四 罪と罰と人間失格と

本日は、『人間失格』に関する話。

ネタバレ・引用を含みますのであらかじめご了承ください。



作中で、主人公と堀木が、とある遊戯をしている。一部引用する。


「それは、対義語アントニムの当てっこでした。黒のアント(対義語アントニムの略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。」


という調子で、彼らは「花のアントが女」だとか、「臓物のアントが牛乳」だとか、当ててゆく。

そうして主人公は、「罪」のアントが何か、ということを思案する。


「罪と罰。ドストエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら?」

(*シノニム=同義語)


罪と罰が対義語? 初めて読んだ時の私は随分戸惑ったが、

考えてみれば当然のことのような気もしてくる。

罪と罰が対義語か否か……、想像の余地のある議題だと思った。

それは罪・罰それぞれの定義によっても変わってくる。


例えば仮に、「人にとっての最大の罰=罪悪感」だとしたら、「罪と罰が対義語」は容易に成り立つ。所謂「いい人」ほど罪悪感に取りつかれてしまうからだ。


もしくは、周りのためにと頑張った結果、逆に搾取されたり、頑張り過ぎて潰れてしまう人々。彼らには罪があると言えるのだろうか、言えないならば、彼らの被っているのは「罪のない罰」。「頑張り方を間違えるのは罪ではない」と仮定しておこう。

一方で、「いじめた側はのうのうと生きている」と言うように、罪を重ねても何の罰も被っていない人々。これは「罪はあるが罰はない」。

罪のある人に罰は届かず、罪のない人が罰を受ける。ということは、「罪と罰は対義語」と捉えられるかもしれない。


色々と仮定すれば、それぞれに答えも見えてきた。

作中では、「罪と罰は対義語」の根拠は、明確に示されていない。

主人公が悩んで「ドストの青みどろ、」とか「ああ、わかりかけた、いや、まだ、」とか考えているからこそ、

不穏……、というか、あの空気感が出ているのではなかろうか。

そもそも、「理論上での納得」に「実感での理解」が一致するとも限らない。私自身、「罪と罰は対義語」を実感として理解しているとは断言し難い。私が理論を使って納得しようとしていること自体、良くないかもしれない。

されど、「理論上の納得」でも、考えることが楽しい遊びなのだから、とりあえずそれでいっか。

遊びは、どこまでも本質的だ。

だからこそ残酷にもなり得るのかな。



本日は以上。何か引用部分の間違いがあったら教えていただけるとありがたく存じます。

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