せぶろど!!

天宮伊佐

Save and Load!!

ある日。ぼくは道端で小さな時計を拾った。


真っ白なベルトの、安っぽい時計だった。

1から12までの数字が刻まれたシンプルな文字盤の下には二つの小さなボタンがあり、それぞれに『S』・『L』という刻印がされていた。


「SとL……なんのボタンだろう?」

時計を持って歩きながら、ぼくは『S』のボタンを押した。

カチッという音がしただけだった。

文字盤は動かないし、何かが表示されるわけでもない。


「壊れてるのかな?」

歩いて郵便ポストの隣を素通りしつつ、今度は『L』のボタンを押してみる。

カチッ。


「……ん?」

やはり音がしただけで何も起こらなかったけど、ぼくは妙な違和感を覚えた。

今、ちょっと視界がおかしくなったような。

歩いて郵便ポストの隣を素通りしつつ、もう一度『L』を押してみる。

カチッ。


ぼくはハッとして前を見た。

数歩先に、郵便ポストが立っている。


まさか。

ぼくは5秒ほど前に向かってダッシュし、もう一度『L』を押した。

カチッ。

視界が切り替わった。

数歩先に、郵便ポストが立っていた。


まさか、まさか。

しばらく走って信号の前で立ち止まり、『S』のボタンを押す。

カチッ。何かを決めた音がする。

横断歩道を渡って、『L』のボタンを押す。カチッ。


ぼくの視界は、信号の前に戻っていた。


ぼくは確信した。


『S』はセーブだ。

『L』はロードだ。


――これは、時間を『セーブ&ロード』できる時計なんだ!!!



その時計を手に入れて以来、ぼくの生活は薔薇色になった。

何しろいつでもどこでも、世界をセーブ&ロードできるのだ。


学校で、テストの前にセーブしておく。

問題文を覚える。初回は一問も分からなくていい。白紙で提出してもいい。

テストが終わった後、スマホで調べたり成績優秀な友達に訊いたりして『正解』を確認する。

テスト前のデータをロードする。答えは全部わかっている。

これだけで、一切の勉強をしていなくても全てのテストで100点を取れるのだ。


野球の試合中、バッターボックスに立った時点でセーブする。

バットを振って、当たらなかったり球が伸びなかったりすればロードする。

いつかは当たる。全力でバットを100回も振れば、いつかは最高の芯を捉えられる。

これを繰り返すだけで、運動音痴なぼくでも全ての打席でホームランが打てる。


人と話す前にセーブしておく。

会話の途中で『これは期待されてた答えと違うな』と思ったら、世界をロードする。

何回か繰り返せば、相手の期待に沿った最高の返事だけで会話を成立させられる。

他人の好感度を上げるのは楽勝だ。


ぼくは学校一の秀才として認められた。

全てのテストで満点。スポーツも万能。会話も最高に面白い。

顔の良さルックスだけはどうにもならないけれど、それでもぼくには最高の彼女ができた。学校一の美少女であるみどりちゃんだ。


「ねえたすくくん。次のデートはどこに行こうか?」

最高の美少女である碧ちゃんは、今日もキラキラした瞳でぼくを見つめる。

彼女を手に入れるのも、実は簡単なことだった。

ただ、告白しただけだ。

最初はもちろんフラれた。でも、そのたびに告白前のデータをロードして、他愛無い雑談としてやり直す。

日々の会話や生活の中で、碧ちゃんとの親密度を上げてゆく。これもセーブ&ロードを何回でも繰り返せるのだから、楽勝だ。

そして毎日、会話のたびに告白する。フラれたらロードして、少しでも好感度を上げられる会話に切り替えてセーブ。

彼女のぼくに対する好印象は絶対に下がらないわけだし、彼女の精神状態だって秒刻みで変わる。告白されて「佑くんと付き合ってもいいかな」と思わせられるタイミングを、ただ一回でも掴み取ればいいだけだ。

そしてそのタイミングは、実時間にして一ヵ月ほどで掴み取れた。


「佑くんは本当にすごいよね。今回の期末テストも全科目満点でしょ? 生まれついての天才って、本当にいるんだね」

キラキラした目で、碧ちゃんが言ってくる。

ぼくは腕時計に指を当て、『S』ボタンを押す。


「そうだろう。ぼくは世界一の天才だからね。きみたち凡人なんて、ぼくの足の親指に詰まった何だか臭いやつ以下の存在だよ」

ぼくはニタニタと笑いながら答える。

「えっ……」

碧ちゃんが引く。

僕は腕時計の『L』ボタンを押す。世界がロードされる。


「そんなことないよ。ぼくは自分を高めようと、日々精進しているだけさ」

ぼくは謙遜しながら答える。

「かっこいい!」

碧ちゃんはぼくに惚れ直す。


こんな調子だ。もう何というか、楽勝の人生だ。


「ねえ佑くん。今日のお昼ご飯は何にする?」

碧ちゃんは訊ねてきた。

セーブ。


「そうだね、ラーメンなんてどうかな?」

ぼくは適当に答える。

「えー、そんな浪漫のないお昼はヤだよ」

そうか。碧ちゃんは昼食に浪漫を求める子だったか。

「碧ちゃんは何が食べたい?」

「うーん、お洒落なフレンチとか? そうそう、街中に最近、新しいフレンチレストランがオープンしたの。『ビストロ・マンソンジュ』ってお店なんだけど、すごく美味しいって評判なの」

フレンチか。でも、お高いんじゃないの?

ロード。


「そうだね、フレンチなんてどうかな? 最近、街にとっても美味しいレストランがオープンしたらしいよ。『ビストロ・マンソンジュ』とかいう名前だったかな」

ぼくが答えると、碧ちゃんは目を丸くする。

「佑くん、よく知ってるね! わたしもちょうど、そのお店の話をしようと思ってたところなの!」

なら、最初からしといてよ。

「じゃあ、今日のお昼はそこにする?」

「うーん……」

碧ちゃんは考え込む。

「でも、よく考えるとお昼にフレンチは頑張りすぎだね。ちょっと遠いお店で、詳しい場所もすぐには分からないし。今日はささっとラーメンとかでもいいかな」

「そ、そっか……」

ラーメンでいいんじゃん。浪漫なくてもいいんじゃん。まったく乙女心は複雑だ。

セーブ。


「で、佑くん。今度のデートはどこに行こうかな?」

改めて、碧ちゃんが訊ねてきた。

セーブ。


「そうだね、水族館なんてどうかな?」

ぼくは適当に答える。

「えー。わたし、魚類はあんまり好きじゃないなあ」

ふーん。そうだったのか。

「碧ちゃんは、どこに行きたい?」

「そうだなあ。映画や遊園地はだいたい行ったし、今回はちょっと落ち着いたところに行きたいかも。静かな湖畔のある山へ、お弁当もってハイキングとか」

森ガールだったのか。意外だなあ。

ロード。


「そうだね、今回はちょっと羽を伸ばして、地井斗ちいと山にハイキングなんてどうかな」

「ハイキング! うわー、いいね! わたしも行きたいと思ってたんだ!」

うんうん。知ってます。

「じゃあわたし、お弁当つくっていくね! 佑くんのために、腕によりをかけるから!」


もう本当に、この人生は楽勝だ。

どんなに難解な国家試験だって、洒脱な受け答えを要求される面接だって、100%通る。地位や名声は思いのまま。

お金だって稼ぎ放題。真面目に働かなくても、万に化けると分かっている馬券を一点買いすればいいし、上がると分かっている株に投資しまくるのもいい。

ぼくのセーブ&ロードは無敵だ。一瞬の交通事故で世界をロードする暇もなく死んでしまったりするのは怖いけれど、そんなよっぽどの不運さえなければ、僕は一生を遊んで暮らすことができるんだ。ひゃっほう!!



次の日曜日。ぼくは予定通り、碧ちゃんとデートに出かけた。

地井斗ちいと山は、これといって見どころのない無個性な山だ。

でもつまらない山道も、彼女と一緒に歩くだけで楽しい。

野鳥の囀りや静かな湖畔の光景を愉しみつつ、ぼくたちは少しひらけた草むらで昼食を摂ることにした。

「みてみて、朝からがんばって作ってきたの!!」

広げたビニールシートに、碧ちゃんはうきうきとお手製のお弁当を並べる。

「ありがとう。じゃ、いただきます」

ぽかぽかとした暖かな日差しの下で、ぼくたちはお弁当を食べる。

卵焼きにおにぎり、定番のタコさんウインナー。碧ちゃんの作ったお弁当は何の捻りもないものだったけれど、さすが腕によりをかけただけあって、どれもおいしい。

「碧ちゃんは、きっといいお嫁さんになるね」

舌鼓を打ちながら、ぼくは何気なしに言ってみる。

もちろん言葉の前に、きっちり腕時計で『セーブ』しておくことも忘れない。

「そ、そんな。ありがとう……」

碧ちゃんは恥じらいながら答えた。

よし、ちょっと攻めた台詞かもしれないけど、引かれなかった。『ロード』の必要はないだろう。


「このお餅がデザート?」

「うん。よもぎ餅。これだけは、お祖母ばあちゃんの手を借りて作ったの」

「そっか。さすがにこういうのは、初回で一人で作るのは難しいだろうからね」

まあ、その『初回』を何回でも繰り返せる無敵の男がぼくなんだけど。

あんこのたっぷり詰まったお餅を齧る。だだ甘ではなく、それまでのお弁当の余韻を消さない上品な甘さだった。碧ちゃんのお祖母ちゃんの腕もなかなからしい。

「……ふう。お腹いっぱい。ごちそうさまでした」

お弁当を綺麗に平らげて、ぼくは箸を置いた。


それからしばらく、ぼくと碧ちゃんはビニールシートの上で雑談を楽しんだ。

持参したお茶を飲みながら、学校や芸能界なんかの他愛無い話で盛り上がる。

「佑くんは、スマホでゲームとかする?」

色々あって、ゲームの話になった。

「まあ、少しはするよ」

いつも通り『セーブ』をしつつ、ぼくは答える。

「どんなの? ソシャゲってやつ?」

「いや、ああいうのはあんまり。ぼくが好きなのは、昔ながらのRPGかな。今は『オールドファンタジー・クエスト』っていうのをやってる」

ストーリーは平凡ながらも、古き良き冒険の王道を味わえると評判のゲームだ。

もちろん、教会で冒険の書にセーブするようなやつ。

「へー。どんなの? 見せて見せて」

意外にも興味津々の碧ちゃん。ゲームも好きなのか。

「これなんだけどね」

少し得意になったぼくは、スマホゲームを起動させて碧ちゃんに手渡す。

「ふーん。綺麗なグラフィックだね。そっか、こうやって動かすんだ」

ぼくのスマホを、碧ちゃんはぽちぽちと指で押してゆく。

「そうそう、戦闘になったらここをタップして、攻撃してね……」

舌がもつれて、ぼくはちょっとしまった。

その言葉を聞いた碧ちゃんは、スマホから顔を上げてぼくを見た。

まあのは恥ずかしいけれど、いちいち『ロード』し直すほどのことでもないだろう。

「……ねえ、佑くん」

碧ちゃんは、急に真顔になって言った。


「いきなりなんだけど……とっても、大切な話があるの。落ち着いて、聞いてもらってもいい?」


えっ。こんなタイミングで突然、なにを言い出すのだろう。

「う、うん。いいよ。何だい?」


まさか『結婚して!!!』とか、そんな話だろうか。

あるいは……考えたくないけど、『他に好きな人ができたから別れて』とか。

いやいや、わざわざデートの真っ最中にそんなことは言わないんじゃないか。

混乱しながらも、ぼくは腕時計に指を這わせて世界を『セーブ』した。



だよ、佑くん」

碧ちゃんは、にっこりと笑った。


えっ?


「その腕時計で、世界の『セーブ』と『ロード』ができるんでしょ?」

ぼくは混乱した。

急に、ひどい頭痛がしてきた。

「な、何を言ってるの、碧ちゃん……」

ぼくは震える声で言った。

急に、ひどい動悸がしてきた。

『セーブ』したのは、つい数秒前だ。いま『ロード』しても、何の意味もない。

とりあえず、碧ちゃんの話を聞くしかない。

「隠しても無駄だよ。だって佑くん、何かを選ぶとき、いつもその時計を触ってるんだもん。だいたい見当はつくよ」

「み、碧ちゃん。漫画の読み過ぎだよ」

とりあえず、白を切るしかない。

「それぐらいで、ぼくが世界のセーブやロードをしてるなんて。そんな突拍子のない空想に辿り着くなんて、碧ちゃんの発想力はすごいなあ」

「この前の、フレンチレストランの話、覚えてる?」

ぼくの言葉を無視して、碧ちゃんは笑顔で言う。

フレンチレストラン。たしか碧ちゃんが行きたいって言ってた……。

「ええと……『ビストロ・マンソンジュ』、だっけ?」



呆然とするぼくに、碧ちゃんは告げた。

「わたしが『佑くんに訊かれたらこう言おう』ってだけの、なの。でも、佑くんは自分からその名前を言ったよね」

吐き気がしてきた。

「あそこで、わたしは確信したの。佑くんは、わたしが架空の名前を答えたあとで、って」

言い返せない。

「凄いね、その時計。何回でもやり直せるんでしょ? そりゃあテストで満点なんて楽勝だし、人間関係も完璧を保てる。お金だって、いくらでも稼げるよね?」

ぼくの腕に巻かれたベルトを、碧ちゃんは愛おしげに見つめる。

「だからわたし、その時計をもらうことにしたの」

「い、いやだ。絶対にあげないぞ」

もう隠しても無駄だ。ぼくは震える声で言った。

「うん。そうだよね。そんな夢みたいな魔法のアイテム、佑くんが譲ってくれるわけないもんね。こっそり盗もうとも考えたけど、佑くんは絶対に気づいて取り返そうとするだろうし。その時計の秘密を知ってる人間が二人以上いたら、絶対に取り合いになる。だから、佑くんにはことにしたの」

「な、なんだって!!」

ぼくは腕時計に指をあてて身構えた。

隠し持ったナイフか何かで斬りつけてくるつもりか。

でも、相手は同年代の女の子だ。腕力はこっちが上だし、何より無敵の『セーブ&ロード』能力を持つぼくが、負けるわけがない。

「無駄だよ。さっき言ったでしょ、詰みセーブだって。の」

碧ちゃんは言った。

「さっき、言葉をよね? 舌が痺れてるんでしょ? ちゃんと効いてきたんだよ、

「な……何を……」

「トリカブトの草はね、とってもヨモギに似てるの。だから、間違って摘まれちゃうことが多いんだって」

まさか、さっきの、よもぎ餅に。

「うちのお祖母ちゃん、最近ボケかけてるから。間違って孫の弁当に毒草を混ぜちゃったって設定なの。お祖母ちゃんには悪いけど、罪を被ってもらう。まあ殺意があったわけじゃないから、捕まりはしないと思うよ。裁判沙汰になっても、その時計を手に入れたわたしが無限のセーブとロードでサポートするし」

さっきから続く吐き気と頭痛は、精神的なものだけじゃなかったのか。

「そろそろ呼吸も苦しくなってきたでしょ? どれだけ大声で叫んでも助けはこないよ。スマホは取り上げたから電話もできない。佑くんは、もう詰んでるの」


ぼくは、碧ちゃんに殴りかかろうとした。

でも、強烈な悪寒や吐き気に襲われて、全身に力が入らない。

碧ちゃんは悠々とぼくから距離を取る。

「さっさと諦めたほうがいいよ佑くん。言っとくけど、わたしはで『セーブ』されてるから、いくら『ロード』しても無駄だからね」

頭痛と吐き気と眩暈が強烈になった。意識が途切れそうになる。

ぼくは震える指を腕時計に這わせ、世界を『ロード』した。


だよ、佑くん」

碧ちゃんは、にっこりと笑った。

途切れそうだった意識と体調は、数分前の状態に、少しだけ回復した。

ぼくは何も言わずに碧ちゃんに襲いかかった。

今の碧ちゃんの記憶と精神状態は、『セーブ』直後に戻っているはずだ。何も言わずに不意打ちすれば勝機はある。

「おっと、『ロード』したんだね」

しかし碧ちゃんは、僕の行動を予期していたようにひらりと身をかわす。

「でも、無駄だよ佑くん。わたしはもう『』でセーブされてるから。不意打ちされる覚悟はできてるし、どんな話をされても絶対に耳を貸さないってから」

ぼくは世界を『ロード』し直した。


だよ、佑くん」

碧ちゃんは、にっこりと笑った。

ぼくは泣いて命乞いをした。

「ごめんね佑くん。どれだけ泣かれても、わたしはもう『』でセーブされてるから」

ぼくは世界を『ロード』し直した。


だよ、佑くん」

碧ちゃんは、にっこりと笑った。

ぼくは、時計は譲るから助けてくれと懇願した。

「ごめんね佑くん。そもそもトリカブトに中毒が始まってから助かる解毒薬なんてないの。残念だけど、もうどうやっても助からな」

ぼくは世界を『ロード』し直した。


だよ、佑くん」

碧ちゃんは、にっこりと笑った。


ぼくは世界を何度も『ロード』した。

何をしても無駄だった。

誰もいない原っぱで絶叫しても、誰にも聞こえなかった。

碧ちゃんからスマホを取り返して助けを呼ぶこともできなかった。

一切の油断なしの碧ちゃんには、どんな嘘も甘言も不意打ちも効かなかった。

毒が回り始めた瀕死状態からの『ロード』を、ぼくは延々と繰り返した。


だよ、佑くん」

碧ちゃんは、にっこりと笑った。


だよ、佑くん」

碧ちゃんは、にっこりと笑った。


だよ、佑くん」

碧ちゃんは、にっこりと笑った。



実時間では一分そこらのやり取りを、ぼくは延々と繰り返した。


そして、体感時間が一ヵ月ほどを過ぎたとき。

何十万回目かの『ロード』をして。

ぼくは、項垂うなだれた。


だよ、佑くん。……あ、もう諦めてくれたんだね。何回かかったかは知らないけど、お疲れさま」

碧ちゃんは、にっこりと笑った。疲れた様子はまったくない。

当たり前だ。彼女にとっては、これが『初回』なんだから。


動悸が止まらない。頭痛と吐き気が増してゆく。

眩暈がする。意識が遠のく。そろそろ昏睡、心肺停止。

でも。


ぼくはもう、世界をロードしなかった。

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