3 幸せと不幸

 翌朝、店にあの光太郎に似た島原がやって来た。由香里から会いに行くはずだったが、向こうから来てくれた。どうやら運命が動き始めたのかも知れない。


「おはよう、由香里さんだっけ? 昨日はごめんよ……少し調子に乗ったみたいだ。まだ怒ってる?」

「いえ、そんな事ないわ……ごめんなさい私の方こそ……そうよね、自分に似た人がいるなんて知ったら、誰でも気になるわよね」


 気持の整理がまだきちんとついてない。思い出したく無い過去の惨事。しかし、光太郎に瓜二つのこの島原と云う青年が気になる存在なのは事実。気持ちの整理をつけなければいけない。


「本当はまだ、話したくないんだけど……彼にソックリだから、運命を感じる気がするの。良かったら、聞いてくれる?」

「ああ、良いのかい?」

「写真が無いのが残念だけど……彼、とっても貴方に似ていたわ」


 由香里は奥の部屋に勇樹を招き入れて、かつての恋人であった光太郎について話した。


 ゆっくりと目の前にいる本人へ、昔の思い出話を語る様に、光太郎と勇樹をシンクロさせてしまう様に話した。


 由香里の話す内容に、勇樹は黙って最後までじっと聞いていた。


 由香里の長い話が終わった。勇樹は何も言えないでいた。まるでドラマの様な事が、次々と由香里から聞かされると、何も言えなくなる。


 叔父の為、一家離散となり売春を強要された。何も信じられず不信感のまま、体を売って生きてきた。ある日、暴漢に襲われ、誰かに助けられる。助けられた相手に恋心を覚えていくが、自分の目の前でその暴漢に彼が殺されてしまう。そんな事が現実に起こっている事に、勇樹は驚きを隠せないでいたのだ。


 由香里の最後の言葉が終わり、数分の沈黙が流れた。その沈黙を破るかの様に勇樹が由香里に言った。


「由香里さん、どう……どう言えばいいのか解らない。悲しいよ……悲しすぎる…。俺が、その…昔の彼に似ているのなら……俺は強くないけど、由香里さん。アンタをこれから守りたいんだ……病院でぶつかった時から、俺は、アンタに一目惚れしてしまったんだ……こんな悲しい話しなら聞かなければよかった。いや、でも、聞いてしまったからこそ、アンタの事を守りたいんだ……嫌かな、俺じゃ、あれっ俺、こんな時に何、言ってんだろ……。ごめん……」

「ありがとう……でも、私……心も体も、汚れてるよ……」

「そんな事ないよ、由香里さん。アンタは決して、汚れてなんか無い……」


 勇樹は混乱していた。由香里の壮絶な過去を聞けば、軽いパニックに落ちてしまう。しかし、その中でも自分の想いを打ち明けたのは由香里に対する想いが強かったのだろう。


 一方、由香里も内心嬉しかった。こんな、過去を聞かされると、普通の人は引くのが正常だと思っている。この話を聞いて、相手の対応を試している訳ではないが、あえて申し込みをする人が必ず居ると思っている。


 そして勇樹は受け入れられた。由香里と勇樹は付き合う様になった。


 勇樹の家は漁師だ。元々この地区(港)に住んでいれば、ほとんどの家は漁師なのだ。漁師といっても、ピン~キリだ。近海の漁をする者もいれば、マグロを追って遠方の漁をする者までいる。


 勇樹の家は、後者の漁師にあたる。勇樹は島原家の三男坊で、親戚や一族でマグロ漁船の船団を持っている。前回の漁でマグロを取り込む際に、自らの不注意で左腕をマグロに折られたのだった。マグロは一般的には巨大魚だ。1m~2mともなれば60Kg~200Kgとなる。当然取り込み時には、細心の注意を払わなければならない。

 マグロだって、巨体に任せて必死に抵抗してくる。うかうかしていると、怪我をしてしまうのだ。


 勇樹の左腕の骨折のギブスが取れるまで数ヶ月かかる。その間する事が無い。勇樹は毎日、由香里に会いに来るようになった。


 やがて二ヵ月後、勇樹のギブスが取れた。待ちわびた様に勇樹は船に乗って漁に出た。漁と言っても、近海に夜中に出て早朝に帰ってくる。マグロを追って遠方に出掛けると、いつ帰って来れるとも解からない。海が荒れたり、不漁だと三ヶ月の予定が半年まで掛かる時だってある。


 近海の漁なら、そんな心配は無い。それに夜が明けない暗いうちに出掛け、夜が明けた早朝に漁から帰って来るので、由香里に毎日会う事だって出来る。勇樹は、由香里に会いたさでマグロ漁を止めてしまった。幸いな事にこの近海は魚影が濃い。一年中を通して、色々な魚が豊富に獲れる。食べる事に決して困る事は無かった。





 そして、二年の月日が流れた。


 あれから由香里と勇樹は、順調に愛をはぐくんで来た。勇樹がマグロ漁を辞めた事で、毎日会う事になったからだ。勇樹は光太郎と同様に優しかった。ワガママや無理は決して言わないで、由香里をいつも思いやっていた。由香里にはその勇樹の思いは、いつも伝わっていた。





 そして更に一年後。由香里と勇樹は結婚した。今住んでいる家は、今川家だ。どうしてかと云うと、勇樹は島原家の三男坊で家を継がなくてもいい。一方、由香里の両親は相変わらず消息が不明だ。


 由香里と勇樹が結婚して、新居を新たに構えようとした時、次郎と華子夫婦は悲しんだ。次郎と華子は由香里を実の孫、家族の様に可愛がっていたからだ。由香里も、この花屋で生活するようになったのは、この二人の御蔭だと思っていた。


 由香里が居なくなれば、又新たに住み込みの店員を募集しないとならない。次郎と華子夫婦には他に身内が居なく、寂しい生活しか待っていないのだ。由香里はその事に気付いていた。今まで世話になったこの花屋の老夫婦を放っておけなかったのだろう。勇樹を説得して、この花屋へ居候する事となったのだ。


 第三者から見れば、この同居は奇妙に見えただろう。しかし、実際に同居してしまえば、特に問題はなかった。勇樹の親・島原と次郎は顔なじみでもあるし、次郎は以前漁師でもあったので、色々と勇樹と話があっていた。


 そして奇妙な同居生活が始まってから、早二年が経とうとしていた。


 やがて由香里は妊娠し、出産した。以前ソープ・ランドに勤めていたので、子供は半分諦めていた。当時、女性は薬を飲んで男の相手をしていた為、身体のホルモンバランスが崩れてしまう率が多かった。


 生理を薬で強制的に止めてしまうのだから、身体に負担が掛かってしまう。しかし、あれから五年以上が経っている。崩れたホルモンバランスも徐々に回復していった。


 初産と云う事も有り、由香里の出産は難産だった20時間にも及ぶ出産に由香里の気力・体力は限界に近かった。クタクタになって子供を産むからこそ、愛しさもひとしおなのだ。それでも、勇樹と次郎と華子に付き添われ、無事に男児を出産した。名前は海士かいとと命名した。漁師をしている勇樹が名付けた。海の男らしく強くたくましく育って欲しい!との意味合いを持っている。


 そして出産後一週間が経った。今日で子供と一緒に退院できる・と由香里をはじめ、みんながそう思っていた。午前中に看護士が由香里の元へ赤ちゃんを連れてきてくれた。由香里がいつもの様に授乳をしていると、腕に抱かれた赤ちゃんが咳き込んだ。


「ゲホゲホ。オギャッー……オギャッー……」

「大丈夫? 海ちゃん……」


 心配しながら、我が子をあやす由香里ではあるが、今日の泣き方は異常に感じる。まるで火が着いた様に泣いている。いくらあやしても中々泣き止まない我が子に、由香里は不安を覚えた。


 ベッドのインターホンを押して看護士を呼んだ。すぐに看護士はやって来て、中々泣き止まない赤子を抱いて診察室へ連れていった。


 医師や看護師から何も連絡が無いまま、一時間が過ぎ様としている。由香里の不安が益々募っていく。


 どうして? 何が、何が我が子に起きてるの?

 と云う思いに駆られてナース・ステーションへ行ってみた。心配と不安で胸が苦しい。


「あの、今日で退院なんですが、子供は無事でしょうか? 看護師さんが連れていったきり、まだ帰ってこないんですが……」

「えっと、島原さんですね。もう少し待っていただけませんか? 後ほど赤ちゃんを連れて行きますので……」

「……はい……」


 看護師に言われ、仕方なく由香里は自分の病室へ帰っていった。


 何が起きてるの? 我が子は大丈夫なんだろうか?


 不安に駆られながらも仕方なく病室に帰る。病室は一人っきりだ。勇樹と次郎と華子は午後から病院へやってくる。こんな時は、一人では心細い。早く勇樹に会いたいが漁の後、市場からまだ戻ってこない。早く、早く勇樹に会いたい。抑えきれない不安が加速してくる。


 それから更に三十分経った。


 コンコンと、病室のドアをノックして、看護師が入ってきた。何かを隠している。そんな挙動不審な複雑な表情のまま、看護師は由香里に伝えた。


「あの~島原さん。先生がお話があるそうなので、ちょっと来て頂きますか?」

「う、うちの子供は、大丈夫なんですか?」

「……私にはちょっと……」


 返事をためらっているのは、誰がみても解かる。大丈夫なんだろうか? 何が子供に起きているんだろうか? 母親なら我が子を心配するのは当たり前だ。まして第一子なら尚更だ。不安に胸を押し潰されそうになりながら、由香里は医師の待つ診察室へ小走りに走っていった。


 コンコンと、診察室のドアを軽く叩いて、由香里は中に入った。診察室では先生が待っていた。由香里をみると、椅子に座る様に進めてきた。云われるがまま、椅子に腰掛けて由香里は聞いた。


「先生、私の子供は? 海士は?」

「奥さん、大変申し上げにくいのですが……お宅のお子さんは、心臓に異常が……それで、この病院から市内の大学病院の方に転送しました。そこで精密検査を受けてみないと詳しい症状が……」

「せ、せ、精密、検査?……」


 医師の言葉が終わらないうちに、由香里は気を失い椅子から落ちてしまった。出産したばかりなので身体はおろか、心まで疲れている。心のよりどころである夫も側に居ないし、精神的に脆くなっている。由香里はそのまま、もと居た自分の病室へ運ばれていった。


 由香里が目覚めた時、病室に勇樹や次郎と華子は居た。三人共、暗い表情のままだ。


 由香里は何をどう話していいか解からないでいた。先生の話の途中で、意識を失ってしまったのだから結果が解らない。ただ側に我が子が居ないと云う現実に、泣き崩れるしかなかった。


「アナタ、ウウッ……」

「——由香里……」


 勇樹は言葉に詰まってしまった。次郎と華子にしてみても同じ事だ。


 由香里が目覚める少し前、勇樹は先生に呼ばれ話を聞いていた。大学病院から検査の結果を聞いた内容だった。生後間もない海士の病名は【拘束型心筋症】と云う内容だった。この病気は心臓における難病だ。心臓の筋力が硬くなり、血液の還流障害を起こしやすい。すなわち呼吸器症状や、心不全症状が起こりやすい。小児の場合は進行性で、突然死の危険性を多くはらんでいる。すなわち、心臓移植をするしか助かる方法は無い、とされている難病なのだ。


 その内容を聞いて勇樹は絶句した。なぜ、どうしてわが息子が? と云う思いで胸が苦しくなる。どう由香里に説明をしたらいいか、解からないでいた。しかし、勇樹は由香里に我が子である海士の病名について話した。残酷な様であるが、しっかりと認識しておく事も重要なのだ。


「由香里……落ち着いてよく聞いてほしい……海士は……」


 勇樹から我が子である海士の事を聞くと、改めて由香里は泣き崩れた。お腹を痛めて産んだ我が子が、いつ死ぬかも解からないといわれたのだ。何の為に生まれてきたのか、解からなくなる。重く苦しい沈黙が由香里の病室に漂っていた。やがて看護師に促されて、由香里は新生児を同伴する事が無いまま、夫の勇樹や次郎と華子に付き添われて寂しい退院をした。



 一向は、退院した足で大学病院へと向かった。島原家の花屋の自宅から、片道車で約一時間半掛かる。


 大学病院内へ入り、小児病棟へ行く。受付で話をすると、看護師が案内をしてくれた。看護師の後について廊下の奥に行くと、新生児の部屋が見える。廊下から部屋の中が見える様に、ガラス張りとなっている。多くの小さいベッドが有り、その上に多くの新生児が横たわっている。当然中は無菌室だ。生まれたばかりの未熟な新生児達や、何か病気か障害を持った新生児が、奥の保育器の中にいるのが見えた。


 ガラス越しに看護師が、由香里の赤ちゃんを連れてきてくれた。ミルクを飲んだ後なのか、機嫌が良く看護師の腕の中でスヤスヤと眠っている。ガラス越しに我が子は見えるけれど、抱きしめる事は出来ない。再び、どうして?と云う疑問詞が、由香里の頭の中を過ぎっていく。同時に涙が頬を伝って落ちていく。


「……ううっ……海士……ゴメンね、お母さん、アナタを元気に産んであげられなくて……アナタを抱っこして、お乳をあげられなくて、ゴメンね、ううっ……」


 由香里は泣いた。ガラス越しに見える我が子を思いながら、ひたすら泣き続けた。我慢しようとしても、後から後からとめどなく押し寄せる涙には勝てない。


 そんな時、ふっと頭に昔・自殺を止めた、自称神と名乗る『ゼル』の言葉が過ぎった。


 これは、『超えなくては成らない自分の試練』なのだとすると、必ずや乗り越える事が出来る。いいや、言い換えると、我が子は必ず助かる。いえ、助けてみせる。なぜならそれが、私の前世のカルマなのだから……。


 そう思うと、由香里は肩の力が少し抜けていくのを感じた。今の自分に一体何が出切るのだろう。そう自問自答をすると、今は初乳を我が子へ届ける事ぐらいしか出来ない。新生児は免疫がまだ出来ていない。母親からの初乳を貰う事で、免疫を造らなくてはいけない。たかが母乳、されど初乳なのだ。


 病院まで往復三時間掛かるが、勇樹が漁から帰ってくると、由香里と二人で我が子へ、自分の初乳を持って海士に会いに出かけた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る