最終話 大輪の花

「これより、政成が嫡男・篤矩の処刑を始める」

 屈強な武士たちに囲まれていても、手足に枷をはめられていても、和久は心を強く持っていた。

 生きる。

 そのために、闘わなくてはならない。自らの殻から抜け出すために、弱い自分と向き合う強さを手に入れるために。

「これより罪状を読み上げる。ひとつ……」

 生きる。

 和久は燃えるような眼を天に向けた。

 それが合図であった。

「ぅおおおおおおおおッ!」

 地響きのような唸りを上げながら、粉塵が立ちのぼった。土煙から見えるのは、人影。それも百や二百などではない。幾千、幾万という集団だ。

「て、敵襲だぁ!」

 敵将の処刑に浮かれていた者たちは、突然の事になす術もなく逃げ惑う。太刀を抜こうとする者も、抜ききる前に斬られてゆく。

「き、貴様の仕業かッ! おのれ……」

 恐怖に頬を引きつらせた男が、和久に白刃を振り下ろす。しかし、その太刀が和久の血に染まることはなかった。

「……か細い指してるわりには、やるなぁ」

 顔色ひとつ変えずに敵を切り結んだ弟に向かい、一言洩らす。

「兄上、ご無事ですか?」

 男が倒れるのも待たず、篤矩は和久の縄を解く。

「あぁ。でも動くことができねぇってのは、すんげぇ恐怖だぜ! 今度はてめぇがやってみな」

「遠慮させていただきますよ」

 言いざまに太刀を投げ渡す。それを受け取った和久は、ニッと不敵に笑った。



「とうとう、梅も散ってしまったわ」

 庭の梅の木を見上げ、耀は名残惜しそうに呟く。大きなため息までこぼした。

「わたし、梅の匂い大好きだったのに」

「いいじゃねぇか。今度は桜だろう? 蕾だってずいぶんと膨らんできたぜ」

 あまりにあっけらかんとした声調に、耀の神経は逆撫でられた。

「ちょっと、和久! あなたわたしに申し訳ないとかいう気持ちはこれっぽっちもないわけ?」

「だから、ちゃんと謝っただろう」

 眉をつり上げ、頬を染めて怒る耀の姿は見ていて楽しいけれど、その原因が自分にあってはさすがに気まずい。和久は無意識に後ずさっていた。

「黙って屋敷を出たことは悪いと思ってる。……だから、こうして何度も謝っているんじゃねぇか」

「ほんとうに?」

 耀は器用に片眉をつり上げた。

「本当に詫びる気持ちがあるなら、その誠意を見せなさい! 和久、あなた武士でしょう?」

 和久が帰ってきたとき、耀は泣いた。和久も泣いた。叔父も泣いていた。

 和久は、その時の耀の涙に誓った。

「誠意? 誠意かぁ……」

「そうよ! 武士らしく潔く、観念しなさい。……あ、だいたいあなたねぇ、春になったら新しい花を見つけてきてくれるんじゃなかったかしら? んもぅ! 口先ばっかりなんだから!」

 ぷんぷん怒る耀をちらりと見て、和久は吹き出した。それを聞きとがめて、彼女は声を荒げる。

「なにがおかしいのよぉ!」

「いや、それもおもしろいと思ってね」

 笑いを噛み殺す和久に、意味がわからない、と耀はさらに怒る。和久はコホンと咳払いをしてから表情を引き締めた。

「耀、俺と結婚してくれ」

 耀は大きな目を見開いたまま、硬直した。その表情は、初めて会ったときのものと重なる。彼女の無垢さは、まったく変わらない。

「俺、もう逃げないよ。篤矩の重臣として、あいつを支えてゆく。『和宗』の名に恥じないよう、あいつと共に国を治めていく。……そう、決めたんだ」

 手を伸ばせば、その愛しい体を抱きすくめることは簡単だ。しかし、和久はそうしなかった。その場に跪き、うつむく。

「俺はまだまだ頼りないし、これからの課題も山ほどある。だけど、絶対強くなるから! 耀を守っていけるよう、強くなるから。だから……」

 そういって顔を上げた彼の眼前に、煌びやかな花々があった。

「だから……」

 続きを口にしようとするが、和久の思考は完全に止められた。やわらかな香が鼻腔をくすぐる。

「和久、大好き……」

 耀は和久を抱きしめていた。愛しい存在が、頭からすっぽり抱きすくめる。

「あなたは私の『光』だわ」

 呆然としていた和久が、不意に笑い出した。

 その体に纏う衣に描かれた花よりも、清らかで美しい光の花。

「俺も、新しい花を見つけたぜ」

 耀を強く抱きしめた。

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花よりもなお君は美しき 七瀬 橙 @rubiba00

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