第9話 君への願い

 1982年、僕は二十歳になった。バイト先では、僕と同い年で、高校を卒業して就職した子たちが何人かいて、彼らも入社二年目を迎えていた。

 僕がバイトしていたグロッサリー部門では去年4月から木俣智(サトシ)という、ヒョロっとしたノッポで、嶋大輔のようなリーゼントヘアにクリッとした目の男。精肉部門には、平沢俊彦という僕より少し小柄の痩せ型で、僕と同じように濃いめの外人ぽい顔をしたサーファーがいて、二人とも高校時代は暴走族だった。暴走族とはいえ二人とも穏やかで、僕が当時バイト先で空いている時間は、彼らと三人でいることが多かった。平沢は僕と小学校も一緒だった。ただ僕は、最初バイト先で平沢に会った時、平沢の事がわからなかった。会うのが小学校卒業以来ということもあったが、小学生の頃の平沢は太っていたからだ。


 二人とも高校時代から車を運転していて、サトシはワインレッドのスカイラインのケンメリを、オーバーフェンダーのシャコタン仕様にして、太いタイヤに大口径のフジツボマフラーなどなど、所謂コテコテの族車だった。カーステレオからは、当時人気だった横浜銀蝿や嶋大輔が大音量でガンガンなっていて、僕は正直、彼のクルマに乗るのが恥ずかしかった。

 一方平沢のクルマは赤いホンダのアコード3ドアで、当時としては珍しいサンルーフが付いていた。さすがサーファーを気取っているだけあって、ルーフキャリアを付け、BGMはルーファスやダズバンド、クール&ザ・ギャングやLTDといった、当時のディスコでガンガンかかっていた最新ヒットナンバーが流れていた。

 僕は、免許を取ってから、平沢のアコードをよく運転した。当時のホンダ車は怖いくらいパワステが軽くて、我が家のパワステ無しマークIIの超重たいハンドルから乗り換えると、片手の手のひらをハンドルに当てるだけで、クルクル回すことが出来た。

 サトシにも、

 「たっちゃん、ジブンちのクルマより、平沢のクルマの方が上手く運転してんじゃんよ。」

と言われた。

 平沢のクルマでよく鵠沼の方にサーフィンに付き合って(僕はビーチで寝てるだけだが)、その後渋谷、原宿をサンルーフ全開で流して帰って来たりした時も、僕がほとんど運転した。正社員の平沢は仕事で帰りが遅くなることも多く、海に行く時は朝早く起きなければならないこともあり、僕が運転するのをとても喜んだ。僕は僕で、運転の練習にもなり、また、平沢のクルマは親父のマークIIよりオシャレで、運転もし易かったので、喜んで付き合った。平沢は助手席で、いつも熟睡していた。


 サトシも平沢も同い年だが、彼らは正社員であり、バイトの僕とは当然立場が違った。

 彼ら自身が僕のことをどう思っていたかはわからないが、僕は、やはり社員になると、つまり就職すると大変だなぁ…と彼らを見ていて思った。当時は社員のサービス残業なんて当たり前だったし、逆にバイトは、やればやるだけ時給が発生するので早く帰らされる。社員は休みだって思うように取れないことも多い。

 そういう意味では、僕は大学の友達よりもバイト先の社員である彼らに対して、付き合う上で気を遣っていたかもしれない。例えば、仕事上で彼らを立てることや、ミスして迷惑をかけることがないようにすることは勿論だが、出来る限り彼らのサポートになるよう、いつも考えながら仕事をした。

 …などというと、大袈裟な感じがしてしまうが、要は倉庫や作業場の整理整頓や清掃、ゴミ片付け等の雑用を言われなくても進んでやること。また、バイトだからここまで…というような線引きは、自分からはできるだけしないことを意識していた。

 それは、社員の彼らと上手くやっていきたいというのが一番だが、彼らもバイトの僕らに面倒な仕事や自分の嫌いな仕事を押し付けたりということは一切なかったし、逆にいつも気遣ってくれていたので、僕も自然に彼らの役に立ちたいという気持ちになっていた。


 夏休みに入った頃だっただろうか。レジに一人の可愛らしい女子高生アルバイトが入ってきた。彼女は林朱美(アケミ)という、都立高校三年生。当時流行りの聖子ちゃんカットに、顔は榊原郁恵のような雰囲気の、いつもニコニコ元気に挨拶をする可愛らしい子だった。彼女がバイトに来ると、レジの方から「いらっしゃいませ!」という彼女の元気な声が聞こえてきて、売場の何処に居てもすぐに分かった。

 ある日、たまたま彼女が片手に商品を持って、売場をウロウロ探しているようだったので、僕は

 「それは、こっちにありますよ〜」と声をかけた。

 彼女はニコニコして

 「ありがとうございます!」と、言いながら跳ねるように僕の後に付いて来た。

 場所を教えた後、僕が

 「いつもニコニコ、元気だね〜」と言うと

 「ありがとうございます!また、よろしくお願いします!」と、元気よくニッコリ笑ってレジに戻って行った。

 その後も度々彼女は、売場にいる僕を見つけると、「井沢さ〜ん、コレ、値段わかりますか〜?」とか、「コレ、売場に戻してもらっていいですか〜?」などとレジから声を掛けてくるようになった。僕も、可愛い彼女から頼りにされるのは悪い気がしなかったし、彼女の高い声や笑顔には、自然に周りも明るくなるような力があった。

 サトシが僕のことを「たっちゃん」と呼ぶのを聞いて、いつの間にか彼女も僕のことを「たっちゃん」と呼ぶようになっていた。僕も自然に彼女を「アケミ」と呼ぶようになった。


 夏休みが終わろうとしていたある日、サトシとバックヤードで、トラックから降ろされた商品を検品していると、アケミが「おはようございま〜す!」と僕らに挨拶しながら売場の方へ走って行った。僕らも「おはよう〜!」と挨拶すると、サトシが大声で

 「アケミ〜!カレシと、仲良くやってっか?」と声をかけた。

 アケミは真っ赤になって、

 「うるさいナ〜!いないモン、そんなの〜」

と言いながら、走り去って行った。

 アケミの後ろ姿を見ながら、サトシは

 「アイツ、オトコいるよ。この前見た。」

と言った。

 「ヘェ〜、そうなの〜?まあ、可愛いからいてもおかしくないか。」と、僕が言うと

 「相手はビルサービスの森田さんだよ。歳、結構上じゃないかな。意外だよな。」と、ちょっと不思議そうな顔でサトシが独り言のように言った。

 「ビルサービス」というのは、スーパーが建物設備の管理、清掃業務を委託している会社で、森田さんは、閉店後いつも食品売場の清掃業務をやっていたので知っていたが、僕らより一つか二つくらい年上の人だった。森田さんは見た目大人しそうな感じで、似てるというわけではないが、雰囲気は太川陽介風の好青年だった。ビルサービスの地味なグレーっぽいブルーの制服のせいかもしれないが、何故この人なの?という感じはした。

 僕は森田さんと直接話したことは無かったが、アケミが好きになる人だから、きっと真面目なイイ人なのかな…と思った。


 その日の夜閉店後、僕が一人で商品が少なくなってしまった売場の商品補充作業をしていると、

 「たっちゃん。」

と、後ろからアケミの声がして、振り向くと、スーパーの水色の制服から、高校の上下紺色の制服に着替えたアケミがニコニコしながら立っていた。アケミはヤンキーではなかったが、スカートの丈はくるぶしのちょっと上くらいの長めで、可愛らしかった。

 「わかった!待ってんだろう?」

 言いながら、僕は売場の奥て掃除している森田さんの方へ首を振った。

 彼女は恥ずかしそうに頷いた後、

 「たっちゃん、手伝ってあげる!」

と言って、僕が 陳列棚の前に置いたダンボールから商品を取り出して、棚に補充し始めた。

 「いいよ〜、オレやるから。アケミ、もうタイムカード押したんだろ?」

 「大丈夫。ボーっと立っててもつまんないから。最初から、たっちゃんのお手伝いしに来たんだモン。」

 「違うでしょ!カレシを見に来たんでしょ!」僕はワザとイヤミっぽく言った。

 「違うよ〜、たっちゃんにいつも助けてもらってるから…」

 「ありがとう〜。じゃ、オレ、また裏から商品持って来る。」

 僕は、倉庫でコンビ(カゴ型の大型台車)に商品が入ったダンボールを積んで売場に運ぶと、アケミが黙々と商品を棚に補充していた。

 「棚の場所わかるか?わからないのは下に置いといていいよ。」

 僕はアケミに言いながら、森田さんの方を見ると、もう道具を片付け始めていた。僕はアケミに、「アケミ、もういいよ。森田さんも終わったみたい。ありがとう〜」と続けて言った。

 アケミは「うん…」と、申し訳なさそうに返事をしたが、「コレだけ終わらせて帰るネ。」と言った。

 「あ〜、大丈夫だよ。早く行かないと、森田さんも上がっちゃうよ。」

 「うん…、わかった。じゃあ、また来るネ!」

 「おう、ありがとナ。お疲れ〜」

 アケミは社員通用口に向かって、小走りに帰って行った。僕も再び品出しをやり始めた。

 その時だった。

 「たっちゃん。」

 アケミの声がして、顔を上げると、商品陳列棚の影から、アケミが顔だけ出してこちらを見ていた。

 「どうした?忘れ物?」

 「たっちゃん、優しいネ。森田さんのこと、見ててくれてありがとう。」

 「えっ?なんだよ、そんなことで、わざわざ戻って来たの?」

 「じゃあネ〜、バイバイ〜」

 アケミは走って帰って行った。


 優しいネって…、オマエ…


 僕は、自分でもニヤケているのがわかった。


 「キミは孤独で友達が必要だった

 そして彼はちょうどその時、

 笑顔でそこにいた


 ちょうど寄りかかれる肩があって

 誰かがキミに

 すべてうまくいく…と言うだろう


 彼にキミの心を奪われないで…」


 僕の頭の中で、フィル・コリンズが歌い出した。

 ちょうどこの頃にリリースされた彼のセカンドソロアルバム「心の扉(Hello, I Must Be Going )」は、この夏の間、毎日のように聴いていたアルバムだった。中でも優しいピアノバラード「君への願い (Don't Let Him Steal Your Heart Away)」は、好きな女の子がいても、いつも片思いで終わる僕を、優しく元気付けてくれる大好きなナンバーだった。

 フィル・コリンズはその後、新作を発表する度にヒットを重ねて、所属するジェネシス共々80’sの代表的なスターになった。

 でも僕は、フィルが初期のジェネシス時代にピーター・ガブリエルの後ろで黙々とドラムを叩いていた頃、For Absent Friendsと、More Fool Meという、とっても美しいバラード二曲を歌っていて、そちらの方がより彼の温かさが伝わって来る感じがして好きだ。

 ひょっとしたら、フィルも僕と同じような片思いや情け無い思いを案外数多く経験しているのかな…


 アケミと束の間の、二人だけの時間を過ごした僕は、森田さんが羨ましく思えた。アケミはとても素直で、気がきく子なんだな〜と思った。

 アケミは、大学にいる女の子たちとは明らかに違った。大学の子たちはオシャレで大人っぽくて、しっかりしている。でも何か一緒にいても、僕は構えてしまったり、無理してしまったり、何故か落ち着かなくなってしまうのだ。それに珠美ちゃんとの一件で、ちょっと女性不信にもなっていた。


 アケミは夏休みが終わると、就職活動の為か、バイトに来なくなった。

 あの閉店後の品出し以来、僕とアケミはシフトが合わず、結局アケミに会うことは無かった。束の間の片思いだったけど、楽しかったナ…

 ま、中途半端な終わり方がオレらしくていいか〜

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