第2話 ユー・シー・ア・チャンス

 「チャンスを見つけたら、それを掴め

  ロマンスを見つけたら、それを掴め

  だって全てはキミ次第なのだから」


 1981年2月末、いつもラジオのFENやラジオ関東の番組で聴いていたアメリカのビルボードTOP40に、突然チャートインしてきたスティーブ・ウィンウッドの「While You See A Chance」は、当時の僕にとって、本当にタイムリーな曲だった。

 まるで朝日が昇る瞬間が目に浮かんでくるようなドラマチックなシンセのイントロからしてもう、やられた!っていう感じであった。

 ウィンウッドの名前は、僕が大好きなギタリスト、デイブ・メイスンもいたバンド「トラフィック」や、エリック・クラプトンとの「ブラインドフェイス」等でのキーボーディストとして知ってはいたが、ソロでの彼の曲を聴いたのは、TOP40にチャートインしてきたこの曲が初めてだった。ソロアルバムでは、アルバムの全曲、全楽器を一人で演奏するマルチプレーヤーでもあった。

 

 この曲は大学生活スタート前、スーパーでのアルバイトを始めた頃の、僕のテーマソングになった。アルバイトをするようになって、ある意味初めて本格的に社会人である大人たちと付き合うようになった僕の頭の中で、当時いつもこの曲が回っていた。

 今まで悶々と過ごしていた田舎の高校生活から、別世界の人々との交流が始まったことで、何か新しいことが始まる予感に胸が高鳴り、頭の中のBGMにこの曲がピタリとハマった。


 僕はバイト採用が決まった翌日から、高校の登校日以外は、朝から夜までフルタイムでバイトに行くようになった。初日にいろいろ仕事のことを教えてくれた大学生バイトの斎藤さんは、試験がある為しばらく休みで来られないとのことだった。その日から僕は主に社員の岩本さんの指示を受けながら仕事をするようになった。

 初日は挨拶をしただけだったので分からなかったが、岩本さんはとても厳しい人であった。長身でやせ型、髪をきっちり七三に分けて襟足を刈り上げ、鋭い目つき。見るからに真面目で神経質そうな雰囲気で愛想も無く、極めて事務的に必要最低限の言葉で指示をするだけであった。当然仕事を始めたばかりの僕には指示の内容が理解できないことも多く、その事について質問をすると、思い切り嫌な顔をされて「それぐらい、言わなくてもわかるだろう!ちっとは頭を使えよぉ。」みたいな言い方をしてくる人だった。さすがに暴力をふるうようなことは無かったが、いつも不機嫌そうにしていて、近づくのも嫌になるような人だったのだ。

 岩本さんは一瞬たりとも僕に対して笑顔を見せることは無かった。指示された事はできて当たり前。指示通りにやっても褒められることは一切なかった。逆にできなかった時は烈火のごとく怒られた。今まで夏休みの短期アルバイト経験しかなく、ずっとふてくされて怠惰な高校生活を過ごしてきた僕は、元々何をやっても不器用なこともあり、当然のことながら朝から晩まで岩本さんから怒鳴られ、罵倒され続けた。当時の僕には、そんな岩本さんの態度の裏にある思いが全く理解できなかった。


 「コイツはオレのことが気に入らないのか?それとも使えないと判断して、辞めさせようとしてるのかな?…

 まあ、アルバイトだし、嫌な奴と無理して続ける必要もないか。たまたま家から近いというだけで衝動的に決めてしまったバイトだし…」


 バイトを始めて1週間、そんな風に思い始めた頃だった。

 その日も朝の品出しを終えた後、岩本さんから「倉庫の中をきれいに整理しろ」と言われた。特にそれ以上の具体的な指示は無かったし、「何をどこに置けば?…」などと質問しても、おそらく「その位自分で考えろ!ガキじゃねえんだから、少しはアタマ使えよ、馬鹿野郎!」と怒鳴られるのが関の山だろう。

 僕は「ハイ!」と明るく返事をして、倉庫に向かった。僕はいつも岩本さんに対して、できるだけ明るく挨拶や返事をするようにしていた。それが彼に対する僕なりのささやかな抵抗だった。

 倉庫の中は確かにごちゃごちゃしていた。僕が売場の商品を補充しようと思って倉庫に商品を取りに来ても、商品を探し出すのに手間取り、また岩本さんから「何やってんだよ!ったく、おっせえなぁ~」と怒鳴られていた。

 僕は自分なりに考え、あちこちに散らばっている段ボール箱に入った商品を、同じ商品ごとにまとめて、並べ直した。お菓子は比較的軽いものが多いが、サラダ油や醤油、ジュースといった所謂「水物」は重たく、動かすのも一苦労だった。まだ2月で倉庫の中は暖房も無く、かなり寒かったのだが、いつの間にか汗びっしょりになっていた。


 1時間くらい経っただろうか。ある程度段ボールケースの商品が並べ終わった頃、岩本さんが倉庫にやって来て、僕が整理した商品を見るなり、

 「何やってんだよ!馬鹿野郎!これじゃ、分類もゴチャゴチャで商品探すのも一苦労だよ!菓子はココ、調味料はココ、飲料はココって、ちゃんとゾーンが決めてあるじゃねぇか!ダメだ、これじゃあ。今すぐ全部やり直せ!」

と、怒鳴った。

 僕は、分類ごとに場所が決まっていたなんて、その時まで全く知らなかった。確かに言われて見れば倉庫の壁の上の方に、ホコリをかぶっていて微かに判読できる色褪せた文字で菓子、飲料などの分類表示があることに気付いた。しかし僕がバイトを始めた時には倉庫の中は既にゴチャゴチャで、油も飲料もポテトチップスの大きな段ボールケースもそこかしこに入乱れて積み上げられていたのだ。


 僕は岩本さんが去って行ったあと、倉庫で一人、しばらく呆然と立ち尽くしていた。そのうちだんだん腹が立ってきて、近くに転がっていたトイレットペーパーかティッシュの、大きな空の段ボール箱に思いっきりパンチを食らわせていた。段ボール箱は「バーン!」と思った以上に大きな音を立てて破れ、僕の右腕は段ボールを突き抜けた。その時、背後に人の気配がして、ハッと我に返って振り向くと、五十嵐次長が黙って立っていた。

 僕は、段ボールに突き刺さった右腕を慌てて引っこ抜きながら、

 「あっ、お、お疲れ様です…」と言うと、次長はニッコリ笑って

 「おい、タツヤ、少しは仕事慣れたか?」と言った。

 僕は恥ずかしさとバツの悪さで、頭が真っ白になりながら、

 「は、ハイ…あ、いえ、まだまだ…ですか…ネ…」と、なんとか答えた。

 次長は、「そうか。ま、焦らずがんばれよ。お前はオレの可愛い後輩なんだからナ。」と言って出て行った。

 僕は、しばらく呆然と次長の後ろ姿を見ていたが、次長の姿が見えなくなって、「あっ」と思い出し、また段ボール箱の並べ替え作業を始めた。


 「誰かを当てにしても、何も与えてはくれないってこと、お前はわかってるいるのかい?

 どう進んでいけばいいのか迷っているのなら、もう一日、自分が選んだ道を進めばいい…」


 迷っているのなら、もう一日、自分が選んだ道を進めばいい…

 作業をしながら、頭の中で「While You See A Chance」のフレーズが、エンドレステープのように繰り返し流れていた。


 その後も岩本さんの態度は相変わらずであったが、いつの間にか五十嵐次長だけでなく、大山チーフや上野さんも何かと気にかけてくれて、僕を見つける度に、「井沢、頑張ってるか〜?」とか、「タツヤ、負けんなよ〜」とか声をかけてくれたり、パートのおばさんたちも、「岩本さんにあれだけ酷い言い方されても、文句一つ言わないでエライ!」とか、「アイツの言うことは間に受けない方がいいわよ〜」とか声をかけてくれたり、お菓子をくれたりするようになった。

 図らずも岩本さんのお陰で、僕は職場の人たちといつの間にか自然に打ち解けていた。自分も徐々に仕事を覚えて、また、みんなが助けてくれたり、いろいろアドバイスをくれたりもして、岩本さんから怒鳴られることも次第に無くなって行った。


 バイトを始めて1か月が過ぎた頃、朝出勤すると上野さんがニコニコしながら僕の所にやって来て、

 「タツヤ、岩本が4月から異動だって。良かったな~」

といった。

 上野さんは岩本さんとは対照的に温厚で、いつもニコニコしている感じのおじさんだった。僕は心の中で小野寺昭似の上野さんを「殿下」と呼んでいた。口数は決して多くは無いのだが、殿下はいつも遠くから僕を見ている感じで、僕と目が合うと親指を立てて見せたり、ガッツポーズをしたり、ズッコケてみたり、何かしらサインを送って笑わせてくれるような人だった。

 僕が殿下に「ありがとうございます!いろいろご心配をおかけしてスミマセン。」と言うと、殿下は

 「岩本はお前を早く一人前にしようと必死だったんだよ。斎藤が辞めちゃうし、ちょうどいいタイミングでお前が入ってくれたからネ。まあ、アイツは真面目だからサ。」

と言って、ニッコリ笑った。


 岩本さんの最後の出勤日、仕事の後、送別会が行われた。そこで初めて岩本さんが笑顔で僕に話しかけてくれた。岩本さんはお酒で真っ赤になりながら、

 「井沢、いろいろキツイ事を言って悪かったナ。お前は本当に良く頑張ったと思うよ。短期間でよく仕事を覚えた。お前には根性があるよ。頑張れよ!」

と言って握手してくれた。


 僕は大学入学前のアルバイトで、大人になる為に必要な、学校では学べない大切なことを学べたような気がして、ますますバイトが好きになった。

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