第6話  帝国の闇

「仕事は、もうほとんど終わっていたのだ。だから、なにも気に病むことはない」

 そんな気遣いをみせてくれた兄であったが、その声はいつもとちがい、どこかよそよそしいものだった。それ以上は何も言わないが、その沈黙こそが自分に向けられた審判のような気がしてならず、鏡花は義理の兄――深月の背中を悄然(しょうぜん)と見つめることしかできなかった。

 このところ朔洲の城に滞在し、連合艦隊(れんごうかんたい)の受け入れ準備に多忙を極めていた兄である。

 その彼を、急遽、呼びもどさねばならない事件が起きてしまい、それどころの話ではなくなってしまったのだ。その兄に事件のあらましを伝え、大穢土京へ帰還するよう指示したのが、例の晦日教官だとすれば、当然の流れとして、鏡花の犯した罪も報告せざるをえず、それを伝えるのに、どれだけ言葉に工夫を重ねても、その耳を汚(けが)す結果になったのは明白であろう。

 何よりも不正を憎む兄のことである。きっと、少なからぬ失望を覚えたにちがいない。

 いや、今となっては、それこそ過度の期待と言うべきか。

 兄の頭の中は今もなお行方の分からぬ朔夜様のことで一杯だろう。願わくば、その心のどこかに落胆の欠片(かけら)でも残っていれば幸いだが、その余地もなく唾棄(だき)すべき存在として見捨てられているのだとすれば、この先、何を支えに生きていけばいいのかも分からなくなってしまう。

 ふと、その苦しい胸中に亡くなった兄の面影が甦り、涙が溢れそうになった。

 その兄の名は十五夜右近(うこん)という。鏡花とは血を分けた本当の兄妹である。その兄、右近は五年前に起きた暴動事件の際に首謀者として捕縛され、拷問の末に獄中死したと伝えられている。

 その悲しみから逃れる方法は、ただ夢中で深月の背中を追いかけることだった。その行き着く先がこのような末路のほかになかったとすれば運命の理不尽さを呪わずにはいられない。

 そもそも五年前の暴動事件さえなければ、もっとちがう生き方もできていただろう。

 もし、そこに神に感謝できる余地があるとすれば、その危機を見事な手腕で乗り切った父のおかげで十五夜家が取り潰しの憂(う)き目に遭わなかったという一点に尽きる。

 とはいえ、それ以後、父は枢軸派の急先鋒となって国政を壟断(ろうだん)するようになり、様々な批判を浴びるようになった。その苦衷(くちゅう)を察しながら父を支え続けた深月がどれほど大きな存在であったかは近くで見ていた鏡花が一番よく知っている。それに比べて自分の不甲斐なさといったらない。もともと十五夜家は魔術より知略を活かして仕官してきた能吏(のうり)の一族である。そのせいか血脈のどこかには必ず魔力に乏しい子が生まれてくる。その外れ籤(くじ)を引いたのが鏡花である。

 その絶望的な資質といったら、そこそこの〈魔掟士〉になることすら困難と判(はん)じられるほど悲惨なものだった。

 もちろん、士官学校に入学するのも難しいと言われた。

 それでも、父や深月の役に立ちたいと願い、義兄(あに)の傍に立ち続けることを誓ったのだ。

 さても、自分の力の及ばぬ所で家族が死ぬなんて、もう二度とあってはならないことだ。

 されど、その想いが、やがて自分を追い詰め、負の感情が暴走していると気づいた時には、もう引き返せないほど深い闇の中を彷徨(さまよ)っていた。今さらの如く、あの時の父の言葉が脳裏に浮かび、その言葉を省(かえり)みなかった自分を叱責する。そう、父はこう言ったのだ。

『魔力の資質に優れた少年がいる。その子は病に倒れた母のために自分の魔検証を売りたいと願っている。私は、その少年の母を想う心に報いるため敢えて罪を犯すことにした。これは、そなたのためではない。ゆめゆめ、そのことを忘れるでないぞ』

 今、思い返せば、それは、とても大切にしなければならない忠告だった。

 その時、父は敢えて少年の名も教えてくれた。しかも、その少年が、その後も努力を怠らず、士官学校を目指していると聞かされ、惨めな思いを味わった。それを聞い時の驚愕たるや思い返しただけでも嫌になる。なにしろ嘘で塗り固めた自分の才能は、本来、その少年に帰属するものなのだ。激しい嫉妬を覚えぬわけがない。なぜ、このような屈辱を味わうのかと逆恨みさえしたものだ。

 ただし、その時は、まだ、その悔しさをバネにすることができたのである。

 生まれながらの資質はどうしようもないが、自分の力で夢を叶えるためには今度こそ努力を惜しまず、資質の差を埋められるだけの知識を身につけるしかない。

 喩え、魔力の資質に恵まれなくても、その将来において立派な技士になれた人は数多くいる。

 士官学校に入学した鏡花は、そんな決意を胸に秘め、魔法学や術式を学ぶことに精励した。

 ところがである。火選崎翼。そう、あの少年が現れたのだ。その名を忘れたことはない。父が鏡花のために魔力検定の粉飾を犯すことになった相手である。その彼が逆境をものともせず正々堂々と転入試験に合格して追いついてきたのである。しかも、あろうことか同じ訓練組に配属されるというもはや悪意としか思えぬ邂逅が鏡花を恐怖のどん底に突き落とした。

 彼が入学する際に物議(ぶつぎ)を醸した魔力査定がどれほど酷いかは自分が一番よく知っている。もし彼がその秘密を漏らせば今ある地位など一瞬にして瓦解するだろう。自分は彼のことを知っている。彼が自分のことを知らないとは言い切れない。彼がこの学校にいる限り、心安(やす)まる日などありはしない。

 鏡花はやがて、家老職、十五夜家の威光を利用することにも躊躇(ためら)わなくなってしまった。さても、その家柄の力で教官たちを掌握し、自らは手を汚すことなく成績の改竄や論文の破棄など、あらゆる手段を用いて彼をこの学校から追い出そうとしたのである。

 そして罪を重ねるごとに根拠のない優越感に浸り、小さな自尊心を守り続けてきたのだ。

「償えばいい。拙者も一緒に償う。すべてが鏡花のせいだとは思わない」

 ふり向きざま、ぽつりとこぼした兄の言葉に凍りついた。

 鏡花は兄の顔をまともに見ることもできなかった。

「だから立ち止まっている暇はない。みんな無事だ。彼らを助ける手立てを考えねばならん」

「そう、ですわね……」それを願うしかない。そのために自分はここへもどってきたのだ。

 鏡花は顔を上げ、その目的を噛みしめるように工場の建屋内へと足を踏み入れた。

 だが、そこは、先ほどとは少し異なる環境になっていた。そう、半分ほどは工場であった時の面影を残しているのだが、残りの半分はかつて、そこに存在した耐熱煉瓦や漆喰で固められた工場内とは比べものにならないほど精緻な構造になっている。足裏に感じる硬質(こうしつ)な触感や暗い中でも見て取れる鈍い光沢は宇宙艦(うつふね)の鋼材(こうざい)にも使用される特殊な錬金術合金のものだろう。それらが緻密に組み合わさり、表面に魔法陣を刻みながら、この計算された魔術的空間を実現させているのだ。そのうえ濃い魔力に満ちており、耳を刺すような微かな音に空気が不気味に震えていた。鏡花は立ち止まり、じっと耳を澄ませた。その不穏めいた気配に肌が粟立つのを感じながら慎重に辺りを見回した。わずかな光量と、尋常ならざる魔力のせいで視界はかなり悪い。それでも周囲の様子はなんとなくだが窺えた。かつての工場内に今は複数の立体魔法陣が展開している。移動魔法や再生魔法。ほかにもそれらの魔法を隠蔽する術式が存在していたと考えられる。今ある魔法陣はそれらの魔法がまだ発動の途上にあり、さらなる段階へ進化しようとしていることを示唆(しさ)している。

 しかし、なぜこのような仕掛けが必要であったのかは、その意図すら定かではない。

 鏡花は思い返してみた。かの少年が〈操魔刀〉で刺された直後その場から異質な呪力が生じたように思われた。それが周囲を闇色に染め、そこにいたすべての者をを飲み込もうとしたのである。あのままその場にいたら自分も彼らと同じ運命を辿っていただろう。助かったのは、突如その場に現れた謎の女が瞬転術を発動してくれたからである。

 火選崎翼。いったい彼は何者なのだ。あのような手練(てだれ)の〈魔掟士〉を従えていることもさることながら、なにより、あの〈凰火零式〉を復活させたという、その技量こそが彼の謎をますますもって深めていた。


 かつての工場の奥が様変わりしていた。その奥から二名の衛兵を従えて、このたび新校長に就任した晦日(つごもり)宵越が姿を現した。今回はちゃんと男性用の軍服を着ていることに深月は密かに胸をなで下ろした。

「忙しいところ悪いわね」

「いえ、お気遣いは無用です、新校長殿。ところで、この状況は何ごとでありましょうや?」

「かつて、あらゆる奇跡を可能にした〈天翼魔法(てんよくまほう)〉。その成果でしょうね。恐らくは、ここには、はあらかじめ高度な魔法が仕込まれていて一定の条件が整うと、それが姿を現すようになっていたんだと思うわ。でも、これがまた通常の詠唱じゃないから分析も難しくてね」

半分が様変わりした工場内には今もかすかに甲高い音が響いている。

「高速詠唱だと思います。〈天翼人(あまつばと)〉が高位の魔法を召還する際に用いた技法だそうです」

「へぇ、さすがは中等部技士科の主席よね。やっぱり頼りになるわ」

「め、滅相もございません」

 弱々しく項垂(うなだ)れる妹。その悄然(しょうぜん)とした姿を見るにつけ兄としての限界を感じてしまう。

「やれやれ嫌味(いやみ)で言ったんじゃないのよ。あなたが優秀なのは事実。犯した罪もまた事実だけどね。でも誰でも過(あやま)ちは犯すものよ。だから、こういう時こそ人の真価が問われるんじゃない」

「分かっております。ですから、どのような罰(ばつ)も受ける覚悟はできております」

「その覚悟やよし。でもね、そこを他力本願にしちゃだめなのよん」

 その厚ぼったい唇を悪戯(いたずら)っ子のように吊りあげる少佐――。

 いや、彼の本当の階級は准将である。

「いい、私が言いたいのは、この再出発の機会を大切にしなさいってこと。そして新たに立ち向かうべき冒険に胸をときめかせなさいってこと。ほら、だから、しゃんと前を向きなさい」

 そう言われて顔を上げる鏡花だが、その表情はまだ暗く、おまけに困惑しきりである。

「その悔恨(かいこん)を大切になさい。それは未来の宝石。その真摯(しんし)な心を磨き、やがて生まれ変われた喜びを感じれたら、あなたはもっと素敵に輝ける。その方法は自分で見つけなさい。いいわね」

「は、はい、あ、あのぅ」

 吐息の如(ごと)くかすむ語尾から不安が広がっていくのが目に見えるようであった。

「翼君や姫様のことなら大丈夫よ」そっと回された晦日校長の手が優しく嗚咽(おえつ)をやわらげる。

「あの子たちがそう簡単にくたばるものですか」そう断言するや「さぁ時間がないわよ!」

 と声を張り上げ、まだ目尻(めじり)に涙を残す鏡花の手を引っぱって奥へと導いていく。

 その逞しい背中に向けて深月は深々(ふかぶか)と頭を下げるのだった。

「あのね、あなたに、この状況を解析してもらいたいの。生憎、私は、その手の作業が苦手なのよん」

 そんな声を耳にしながら深月は二人の足を追いかけた。

 やがて工場内の中央部付近で足を止めた晦日校長が呟くように言った。

「……魔法を召還する際その背後から溢(あふ)れる魔法光が翼のようにも見えることから〈天翼人(あまつばと)〉と呼ばれるようになった。でも彼らは不思議なことに遺伝子的にも人類となんら変わらぬ存在だった。ただ我らとは異なる世界からやってきたということ以外はすべてが謎に包まれている。その滅びた〈天翼人〉の中に唯一(ゆいいつ)の生存者がいたことは知ってるわよね。おそらく、この現象は破軍の封印が解除されつつある、その予兆だと思うの。その封印を造り上げたのは、恐らく、月嘆姫様。月の都で捕らえられ、月下皇帝に献上された悲運の王女。その美しさから多くの殿方が彼女に求婚した話は有名よね。でも彼女の心を射止(いと)めることはほかの誰にもできなかった。ある一人の若者を除いては……」

 かつての資料や文献(ぶんけん)が過去の戦乱で散逸(さんいつ)しているため今では誰も彼らについて語る術(すべ)を持たない。それは深月とて同じだが、さても彼女のこととなれば話は別である。

「その姫を帝家から簒奪したのが七代目の国主であった鳳晩(たかかげ)候。彼が抱いた野望は煌月家(かがやづきけ)に再び〈天翼人〉の血を入れること。その暴挙が後(のち)に災いをもたらすことにもなるんだけど、さても鳳晩候の孫である凰熾(たかおき)様は、そのような権力に翻弄(ほんろう)される姫に心を痛められ、いつしか、その憐憫(れんびん)が深い情愛へと変わり、やがて二人は結ばれて珠のような男子を授かった。その子の名は天翼丸。元服後は鳳輝(たかあき)様と名乗るはずでしたが、そこに様々な紆余曲折(うよきょくせつ)もあり、現在は火選崎翼様(かえりざきつばさ)と名乗っておられます。なぁんて、あはは、ちょっと驚かせすぎちゃったかしら?」

「あまりのことに頭の中が真っ白でござる」

「そうですわ。今さら、そんなことを言われても。もし、それが事実だとしたら!」

 鏡花が頭を掻きむしる。もはや半狂乱である。いやはや気持ちは分かる。それにしても、どうして気づけなかったのか。よく考えれば、火選崎という名にはピンときてもよかったはずである。月嘆姫様の側近中の側近といえば、まず、あの火選崎夜宵(やよい)が念頭に浮かぶべきであろう。

「されば夜宵殿も若君も、ともに九年前の動乱の折りに討ち死にされたはずではござらぬか」

「ま、色んな事情があるのよん。でも、気づけてもよかったんじゃない。特に深月君はね」

「あいや、そう言われては申し開きの言葉もございませんが、しかし、やはり信じられませぬ」

「とはいえ、もしそれが真実なら私などは数々の無礼を働き、もはや万死(ばんし)に値しますわ」

「それは勘弁して。首を切ってお詫(わ)びとか超面倒くさいから。どちらにせよ当面は極秘事項よ。このことは胸の裡(うち)に封印しといてね。その上で密かに殿下の世話を焼いてもらうことになると思うけど。それには殿下の無事を確認しなきゃ話にならないわね。ともかく分かってくれた」

「ええ、まぁ取り敢えずは、この命に代えましても……」

 深月と鏡花は膝を折り、まだ半信半疑の表情ではあるが士族の礼をもって誓いを立てた。

「ですが殿下も殿下です。あんな落ち武者みたいな恰好。ふざけてるとしか思えません!」

「まぁ、そこは、そもそも何でそんなことになっちゃったの? ――って当然の疑問よね。まぁ呆れず聞いてね。殿下は自分の正体を、というよりも、その力を抑えておきたかったのよ」

「それは〈火鳥封月〉や〈奏焔熾天(そうえんしてん)〉のことですか? あれはべつに、それほど厄介(やっかい)な術ではないはず。すべての魔焔(まえん)を統(す)べ、あらゆる魔法を燃やす、どちらも至高の〈血銘術〉ですわ」

「だけど今の殿下は月嘆姫様の封印と同調しているせいで、その力が常に発動しっぱなしなの。そのため色々と対策を講じないと様々なものが破壊されて、すごく厄介なことになるってわけ」

「なるほど。もし、それが事実ならば、それはもう歩く天災としか言いようがないでござるな」

「でしょう。だから、ざんばら髪に遮蔽術(しゃへいじゅつ)を施したり、魔力を抑制する眼鏡を掛けたりと涙ぐましい努力をね。おまけに幼い頃の記憶も失っちゃってるから、まるで別人のようだし」

「はぁ?」「なんですって!」思わず鏡花と声が重なった。

「それは、その月嘆姫様の封印と何か関わりがあると理解してよろしいのでござるか?」

「うん、正解。それが魔力暴走の最大要因(よういん)。殿下から分離させた魔力。つまり魔術的な分身みたいなものだけど、おそらく、それを封印術に組み込んで封印魔法を継続(けいぞく)させていると思うの。その影響で過去の記憶がないらしいのよ。本元の魔力は魔術的な人柱になってると重盛様が仰っていたわ。そして、そこまでして継続させたい魔法とは破軍京の封印。今も殿下はその身に宿(やど)る大半の力をその封印に奪われ続けている状態なの。とはいえ魔力を分離(ぶんり)し、若様の記憶を奪った月嘆姫様にはほかにも意図(いと)があったはず。きっと殿下には平凡(へいぼん)な人生を歩んで欲しかったのよ。煌月の一族で、しかも、その血の半分が〈天翼人(あまつばと)〉だなんて天罰(てんばつ)としか思えない厄介(やっかい)ごとを背負(せお)って生きていくようなものだもの。ともかく、その封印が今や崩壊(ほうかい)寸前。この魔術現象が一連のことに関与しているのは確実だと思うわ。そして、この封印崩壊には恐らく、あの月影皇子(つきかげのみこ)も関わってると見てまちがいない。そもそもの元凶は、あの男が月嘆姫様を奪おうと画策したことに端(たん)を発しているんだから。あの男が帝を誑(そその)かし、月の鎮守府(ちんじゅふ)にいた鳳熾様に第四惑星への軍事行動を命じさせたことは知ってるわよね。第四惑星で天翼遺跡が暴走し、そこから発生した〈天魔〉の撲滅(ぼくめつ)に手こずってたって話だけど、どう考えても我が国の戦力を分散させる策略としか思えない。とはいえ勅命には逆らえず鳳熾様は月嘆姫様とともに現地へ赴くしかなかった。その間に、月影皇子は帝の天枢行幸を(ぎょうこう)成功させたばかりか若様を拉致(らち)してのけたのよ! おまけに殿下の命が惜(お)しくば姫様を差し出せだなんて卑劣(ひれつ)も卑劣。おかげで戦(いくさ)もそこそこに降伏(こうふく)するしかなかった。そして殿下は若様の存命を交換条件に朝廷に命じられるまま自害して果て壮絶(そうぜつ)な最期を遂げられた。でも、そこにちょっとした問題がね。その戦(いくさ)の前に鳳熾様や家臣たちは皆そろって月嘆姫様からある秘術を施されていたらしいの」

「ちょっと待たれよ。その話……まさか九年前の〈第一次揺光動乱〉の折り、破軍京に生じたという怨霊の正体とは――」

「まぁ聞いて。この辺りのことは常識だけど、そこから話をしないとね。そもそも人類が魔法の恩恵(おんけい)を授かるには〈天翼人(あまつばと)〉の血が少なからず流れていることが前提とされる。つまり過去に行われた民族同化によって混入した〈天翼人〉の血と彼らが持ち込んだ異世界の法則が干渉しあい人類にも魔法が定着していると考えられているのね。その源が〈弦子〉であるとされるんだけど、その起源となる不確定理(ふかくていり)世界と何らかの法則で魂との結びつきを実現させる〈天翼人〉に比べて人類に宿る魔力は数段(すうだん)に落ちる。それに、喩え〈天翼人〉の血を受け継いでも子孫のすべてが望むべく資質を手にするわけもなし、なにより彼らとの間に子をなし子孫に希望を託すのもまどろっこしい話じゃない。そこで英雄戦争の折には数々の蛮行が行われた。その一つが捕虜とした〈天翼人〉の血を強引に移植し、その力を我がものにする禁術よ。でも〈天翼人〉の血を移植された者は魂を支配され、その魔法を操られる運命にあったことから禁術目的で捕らえた〈天翼人〉は必ず処刑された。それが〈天翼人〉の滅亡に拍車(はくしゃ)をかけたと言われてるんだけど、それでも、この蛮行が止まらなかったのは容易に魔法を手に入れることができたからよ。それに戦乱の激化で多くの〈魔掟士〉が必要とされていたから。だけど、当時、行なわれた蛮行はそんなものじゃすまない。考えてもみて、いくら人類よりはるかに数で劣るとはいえ太陽系の全域に拠点を築くことのできた〈天翼人〉が、その程度のことで滅びると思う?」

「そう言われると、まぁ、確かにそうでござるな」

「当時、戦争に終止符を打とうと帝国も〈天翼人(あまつばと)〉も、ある禁術の開発を計画していたそうよ。それは魂に結びつく〈弦子〉に異常を起こさせて肉体を破壊し、その魂を怨霊に変える秘法。つまり魔法使いを滅ぼすための魔法。そして、それは発動後にも凄まじい破壊と殺戮をもたらす〈終焉魔法〉でもあった。〈天翼人〉はそれを用いて地上を怨霊の巣窟にしようと考えたの」

「待ってください。でも、それならば――」

「そうね。もし、それが使用されていたなら、我々はここには存在していないはずよね」

「つまり、使われなかったということですか?」

「そう、その恐ろしさを熟知していた〈天翼人〉は躊躇(ためら)った。でも帝国は躊躇わなかった。帝国が開発した禁術は〈天翼人〉のそれと同質ではあったけれど規模は比較にならないほど小さなものだった。ただし、数だけは大量に造れた。しかも帝国はその魔法が招く結果も覚悟の上で使用した。帝国は気づいていたの。魔法の力を手に入れた自分たちが、もはや他の人類から見ても異端(いたん)である事を。いずれ自分たちもまた同じ運命を辿るであろう事も。だから世界を滅ぼし、すべてを掌握しなければならなかった。ただ誤算が生じた。〈天魔〉が転生(てんせい)をくり返すようになり、倒しても倒しても切りがなくなってしまったことね。その謎を解く鍵はかつての〈天翼人(あまつばと)〉の拠点にある……というのが今のところ朝廷側が秘匿(ひとく)している見解らしいけど」

「でも、それでは我々の知る英雄戦争の顛末とは――」

「大いにかけ離れているわね。でも歴史なんて時の権力者たちの暗黙の了解によって綴(つづ)られていくものよ。つまり、あたしたちはその原罪をもって生まれた呪われし魔法使いだってこと」

「とはいえ、やはり俄(にわか)には信じられません。何故、校長はそのような重大な秘密を?」

「これは朝廷でもごく一部の者しか知らない秘事だそうね。でも運がいいのか悪いのか、あたしは御家老(ごかろう)様から話を聞くことができた。重盛(しげもり)様は月嘆姫様から直接知らされたんだと思う。なにしろ彼女は英雄戦争における最大の犠牲者だもの。その事実を知らないはずがないわ」

「あの、晦日先生」そこで鏡花がおずおずと口にした。

「その〈終焉魔法〉、もう一つ残ってますわよね。〈天翼人〉が開発した、より強力なほうが」

「よく聞いてくれたわね。さても〈天翼人〉が開発した禁術は、その行方がはっきりしているわ。なにしろ、それは月嘆姫様の魂と結びつきながら封印されているんだから」

「なんですと!」深月も鏡花も顔色を失った。

「禁術の使用を躊躇った〈天翼人(あまつばと)〉は、その魔法を王女に封印したの。しかも不老不死の呪いを掛けて。だから彼女だけが生き残ってしまった。その秘術を魂に刻印された彼女はもちろん、その術式を理解している。つまり彼女自身が〈終焉魔法〉そのものでもあるということ。そのような存在が朝廷の手から離れてしまったことが、そもそもの悲劇の発端。しかも、その力の一部が若様にも受け継がれてしまったことが、さらなる悲劇の始まり。だから姫様は我が子に受け継がれてしまった力をこそ封印してしまいたかったのでしょうね。ともかく、その術式の一部が鳳熾(たかおき)様や家臣らにも譲渡されたことはまちがいないわ。死を覚悟した鳳熾様が、なぜ、そのような禁術に頼ったのかはもはや想像するしかないけど、国を救う方法が他になかったのも確かなことよ。その思いを胸に秘めて自害して果てた殿は息を引き取るや、その身を〈天魔〉と化し、同じく無念のうちに果てた無数の怨霊を吸収しながら強大化。姫様はその力を操って敵軍を退けた。ただし膨大な規模に膨れ上がった怨念を封印するには、さらなる犠牲も必要だった。若様を信頼できる側近に託した姫様は自らの魂と若様の魔力を繋ぎ、その力をもって空前絶後の封印を造り上げた。そして凰熾様らの怨霊と同化することで怨念を鎮(しず)め、ともに封印の中に没してしまわれた。きっと愛しい家族と共に永遠の眠りに就くことを望まれたのね。一方、朝廷を代表して我が国に乗り込んできた親王は肝心の姫様を失った痛手からか、その心を次第に蝕(むし)ばんでいった。……おそらく今回の同盟国入りの裏には、とんでもない陰謀が隠されているかもしれないわね。破軍の封印が解かれそうになっているのもきっとそのせいよ。その封印の亀裂が殿下が使用していたこの古い工場から喚起しているなら、みんなを救うべく何らかのか取っ掛かりがここにあると思うんだけど……ともかく、それを調べて欲しいの。さっきから地震が酷くなってきているようだから急いだほうがいいかもしれない」

 と言ったそばから大地が激しくゆれて深月と鏡花はよろめいた。晦日校長も少しつんのめるような形で衛兵に体を支えられている。それでも厳かな表情を変えずにこう続けた。

「月影皇子は〈第二次揺光(ようこう)動乱〉の後も、様々な策謀を巡らせていたと断言するわ」

 深月と鏡花はまたしても顔色を変えた。

 五年前の〈第二次揺光動乱〉――それは鏡花から実の兄を奪った事件である。

 当時、揺光国を占領していた連合軍や門閥貴族に不満を募(つの)らせた士官生らが暴徒化し、後に〈第二次揺光動乱〉と呼ばれるようになった内戦は、運悪く同時発生した〈天蝕〉の被害もあって多大な犠牲をだす大惨事となった。

 その首謀者として、鏡花の兄、十五夜右近は捕らえられ、そして獄中死したが、それは、あくまで朝廷が発表した結末であり、その真相は未だ闇の中にある。

 ただし、その責任を追う形で月影皇子も占領府将軍の地位を失脚し、ここにかろうじて揺光国は主権を回復するに到るのだが――

「ともかく、やれるだけのことはやってみます」

 鏡花の目に宿る決意は兄としても頼もしくは思うものの、やはり何かしら得体の知れない不安に浸食されていくのは否めなかった。やがて〈魔掟書〉を起動させ、術式詠唱に(えいしょう)入った鏡花

のそれは、まさしく高速詠唱かと思うような勢いで、その一言一句がまるで精密機械のように唱えられていく。高度な呪文は魔力の乏しさを補い、資質以上の魔法を可能にするが、それを実現するには膨大な術式や呪文を記憶しておかねばならず、それに対する理解も必要である。これだけ多岐にわたる術を一度に操れるのは技士科の中では彼女くらいのものだろう。

 多くの呪文を開発すれば、それだけ複雑な魔法陣を形成し、時間はかかるが高度な魔法を召還することも可能である。まもなく〈魔掟書〉の輝きの中から〈弦子(げんし)〉の結晶が出現するや広がる波紋のように拡散し、無数の魔法陣が生みだされていった。それらが連動し、様々な現象を引き起こしていく。といっても一つ一つは大した魔法ではない。過去の出来事や、そこに隠れた意図や思念を洞察する術がほとんどである。ただし、その数が尋常ではない。それらが複雑に絡み、高度な解析術を完成させる。そのため経過とともに術は複雑さを増し、鏡花の顔にも疲労の色が濃くなっていった。やがて展開した魔法が収束し、鏡花の口から分析した結果が語られた。

「やはり、この場所から封印に亀裂が入ったのは間違いないようです」

 そこへ深月は口を挟んだ。

「それがしの曖昧な記憶でござるが、この不可思議な空間には見覚えがござる。ここは、もしかすると拙者がかつて通っていた幼稚園の近くに建設されていた避難壕の内部のように思えるのですが……曖昧な記憶なので定かではありませぬが……」

 鏡花が瞠目しながら頷く。

「その可能性はありましょう。おそらく若様自身もまた封印を解く鍵になっていたのでしょう。このまま放置すれば、ここを中心に、かつての帥都――破軍京がよみがえるやもしれません。それを食い止める手段までは分かりませんが、昨今、起きている地震や〈天魔〉の増加もこれが影響していたかと思われます……が、しかし、それ以上のことは残念ながら……」

「ううん、充分よ。あの月影皇子が破軍の封印を研究してたことは判明してる。そして月嘆姫様を我が物にせんと企み、あらゆる手段を選ばなかった。その妄執と狂気にどれだけの命が犠牲になったことか。でも、そんな悪行を続けていれば、いずれは表沙汰になる。その事実のすべてが公表されたわけじゃないけれど様々な憶測が虐げられた憤りと重なり噴出したのが五年前の暴動。その反乱に怒り狂ったあの男は、その報復に自らの研究成果を解き放ったの」

 項垂(うなだ)れるように晦日校長の顔が床に落ちた。

「やはり真相を話さなくちゃならないわね」その瞬間、鏡花の顔が凍りついた。

 深月の心にも痛みが走る。

 だが、いつまでもそこから逃げるわけにはいかない。

「ぜひ話していただきとうござる」

「私も真実が知りたいです」

 それに頷くように悲しみを湛(たた)える双眸が闇へと向けられ、過去の出来事が語られ始めた。


 晦日(つごもり)宵越(しょうえつ)が十五夜右近(うこん)と知り合ったのは十六歳の時である。

 当時、高等部翼士科の一年生だった宵越は、まだ決まった掃撃隊(そうげきたい)には所属せず色々な隊に参加しては補欠員(ほけついん)のような活動をくり返し、ひたすら〈神機〉の腕を磨(みが)くことに専念していた。

 〈天魔〉の生息する城外区は、それを受け持つ隊の腕前によって担当する地域が決められるため、なるべく力量のある隊に同行するのが、少しでも早く腕を磨ける方法だったからである。

 そんなある日のことである。その日、宵越が参加したのは六人組の小隊で、その後衛に加わる形で任務に同行した宵越は、いつもどおり五級以下しか生息しない狩場(かりば)で雑魚ばかりを数匹ほど仕留め、その日も若干、不燃焼気味ではあったものの無事に生還できることに感謝しつつ、夕暮時には〈神機〉を飛翔させ、仲間とともに街道を西へと帰路の途についていた。

 だが、その途中、巨大な砂嵐に飲み込まれそうになったのである。

「そのうえ運の悪いことに、その後、手に負えない〈天魔〉に遭遇しちゃったの。砂嵐に遭うと後の整備が大変だからって思わず避けちゃうけど、そこは嵐が過ぎるのを待つべきだったわ。しかも迂回するのに二級指定の〈炮蛇(ほうだ)〉が生息する危険区に立ち入っちゃったから、さあ大変。たちまち劫火の術を操る、あの巨大な炎竜に囲まれて荒野に孤立。絶体絶命の危機だったわ」

 そんななか体得する中でも最も優れた〈氷襲系〉の魔法を駆使し、その場から動けなくなった仲間を護り、なんと二時間近くに渡って〈炮蛇(ほうだ)〉の放つ劫火に耐え続けたのが宵越だった。絶対に諦めない。頑張ればきっと救援がくる。そんな思いを胸に宵越は〈天魔〉の攻撃に耐え続けた。やがて、その願いが通じたのか、漆黒の闇を割って降り注ぐ流星の如き煌めきが宵越の目を掠めた。その朦朧(もうろう)とする意識が捉えたのは〈月下不死鳥〉の紋章である。その軍旗が閃くや、

「よく頑張った!」という通信が聞こえ、機体と融合する五感を震わせた。もう駄目だと思っていたところに舞い降りてきた機種は様々だが、皆、独自の兵装や改造を施した物々(ものもの)しい一軍だった。それらが、たちどころに〈炮蛇(ほうだ)〉の群を蹴散らしてくれた。やがて宵越の口から安堵の息がこぼれ落ちた。なにしろ彼らは選(え)りすぐりの猛者が集う先鋭部隊だった。その隊長を務めていたのも数十年に一人の天才と謳(うた)われた十五夜右近その人だった。もちろん、その勇名は宵越の耳にも届いていた。聞くところによると、彼が体得した魔法は当時、国内最強と目され、その力を駆使して撃退した〈天魔〉の数は中等部に在籍中の訓練任務だけでも新記録を樹立しており、それを評価した国防省も秘蔵の銘刀を与えて彼を讃え、高等部に進学するや、さっそく翼士科長への就任を要請したというのだから、どれほど優秀であったかは言うまでもない。

 一方、それに比べて、その日、からくも命拾いした宵越はというと没落士族の末裔よろしく、いたって凡庸な〈魔掟士〉であることは自他ともに認めるところであり、そんな彼からすれば、その日、はからずも交えた邂逅(かいこう)が、今後の学校生活に影響するなど夢にも思わぬことだった。

 さても、その次の日の昼休みであった。

「この教室に、みそかよいごし君という生徒はいますかぁ?」

「あのね、隊長、つごもりしょうえつ、って読むんだと何度も教えたでしょうが!」

 その日、いきなりの訪問には教室中が俄(にわか)にざわついたものである。

 しかも、何かをひっぱたくような音も聞こえ、多くが向ける注視の先を窺うと涙目になって後頭部をさする男子生徒の背後(はいご)から一人の女子生徒が呆(あき)れながらに姿を見せるところだった。

「隊長って、どっか抜けてるよね」

 と別の声もし、苦笑まじりの上級生が押しよせてくる。

 室内はどよめき、その騒然を掻き分けて彼らが辿り着いたのは宵越の机の前だった。

 宵越はちょうど弁当箱を広げ、おにぎりに齧(かじ)りついていたところである。

「やぁ、昨日はご苦労さま。今日はね、君を我が第一番掃撃隊に勧誘しようと思って訪ねてきたんだけどさ。それにしても可愛いらしいお弁当だね」

 宵越は、そのおにぎりを頬張ったまま放心状態である。というのも、その生徒こそ誰やあらん翼士科長の十五夜右近その人だったからである。いわんや周囲の驚きと羨望たるや凄まじいものだった。いや、本人こそが最も首を傾げたくなるような事態だったにちがいない。

 なにしろ、その頃の宵越(しょうえつ)に対する周りの評価といえば可もなく不可もなく、むしろ、いつも影が薄(うす)くて頼(たよ)りないというのが見解のほとんどを占めていたからだ。そんな宵越が翼士科一の先鋭集団に勧誘されるなど誰が想像したであろう。故に、すっかり恐縮してしまった宵越はただ戸惑(とまど)うばかりである。

「しばらく考えさせてください」

 と、そう返事をするので精一杯だった。

 折しも敗戦直後の揺光国は朝廷の支配下にあって民は重税に苦しみ、戦乱で破壊された町は復興もされず、士官学校も生徒数が頭割れするほど弱体化し、とても国防など担えるような状況ではなかった。どの城邑も〈天魔〉に苦しめられ、新たな帥都(すいと)となった大穢土京など、さしずめ魔物の巣窟といった有様だった。そんな状況を少しでも打開するのに士官生としてより尽力すべきだという思いは、もちろん宵越にもあったけれど、されど自信のない性格が災いしてか、なかなか決心がつかず、しばらくは悶々とした日々を過ごすことになってしまった。

「そんな、ある夜のことだったわ」

 その日、宵越は〈神機〉の整備を担当する技士生と口論になり、いつもより帰宅の途につくのが遅くなっていた。そのせいで気が急いていたのだろう。いつもなら近づかない危険区を近道だと油断してしまい、今度は、街中に出没した〈天魔〉に遭遇してしまったのである。

「よりにもよって、〈神機〉の調子が悪い時にって毒づいたわよ。しかも三級指定の〈腕蛇鬼(わんだき)〉が三匹もよぉ~。学生寮まで、もう後、少しだったのにぃ~っ」

 そこで晦日校長は一旦、話を区切り、どこか懐かしむように深月に微笑んでみせるのだった。

 

 さて深月もまた翼士生である。その手の話には興味がそそられてならなかった。

〈腕蛇鬼(わんだき)〉という〈天魔〉は蛇(へび)のような腕(うで)を四本持ち、そこから発する魔力で人間を石化して貪り喰う恐ろしい怪物で、それなりに修行を積んだ〈天翼士(てんよくし)〉でさえ手こずる相手である。

 その後、校長はどのようにして、その危機から脱したのだろうか?

「そりゃ、すぐに魔神召還(ましんしょうかん)して撃退しようとしたわ。でも技士生のやつ、ろくな仕事してなくて、たちまち形成不利だわよ。そこへ颯爽と舞い降りてきたのが右近様の〈神機〉だったの。それは無敵だったわ。あっという間に〈腕蛇鬼〉を倒して駆けつけてくれて……当時ね、右近様ったら街の治安を守るため毎晩、夜警をしていたの。その話を聞いて、もう胸がズキューンよ」

 指をモジモジ搦めながら頬を赤らめる校長。その様子に深月の顔は引きつった。その熱に浮かされた声を聞いてると、なぜか、こねくり回した納豆が脳裏に浮かび、しかも、そのすぐ横からも凄まじい殺気を感じて、さらに冷凍餃子をそのまま頬張ったような気分と板挟みになる。

「言っておきますが世の中のお兄様というお兄様に〈様〉をつけていいのは私だけですわよ!」

「な、何を言っているのだ鏡花……と、とにかく校長も、さっさと本題に入ってください!」

 やがて時は流れ、士官学校を卒業した右近は町方警護の奉行に任ぜられ、その翌年に卒業した宵越もまた町方への配属が決まり、右近のもと、その配下である同心組を束(たば)ねる与力(よりき)として活躍することになったらしい。そして彼らは、ある事件の真相を追うことになったのである。


「被害者は士官学校の学生たち。なんの前触れもなく失踪したかと思うと、その数日後には、その内の何名かが無惨(むざん)な遺体で発見されるという凶悪な事件だったわ。しかも、それが悪夢の始まりだった。あたしが捜査に加わった頃にはすでに犠牲者は二十名を超えていて早急な解決が求められたんだけど、それが一ヶ月も経たないうちに捜査に中止命令が下されたの。朝廷からの圧力でもあったんでしょうね。とはいえ行方不明者は依然と後を絶たず、捜査を中止するなんてできなかった。あたしたちは諦めず事件の真相を追い続け、ようやくある場所に辿り着いた。その場所というのが、そう、月影皇子が管轄していた研究施設。そこでは破軍の怨霊にまつわる極秘の研究が行われていたらしいの。そこで目撃したのは、無残にも、半ば〈天魔〉と融合したとしか思えない異形の亡骸が多数……」

「ま、待ってください。調伏した〈天魔〉は必ず〈弦子〉に還元され、一時的にではありますが、その場から消滅するはずです。〈天魔〉の亡骸などというものは決して存在しえません」

「だから、それは〈天魔〉じゃなかったのよ。そう、それは実験に利用された犠牲者の亡骸だったのよ。残骸と化した怪物の組織を持ち帰り後で調べて分かったことだけどね。……ま、ここまで話してなんだけど、これ以上のことは、あなたたたちにも辛い話になるわよ」

「ですが、もう、そこから目を背けることなどできません」

 鏡花が言い切った。

「なら続けるわ。結果的に捜査を続けたことで報道機関や他の捜査機関も真相を嗅ぎつけるに到り、ほかにも色々と最悪な情報が漏れてしまったわけ。それが暴動を引き起こす起爆剤となり、その挙げ句は知っての通り、あの第二次動乱よ。あたしは、その責任を取らされて役目を去ることになり、第五惑星という最前線へ送られることになった。でも右近様は連合軍に捕まり、取り調べを受けることに。そこで何が起きたのかは分からない。後に、あたしのもとへ送られてきた捜査資料は血まみれだったわ。反乱組織が命懸けで届けてくれたという、その資料には、ある霊体組織が添付されていたの。そう、暴動がさらに激しくなった時、その怪物は突如、現れたそうよ。それが異常な魔力の暴走を引き起こし、〈天蝕〉(てんしょく)を誘発(ゆうはつ)させ、次々と〈天魔〉を呼びよせた。これも後で調べて分かったことだけど送られてきた添付標本は、その怪物の組織だったの。そして、そこに残る魔力を調べた結果、それが右近様の魔力と合致しました。しかも、それが右近様から派生した異常活性化した組織であることもね。あたしは、その資料を重盛様に提出しました。それからしばらくして、ある計画が進められることが決定したの」

「―――っ」

 声もなくよろめく鏡花の息づかいが悲鳴のように深月の耳朶を打った。

「まさか今回の連合加盟の裏には?」

「ええ、重盛様はすべての汚名を被(かぶ)るつもりである計画を着々と(ちゃくちゃく)準備してこられました。我が揺光帥国の軍旗にちなんで名づけられたその名も不死鳥計画――これは次世代に輝かしい未来を模索する機会を与えるための布石です。そう、死してもなお灰の中から蘇る火の鳥のように再び未来に向けて飛び立って欲しい。そんな願いを込めて……今、重盛様は宇宙におられます」

「まさか、そんな……」全身から力が抜けていくのが感じられた。

「黙っていてごめんなさい。あなたたちには言うなと口止めされていたの」

「父は、もはや覚悟の上なのですね」必死に紡(つむ)ぎだす鏡花の声に支えられ、深月はなんとか立っていられたが、そこでまた大地が大きくどよめき、はからずも体がよろめいた。

 そのせいか外壁に亀裂が走り、天井から容赦なく破砕(はさい)がふり注ぎ始めた。

「もはや、ここは危険です!」

「どうか、すぐにも避難を!」

 衛兵らが口々に叫ぶなか、晦日校長はしばらく闇の向こう側を睨みつけていた。

「ついに何かが始まるわね。ともかく、すぐに避難よ。急いで防衛本部にもどりましょう」


 大穢土京からおよそ八十粁(キロ)ほど離れた城外区――その四方を山々に囲まれた――もと帥都の荒野に二十騎を超える〈天翼神機〉の一軍が舞い降りたのは、それより二時間ほど前のことだった。集う機種はまちまちだが、ただ一機のみ琵琶を奏でる女神(めがみ)の姿を機体に描く紫紺(しこん)色の〈血銘機(けつめいき)〉以外は、すべてが暗灰(あんかい)色に統一されており、そのいずれにも〈月下美人〉の花を模(も)した隊章が記されているので、かろうじて一つの部隊だと認識できた。

 ただし、どの機体も、およそ〈神機〉らしからぬ特殊な武器を携行(けいこう)しているので、どこか忍者めいた雰囲気を漂わせており、その特徴こそが、彼女らの遂行(すいこう)する任務の秘匿性を物語っているとも言えただろう。

「柏木(かしわぎ)よりお頭へ。西地区においても魔力の減衰が止まりません!」

 そんな報告をする機体の前には、今にも崩壊しそうな巨大な魔法陣が存在していた。

 さても、その強大な魔力に衰えが見られ始めたのは半年ほど前のことである。

 その事態を重く見た家老、重盛(しげもり)の命を受け、彼女たちがこの地の監視を続けてきたのだが、それが昨夜より、さらなる異常が認められ、ついに総員出動という事態になってしまったのだ。

「こちらも魔力減衰が急速に! 破軍の封印が何らかの異常をきたしているとしか思えませぬ」

 そんな矢継ぎ早の報告を耳にしながら〈月花隊〉隊長、響律吟子(おとなりぎんこ)は〈神機〉の魔装室に揺蕩(たゆた)いつつも表情が硬(かた)くなるのを禁じ得なかった。

 愛刀〈鬼弁天(おにべんてん)〉より召還せし〈神音壱式(かのんいちしき)〉に搭載される観測機器は彼女の意識と完全同調しており、その感覚は常の数百倍にも鋭敏化されているが、その力を最大に駆使しても未だ何が起きつつあるのかを掴(つか)めていないのが現状である。

 その思索を打ち破(やぶ)るように、やがて接近する機体の気配が感じられた。

「全機、警戒態勢を――」そこへ間髪入れずに魔掟通信が届く。

「狭霧でございます。若様が、若様がぁ!」

 常軌を逸した叫びに脳がゆさぶられた。

「いったい何ごとじゃ!」

 だが、その問いかけは次に生じた異変に掻き消されてしまった。

 荒野を支配していた魔法陣が、その術式を変化させ、そこに巨大な渦を巻き始めたのである。

 奇しくも朔洲城で反乱の火の手が上がったのは、その直後のことだった。

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月下天翼神記 大谷歩 @41394oayumu

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