五 冒頭と終結と余韻とインパクトと明快と日本橋。

前回・前々回の自分の投稿を見ると、何とも重いというか理屈っぽい感じがしたので、

今回はもう少し明快に話したい。



何年前だったろう、友達が作文にて「どんな小説も始まりはつまらない」みたいなことを書いていた。

おもしろい作文だと思ったから私は褒めちぎった。褒めちぎったが、その意見自体には賛同していなかった。

その友達がまだ「マジかよ」って思わせる冒頭文に出くわしてないんだなー、そのうち出くわすだろうなーと思っていた。


だって太宰治の小説の冒頭がおもしろいから。冒頭で「マジかよ」って思わされたこともある。


私は太宰治の小説の、冒頭や終わり方を気に入っていることが多い。

例えば『人間失格』なんて、「第一の手記」の始まりが「恥の多い生涯を送って来ました。」と、パワーワードというか、人の目を惹く力の強さ。

そして最後は「……神様みたいないい子でした。」と締める。

私は、初めて読んだときは言わずもがな、何度読んでもその余韻たるや、ほうけたような気分になってしまう。

『ヴィヨンの妻』だって、最後の余韻。妻のあのセリフを夫は一体どう感じたろう。真理を突いているような、嘘のような、残酷なような、優しいようなセリフ。

『桜桃』に関しては、最早一文目が「子供より親が大事、と思いたい。」初見の我が感想は「oh……」である。

メロスは、激怒に始まり全裸の赤面に終わっている。


私個人が、文のインパクトだとか余韻だとかが好きなのだろう。

自分の小説でも、潜在意識下で余韻を気にして書いているのかもしれない。だが如何せんインパクトのある言葉はなかなか思いつかない。太宰治ってすごいなと、改めて思う。

私なんぞは、インパクトあるのかインパクトないんだか、自分で書いていると訳が分からなくなってくることもある。修行します。

修行。そう、私も小説を志すのだから。ここで偉そうに論じている場合なんだろうか。今こそ日本橋のまんなかで素っ裸になる時だろう。


以上、冒頭と終わり方についての話である。



私は近頃、太宰治関係の文章を読んでいると、自分はまだまだ未熟なのだと、無知なのだと、痛感する。

よって、突然だが、今回をもってこの連載を休止しようと思う。

というかここ数日更新していなかったものだから、こいつエタったなと思われたかもしれない。

エタるって言葉をこの間知ったから使ってみたくなった……という私の都合はさて置き、

もう少し太宰治について知って、太宰治検定でも受けて論文でも書いてから、再開するか、若しくは別な連載を始める方が賢明かと思った。

とりあえず設定は「完結済」にしておきます。

「明快に話したい」と言いながら今までで一番めちゃくちゃになってしまった気がするな。申し訳ない。

ではまたお会いしましょう。


カミツキの戯言でした。

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桜桃忌から始まる、カミツキの戯言。 かみつき @kusanoioriwo

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