里はお金を払おうと、財布を広げた。

 その途端、他の買い物客の誰かが、子供を連れて来ていたのだろう。財布を広げた由香里に、子供がぶつかってしまった。途端に由香里は、財布を落としてしまった。財布もろとも、小銭を床に落としてしまった。


「あっー大変……」


 レジの店員と共に由香里は、財布と中に入っていた小銭を座って拾い始めた。自分の財布を拾った瞬間、由香里の目に一枚のカードが目に飛び込んできた。白く妖しく光っている。


 あっ……このは?……。


 そのカードを手にした瞬間、由香里は忘れていた記憶を思い出した。寿ソウル・カードだ。引き出した金額によって自分の寿命が短くなってしまう。百万円引き出すと一年分自分の寿命が縮んでしまう。


 今は、これに頼るしかないのか?……。


 必然的にそう思い、レジでお金を払うと、由香里は逃げる様に走って自宅のアパートを目指した。



 自宅のアパートに帰ると勇樹はすでに帰っていた。椅子にうなだれたままの格好で酒を飲んでいる。勤めている日本料理店でも、いい話が出来なかったのだろう。それは当たり前の事だろう。借金の桁がでかいのだ。余程の金持ちか、頭のおかしい人ぐらいしか、簡単に貸してくれない。勇樹の態度をみて、由香里は残念に思った。


「ただいま……」

「お帰り……どうだった?」

「……ダメだけど……もしかしたら、海士の病院代は何とかなるかも……」

「えっ……どういう事だ?」

「ゴメンなさい、はっきり解らないから、明日病院で確かめるわ……もし、それでダメだったら……」


 由香里は勇樹にの事は言えなかった。本当の事かどうかも解らない。明日・病院でカードを使えば真偽の程が解る。それは同時に、自分自身の寿命を削り取ってしまうのだ。簡単には使えない。


 その夜、落ち込んだまま二人はベッドについた。とは云っても眠る事は出来ない。お金を取られた事が、二人の心を重く押しつぶしているからだ。


 フゥ~と云うため息ばかりが、深夜のベッドルームに響いていった。








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