2 運命の出会い

 ——そして時は二ヶ月程流れていった。


 由香里は花屋の看板娘となり、この地域に根付いていった。もともと、スレンダーで美形であるから人目を惹く。華やかな雰囲気を知らずとも出している。そもそも花を買いに来る客は殆ど女性か、女性の年配者が多い。仏壇に添える花を買いに来ては、日頃の愚痴を話してストレスを発散して帰る。中々言えない愚痴を、嫌な顔せずに最後まで聞いてくれる、愚痴を聞いてくれる人は中々居ないのだ。由香里は以前の仕事から聞き上手になったのかも知れない。故に、この花屋は賑やかな憩いの場所に成りつつあった。


 そんなある日、由香里はいつも通りに早朝に花を仕入れて、契約のある病院へ花を収めに行った。その病院はこの港町の山の中腹に在り、この地区では大きな総合病院だ。    

   

 いくら花屋でも店先で構えて居るだけでは商売上がったきりなのだ。美容院や、色々な業種の事務所などに花や、観賞用の植物などをリースしている。病院は花屋にとっては上得意様の一つでもある。次郎と華子夫婦は高齢の為、運搬がきつくなり店員を募集したのだった。車の運転さえも少し危なくなっている。


 病院の受付待合室ロビーでは、いつも大きな花瓶に花を生けている。その花を由香里は五日に一度持って行くのだった。両手いっぱいの新しい花をバケツに入れ台車を押して中に入り、ロビーに置いてある古い花を持って帰る。いつも通りに診療開始前に事務員に声を掛けて伝票を貰い、古い花を持ち帰ろうとした時だった。


「じゃぁ、これで失礼します」

「あーあの……ちょっと、花屋さん、待って……」


 慌てた様子で事務の女性が声を掛けた。


「えっ、どうしました?」

「実はねぇ、いつもアナタの所の花を生けてくれる、お花の先生が風邪を引いたらしくて、今日は来れない。って言うんだけど……もし、良かったら、アナタが替わりにお花を生けてくれないかしら?」

「え? 私が?……ですか?」

「そう、出来ないかしら?どう、かしら?」

「私でいいんですか?」

「さっき、事務のみんなに聞いたら、誰も出来ない。って言うから。勿論、私も……」

「ええーでも私も……私も自信がないです」

「でも、アナタはお花屋さんだから毎日、お花生けてるでしょう? お願い……ね? ネ?……」

「でも、こんな大物は生けた事が無いんですよ。それでも良いんですか?」

「大丈夫よ。私達は素人だから、アナタの方がきっと上手に出来るわよ」

「分かりました。やってみます……」

「ありがとう、助かるわ」


 由香里は大きな花瓶へ花を生けだした。以前、自分探しと称して習い事をしていた時期もあった為、生け花も問題なく終わらせる事が出来た。終わった後、数歩下がってその作品を眺めてみる。


「うん、中々じゃない。我ながら!って感じだよね? ふふふっ……あっ、もうこんな時間だ。早く帰らなきゃ、次に回らないと遅れちゃう」


 由香里は腕時計を見ると、慌てて帰り支度を始めた。診療開始時間を数分過ぎると、病院内のロビーには患者で溢れ返ってくる。バタバタと忙しくしている由香里の背中に、誰かがぶつかってきた。


 ドン……。


「——キャッ……」


 ぶつかった勢いで、由香里は前に倒れてしまった。当然両脇に抱えていた古い花束も散らかってしまった。


「すみません、大丈夫ですか?」


 ぶつかった相手が、由香里に謝りながら右手を差し出した。その相手の顔を見た瞬間、由香里は息を呑んだ。体中に電気が走った様に座ったまま動けなかった。


「——こ、光太郎さん?……ど、ど、どうして?……」


 光太郎は、もはや亡くなってしまったのに、由香里の目の前に居るのは、光太郎に瓜二つの青年だった。


「光太郎? って違うよ。俺は、島原勇樹しまばらゆうきってんだ。ごめんね、ぶつかって……」


 光太郎とこの島原と云う青年、光太郎がもし生きていたら、並べて比べても見分けが付かない程よく似ている。


「いいぇ、私の方こそ……」

「あんた、今川の花屋さんの所で働いているんだろ?」

「ええ、そうですが……」

「巷じゃ、有名だよ。こんな田舎町にえらいベッピンさんが来た。ってね。俺も一度は、花屋へ行ってみようと思っていたんだよ」

「……」

「ほれ、左手が使えないんだ。だから、色々考え事してたら、あんたにぶつかっちゃたんだよ」


 勇樹はそう言って左腕を由香里に見せた。左手首から肘までギブスで固められている。それらを固定する為に、三角巾で首から吊っている。かなりの重症だ。


 そう言うと、勇樹は散らかった古い生け花を片手で集め始めた。由香里は呆然とその様子を眺めているしかない。目の前に亡くなった最愛の光太郎に似た人物がいる。由香里は暫く動けないでいた。これは現実なのか? 夢でもみているのか?


 大方の花を拾らい集め終わると勇樹は由香里に申し訳なさそうに呟いた。


「今度お詫びに花屋に行くよ。じゃあね……」


 そう言うと、勇樹は病院の奥へ消えて行った。勇樹の後姿を由香里はいつまでも目で追っていた。その男は後姿や歩き方まで光太郎にそっくりだった。



 勇樹が去った後、由香里は軽いパニックに陥っていて、暫らくは動けないでいた。


 何で? どうして? これって、一体、何? これは幻覚なの? 


 疑問詞だけが由香里の頭の中を、グルグルと駆け回っている。かつての光太郎も腕に包帯を巻いていた。右と左で違うが、かつて愛した【光太郎】は亡くなってしまった。光太郎にそっくりな男が現れると、偶然を通り越して、運命すら感じてしまう。


 途端に、目の前が暗くなる。息をするのも辛い。足が震えて床に座り込んだ。


 しかしながら、いつまでもその病院へ居る訳にはいかない。次の配達も待っている。由香里は呆然と考えながら、やっとの事で起き上がり、散らかった古い花をカートに乗せると、次の配達先へと向かった。


 最後の配達が終わると、由香里は次郎や華子の待つ花屋へ戻っていった。

 しかし、依然考えるのは、あの光太郎に似た青年の事だった。花屋に戻っても、呆然としながら元気の無いしょぼくれた由香里に華子が声を掛けた。


「由香里さん、どうしました? 今日は、何か変ですョ? 身体の具合でも悪いのですか? 配達先で何かトラブルでも有りましたか?」


 華子に気を使われ、由香里は自分の思いを打ち明けた。


「お婆ちゃん、島原勇樹っていう漁師の人知ってる?」

「漁師の事なら、お爺さんに聞かなくっちゃねぇ。あの人こう見えても、昔・漁師だったのよ。ちょっと待っててね、今・お爺さん呼んでくるから……」


 華子はそう言うと、奥へ次郎を呼びに行った。奥の方から大きい声が聞こえる。すぐに次郎が奥からやって来た。次郎を見つけると由香里は慌てたように聞いた。


「お爺ちゃん、島原勇樹って言う人知ってる?」

「しまばら? 島原?……おおっ、良く知ってるぞ。どうした、あそこの息子が何か悪さをやったか? あの野郎、とっちめてやろうか」

「お爺ちゃん、落ち着いて。何でもないの。何もしてないの……只、私の知り合いにソックリだったんで、どんな人かな? って思っただけなの」

「そうか、そうじゃなぁ……あそこの親父は頑固で厳しいが、漁師の腕は一級品だから、息子も悪いヤツじゃないと思うんじゃが……気になるんじゃったら、やっぱりこれから行って話をしてこようか?」

「いえいえ、何もそこまでしなくても大丈夫よ」


 店を背中にして話しをしている最中、不意に店にお客がやって来た。


 ガラガラガラ——。


「こんにちわー」

「はいー……」


 客の声に振り向いた由香里は凍り付いた。【噂をすれば、何とか……】と言う、ことわざが有るが、今その島原について噂をしていたばかりなのに、その本人が現れた。見れば見るほど光太郎に似ている。双子と言ってもいいくらいだ。由香里は言葉を失ってしまった。


「……」

「やあ、さっきは病院でごめんよ。散らかった花も上手く片付けられなくて……色々考え事していたから、余裕が無かったんだ。本当に、ゴメンよ。だからお詫びに花を買いに来たんだ。う~ん、何がいいのかな? 俺、花なんか買った事がないから解かんねぇや。母さん用に、適当に見繕ってくれないか?」

「はい、解りました……」


 適当に花を見繕って由香里は勇樹へ花束を渡した。花束を渡す手が震えているが、しっかりと勇樹の顔を見つめている。


「二千三百円になります」

「ありがとう。おい、アンタ? 俺の顔がそんなに誰かに似ているのかい?」

「ええっ……はい……」

「そうかな? こんな顔、何処にでも在る顔だと思うんだけど? 良かったら、話してくれないか? 俺も気になるじゃないか?」

「それは、今は、ちょっと……ごめんなさい……」


 そう言い残すと由香里は逃げる様に店から奥に引っ込んでしまった。かつて愛した光太郎の事はまだ話せれない。話せば、あの忌まわしい惨事を思い出してしまう。


 由香里が逃げる様に奥に引っ込んでしまったの見て、華子は勇樹に申し訳なさそうに言った。


「今日の所は帰ってもらえないでしょうか? あの子は、今は話したくないそうですし……」

「ああ、そうだな……今日は帰るよ。彼女によく言っておいてくれないか? 悪かったって……調子に乗りすぎたみたいだな」


 そう言い残すと勇樹はバツが悪そうに帰っていった。


 部屋の奥では、由香里は黙ったまま座っている。何かを思い詰めた様にもみえる。そんな由香里に次郎と華子は優しく声を掛けた。


「言いたくなければいいんじゃが、よければこの年寄り達に話して貰えないじゃろうか? 話せば、楽になる事だってあるし……」

「お爺ちゃん……お婆ちゃん……」


 由香里は、泣きながら二人に身の上話を話し始めた。それは長く、切なく、聞いている次郎と華子共涙を流す様な内容だった。


 由香里の話で数時間が流れた。由香里と次郎と華子、それぞれが茫然としている。それぞれが何か想い考えている様だった。暫くの沈黙の後、華子が由香里にソッと言った。


「由香里さん、アナタ……辛く悲しく生きて来られましたね。でも、どう言えば良いのか……私はいち、年寄りです。こんな老いぼれの話は、どうか? と思いますが……アナタとその、光太郎さん? に似た、島原勇樹って若い人と縁が有ると私は思いますよ。偶然とは云え、うり二つの人と出会うなんて、ナカナカ有る事じゃ無いですからね。あの、こう考えたらどうでしょうか。今まで由香里さんは運命に翻弄されていたと……だから、これからは、運命に翻弄されない様に、運命に添った生き方をすれば良いかと?……」

「お婆ちゃん、運命に翻弄されるのと、運命に添うって云うのは何処がどう違うの?」

「運命に翻弄されるってのは、そのまま流されるって云う事ですよ。途中で諦めたり投げやりになったりと……運命に添うって事は、自ら考え行動する事でその状態の運に乗るって事ですよ。前者と後者の大きな違いは、自らの意思が働くか、働かないか? と云う事になりますかねぇ。例えどんなに辛い事が待ち受けていても、途中で投げ出さず最後まで諦め無いって云う事ですかねぇ。つまり後悔の無い行動をする事ですかねぇ。何もやらずに後悔するより、やれる事はやって後悔したほうが、自分自身納得するでしょう?……」

「お婆ちゃん、確かに私は、ソープランドに居た時は、どうでもいいやって、思ってた。仕方が無いんじゃないかって……でもそれじゃあ、駄目ってことよね。おばあちゃん、それって、昔大学で習っていた哲学みたい」

「由香里さん、婆さんの言う事は、あまり気にせんでええんじゃ……自分の意志をしっかりと持って、これからその意思を尊重させていけばいい事じゃから。のう、婆さん?」

「そうですとも、お爺さん」


 由香里は、この今川家の老夫婦の言葉が、不思議と心に響いたのだった。目に見えない何かに惹かれる様に、この家に住み込みで働く様になった。その意味がジワジワと、由香里に心の教えを紐解ひもとく様に感じられる。


 由香里は不思議と、華子の話に反発すら感じる事無く、同意してしまった。


「ありがとう……。お婆ちゃん……私、明日あの島原って云う人に会って来ます。多分、これが私の運命だと思いますから……」

「うん、そうですねぇ。もし、明日会いに行って、入れ違いで会えなければそれはそれで縁が無かったと思いましょう? 宇宙の法則とはそんな物ですよ。チャンスは一度こっきり……会えなければ、縁が無いと云う事ですよ……」


 年寄りと云っては侮れない。この今川夫婦には人生を悟ったと云う境地が感じられる。由香里は、この助言を大事にする事とした。


 明日、更なる運命を感じて、由香里は床に着く事にした。未だ見ない明日の事を夢見て……。







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