拝啓 光に満ちる世界を彩る全てのものたちへ、

のぶ

序章

第一部 序章








  虹彩を焼き尽くさんばかりの眩い光が、地平を超えた最限まで、絶える事なく続いている。その輝きは、まるで闇をこの大地から排除しようとするかのように、全てのものに愛を伝えるかのように、ただどこまでも続いていた。




 しかし、世界を形作る理は、単一的現象の跋扈を許しはしなかった。善には悪が表裏一体として存在するように、光には必ず闇を、この世界は求めた。光が増せば増すほど、影を創造しうる物体は、あたかも「闇の排除」という崇光な行為を嘲笑うように存在を強くそして激しく世界に訴えかけてくる。




 そして今、この場において、それはたった一本の木と傍に佇む少女であった。


 広大な草原において、世界から爪弾きにされているかのように、はっきりと浮かび上がる「それ」は、世界に闇を落とす存在というよりむしろ、光に怯える赤子のような弱々しい印象を受ける。


 木と言っても決して大木の類では無い。街路樹サイズを想像していただけると良いだろうか、なんせそんぐらいである。


 俺が気になったのは少女の方であった。およそ15、6ほどの白いワンピースの少女に、俺は変な話だが、奇妙な安心感を感じていた。まるで母親に感じるような安心感﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅を。


 その少女は何をするでもなく、ただその木を白く細い指先で撫でて、その指先を見つめていた。その限りなく透き通った群青色の目は、そこはかとない悲しみを目にたたえながらも、やはり母性のようなものを感じさせる。


 美しい金色の髪を風になびかせながら、自身が闇を作り出していることにも気づかず、自分がつくり出した闇に怯えている。闇から逃げるため今この場にいる、といえばわかりやすいだろうか。とにかくそんな感じがするのだ。まるで彼女と繋がっているかのようにその苦しみが想像できる。


 自分自身(といっても彼女の苦しみを想像しているだけだが)の苦しみに耐えきれず、何の考えも無く、勢いに任せ声をかけていた。


                    ✴︎




 「大丈…夫?」


 「え?」


 その少女は声を掛けられたことがそんなに驚きだったのか、そもそも俺の存在に気付いていなかったのか、可愛らしい驚愕の声をあげた。


 「いや、なんか辛そうな感じだったから」


 少し考え込み、そして「あぁ」と呟き、


 「ふふ、そう。君にはそんな感じに見えたのね、心配してくれてありがと。でも、大丈夫」


 そう言いながら彼女は、笑顔を作る。なんというか、心のそこから滲み出てくる笑顔って言う感じではない。例えるなら、母親が子供に心配をかけまいと無理に作る笑顔。あれによく似ている。


 「フーン」


 なんとなく信じられない、ということを雰囲気で醸し出してみる。


 「ほんとほんと、なんなら君より元気なまであるよ。ほら、」


 言い終えるが早いか、彼女はぴょんぴょんとジャンプして見せる。2、3度飛び跳ねた後、少しよろけて、そして「えへへ」と笑って見せた。


 この笑顔は、きっと本物だ。なんのしがらみもない、ただ笑いたいから笑うと言うような、そんな美しい笑顔だ。


 「よろけちゃった、へへ」


 「でも、元気満タンだよ。それはもう恐ろしいくらいにね」


 そう言って、彼女はさらに口角を上げる。彼女の笑顔を見る限り、本当に大丈夫なんだろう。つまり、彼女の苦しみは俺の勝手な思い込みだったらしい。


 「そうか… なら良かった」


 正直、勢いのまま声を掛けた俺はこの時点でもう何も言葉が浮かばずにいた。かっこつけて声を掛けてみたものの、大丈夫と言われてしまえばもうなんも言うことは無い。ただ


、気まずい空気を作るのもそれはそれで心苦しい。


 「あーその、朝ご飯何食った?」


 「あーうん。今日は何も食べてないんだよね」


 「え?」


 「へ?」


 「…」


 「…」


 「そうか、それは残念だ」


 ふむ、全然だめだ。なんだこの会話。いや、それ以前に会話かこれ。


 「はは、何それ。会話になってないよ!あはは」 


 終いには少女にすら笑われてしまった。


 「ふん、悪かったな」


 「まったくだよ、そんなに時間もないんだから」


 「は?」


 「おいおい何言ってんだ。時間ぐらい、いくらでもあんだろ。だって俺もお前も、」




  「「もう、死んでいるのだから」」




 眼前が一瞬、完全な闇に包まれた。


 途端に激しい目眩が俺を襲う。この世界の全てがほんの一瞬でひっくり返ったような


、世界が俺という存在を否定しているような、一言で言うなら


    「死」


 驚く鮮明に、いやになるほど晴れ渡っていく意識の中で『死』という言葉が何度も、何度も反芻されていく。


 どれだけ理性で否定しても頭の中で大きくなっていく「死」の実感。ああ、俺はもう死んでいるんだ。


 いや、死んでいるというより、もしこの考えが正しいのなら、つまり—




 「ありゃ、こういうパターンもあるんだ」


 「ま、しゃーないか」


                   ✴︎


  「ハァ、ハァ」


 気づけば俺は、どこへということもなく走り出していた。なぜか、あそこにいると俺が俺でなくなるような気がしたのだ。魂が引き剥がされていくようなそんな感覚だ。


 走り出したは良いものの、この闇を否定しようとする世界はあの場所を除いて全てがただ限りなく光である。一体どのくらい走っているのかすらも、この世界では計ることはできないのだ。


 もしかしたら、あの地点からただの一歩も動いていないかも知れないし、相当な距離を走っているのかも知れない。


 「もーびっくりしたよ、いきなり走り出すんだから」


 「なっ」


 気づけば目の前にさっきの少女がいた。


 「まさか、こんなに早くお別れになるとは思わなかったよ。とはいえこんな気持ちのまま引き止めるのもね」


 少女の言葉に呼応するかのように、世界が色を失っていく。同時にあれほど俺に「死」を実感させた意識も、黒いモヤに包まれながら消えようとしていた。


 崩れていく世界の中で彼女が続ける、


 「大丈夫、こんな状況も全部、目を覚ませば忘れてるから」


 「いやー、久しぶりに人と喋れて楽しかったよ」


 「別れはやっぱり、悲しいものだね。でも笑って、笑顔で送るよ。たとえ君が忘れちゃうとしても」


 そう言うと少女は「フーッ」と息を整える。


 「じゃあ、またね」


 別れの言葉とともに、足元が割れ大量の液体が噴き出してくる。白黒の世界において、この液体の色だけがはっきりと色を持っていた。これは「血」だ。


 ものの数秒で見渡す限りすべてを、赤い液体が飲み込んでゆく。


 血液の海の中で、彼女の声が鮮明に脳内に響いてくる。闇に包まれていく意識の中で、ひたすら明瞭に。




 「私はここでいつでも待ってるから。必ず、帰ってきてね」




 消える意識の中で、俺はきっと、目を覚ませば全て忘れているのだろう、と言うことを考えていた。彼女との記憶も、俺があの時思い出したあの真実も。




 次の彼女の一言ととも俺の意識は完全に途絶えた、それは彼女のどの言葉よりも「こころの近く」に響いた、






  ―「ここがあなたの、かえるべき場所だから」


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拝啓 光に満ちる世界を彩る全てのものたちへ、 のぶ @nobu_esesakka

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