カハタレ列車と憶う
くるくるとペンを回しながら車掌は書類と睨めっこする。
車掌とカハタレ列車は無事に全員を送り届けた。彼らを向こうの職員に任せて、車掌とカハタレ列車は帰還中だ。帰りの車内でゾーイの報告書を完成させるつもりで車掌はペンを走らせている。そちらと並行しながら、ゾーイのような幼い命、今まで前例のなかった八歳未満の子どもの乗車についての意見書の作成にも取り掛かった。ふたつの書類を横に並べて作業をする車掌の傍ではカハタレも同じような書類を作成している。
車掌の意見としては幼い命がカハタレ列車に乗車することは反対だ。自我がまだ確立していない小さな子どもとあなたは誰ですかと問いかけるカハタレ列車の性質は合わない。幼い子どもの魂は今までどおり、担当に任せる方が適任であるといった内容の文書を作成していく。対象年齢の引き下げは非推奨とし、車掌は必要事項とゾーイを例にどのようなことがあったのかを書き連ねていく。
今回の乗客たちの例は成功例であると言えると車掌は自信を持って言える。彼らはゾーイを気遣い、可愛がってくれた。ゾーイにとって、いい刺激になったとは思う。しかし、それは別にカハタレ列車でなくとも成立は可能だ。それこそ車掌が指導した夜空色の瞳の彼の担当列車でもいいという話だ。だからと言って、やはり赤子の乗車を勧めるつもりはない。なぜなら、大半の車掌は赤子の扱いを心得ていないからだ。分担ができていて、かつ、担当の方が圧迫して手が足りないというわけでもない。当分の見通しでも問題ないのであれば、このままの体制で十分回していけるはずだ。
今回の件は主の思いつきだ。それに選ばれたゾーイは成功例なのだが、車掌としてはカハタレ列車に赤子の乗車は賛成しかねる。主のことだ、車掌がそう言うこともわかっているのだろうが。
あの方は何を考えているのやら。そんなことを思いながら、車掌はペンを走らせる。
興味本位。最近の魂はどのような反応を示すのか。そんなことを考えていそうだ、と言葉を書き連ねている。
「車掌」
「何?」
車掌は顔を上げずに先を促す。
「今回の件、車掌はどう思われましたか?」
「どうも何も、できることなら二度とごめんだね。少なくとも、うちでは」
「そうですね」
「カハタレはどう思った?」
「私も同じ意見です。こちらで乳幼児の魂を送り届けるのは難しい。……私の身体では彼女のような魂をあやすのは難しいですし」
カハタレは車掌が他の乗客と接している間、ずっとゾーイの傍にいた。今まで、一度も赤子を乗車させたことなどなく、前身であった列車でも前例がない。思い当たることすべてをしても泣き止まなかったり、ぐずったりとカハタレが今までで経験した中で一番読めない客だった。
理解不能。感情を持たないカハタレからすると、赤子は未知の生き物だ。ただでさえ、人間のことも理解できないところが多いのに、意思疎通がまともにできない赤子はもっと理解ができない。
命令が下されれば従う。が、さすがに今回のような事例はカハタレには向かない。
「車掌。あなたは私にふれあってほしいと言いました。ですが、私は無機物です。感情など持ち合わせていない私にどう愛せと言うのかと思いました」
カハタレは列車そのもの。彼女には感情というものは備わっていない。命令に従順な存在なのだが、今回の車掌の命令、正確には主の命令は理解できなかった。
「結局どうしたの?」
「とくに何も。泣き止まないときは抱いて客室を歩いたり、座ってあやしたりするだけでした」
「玩具を出したりしなかったんだね」
「出しました。ですが、遊ぶ様子がなかった」
「それはそうだよ。ゾーイが遊ぶんじゃなくて、君がその玩具を使ってあやすんだよ」
カハタレは顔をあげる。無表情なその顔に見つめられた車掌も顔を上げる。
「……言ってなかった私が悪いか」
「いいえ。乗客の皆さんが作ったようなモビールや音の鳴るものを用意すべきでした」
「あー、音ね。それ、ありだったかも」
音の鳴るものとなると、彼らは一体何を作っただろうか。音となると、シュリットが拘りそうだ。耳のいい彼のことだ、心地のいい音を追求する姿が目に浮かぶ。カレンもヴァイオリンを弾ける身だから、一緒になって試行錯誤しそうだ。
「まあ、結果はよかったわけだ。私たちも、赤ちゃんの接し方を彼らに教わった。そのことも報告書に記入しておけばいい。反省点もいれておけばいいさ」
「わかりました」
「て、言うか、今日は本当にもう一人頼めばよかった。できることなら本職を呼んでさ」
車掌はテーブルに伏せる。もう一人いればまた違っただろうにと思う一方、他の目があっていいのかとも思う。第三者の視点が入るのも悪くはないだろうが、カハタレ列車に下された命令に車掌とカハタレ以外が介入するのもどうなのだろうかと思い手配しなかった。
もう済んだこと。車掌はもやもやとした思念を振り払うように頭を掻く。今回、乗客の手を借りられたのが救いだ。ないとは思うが、乗客全員が手を貸してくれなかったら終わっていた。
「完全に私の落度だしな……」
「私も未経験でしたから……。やはり、夜想列車の車掌を引き留めて頼むべきだったのでしょうか?」
白銀の髪に夜空色の瞳の男。ケイトをエスコートしたという彼なら自分たちよりも赤子の扱いに詳しそうだ。
「でも、それはやっぱりできないよ。あの子も長旅をした後だっただろうし、その後も仕事はあるし……。事前に言っていたならまだしも、急な頼みは駄目だと思う」
「そうですか」
「そうですよ」
車掌は身を起こす。彼のことだ、いいですよ、と快諾してくれそうだが、それが逆に申し訳なくなる。
「それに、あの子はもうここの乗務員じゃない。好き勝手するわけにはいかない」
夜想列車の車掌は元々人間だ。魂として乗車した彼は夜想列車に気に入られ、本人もそれを受け入れたためこちら側の世界で働いている。そんな彼はカハタレ列車で研修を受けていた。駅員の仕事もしながら、夜明け前に出発するカハタレ列車で接客の仕方を学んだ。
彼がカハタレ列車で研修をした理由。客層が近いということもあるが、大きな理由はふたつ。
ひとつは、記憶を失った魂も乗車するため、そういった魂への対応を身につけてもらうためだ。夜想列車の乗客に記憶を失った魂が選ばれることはないのだが、予想外の魂が乗車してしまうことが稀にある。その魂は生者のものであり、現世に返す必要がある。しかし、ごくわずかだが、記憶のない生者の魂が乗車してしまうこともあり、彼らへの対処法を身につけてもらうために、記憶を失った魂が乗車することの多いカハタレ列車が選ばれた。
もうひとつは、カハタレ列車の車掌が人のような振る舞いをするからだ。本来、こちら側の存在は人間ほど感情は豊かではないのだが、カハタレ列車の車掌は珍しく人のように感情を表現するのだ。そのような存在の方が元人間であった彼も馴染みやすいだろうという配慮があったからだ。
そんな経緯があったため、二人は今でも仲がいい。
「苦労をかけたね、カハタレ」
「いいえ。……あなたは、私にそのような言葉をかけるのですね」
「ん?」
車掌は首を傾げる。カハタレの無機質な目が車掌をじっと見つめる。
「私は無機物ですよ? 魂を運ぶために生み出されたただの物。疲れなど関係ありません」
「点検やメンテナンスをなぜするのか。それはどこかの調子が悪かったり、壊れているところがないか確認をし、あればそれを直す。悪いところが見つかるということは疲れていると同義ではないかな?」
「……」
列車は走る。音や振動から異常は感じられない。列車の化身であるカハタレの様子も普段どおりだ。
「車掌」
「何?」
車掌はペンを置く。話に集中したい。
「あなたは、また人のようになってしまった」
カハタレの言葉に車掌は眉がピクリと動く。アイオライトの瞳が深い色を湛えている。
「初めて会ったときからそうでしたが、今日の件もあってか、また人間らしくなられた」
「……」
車掌は無意識に左耳に触れる。いつもだったらそこにあるはずのそれがない。
車掌は鞄を開け、目当ての物を取り出す。それは車掌の髪よりも濃い金色のタグだ。そのタグを車掌はテーブルの上に置く。
「いいかい、カハタレ。私は人間のようになってしまったかもしれないが、どれだけあがいても人にはなれない」
カハタレは車掌が取り出したそのタグを見つめる。そのタグには彼女の前職が刻まれている。ずっと彼女はそのタグを身につけているのだ。
「これがその証だ。ずっと昔は人とは縁のないところで働いていた場所の記憶」
車掌は手袋を外し、古くなってきたそれに触れる。
車掌の前職は剣士だった。こちらに侵入する悪しき者を切り伏せることが使命だった。剣の腕前も指導する能力も確かであり、順調に昇格していった。部隊を率いることもあり、数々の好成績を残した。
そんな車掌は主の目に留まった。主は何を思ったのか知らないが、時々車掌に意見を求めるようになった。
『人の魂に寄り添うにはどうしたらいいと思うか?』
ある日、主は車掌にそう尋ねた。人間の魂のことをよくわかっているのは主のはずだと車掌が返すと、そうではない、と主は答えた。
『君だったらどうする?』
車掌は悪しき者へと変貌してしまった魂と接触したことはあっても普通の魂と接触したことはない。どうも何もないと思うのだが、と思いつつ、車掌は答えた。
『人間と同じような振る舞いをすることが近道かと思います。全部を全部理解することは不可能ですが、多少は理解を示すことができるかもしれません』
戦闘においてもそうだ。相手をよく観察し、どのような攻撃をしてくるのか。それがわかればこちらも手を読みやすく、弱点や隙を叩くことができる。戦いは相手を知ることから始まると車掌は考えているし、それが基本だ。
『そうか。ちなみに、人のように振る舞って接するやり方は効率的だと思う?』
『悪くはないと思います。ただ、絶対ではないと思います』
『それはなぜ?』
『感情です。人間は感情という不安定で不確定なもので行動する。だから、言い合いになってしまい、思うように事が運ばないこともあります。相手の言い分を理解してやり、それに共感する、あるいは、正す。そうすることが彼らに寄り添うことになるのではないでしょうか?』
『感情、か……。私たちは彼らに厄介なものを贈ったと思うか?』
創造主である主は目を細める。
『……彼らに感情がなければもっとスムーズに魂を導くことが可能でしょう。争いも起きず、ある程度は一定のサイクルで命は巡っていきます。それをわかっていながらも、彼らに感情を付与したのではありませんか?』
不思議な目の色をする主に対し、車掌は淡々と答える。
なぜ、主は生き物に感情を与えたのか。どう考えても非効率的になることが目に見えているのに、主は感情を贈った。
車掌には理解できない。必要のないものだと思う。くだらないと思う。それでも、主が必要だと思って与えたのなら、車掌たちの内心はどうであれ、受け入れるだけだ。
『そうだ。……君は感情を持ちたいと思うかい?』
『いりません。剣士として、感情などというものを持って敵に情けを持つなどあってはならない』
『剣士でなければ持っても構わない、と?』
『職によると思います。……我が主、一体何をお考えで?』
主は車掌に手を伸ばした。癖の強い金髪を冷たい手が撫でた。
『剣士として生まれた子よ、アイオライトの瞳の子よ。君に使命を与えよう』
主は車掌の頭を撫でた手を頬から顎へと滑らせ、自分を見上げさせた。
『今言ったことを、実行せよ。君も人のように感情を持ち、人と接することができるのか。それを私に見せておくれ』
『それは、剣士を辞めよというご命令ですか?』
『場合によっては異動ということだ。そうだな……。まずは、君が人のように感情豊かになれるのか。そこからだ。変わらなければこのまま剣士として、変われば魂と関わる仕事をしてもらう。どうだろう?』
車掌はアイオライトの瞳を瞬かせる。そして、主の手から離れて膝をつき、頭を垂れる。
『我が主の御心のままに。この世界のためならば、何なりと』
それからだった。車掌が人間のように振る舞うようになったのは。主の傍につき添い、魂が命の輪に加わるところを見た。多くの魂が様々な感情を見せた。喜怒哀楽以上の感情や表情を見た車掌は主の許可を取り、人の世界に降り立ったり、魂と会話をするようになった。
長い月日が経った頃には、冷酷非情な剣士ではなく、人のように笑ったり怒ったり、叙述するようにまでなった。そんな彼女を見て主はこう命じた。
『カハタレ列車の車掌となり、魂を私の元へ送りなさい。今の車掌よりも君に任せたい』
『カハタレ列車、ですか?』
日の出、日の入りを意味する名を冠した列車から生まれた列車の名だ。車掌は薄命色の瞳を瞬かせた。
『ああ。あれの名は彼は誰だ。魂たちにそう尋ね、彼らの自己を認識させよという特性を持たせた。だから、記憶を失った魂が乗車することが多い。己は何者であったのかと認識させるためにな。君には彼らのような魂を導いてやってほしい。もちろん、他の魂にも同様に』
『私が……。人の魂を導けと?』
『できるか?』
『やってみます。私でいいのなら』
そうして車掌は現在に至る。感情を持って接した方が効率がよく、魂たちの緊張をほぐしたというよい結果を報告ができた。主もそれを評価してくれた。
『カハタレ列車車掌。君の働きはとてもいいものだ』
主からも直々に言葉を頂戴した。それと同時に、主は警告をした。
『だが、あまり人に近すぎないように。人に干渉されすぎないように。周りがすでに指摘していることだと思うが、そこはよくわかっているな』
異端。周りからそう言われる車掌はすでに他の者たちからも批判を受けていた。情け容赦なく敵を切り捨てるように生まれた剣士が人のように感情を表現し、魂に深く干渉する。魂に丸め込まれたり、いいように利用されてしまうのではないかと非難されている。魂を平等に扱えなくなるのではないかと危惧する声も多い。それは主の耳にも届いていることだ。
『わかっています。感情を持ったとは言え、私は所詮人間ではないと理解しています。あくまで、私のこの心というものは人の模倣だと考えています』
『模倣、か……。理解しているのならいいのだが』
『はい。主、私からひとつお願いがあります』
アイオライトの瞳から力強い意志を汲み取った主は先を促す。
『お返ししたものではありますが、剣士として使用していた認識票を身につけることをお許しいただきたいのです』
『認識票を? 無効にしたものでいいのなら構わないが、なぜ?』
『私は人間ではないという証です。それと、以前は軍属の身であり、時には堕ちてしまった魂を切り捨てた。そのような魂を生みださないように、乗客たちの次がそうならないようにするための戒めにもしたいのです』
どれだけ人間のようだと言われても人間ではない。どれだけ感情豊かであっても人間ではない。姿形が人間であっても人間ではない。
車掌は人間ではない。それを周知させ、自分も認知するためのお守りのようなもの。そして、魂たちをあるべき場所へと導き、迷わせないようにするための戒めにしたい。そのために目に見える形をしているタグを身につけていたい。
車掌の願いに主は、わかった、と応じ、タグが返された。そこには車掌の前職の所属と階級、識別コードが刻まれたそれを車掌は以前と同じように左耳につけている。
車掌は親指でタグに刻まれた文字をなぞる。前職の所属と階級のところには線が引かれている。今は軍属ではないため、その部分は削除ということで線が引かれた。車掌は認識票を耳につける。ゾーイに引っ張られたため、外したままだったのだ。
「その証をつけるのを忘れていたのですか?」
カハタレから見ると車掌が耳に触れるその仕草は普段どおりのものだった。周りから人のようだと指摘されると、車掌は耳のタグに触れる癖がある。それがまた人のような振る舞いだとカハタレは思いながらも、彼女なりの人間ではないという証明の仕方であったり、自分に言い聞かせているのかもしれないと考えている。
「忘れていた。ついていないのに、自然と耳に触れた」
「本当に忘れていたのですか」
忘れる。これもまた人間らしいことだと車掌は苦笑する。車掌たちは忘れるという行為が基本的にはない。意図的に消されることはあっても、覚えていることが普通だ。
そのはずなのに。
「変なことがあるものだ」
「……あまり人のようになると消されてしまいますよ」
カハタレの指摘どおりだ。踏み込みすぎるな。主からも言われている。もしもがあったときは消すと言われている。それは車掌も承知の上だ。業務に支障をきたすのなら消してくれて構わないと思っている。
「わかっているよ」
「車掌。ひとつお尋ねしても?」
「何だい?」
車掌はカハタレの言葉を待つ。珍しく長い沈黙が続く。
高くなってきた日が射し込む。カハタレの顔を照らすその光に車掌は夜と朝の狭間の色の目を細める。
「……あなたは人間になりたいのですか?」
カハタレは静かに問う。
「なれないよ」
間髪入れずに車掌は答える。
「そうですか」
「私がしているのはあくまで模倣であり、この心は複製だ。人のようにはなれても、人間にはなれない」
車掌は手袋をしながら言う。
どれだけ人のようだと言われても、どれだけ魂に干渉しようとも、車掌は人間にはなれない。
「人のようにはなれても、人間にはなれない、とはどういう意味ですか?」
人も人間も同じではないのか。カハタレの素朴な疑問に車掌は得意げな表情をする。
「ハジメの出身の地では人、というのは人間が間抜けになったという意味の言葉と取れないかい?」
車掌は宙に人間と書くと、間の字を引き抜くように虚空を掴む。
「面白い言葉だよね、彼の出身の地の言葉は。とてつもなく難しいのだけど」
「……つまり?」
「私は間抜けなんだよ。人間にはなれないけど、間抜けな人にはなってしまうのかもしれない」
主からの命令とは言え、感情を持ち、異端と呼ばれるようになった。当時の自分からすると、感情を持ってヘラヘラと笑っている姿は滑稽で間抜けだ。
「それと、鏡が証明してくれている。鏡が私を映さないのは私が人間ではないから」
乗客の記憶を映す鏡。乗客が覚えていなことでも、あの鏡は真実を映し出す。鏡に映る自分をじっと見つめることであの鏡は乗客の記憶を映す。鏡に映る自分を見つめるように、記憶と向かい合ってほしいという車掌の願いであの鏡は用意された。
乗客が記憶を見つめるために車掌が映っては邪魔になるだけ。だから、車掌はあの鏡に自分の姿が映らないように頼んだのだ。車掌だけでなく、こちら側の存在は映らない。こちら側の存在には彼らのように自分自身を見つめ直すことも、自分が何者なのかということを考えることなど必要がないため、考えもしないし、役目を与えられて生まれてくるため、自分を形成した記憶というものに思いをはせる必要などない。そのような者を鏡に映す理由もないため、車掌は乗客を映し、自分たちは映らない鏡を作らせた。よって、鏡に映らない者は人間ではないのだ。
「人のような振る舞いはするけど、人間ではない。それが私だ」
車掌の凛とした声が二人きりの車内に吸い込まれていく。カハタレは硬い声で、そうですか、と呟く。
彼は誰。あなたは誰。
そう問いかけることがこの列車の特徴だ。今までに多くの乗客に問いかけ、答えを聞いてきた。自分が何者であるのかと知るために、乗客の記憶に踏み込んで、どんな人生を歩んできて自己を形成してきたのか。他の列車ではまず見られないことをしている。
「あなたはそういう方でしたね」
車掌はその言葉に瞳を軽く瞠る。車掌は乗客たちから答えを得ると、必ず言う言葉がある。
あなたはそういう人だった、と。生前のあなたは今答えてくれたようなことに当てはまる人だったよね、と認識してもらうために意図的に言っていた。車掌がいつも言う言葉に近いものをカハタレが発した。
あなたは誰ですか。あなたはそういう人だった。これは車掌の中でセットとして使っている言葉なのだ。
車掌は穏やかに微笑む。
「うん」
「ですが、振る舞いにはお気をつけください。先日も黄昏列車の車掌に指摘されていましたよね」
「あの若造ね。可愛げの欠片もない」
車掌は頬杖をつく。カハタレ列車と黄昏列車は兄弟列車とは言うものの、車掌同士の仲は冷めている。黄昏列車の車掌はカハタレ列車の車掌の振る舞いが気に入らないらしい。カハタレ列車の車掌も車掌で、あの堅物が、と気に入らないのだ。
「あー、やだやだ。カハタレ、お菓子出してよ。アフタヌーンティー的な感じの」
「秘密基地計画の影響ですか?」
ハジメの秘密基地計画の話の際に盛り上がったのが、彼らの出身地の食事についてだった。カレンがそれぞれの国の菓子でも持ち寄ったら楽しいではないかと言って発展したのだ。それならテーブルはもう少し大きいものか、折り畳みのものがあるといい、とケイトが提案していた。車掌も各地の料理の知識があり、実際に口にしたことがある。
そこで色々な菓子が挙げられた。せっかくなら実際に食べてみればいいのではないか、とシュリットが言ってからのテーブルの上の物のあふれようがすごかった。菓子でテーブルが覆い尽くされたのだ。レナータは興味深く菓子を観察しながら、これはなんだ、あれはなんだと、他の乗客たちの説明を聞きながら、ゾーイを除く乗客たちが食べていた。ゾーイはゾーイでミルクを飲みながら、彼らの様子を不思議そうに見ていた。ちなみに、車掌も少しだけ菓子をもらって食べていた。
「報告書が一区切りついたらにしましょう」
「えー」
明らかに不満な声を出す車掌にカハタレは業務を再開する。話し込んでしまって手が完全に止まってしまった。車掌に至ってはペンを置いている。
「そんなあ、カハタレ」
「人のように不満を顔に出しても応じませんから」
アイオライトの瞳がじっとカハタレを睨みつけている。拗ねている子どものようだ。
「早めに終わらせないと。帰ってからの仕事もあるのですから」
「わかったよ……。一区切りついたらね」
約束だよ、と車掌は言う。
アイオライトの瞳がキラキラと輝く。多色性という特徴を持つ彼の石のように車掌は多くの表情を見せるようになった。昔とは比べ物にならないほど豊かな感情を持った車掌はこれから先も人間と接し、彼らの過去や記憶から彼らのことを尋ねていく。
彼は誰時の空の下を走る列車はそう尋ねる。朝を迎えて一日が始まるように、自分自身を見つめ直した乗客たちが新たな始まりへと一歩踏み出せるように車掌は彼らと接していく。
朝と夜の狭間の色の目を持つ車掌自身も己は何者なのかと意識しながら務めを果たしていく。
カハタレ列車 真鶴 黎 @manazuru_rei
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