3 闇の深淵


 翌日から泰三は変わった。


 あれだけ残業がキライだったが、自ら進んでするようになった。それもそのはず、夕方からキャバクラに行けば、結構な金がいる。残業していけば閉店までいても時間が短くて安く済むし、残業代も儲かるのだ。

 しかしながら、毎日という訳にはいかない。いくら証券会社といえども、毎日残業とはいかない。泰三の貯金も、日に日に減っていった。


 とりたたて、泰三は良い男では無い。見た目、ごく普通の男だ。ドラマのエキストラに出ている人のようにこれといって特徴がない。何か、人目を引く物でも有れば違っていたかも知れない。そんな男は、金に物を言わせなければ‟お水”の女性は近寄って来ないのだ。


 加奈はナイト・ドールの店の売れっ子だ。No,1の若い女の子が、野暮ったい三十の男を相手にするのは、やはり金が目当てでしかない。泰三はキャバクラに行くのは初めてだったし、自分でも解っていたのだろうか? 加奈の気を引こうと、ブランド品のプレゼント攻撃を始めた。グッチ、エルメス、ビトン、シャネル……。数え上げればきりが無い。靴、バック、服、時計を買い与えた。しかし、それらを与えたとしても、それだけなのだ。店以外で会えるのは、同伴だけ。休日は決して会おうとはしない。泰三の心は焦る。想いは募っていくばかりだ。


「わぁー泰ちゃん、有り難う~♡……」


 加奈はそう言って、喜ぶだけだ。泰三は知らない。これが“お水の方針”なのだ。基本料金を安くして、リピーターを募る。店のNo,1は、例え他の客が指名していなくても、一旦他の客へ移動させられる。あたかも人気がある様に見せかけ、ひいきの固定客の不安を募らせる。この駆け引きに乗る客こそが“カモ”なのだ。

 泰三は、まんまと店の罠‟カモ”に仕立てられたのだった。不安が不安を呼び、指名をしに店に行く回数が増える。プレゼント攻撃も益々ヒートアップしてくる。


 泰三は店のトイレに立った。トイレから奥に続く部屋を何気に見た。VIPルームが、ガラス越しに見える。豪華な部屋に六十過ぎのオヤジが四人の女を侍らしている。一人の女の後ろ姿に見覚えがある。加奈だ。ちっ、くそっ——。


 そのオヤジは何処かで見かけた覚えが有った。

 確か、「井坂食品」の社長だったような記憶が……。そうだ、少し前に「先物取引」の件で事務所に行った時の、あのオッサンじゃないか。結局、契約もしないで追い返されたじゃないか。ってクッソ——。


 泰三は、唇を嚙み締めた。




 そうこうしている内に、早や九ヶ月が経った。泰三の三百万あった貯金も全て使い果たしてしまった。「金の切れ目が縁の切れ目」で、諦めてしまえば此処で終わりだったのかも知れない。キャバクラという酒場での疑似恋愛の壺にはまってしまった。言うなれば、人恋しさがそうさせてしまったのだろう。


 ついに、泰三は加奈に会い一心で、サラ金に手を出してしまった。『即決五十万』と言ううたい文句に手を出してしまった。もはや後には引けない。こんなに、貢いだのに、どうして分かってくれないんだ。泰三の心にひびが入り始めていた。


 元金五十万が半年で六十万と膨れ上がってしまった。金利が金利を生む複利計算で、アッという間に、一年で百万になってしまった。相当な悪徳闇金融会社だ。

 当然泰三は一括で払う余裕など無い。少しずつ返しているが、一回でも返済が滞るとそれに上乗せが入ってくる。余裕がないから、他社のサラ金に手を出す。自転車操業の繰り返しだ。





 ——ある日の深夜、そいつはやって来た。


 泰三のアパートの呼び鈴を押す。


「——ピンポーン……」


 一拍の間を置き、再び呼び鈴が鳴る——。


「ピンポーン。ピン、ピィピィピィ、ピンポーン……」


 呼び鈴の連打。深夜に音が響く。


 何だ? こんな夜中に、どうしたっていうんだ。泰三は混乱した。


 更に呼び鈴だけでなく、“ドンドン”と、情け容赦なく泰三のアパートのドアを乱暴に叩きながら、そいつは大声で叫び始めた。


「ニコニコ金融ですが~、金井さん居ますか?」


 丁寧に言ってるが深夜だ。泰三は混乱する。対応に出ようか、どうしようか。思案する泰三にドア越しの男はしびれを切らす。


「おい、居るんだろ? 金井泰三さんー居留守なんか使っても、居る事は解ってるんだぜ? 早くここを開けろやー。……くそ、惚け野郎が……」


 すぐにドアを開けない泰三に、回収人は苛立ちを覚え、更に声を大きく張り上げた。足はドアを蹴り続けている。まるでチンピラだ。その騒ぎに泰三は、ドアを開ける事にした。近所迷惑になってしまう。いや、それよりもこれ以上放っておけば、何をされるか解らないからだ。


「ま、待って下さい……。夜中に、大きな声を出さないで下さい」


 泰三はドアを少しだけ開けて懇願した。


「居るならサッサとドアを開けろや——!」


 少し開いたドアに回収人は足を挟み、ドアを閉められない様にした。更に力ずくでドアを大きくこじ開け、泰三の部屋に土足で入り、辺りを物色し始めた。


「おい、いい加減にしてくれないか?」

「そ、そ、それはこっちのセリフですよ……」

「何だと、コラ? テメエ、三ヶ月も滞納してんだぞ。借りた金返さず、何惚けた事ヌカシやがってんだ? 借りた金、サッサと払え! ってんだ、ボケが!」

「ちょ、ちょっと待って下さい。……払いたくても、給料前なんです。……だから……」


 泰三の態度に回収人はいきり立つ。左手で泰三の胸ぐらを掴みながら、眉間にシワを寄せながら怒鳴った。


「嘘付け、こら? 俺は知っているんだぞ。給料は三日前に入っているはずだ。……さっさと金、出せ、この野郎——!」


 確かに、給料は三日前に支払われている。しかし、泰三は借金の穴を埋める為、他の業者からも借金を重ねている。それは俗に言う、自転車操業。昨夜、偶然にも他の御者から根こそぎ、お金を奪われた所なのだ。この業者に払うお金は無い。払いたくても無いのだ。


 なおも泰三の部屋を物色しながら、その回収業者は泰三のスーツの内ポケットから財布を見つけた。財布を開きながら薄ら笑いを浮かべる。


「な~んだ、有るじゃないか? チッ……しけてるねぇ? 三万円か。まあ、いいや。手間賃代わりに貰っておくぜ……明日又来るぜ。それまでに用意しておけや」

「そ、そ、そのお金は……。生活が……」

「こっちも、お前が金払ってくれなきゃ、俺達ぁ生活出来ねぇんだよ」

「……」


 回収人の威圧的な態度に泰三は力無く床に座り込んだ。


「あ、明日、必ず……どうにかしてお払いします」

「どうやって払うんだ? 会社の上司に相談でもしてみるか? それとも、親に泣きついてみるか? 肝臓や腎臓なら高く売れるって聞いたが、その手の業者を紹介してやってもいいんだぜ? ええ? どうする?」

「お、親は……居ません。亡くなってますから……。そ、それから、それだけは勘弁して下さい……」

「まあ、いいや。今日の所は帰ってやるよ。明日、よその業者からでも借金してこいや——解ったな!」


 力無く項垂れている泰三に、唾を吐きながらその回収人は帰って行った。







 二日後、又 奴はやって来た。違う奴だ——。


「——ピンポーン……」


 一拍の間を置き、再び呼び鈴が鳴る。


「ピンポーン。ピン、ピィピィピィ、ピンポーン……」


 呼び鈴の連打。深夜に音が響く。


「ハロー金融ですが、金井さん~支払いが遅れていますよ。ってか、借りた金返せよ。オイ、居るんだろ? 出てこいや、この野郎」


 この様な不貞な輩からの取り立ては、連日連夜来ては嫌がらせの激しさを増すばかりだった。深夜まで続く電話攻撃に、アパートのドアを叩きながら叫ぶ毎日が続けば、誰だって参ってしまう。仕事が終わり、自宅のアパートに帰るのに恐怖すら覚えてしまう。人と接する事すら嫌になる。


 以前に、違う金融業者に二ヶ月滞納したら、アパートに「借金未納者」とビラを至る所に貼られていた事を思い出した。奴らは何をするか解らない。金を回収するまでは、情け容赦など無いのだ。


 夜が怖い。夜になると回収人がやってくる。怖い、怖い、いやだ、いやだ……俺は、俺は……どうすれば?……胸がソワソワして痛い。何だ、苦しい。息をするのもしんどい。どうすれば……。


 泰三は自分自身に嫌気がさして、すっかり鬱病になってしまった。証券会社で営業を営んでいる泰三でも、対人恐怖症になってしまう。楽になりたい……。誰か助けてくれ……。懇願するが、仲間にも上司にも言えない。言った所で馬鹿にされ、お金を貸してはくれない事は解っていた。


 以前同じ会社の他課の社員が借金で困って会社を辞めたという話を聞いたことがある。会社を辞めた所で、泰三の退職金の額は知れている。借金の完済は出来ない処まで追い込まれている。


 人は信用できない。馬鹿にされ、放って於かれるだけなのだ。外回りに営業で出掛けても、あの回収人にどこかで、会うかも知れないと思えば、外に出たく無くなってしまう。会社の電話のベルが鳴る度に、回収人からの電話かも知れないと思う様になってしまう。


 嫌だ、嫌だ……怖い、怖い、怖い、嫌だ……。 徐々に泰三の心は壊れかけようとしていた。


 すっかりノイローゼ状態になってしまった泰三は、事も有ろうか、顧客の株券に手を出してしまった。勝手に売却しサラ金に払ってしまった。その金額、四百万円也。返す宛てなど、もはや皆無だ。


 いつバレるか不安になりながらも、毎日の生活をする泰三に追い討ちが入った。

「監査」 顧客名簿から確認を取り、売る、買いの集計をしなくてはいけない。

 何処の会社でも、本社もしくは、税理士に会計帳簿の集計の確認をされてしまう。

 これを見れば、社員の不正売買が一目瞭然。後三日で泰三の不正運用が、公にばれてしまう。金を返す宛てが無いから自殺を決意したのだ。


 もういいや。ただ疲れたんだ。楽になりたい。……ただ、死んで楽になりたい。もう、金で振り回されるのは嫌だ……。嫌だ……。と思ったのだ。


 泰三は己を恥じながら、泣いてゼルに訴えた。


『そうですか……。解りました……。やはり、お前の薄っぺらい人生、金、色で自滅してしまったのか? ケッ、悲しくてツマラナイ人生だ。哀れとしか云いようが無い……』


 ゼルは泰三に話しながら、自らの姿を女神から自身の姿に元に戻した。


「そうなんです……。私は、今度生まれ変わったら……。こんな事には、ううっ……」

『死んだヤツは皆、お前と同じ事を言うぜ。今度、今度っていつの今度やら? まあいい、俺が一つチャンスをやろう。ほら……』


 ゼルはそう言うと、泰三に何かを差し出した。それは、ゼルの手からスーっと飛んで来て、泰三の手の中にすっぽりと入った。泰三がそれを摘んで見る。真っ白で妖しい光を放っているようだ。


「これって、カードの様ですが……」

『そうだ、このカードは“ソウル・カード”と言って、持ち主の寿命を金に替えてくれる。おい、お前、名は?』

「ハイ、金井泰三かないたいぞうです……」

金井泰三かないたいぞうか?』


 ゼルがそういうと、CHANGE変換という文字がカードに浮き彫りとなった。


『いいか、一度しか言わないから、よく聞いとけ。しかし、百万円がお前の寿命を一年間縮める事になる。一千万なら十年の寿命が縮む。まぁ、泰三お前は今三十才で、今の日本男子の平均寿命は七十八才だから、単純計算で四千七百万は引き出せれる計算かな?』

「エッ、四千八百万では?」

『バカかお前? 四千八百万だと、引き出した途端、お前の寿命が無くなるかも知れねぇーだろーが? これは、例えの話だ。金使わねぇーで、死ぬのか?』

「た、確かに……」

『まぁ、今言ったのは、あくまでも平均寿命だからな。お前の寿命はいつまで有るかは、解らねぇ? もしかして、一年後か? それとも百才まで生きるか解らねぇ? どうする?このカードを使って、人生やり直すか?』

「ハイ、お願いします。今度こそ、まっとうな人生を……」

『解った。それがお前の選択だな?』

「ハイ……」


 泰三の返事を聞いて、ゼルは心なしか悲しそうに見える。体にまとっていたオーラの色が一瞬、曇ってみえた。


『では、契約を……。俺は悪魔では無いが、お前がこのカードを使うに当たって“契約”を結んで貰わなければならない。それによってこのカードの主が決まるのだ』

「どう、するんですか?」

『お前の涙の雫をそのカードに落とせ……』

「ハ、ハイ……」


 泰三は言われた通り、自分の涙の雫をカードへ落とした。すると、泰三の数滴の涙を吸ったそのカードは、一瞬眩く光を放ちだした。やがてそのカードの上に金井泰三と云う名前がハッキリと浮き上がってきた。


『これで、このカードはお前の物だ。使い方は自分で考えて使うが良い。人生のリセットボタンを、お前は手に入れた。楽しく暮らすも泣いて暮らすも、お前次第だ……。良いか! Re:Startを切る最後のチャンスだ! 絶対に良く考えて使うのだぞ。……では、さらばだ……』


 そう言いながら、ゼルの体は霧の様に消えてしまった。泰三は、消えゆくゼルの姿に向かって頭を下げていた。


「神様……ああ、有り難うございます。……これでやっと、私は生まれ変わります。……アッ——、あ、あ——暗証番号は?」

『暗証番号は9643だ。9643くるしみと覚えろ』


 もはや姿が見えない空から、泰三に向かってゼルの言葉が高層ビルの屋上に響いた。


 泰三の左手には、先程ゼルに貰ったあの寿命を金に替えるという禁断の“ソウル・カード”が怪しく光りながら握られていた。









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