第三幕 彼の狩人、又は女流作家 (2)


 アンジェが小さな肩を落とす。

「これで手詰まり?」

「そうでもない」

 ヴィクトールの目には地面にくっきりとミシャの死の痕跡が見えていた。

 のたうち、苦しみ、絶命し――そうさせた直接の死因まで。

「これは意外だな」

 思わぬ発見をしたヴィクトールは、知らず笑みを浮かべていたらしい。

 その表情を目にしたアンジェが首を傾げた。

「あなたにとって悪魔は同胞ではないとジェイが言っていたけど」

「その通りだ」

「でも、ミシャっていうこの悪魔とは面識があったのでしょう? その知り合いが殺されて、あなたはどう思ってるの?」

 嬉しい?

 悲しい?

 それとも、腹が立ってる?

「どうでもいい」

 ヴィクトールは冷めた目で彼女を見返した。

 何も思わないし、感じない。

 同情も悲哀も怒りも憐憫も。

 強いてあげるなら、軽蔑だろうか。

 ――人間ごときに殺されるとは、なんと無様な。

「文句があるのか?」

 薄情だと言わば言え。

 だが、それで責められる謂れはない。表面だけ取り繕うことに何の意味があるのか。

 それに、本心を隠すのは弱者の行いだ。

 この胸中を明かせば、例えばジェイなどはヴィクトールを潔癖だと笑うだろうが。

「別に。ただ、少し羨ましいかもしれない」

 驚いたことに、アンジェは首を横に振った。

「羨ましい? 何がだ」

「他人の生死に……いえ、きっとあなたは自分の命にもこれといった執着がないのでしょう? そういうところ」

 ヴィクトールは片眉を上げた。

「馬鹿か、君は。僕だとて死ぬのは嫌に決まってる」

「……そうかしら?」

 アンジェは菫色と露草色の瞳を煌めかせた。

 生意気な。

「では君は? 死ぬのは嫌か?」

「わたし?」

 虚を突かれたように、夢見るような双眸が瞬く。

 怯えが走った。

 悪魔との交渉にも物怖じしなかった少女が。

「絶対に嫌だわ」

 いかにも訳ありだな、とはヴィクトールはあえて口にせず「そうだろうな」とだけ返した。


 昨夜の話だ。

 晩餐を終え、客室に案内されたヴィクトールは己のしもべを呼び出した。

「お呼びでしょうか!」

 何も無い空間から季節の小振りな花と共に、ぽんっと効果音を付けて突然現れるのが、最近のキーファのブームらしい。

 危なげなく地面に降り立ったしもべを無視して、ヴィクトールはループタイを外した。

「ヴィクトール様の意地悪! あたしも豪華な御夕飯楽しみにしてたんですよ!」

「やかましい」

 続いてカフリンクスに手をかける。

「それで、首尾は?」

 キーファは不満そうな顔のまま、従順に頷いた。

「はぁい。……どうやら、こんなおんぼろ屋敷に住んでるわりに、アンジェ嬢は結構なお金持ちみたいですね。御年わずか十四でありながらビジネス界・社交界での評判は上々です」

 キーファは登場と同じ演出で小ぶりなメモ帳を取り出してペラペラと捲った。

「えっと、そもそもゴーシュ家は元は資産家だったらしいんですが、徐々に斜陽になりまして、アンジェ嬢のお母様の代で完全に没落したようですね。ちなみに、お父様はお嬢さんが小さい頃に亡くなってますから、事実上、この家は彼女一人が数年程で建て直したって感じですね」

 アンジェの年齢を除けばよく聞く話だ。

「落ちぶれた理由は?」

「お母様がコレクターだったんですって。主に骨董、特にいわく付きの物に目がなかったみたいで……そういうのってバカみたいにお金かかりますからねー」

 しみじみとキーファは嘆息した。

「ジェイとの繋がりはそこか?」

「ですね」

 キーファが神妙に頷く。

 何かあったのか、このしもべは自分と同様かそれ以上にあの男を信用しておらず、彼に対する警戒心が強い。

 きっと重点的に調査したのだろう。

「コレクションする過程でジェイさんを紹介され、以降、二人はとても親しくされていたようですね。なんとアンジェ嬢が生まれる前からの付き合いです」

 あの男にしては長いな。

「で、その母親は?」

 そこでキーファは首をひねった。

「それが、奇妙というか、気になるんですけど……なんでも大病を患ってから二年間、見舞いも断っているそうで、公けに姿を見せていないんだそうです。コレクターのコミュニティでも、誰も連絡を取っていないとか」

 これにはヴィクトールも眉をひそめた。

「確かに気になるな。二年間、誰も母親を見ていないのか? 病というなら、医者は?」

「あたしの調べによると、そうです。病気のお母様と顔を合わせるのは、使用人のミセス・ノリスとお嬢様のアンジェさん、もう一人、ゴーシュ家お抱えの医者がいたそうですが、お母様が伏せってから彼は一年程で亡くなってます」

「死因は?」

「特に検死が行われた記録もありませんし、ずいぶん御年だったみたいですから老衰でしょう」

 ぱたん、とキーファはメモ帳を閉じた。

「で、不思議な事に、以降、この家に医者の出入りはありません。そのせいもあって、お母様の病気は伝染るものだとか、実は行方不明だとか、その他諸々バラエティー豊かな噂話ばかり聞けましたよ。コレクターってやつはスキャンダルを集めるのも上手なんですかね」

 どれもこれも眉唾ものでしたけどね、とキーファは締めくくった。

「どうですか?」

「ありがちな話だが……」

 キーファの報告から推測するに、アンジェが『フランツ・フィリップの日記』を求める理由は母親にあるのだろうか。

 ヴィクトールは口の端を歪めた。

「母親の病気を治したくて、か。治療法でも探しているのか?」

「泣ける話じゃないですか」

 感じ入ったようにキーファは胸に手を当てた。

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悩める悪魔とフランツ・フィリップの日記 高橋 凌 @shinogu-t

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