第3話 イズ・イット・ユー

 バイトを始めて1ヵ月が経ち、初めての給料をもらった僕は、大学生活が始まる前に事前準備をしておこうと思った。これから大学で学ぶことになる「社会学」という未知の学問のことを事前にある程度知っておく為に、社会学に関する書籍をできるだけ多く読んでおきたいと思ったのだ…


 …という風に考えることができれば、僕の人生はもっと違ったものになったのかもしれない。

 しかし残念ながら、僕の頭の中は、女子大生溢れる花園のようなキャンパスで、とびきりのカワイ子ちゃんと仲良くなって、キャンパスの中庭の芝生で、うららかな春の日差しを浴びながら、彼女の膝枕でお昼寝…という夢でいっぱいであった…


 高校の卒業式が終わったころ、僕はバイト先のスーパーで、たまたま買い物に来ていた幼馴染のオクベと久しぶりに会った。オクベは奥田和明という小学校からの同級生で、彼は都立高校に行ってしまったので、会うのは中学以来約三年ぶりであった。オクベは小柄で色が黒く、ギョロっとした鋭い目つきが印象的な、スポーツ刈りのサッカー少年だった。彼は高校卒業後、地元の建設会社に就職するとのことで、もう既に現場で働いていた。久しぶりに会ったオクベは長髪で、ふわっとした西城秀樹風のパーマをかけていた。僕は彼に声を掛けられた時、最初は誰だか全く分からなかった。


 「なんだ~オクベか〜、誰だかわからなかったよ。どうしたの?その頭。カッコいいじゃん~」

 「たまたまオフクロの知り合いがやってる美容室でやってもらったんだ。」

 「美容室?男でも大丈夫なの?」

 「大丈夫だよ~。ただ顔を剃ったりはしてくれないけどな。」


 オクベから「美容室」なんていう言葉を聞いて、僕は驚いた。美容室なんて、僕はずっと、男が絶対に入ってはならない聖域だと思っていた。

 僕は、彼に頼んで美容室に連れて行ってもらい、生まれて初めて美容室でカットして、パーマをかけてもらった。僕は長髪ではなかったのでヒデキのようにはならなかったが、僕のくせっ毛に、いい感じでウェーブがかかり、ちょっとだけ外人のハーフっぽく見えて、自分でも気に入った。

 初めての美容室で、しかも初めてのパーマ。僕の中で、何だかわからないけれど新しい未来が始まる…そんな期待感がますます高まっていった。

 ヘアスタイルを変えた僕は、以前に雑誌のポパイかホットドッグプレスで見た、UCLAの学生ファッション特集で気に入った、赤いスイングトップとボタンダウンのシャツ、それにチノパンを渋谷で買い揃え、デイバッグをさげ、素足にデッキシューズを履いて、待ちに待った初登校日、意気揚々とキャンパスに向かったのだった。


 「誰かが外にいる

 僕のドアをノックしている

 見知らぬ人だ

 誰かは分からない

 誰かが僕の夢の中にいる

 僕は独りでいることに疲れた

 誰かが見つけようとしている

 簡単に中に入る方法を

 おいでよ、僕は家にいるよ

 キミなのかい?」


 学校に向かう僕の頭の中では、当時発売されたばかりのリー・リトナーの「Is It You?」が、僕のことをけしかけるように、ずっとエンドレスでぐるぐる回っていた。シングルカットされたこの曲や「Mr.Briefcase」など、彼のニューアルバム 「RIT」は、従来のジャズ、フュージョンのイメージとはガラッと変わって、とってもオシャレなAORアルバムだった。リトナーのギターの安定感やディストーションが効いたロック寄りのソリッドな音が、ヘビメタバンドのそれとは全く違う大人のカッコ良さ。更にヴォーカルリスト、エリック・タッグの甘いヴォーカルがとても心地よく、洗練されたオシャレなロックという雰囲気で、自分がイメージするキャンパスライフにピッタリのサウンドだった。


 桜が満開のキャンパスでは、中庭を中心に、あちこちで運動系、文化系の各クラブやサークル、同好会が机と椅子を並べて新入生の勧誘を行なっていて、色とりどり華やかな手書きのポスターや看板があちこちに貼り出されて、まるで学園祭のような雰囲気だった。

 華やかな中庭を横目で見ながら、とりあえず指定された教室に行ってみると、大学でも一応クラス分けされていて、僕のクラスは50名ぐらいはいたであろうか。大学でクラスと言っても、クラスの全員が同じ教室に揃ったのは、おそらくこの入学したての数日と、卒業式の日だけだったと思う。それ以外は、各自選択する授業によってバラバラに別れてしまい、会う機会もほとんど無いので、結局は誰が同じクラスなのかもよくわからなくなってしまう。

 僕のクラスには、僕と同じ付属高校上がりの飯山がいた。飯山はちょっと太めで、パンチパーマをかけ、目がクリッとしたラビット関根似の中途半端なツッパリタイプだった。飯山とは高校三年の時にも同じクラスだったが、特に親しいわけでもなかった。かといって、仲が悪かったわけでもなかったので、僕は始めのうち、飯山と行動した。飯山も僕と同じように、たくさんのオシャレな女子学生たちを見て、山奥の男子校とは180度違う華やかなキャンパスの雰囲気に興奮していた。

 「タツよ〜、オレたちサ、なんか楽園に来たみてぇだな〜、ウヒョヒョヒョ〜」

 飯山は素直で、とてもわかりやすい奴だった。彼もきっと悶々としながら暗い男子校生活を過ごして来たのだ。そんな飯山を見ていて、 僕はできるだけ早い時期に新しい友達を見つけようと思った。飯山は、けしてイヤなヤツではなかったが、欲望むき出しという感じで、ちょっと品が無かった。僕のイメージしていたキャンパスライフには、どうしてもそぐわなかった。


 僕は「バイトに行かなきゃいけないから、先に帰るわ。お先〜」と言って飯山と別れ、一人で各部活の新入生勧誘が行われている中庭をブラブラした。僕は音楽、特に洋楽を聴くのが好きなので音楽系のサークルがないか探しながら見ていると、突然背後からボンと肩を叩かれ、びっくりして振り向くと、

 「ドモ!空手同好会です!よかったら話しだけでも聞いて見ない?空手はやってみると、とても楽しいよ!」

と、角刈りの清水アキラ風の先輩がニコニコしながら言った。

 「あ、いえ、スミマセン。僕には空手は無理だと思います…」と、僕は手を振りながら断って、足早に立ち去ろうとした。それでも、その先輩は諦めずに追いかけてきた。

 「大丈夫だよ〜ちょっと練習すれば、キミもすぐ強くなれるよ。強くなれば、楽しくなって、絶対ハマっちゃうから。ホントに。」

 「あー、でもいいっスよ。僕もやりたいことあるんで。」

 「ま、騙されたと思って、話だけでも聞いてってよ〜すぐ終わるからサ。」

 「あ、いや、スミマセン… これからバイト行かなきゃいけないので…」

 「あ、じゃ、名前だけでも書いて行ってくれないかナ。頼むからサ。」

 でも…と僕がごねていると、先輩は僕の腕を掴んで強引に引き寄せ、小声で「テキトーに書いていいからサ。頼むヨ…」と言ってきた。僕は仕方ないので、デタラメに名前と連絡先を書いて、その場から逃げるように立ち去った。


 僕は、一気に落ち込んでしまった。

 空手なんて冗談じゃない!まだ柔道の方がマシだよ。いや、柔道もイヤだ!

 でも、せっかく大学に入ったのに、よりによって、なんであんなのに捕まっちまったんだよ。クソっ!なんなんだよ、ったく!

 僕は、学校を出て駅に向かう心の中で叫び続けた。

 もっとキャンパス内をブラブラしたかったのに。もしかしたら、デタラメな連絡先を書いたことがバレて、空手同好会の先輩たちに焼きを入れられるかもしれない。そう思うと、怖くて中庭にも近づけなくなった。飯山に嘘をついて先に帰ったふりをした事でバチが当たったのかな。僕は反省し、明日は飯山に部活をどうするか聞いてみようと思った。


 翌日、飯山は学校に来なかった。僕は教室の後ろの方で一人で座っていた。すると、一人の男子生徒が「ここ、空いてますか?」と、僕がいる席の隣にやって来た。僕が「はい。」と答えると、彼は「ありがとうございます。」と言って座った。

 彼は「はじめまして、カシワギと言います。よろしく。」と、挨拶してきた。僕も慌てて、「あ、イザワです〜、よろしくお願いします!」と返した。


 柏木信孝。そう、これが「かっちゃん」との出会いだった。かっちゃんは、髪を肩ぐらいまで伸ばし、パッチリした目がちょっとスナフキンに似た感じで、白いボートハウスのトレーナーにジーンズ、スニーカーの、いかにも今時の大学生という感じで、気さくに落ち着いて話す雰囲気がとても大人びていた。

 僕らはすぐ打ち解けた。人見知りしがちな僕がすぐ打ち解けることができたのは、かっちゃんが落ち着いていて、僕よりずっと大人だったからだ。僕らは高校の事や家の事、バイトの事、そして音楽の事など話した。かっちゃんはギターを弾くのが趣味で、地元の友達とバンドも組んでいた。ビートルズが大好きで、自分で曲も作ったりしていた。

 僕はギターも中途半端で、バンドを組みたいと思ったことすらなかったので、かっちゃんが羨ましかった。

 かっちゃんは、二浪していた。つまり僕より二つ年上だった。僕は、道理で落ち着いているわけだ…と納得した。僕は、自分がかっちゃんより年下だと知って、なんだか「柏木くん」と呼びづらくなってしまった。で、「かっちゃん」と呼ぶことにした。

 かっちゃんは、「そんなの気にすることないよ〜」と笑っていたが、イヤだ、とも言わなかったので、僕はそう呼ぶことにした。

 かっちゃんは既に、クラスの中で何人か友達ができていて、授業が終わったら僕のことをみんなに紹介すると言うので、僕はかっちゃんに付いていく事にした。


 授業が終わって、僕はかっちゃんと教室を出た。すると、廊下でこちらに向かって手を振っている三人組がいた。

 かっちゃんは「いた、いた。」と言いながら、彼らの方に歩いて行った。そこにいたのは、英(はなぶさ)裕樹、岩倉昌宏、安藤靖の三人だった。英と岩倉はかっちゃんと同じく二浪、安藤は一浪、つまり、全員が僕より年上だった。言われてみればなるほど、英は口髭を蓄えていて、サーファーカットにがっちりとした上半身、胸板パンパンのTシャツにジージャンを羽織り、ジーンズスタイルで、なんだか堀内孝雄と松崎しげるを足して二で割ったような感じ。岩倉はひょろっとしたノッポで、本人も明らかに意識しているな…とわかる、松田優作似のイケメン。安藤はスリムで、流行りのテクノカットに洒落た黒縁眼鏡で、まるでYMOの高橋ユキヒロだった。なんだか全員とても同級生には見えない(当たり前だけど)不思議なクラスメイトだった。ある意味このメンバーの中では、かっちゃんが一番普通な感じに見えた。


 「じゃ、お茶でも飲みに行きますか。」と、かっちゃんが言い、みんなで学校の近くにある喫茶店に入った。僕と岩倉以外は全員タバコを吸っていた。タバコは高校の時、友達の家で吸ったことはあったが、すぐ気持ち悪くなり、以後吸いたいとも思わなくなった。

 ただ、英と安藤とかっちゃんの吸い方は、とてもサマになっていた。高校の友達がいかにもカッコつけて吸っていたのとは全く違った。

 喫茶店では、みんなが互いに自分のことを話した。彼らもまだ出会ったばかりでお互いのことをよく知らなかったのだ。彼らの話を聞きながら、僕はやはり彼らとの歳の差を感じていた。それはバイトの先輩や社員の人たちと話す感覚とは違う。敬語で話すのも変だし、かと言ってタメグチも不快に思われる気がした。そんなことでウジウジ悩んでいたら、気がつくと僕は話せなくなっていた。その時だった。かっちゃんが声をかけてくれたのだ。

 「たっちゃん、どうした?なんか、大人しいジャン。」

 「イヤ、なんかみんな歳上で、タメグチで話すのも失礼かなぁとか、でも敬語も変かなぁとか…」

 すると、みんなが大爆笑した。

 「なんだ、たっちゃん、そんな事考えてたのか〜かわいい奴だなぁ〜」と、英が大笑いしながら言った。

 「そんなの気にしなくていいよ〜オレだって、英も岩倉も柏木も歳上だけど、普通にタメグチだよ。」と、安藤も笑った。

 岩倉が「これでも同級生だからネ、みんな。」と言い、またみんなで笑った。

 「わかった。みんな、ありがとう。じゃせめて、呼び捨てだけは気がひけるから、かっちゃんと同じように、オレのイメージで英くんは矢沢風にエイちゃん、岩倉くんはマー坊、安藤くんはヤスシでいいかな?」

 僕はガキの頃から、何故か周りから名字で呼ばれることが少なかった。勿論初対面の人やあまり親しくない人は名字で呼ぶのだが、親しくなると、友人のみならず先生や上司からも、タッちゃんとかタツとかタツヤと呼ばれることが多かった。だから、どうも名字で呼ぶのは、なんとなく堅苦しくて、よそよそしい感じがしてしまうのだ。

 みんなは笑っていたが、マー坊は「どうしてオレだけマー坊なの?ま、いいけど…」と少し不満そうだった。

 僕は彼らの話しを聞いていると、やはり大人だな~と感じた。それはとても新鮮な感覚だった。みんなそれなりにカッコよく見えたし、勿論女の子の話しや下ネタもあるけど、誰も下品な感じがしなかった。


 「僕のドアをノックしている

 見知らぬ人だ

 誰かは分からない

 誰かが僕の夢の中にいる

 僕は独りでいることに疲れた

 誰かが見つけようとしている…」


 僕の中で「Is It You?」の軽快なメロディーがまた甦ってきた。

 僕は、かっちゃんが僕のことを見つけてくれて、みんなと引き合わせてくれたことで、これからの大学生活に明るい兆しが見え始めてきたと感じた。

 とりあえず、そう、とりあえず、僕はこの四人と一緒に大学生活を始めてみようと思った。


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