第三幕 彼の狩人、又は女流作家 (1)
一抱えほどある箱一杯に届いた封筒を片端から開けては流し読みを繰り返していたメリルは、ついに勢いよくテーブルに突っ伏した。
「だ~めだあああああ‼」
衝撃で、バサバサと手紙が宙を舞い、床に落ちる。
「あ、何してるんスか! せっかくのファンレターが!」
ちょうど部屋に入ってきた青年に、メリルは突っ伏したまま絞め殺される前の子ヤギのような呻き声を上げた。
「だって、どの子もどの子も、前作が好きです。前作の続きが読みたいです。前作の方が良かったです。もう続きは書かないんですか。外伝とか読みたいです――って‼」
駄目だ、自分で言っていて胃が痛くなってきた。
頭痛い。
「そりゃ、しょうがないッスよ。先生のデビュー作で超売れ売れなんですもん」
「今作だって、前と同じで人間と悪魔のロマンスでしょ⁉ 何が不満だっていうの⁉」
「どこでしょうね~」
「編集ッ!」
適当な仕事をするな。
というか、仕事をしろ。
思わず顔を上げたメリルの手元に、ルスが小さな包み紙を置いた。
キラキラと光沢のある青い包み紙の中身は、メリルの大好物、ボンボンキャンディだ。
「これ切らしてたでしょ。好きなモンでも食べて、続き書きましょ」
ルスはにっこり笑って、無残に散らばったファンレターを拾い集めた。
「おれは先生の今作好きッスよ。それにほら、ちゃんと読めば、前のも今のも好きだ~っていう子達もいるじゃないスか」
ね、とルスは手紙を広げてみせる。
メリルは鼻を啜った。
「そうね……」
「それに、いい加減進んでくれないと締め切りマジでヤバいんで、とりあえず何でもいいんで書いて下さい」
「死ね」
言い捨てて、メリルはキャンディを口に放り込んだ。
テーブルの端に追いやっていた原稿をずりずりと引き寄せ、ペンを握り、
「……………………」
ボロリ、大粒の涙を零した。
「せっ、先生?」
目から溢れた雫が、真っ白な原稿用紙をどんどん濡らしていく。
「……やっぱり駄目。わたしに才能なんかなかったんだわ。あの本がないと、やっぱり駄目なの」
思えば、上手くいったことが間違いだったのかもしれない。
あんなに簡単に浮かんできたイメージが、今は髪の毛一筋さえ湧く気配がなかった。
「本って……先生がこの前売っちゃったやつですよね」
ルスが顔をしかめる。
「もうアレには頼らないからって、先生、そう言ったじゃないですか」
「言ったわよ!」
でも。
新進気鋭のロマンス小説家、メリル・トゥインプニットはさめざめと顔を覆った。
「でも、あの日記がないと、書けない……」
ずっと何かになりたかった。
田舎生まれの田舎育ちで、いずれ冴えない男と結婚する冴えない女にはなりたくなかった。
だから、あの日記を見つけたときは『これだ!』と思って飛びついたのだ。
結果は大成功。
メリルは今時の女の子なら知らない人はいない小説家になった。
今では大手新聞の連載さえ抱える程の。
――そんなだから、もう何かに頼らなくても大丈夫だと手放したのに。
思い上がりだった。
勘違いだった。
今の成功は、自分の力じゃないのだ。
「ルス……」
自分の背中を撫でる、いまだ年若く調子の良い担当編集に、メリルは涙でぐちゃぐちゃになった顔で取り縋った。
「ねぇルス、お願い。日記を買い戻してきて。もう一度、まだ、あれがいるの。あなたも紙面に穴が開いたら困るでしょう……」
「先生……」
ルスは弱り切った顔で、躊躇いがちに、小さく頷いた。
まるでそうするしかないとでも言うふうに。
細い路地は、大通りから一歩入っただけで薄暗く、汚らしかった。
そのネズミが這いずる地面の上で、場違いにもフリルが揺れる。
「ここだな」
「……ここであの悪魔が死んだの?」
立ち止まったヴィクトールの背後からアンジェが顔を出した。
今日の彼女はパニエでふんわりと膨らませた膝丈のワンピースを着込んでいる。
夏の盛りのような深みのある上品な緑色は少女を少しだけ大人に見せて、彼女の澄ました表情とよく合っていた。
輝く金髪にちょこんと斜めに乗った帽子の位置を直しながら、アンジェはヴィクトールを見上げた。
「ああ、間違いない」
とりあえず日記を持ち去ったのはミシャである可能性が高いので、その足跡を追ってきたのだが、アンジェの期待に反して、ここ、終点に至るまで発見することはできなかった。
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