第10話 クライシス

 1983年、僕は大学三年になった。

 僕はEMI会の部長になってしまった。


 決め方はみんなの多数決だったが、実質みんなで一番年下の僕に押し付けたような感じだった。それでも、僕は初めのうちは真面目に部活動を推進しようと、春の新入生勧誘も、自らバイト先のスーパーで不要となった、キャンペーン告知ポスター用のホワイトパネルをもらい、日頃バイトでやっている得意のPOP書き能力を発揮して、大型の新入生勧誘告知ポスターを制作して盛り上げたりした。

 しかし、この頃には僕ら6人の仲間も、ヒロキが英国留学で休学してしまったり、かっちゃんは地元でのバンド活動や、マー坊とパチンコで忙しかったり、エイちゃんもバイトが忙しいのか、学校でもみんなが揃うことが少なくなっていた。ヤスシは千秋とは別れてしまい、ウインドサーフィンを始めて、真っ黒に日焼けし、ファッションもすっかりサーファーになって、会う度に違う女の子を連れているような感じだった。

 そんな中で、EMIの会の部長を押し付けられた僕は、夏の合宿も候補地を旅行代理店と打合せしながら、いくつかのプランをみんなに提案した。しかし皆、好き勝手なことを言い合って全くまとまらず、最終的には参加者も催行人員に満たない状況となり、僕自身もみんなに対して憤りを感じて、EMIの部長をやること自体馬鹿らしくなり、合宿も中止にしてしまった。

 勿論、最大の原因は僕にリーダーシップが無かったからであり、そもそも部長としてメンバーをまとめる資質も意欲も僕には無かった。


 僕はEMIの部長になったことで、何をやっても中途半端な自分の無力さを再認識し、また学校に行くのが億劫になり、バイトばかりするようになった。

 そんな6月初めのある日、夜、ヤスシから突然電話があった。


 「あ〜、たっちゃん?元気か?あのさ、明日会えない?」

 「ああ、ヤスシ、久しぶり。ゴメン、明日は一日中バイトだな…。明後日なら授業があるから学校行くけど…。ヤスシは出ないの?」

 「そうだな。じゃ、明後日、学校で会おう。」

 「何?どうしたの?急に。急ぐの?」

 「いや、そういうわけではないけど、夏休みに小笠原へ行こうかなと思って。たっちゃんも行かないか?」

 「えーっ?何それ〜?」

 「ま、詳しくは明後日、会って話すよ。」


 ヤスシは僕と歳が近いことや、音楽やファッションの趣味も合うので、6人の仲間の中でも特に一緒にいることが多かった。ヤスシは当時ウインドサーフィンに熱中していて、僕も一度、ヤスシの家の前の由比ヶ浜で、ヤスシの手ほどきを受けながらやってみたが、サーフィンよりは入りやすい感じではあった。

 僕は、バイト先の平沢がサーフィンに行く時に運転手で付き合っていたので、サーフィンにも興味はあったが、もともとど近眼でコンタクトレンズを使っていたこともあり、自分にはサーフィンは無理だなと思っていた。

 しかしウインドサーフィンは、沈(チン=ボードから落ちること)しなければ、基本的にはボードの上でセールを持って立っている状態なので、サーフィンより安心感があった。仮に海に落ちても、サーフィンのように波に揉まれることは少ないので、目を閉じていれば、レンズが流されてしまうこともない。

 ただウインドは、道具が高額なのと、ボード以外にセールやマスト、ブームなど、かさばるパーツが多く、持ち運びや置き場にも困るので、気軽に始められるスポーツではなかった。

 ヤスシが急に小笠原に行きたい…なんて、おそらくはウインドサーフィンがらみではないかと思われた。


 翌々日、僕は学校でヤスシに会った。

 「小笠原ってさ、沖縄みたいに観光客多くないし、海も凄くキレイなんだよ。なんか行ってみたいな〜と思ってサ。EMIの合宿も無くなったから、たっちゃんも行けるかなぁって思って。」

 と、熱く語りながら、ヤスシはどこかのツアー会社のチラシを見せてくれた。

 小笠原は当時週1便の定期船で28時間半かかった。飛行機は飛行場が無いので飛んでいなかった。僕は勿論船旅などしたことも無いし、しかも28時間半もかかるなんて、船でどう過ごせばいいのか心配になった。ただ、料金は5泊(内船中2泊)6日で8万円くらいだったので、沖縄に行くよりは断然安かった。

 僕は、一週間もの旅行も就職したら行けなくなるよなぁ…と思った。

 「合宿も止めたし、行ってみようか。」

 とヤスシに言った。

 「よし!行こう!あ、そうだ、たっちゃんもこれ買わない?」

 言いながらヤスシはカバンから赤いラジオの様な物を取り出した。

 よく見ると、それは新しく出た防水タイプのウォークマンだった。当時かっちゃんがウォークマン2を既に持っていたが、それよりもひとまわり大きく、水が入らないよう随所にゴムのパッキンが付いていて、見るからに頑丈そうな感じであった。

 僕はそれまでウォークマンを買おうと思ったことは無かった。かっちゃんが使っているのを見ていて、なんだか重たそうで、イヤホンのコードも邪魔くさい感じがしたのだ。

 「これ、すっごく音がイイんだよ。歩きながら聴いてると、いつも見ている風景が全く違う感じに見えてさ、電車の中の退屈な時間もあっという間に過ぎていくし、このウォークマンは防水仕様だからビーチにも持って行って、最近は海でずっと音楽聴いてるよ。」

 真っ黒に日焼けしたヤスシがとても楽しそうに話すので、僕は試しに音を聴かせてもらった。中に入っていたのは、当時ヤスシがハマっていた角松敏生のサードアルバム「ON THE CITY SHORE」だったが、僕は想像を遥かに超える音の良さに驚愕し、初めて聴いた角松の曲の良さにも感動してしまった。

 「イイネ〜!角松もイイネ〜。あ〜、オレも買おう!」

 僕は学校からヤスシとすぐ新宿の丸井に向かい、小笠原旅行の申し込みをした後、ブルーの防水ウォークマンを買った。大学生当時は、何か買おうと思った時はいつも丸井だった。丸井ならクレジットカードが作れない学生でも、分割払いが出来た。


 僕は早速、次の日から出掛ける時、いつもウォークマンを持って行った。最初に聴いたのは、当時気に入っていたネイキッド・アイズのデビューアルバム「Burning Bridges」だった。ウォークマンの音質はやはり素晴らしく、シングルヒット中だった「Always Something There To Remind Me」を始め、当時の英国のグループらしいシンセ中心のオシャレで上品なサウンドを聴きながら出掛けると、確かにいつも歩きながら見ている街の風景や電車の車窓からの風景が、まるで映画のワンシーンを見ているように、ドラマチックに変わった。僕はウォークマンでいろいろな音楽を聴きながら、いろいろな風景を見に行きたいと思った。僕にとっては、小笠原に持って行くカセット作りも、重要な旅の準備作業になった。


 8月、お盆明けの頃、ヤスシと僕は小笠原行きの定期船「おがさわら丸」に乗り込んだ。当日は、生憎台風5号が日本に接近しており、台風の進路予想も小笠原方面に影響を与えそうな微妙な位置だったが、幸い船は欠航にはならなかった。

 …が、しかし、これが地獄の始まりだった。


 「おがさわら丸」は確か三階建てで、大型というほどではないが、思ったよりも大きい船だった。僕らは一番安い二等船室であった。15畳くらいの船室には、人数分の、よく診療所のベッドで見かけるような長方形の茶色い枕と毛布、それに三人に一つくらいの割合で洗面器が、きれいに並べて置いてあった。僕は初め洗面器だとは思わず、小物入れかゴミ入れかな…と思っていた。

 出航時刻はよく覚えていないのだが、おそらく朝10時頃竹芝桟橋を出て、父島には翌日のお昼頃に到着するイメージだったと思う。ただ、僕らが行った時は、台風の影響をモロに受けて、何と30時間以上もかかったのだ。父島に着いた時には、出航翌日の夜を迎える頃だった。


 出航当日は、まさに台風5号が愛知県から上陸し静岡、山梨、埼玉、栃木と内陸部を通過して福島から海へ抜けて行った日だった。東京も大荒れの天気であったが、太平洋側は台風の進路から外れていて、僕とヤスシはとりあえず竹芝桟橋に向かったのだった。竹芝桟橋もどんよりとした不気味な雲が垂れ込めていたが、おそらく船は予定通り出航したと思う。僕とヤスシは、乗船して船の中のレストランやゲームセンターなどの施設を見ると、旅行気分が盛り上がり、僕はワクワクして来た。

 出航して始めのうちは、揺れもさほどひどくはなかった。僕らはレストランでカレーを食べたりビールを飲んだりしてのんびりと過ごした。しかし、東京湾から出た辺りから、明らかに揺れが大きくなり始め、僕はすぐに酔ってしまった。僕は気持ち悪くなり客室で横になり、全く動けなくなった。起き上がるどころか、少しでも動こうとするだけで吐き気が襲ってきた。僕は近くにあつた洗面器を抱えて猫のように丸まっていた。ヤスシは酔っていないようだったが、隣でずっと寝ていたと思う。僕はヤスシの事を考える余裕も、全く無かった。

 そのうちに、僕の周りであちこちから、ウウ…とか、オエッとか、至る所で呻き声が聞こえてくるようになり、僕も連鎖反応的に堪えきれず、抱えていた洗面器に吐いてしまった。しかも吐いた後も、全く気分は良くならず、その後も5分間隔くらいで堪えきれない吐き気が襲ってきた。しかし何度吐いても出て来るのは黄色い胃液だけだった。その間も周りでは、まるでゾンビたちのような呻き声がずっと続いていて、船内はまるで地獄絵図のようだった…実際には船内の様子など、全く見る余裕は無かったのだが…。おそらくこの大揺れの船内で酔っていない人間など誰もいないだろうと思われた。もはやヤスシがどこにいるのかさえわからなかった。

 僕はうずくまりながら、「もういいから、ここで降ろしてくれ!」と心の中で叫び続けていた。今すぐデッキに上がって、海に飛び込みたい!と思って起き上がろうとするのだが、ちょっとでも動こうとすると、すぐ吐き気が襲って来て、僕は吐き気から逃げるように床にへばりついて、また猫のように丸くなってしまうのだった。

 初めのうちは、音楽を聴いて吐き気を紛らわそうとしたが、大好きな音楽を聴いても、気分はちっとも良くならず、逆にイヤホンのコードが横向きで寝ている僕の首に絡み付いてくる感じになり、余計気分が悪くなった。僕はとにかく何もせず、貝のように小さくなって、ひたすら船酔いに耐える事しか出来なかった。


 それでも、いつの間にか寝てしまったのだろうか。

 僕は、「あと30分程で到着いたします…」という船内アナウンスで目が覚めた。

 隣にはヤスシが座っていて、ウォークマンを聴いていた。ヤスシは、僕が目を覚ましたのに気付くと、

 「おはよ、たっちゃん。大丈夫か?」

 と、声をかけてきた。

 「うん…、なんとか生きてる。ヤスシ、スゴイね〜。酔わなかったの?」

 「いや、さすがにちょっと酔ったよ。吐いたりはしなかったけど。たっちゃん、もうすぐ着くよ。デッキに上がってみない?動けるか?天気も良くなってるみたいだから。」

 「そうだな。少し風に当たるか。」

 僕は、ちょっとめまいがする感じがしたが、ゆっくり起き上がってみた。恐る恐る立ち上がって歩き出すと、不思議に気持ち悪くなくなって、デッキに出て風に当たる頃には、すっかり普通に戻っていた。外はもう夕暮れ時で、船は既に湾内に入っていて、静かに港へ向かっていた。風も穏やかで、南国独特のモワッ〜とした暖かさを感じた。


 船を降りると、港には大勢の島民や民宿の人たちが宿の名前を書いたパネルや旗を持って、笑顔で客を出迎えてくれて、なんだか自分の故郷に帰って来たような温かさを感じた。

 僕らが泊まる民宿の人たちもすぐ見つかり、僕らはそのまま宿に連れて行ってもらった。宿は港から歩いて5分くらいの所にあった。外観は白い壁の2階建てで、民宿と言うより旅館に近い、想像したよりも立派な宿だった。オーナーは50代くらいの細身で白髪交じりの長髪に銀縁眼鏡を掛けたシブいオジサンであったが、とても親切な人だった。とりあえず僕らは長い航海でぐったりと疲れてしまったので、宿に着いてそのまま寝てしまった。


 翌日朝、僕たちは暑さで5時前には目が覚めてしまった。朝食まで時間があったので、付近の探索を兼ねて散歩することにした。朝の5時過ぎでも日差しが眩しく、明らかに東京の日差しとはパワーが違う、ジリジリと肌が焼けているのが実感できるような日差しだった。民宿は、船が到着した二見港から歩いて5分ほどの、父島では一番賑やかな大村地区にあった。それでも僕らが行った当時の大村地区は、ほとんど二階建てや平屋の民家しか無い小さな集落という雰囲気で、商店街と呼べるような所も無く、街中の所々に小さな商店や飲食店が点在している感じであった。

 まずは海が見たいと思い、二見港に行って見た。港には僕らを乗せてきた「おがさわら丸」が、静かに停泊していた。港は小さな山に囲まれていて、海の水も港とは思えないくらい透き通っていた。風も穏やかでカモメが飛び回り、海の青さと山の緑、そして少し明るめの空の青、雲とカモメの白、植え込みのハイビスカスの赤…すべての色彩が鮮やかで眩しかった。

 港の脇にこじんまりとした白砂のビーチがあった。砂浜には珊瑚のかけらや貝殻が波で打ち寄せられて、陸側で白い雪山のようになっていた。波は湖のように静かで、海の色が港の防波堤を境にして、ビーチ側はエメラルドグリーンに変わっていた。

 僕らは珊瑚の山に腰掛けて、しばらくボーっと海を眺めていた。

 「ウォークマン持って来れば良かった…」

と僕が言うと、ヤスシは

 「うん。でも、波の音やカモメとか鳥の鳴き声を聞いているのもいいよ。クルマの騒音とか全く無いし、なんか自然の音だけって感じで…」と言った。

 確かにヤスシの言う通りだった。僕らはこの島にいるだけで、もう完全に癒されていた。それはこの島の空気、日差し、風、匂い、そして音のおかげだった。それをウォークマンの人工的なサウンドでわざわざ壊すことはない。

 ウォークマンを僕に勧めてくれたヤスシから、そんな風に言われて、僕は一瞬意外な気がしたが、そういう所もセンスのいいヤスシらしいな…と、僕は思った。


 「たっちゃん、アレ、ウインドのセイルじゃないか?」

 沖の方を見ながらヤスシが呟いた。見ると、ウインドサーフィンのピンク色のセイルが一つだけ、港の方に向かっているように見えた。

 セイルはヒラヒラと波の上を舞う蝶のようにこちらに向かって近づいて来る。よく見ると操っているのは女の子だった。しかもウェットスーツではなく、ビキニの黒い水着にジーンズを穿いていた。歳は僕らと変わらないぐらいであろうか。真っ黒に日焼けしソバージュがかった長い髪を後ろで束ねて、颯爽と海の上を滑りながら、あっという間に僕らがいるビーチの浅瀬まで来ると、ボードから降りて、膝下までジーンズが濡れるのも構わず、慣れた手つきでセイルとボードを持ちながら浜に上がって来た。

 ヤスシも僕も、ただ黙ってしばらくその様子を見ていた… イヤ、見とれていた。

 彼女は浜に上がると、手際よくセールをマストにまとめ、ブームやボードと一緒に抱えて、浜辺の集落の方へ消えて行った。


 彼女の姿が見えなくなって、ようやく僕たちは我に帰った。

 「カッコイイな〜。何アレ?」と僕が呟くと、ヤスシも

 「たぶん地元のコかな。海から上がって、そのまま裸足で帰って行ったナ…」

と、彼女が消えた集落の方を見ながら、ぼんやりと呟いた。

 「なんか、いいナ〜、小笠原」

 僕がそう言うと、

 「だろ?」

と、ヤスシも笑った。


 僕らは宿に戻って朝食を頂いた後、部屋で行動計画を立てた…、と言っても基本的にはヤスシにお任せだった。

 小笠原は船便の都合で、基本6日間の旅となり、内、行きと帰りで各1泊船中泊となる。島に滞在できるのは4日間。

 まず初日はバイクを借りて父島の島内観光をしようとなった。…が、ヤスシがいきなり

 「あー、いけね!ー」

と大声をあげた。

 「免許証忘れた!」

 「ええーっ?」

 「しょうがない。チャリ借りるか…」

 「え~っ、この炎天下で~?」


 とりあえずレンタサイクルを借りて、走り出してはみたものの、10分も経たないうちにヤスシ自ら、「ダメだ。やめよう…」と引き返した。

 父島滞在初日は、10分程度の炎天下サイクリングでヘトヘトになり、結局大村の街をブラブラして終わった。2日目以降、バスで移動することにして、太平洋戦争で座礁した船が浜辺に残る境浦や旭山、美しい小港海岸といった観光スポットを巡ったり、ビーチで泳いだり、木陰で昼寝したりして、のんびり過ごした。

 僕は友人と二人で旅行するということも初めてであった。家族旅行以外で行った旅行といえば修学旅行はもちろん、サークルのみんなとの旅行、合宿も常に大人数の団体旅行であり、それはそれで楽しいのだが、団体であるがゆえにスケジュールの制約があったり行きたくもないところに付き合わなければならなかったり、といったストレスも必ずあった。

 ヤスシとの旅行は、初めからヤスシの企画に僕が乗っかった…ということもあったが、ヤスシ自体、コンパでバカ騒ぎするというタイプではなかったし、お土産にもあまり興味を示さず、それよりも風景や雰囲気を楽しむというスタイルであった。それが僕にとってはとても新鮮であったし、ストレスに感じることも全くなかった。

 それはおそらく鎌倉の、海の目の前で育ったヤスシならではのライフスタイルだな…と思った。

 父島に着くまで、僕はきっとヤスシがどこかでナンパでもするだろうと思っていたが、今回の旅では意外にも、ヤスシは女の子に全く興味がない感じであった。ひょっとしたら初日のウインドサーファーガールの衝撃が大きすぎて、そんな気にならなくなってしまったのかもしれないが、本来のヤスシはそんなにチャラい男ではないのかもしれない。

 それは、ある意味ちょっと期待外れではあったが、そんなことより、観光客もそれほど多くなく、車も少なく、島の人々も素朴で自然豊かな父島の、何とも言えない穏やかな雰囲気はとても居心地が良かった。このままここで暮らしてもいいかな…と思えるほどであった。


 そして…

 僕がこの旅で一番印象に残っていること。それは帰りの船だった。

 帰りは台風もなく東京に着くまで快晴で、とても快適なクルーズであった。ヤスシがデッキに行こうというので、僕らは乗船してすぐデッキの落ち着けそうな場所を探して、昼間の時間帯はほとんどデッキで音楽を聴きながら、ビール片手に寝て過ごした。

 デッキで海と空と太陽しかない風景を見ながら、僕はウォークマンでマイク・オールドフィールドの、ちょうどこの夏に発売されたばかりのアルバム「CRISES」のカセットを聞いた。

 マイク・オールドフィールドは映画「エクソシスト」のテーマにもなった「チューブラベルズ」が有名で、アルバムもほとんど一人で制作してまうマルチプレイヤー。このアルバムも、ギター、ベース、ドラムスでサポートメンバーが参加しているものの、それらの楽器も含め彼自身も全ての楽器でクレジットされている。

 クラッシックにも通じるような壮大で幻想的なサウンドはとても美しく、ヤスシから小笠原行きの話を聞いたときに、真っ先に頭に浮かんだサウンドだった。

 父島滞在中もビーチや森、集落…どこで聴いても、このアルバムが一番島の風景にマッチした。そしてとても癒されたのだった。

 そしてそれは船の上でも同様であった。特に1曲目のタイトルナンバー「クライシス」はイントロのかすかに聞こえるようなシンセと鐘の音から徐々にキラキラとしたシンセの音が被さっていくところは、まさに眼前の水平線に太陽の光がキラキラと輝いている光景と重なり、空を飛ぶカモメ、隣で気持ちよさそうに寝入っているヤスシや船内の様子と合わせて、そのままアルバムの美しい世界が次々と自分の頭の中でPVのように出来上がっていく感じであった。


 僕はサークルの合宿を中止にしてよかった… と思った。   


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