034「必殺技」

「やっぱりここだったか……」


 思った通り、大曲おおまがりは病院の前にいた。ここらへんで一番大きな大学病院で、重傷の患者は大体ここで治療をうける。生前、大貫おおぬきさんが入院していた場所であり、幼い大曲おおまがりが運び込まれた場所。


 そして、大曲おおまがりの家族が亡くなった場所だ。


 大曲おおまがりは入り口の大きな扉の前で黙って佇んでいる。公園を走り去って行った時と比べて随分おとなしくなっているが、あまりにも静かすぎて不気味に見える。


 普段は人の出入りが多い場所なのに、なぜか全く人がいない。大曲おおまがりの取り巻く異様な雰囲気が人を遠ざけているらしい。


「……大曲おおまがり。帰るぞ」

「……」


 背中越しに声をかけるが、全く反応がない。微動だにせず、病院の入り口をじっと見つめ続けている。


「説教したいことは山のようにあるが、それは後だ。ともかく【黄昏】を出るぞ。完全に日が落ちきっちまった。これ以上は危険過ぎる」

「……」

「おい、聞こえてんのか?」


 大曲おおまがりの肩に手をかける。それでも大曲おおまがりは何の反応も示さない。人間が通常起こす反射的な動きすらもない。


 大曲おおまがりの正面に周りこんで表情を確認したが、こちらも様子がおかしい。いつもの緊張感のないヘラヘラした感じじゃない。痛々しいほどに真面目で、悲壮感が伴った瞳をしている。


 前に立っている僕のことも、視界に入っているはずなのに何のリアクションもない。見えているのに見えていない。僕のことを認識出来ないほどに何かを見ることに集中しているらしい。


「…………どこ?」


 半開きになっていた口から、大曲おおまがりは言葉をこぼした。

 一度こぼれると、ぽろぽろと言葉が続いた。


「どこ? どこ?どこ? どこにいるの? お母さん、お父さん、お兄ちゃん……」


 ああ、やっぱりか。


 コイツは家族を【黄昏】から解放するつもりだ。


 思えば、コイツはずっと【黄昏】からの「救い」にこだわっていた。

 意識的なのか無意識なのかは分からないが、大曲おおまがりは一家心中で亡くなった自分の家族が【黄昏】にいるかもしれないと予感していたのだろう。


 そしてこれも自覚があるかどうかは分からないが、その家族をこの【黄昏】から「救い」たいと感じていた。


 ただ、そんな「救い」は滅多に起こらないと僕は念押しし続けたし、その難しさを大曲おおまがり自身も何となく理解していたんだろう。だから、多分その気持ちが表面に現れることは無かった。


 しかし、桂木かつらぎさんの荷物によって大貫おおぬきさんが解放された。

「救い」の瞬間を目にしてしまった。


 そのせいで、抑え込んでいた気持ちが溢れてしまった。

 推測だけど、多分、そういうことだろう。


「……お前が考えていることは何となく分かる。でも、今じゃなくていい。一回時間を置いて、ちゃんと準備してからの方がいい」


 大曲おおまがりがやろうとしていることに、同情がないわけではない。過酷な運命を背負っているあいつの心が軽くなるなら、協力してやりたいとも思う。


 でも、それは今である必要は無い。


 流石に僕も体力と精神力は限界だし、いかに大曲おおまがりが【黄昏】の中で長年過ごしてきたとはいっても、これだけ気持ちが揺れ動けば危険は未知数だ。


 だけど、大曲おおまがりには僕の呼びかけが全く届いていない。

 ずっとぶつぶつと低い声でつぶやき続けている。


「今、今助けてあげるからね。スグに見つけて助けてあげる、今、救ってアゲルカラね」

「……大曲おおまがり、大丈夫か?」

「救ってアゲルカラ、だかラだかダカら、そのとキは、アタシのことも、連れテイッテ。アタシモアタシモ、ツレテイッテ、ツレテッテ、置イテいかナイデ……」

「おい、大曲おおまがり!!」


 完全に口調がおかしい。身体もガクガクと震え始めている。目も大きく見開かれて、焦点があってない。


 どう考えても異常事態だ。

 これじゃあまるで、昨日の大貫おおぬきさんみたいじゃないか。

 完全に【黄昏】の住人になろうとしているような……。


「……!! 大曲おおまがり! しっかりしろ!!」


 嫌な予感がして正面からの肩をつかみ、大きく揺らす。

 まずい。まさか、コイツ……!


「……うるさい!!」


 突然、僕の身体が宙に浮いた。大曲おおまがりが僕を真上に放り投げたのだと気づいたのは空中で落下し始めたことに気がついた時だった。受け身をとれずに背中を強く打ち付け、一瞬息がとまる。


 いくら僕が小柄といっても、大曲おおまがりの細腕で数メートルも僕を放り投げることができるとは思えない。力のリミッターが外れてしまっているみたいだった。多分放り投げた腕も無事ではないだろう。


「救ウ。解放スル。モウイチド、アタシヲ見テモラウ、ツレテイッテモラウ……ミンナヲタスケテ、アタシモ救ワレル……」


 僕を投げ飛ばしたことなんて忘れてしまったように、大曲おおまがりがフラフラと病院の扉に向かって歩き始める。


「ちくしょう……なんで一日に二回も歳下の女の子に放り投げられないといけないんだ……」


 一人つぶやきながら、僕は頭の中がバチバチと弾けるのを感じていた。元の絵が思い浮かんだ途端、不揃いに見えたパズルのピースがはまっていくように、色んなことがつながり始める。


 大曲おおまがりが生きながら【黄昏】にいる理由。それは、生と死の境界線が常に曖昧な状態になっていたからだ。一家心中の中で自分だけが生き残るという壮絶な体験から、この世の全てに対して興味を失い、ヤツは徹底的に投げやりに、ありとあらゆる人やモノとの「つながり」を放棄するようになってしまった。


 それは、常人には想像もつかないような過酷な状況ではあるが、皮肉なことに大曲おおまがりのそのあらゆることに期待しない精神状態のおかげでヤツは【黄昏】で生き続けることができていた。「望み」を持つことで死に至るこの【黄昏】の中で、なにも望まず投げやりに生きていたからこそ、大曲おおまがりの身体は奇形の死体とならずに済んでいた。


【黄昏】に迷い込んだ理由のおかげで【黄昏】で生きられている。そんな中途半端な【黄昏】の住人が大曲おおまがりななみという人間だった。


 しかし、今、大曲おおまがりは「つながり」と「望み」を同時に手に入れた。

 家族とのつながりと、彼らを救いたいという望みだ。

 桂木かつらぎさんと大貫おおぬきさんの一件で、すでに消滅していたと思っていた自分と家族との「つながり」を再認識してしまった。その上、大貫おおぬきさんが救われる瞬間を目撃し、それが「望み」となってしまった。


 そうなってしまえば、大曲おおまがりが長年保ってきた絶妙なバランスは崩壊してしまう。


「依頼書」から大曲おおまがりの印が消えてしまったのは多分そのせいだ。大曲おおまがりは今までの特殊な【黄昏】の住人としての立ち位置が剥奪され、単に生きながら【黄昏】に迷い込んでしまった訪問者とされてしまった。


 奇形殺人の被害者たちと同じように。

 並木楓なみきかえでと同じように。

 そして、かつての僕と同じように。


「ミンナドコ? ミンナドコ? ミンナドコ? アタシ、ココニイル、病室ニイル? モシカシテ車ノ中? 昔ノ家? ドコ? ドコ? ドコ? ミンナドコ? モット見タイ、モット見エルヨウニナリタイ……モットモット見タイ。ミタイミタイミタイ……」


「……!!」


 大曲おおまがりの呼吸が荒くなり、目が爛々と光り始める。

 大曲おおまがりが望む通りに、やつの両目がより遠く、より広くを見ようと、ぎょろぎょろと無茶な動きを始めている。


 まずい、完全に、僕の時と同じだ。


 身体中に緊張がはしる。内蔵がひっくり返るような恐怖と焦りが全身を支配する。これから起こる事を想像し、かつて自分の身に起きた事が思い出され、身体がガクガクと震え始めた。眼帯の下の空洞が頭を中から揺すぶるような感じがする。


 このままでは、大曲おおまがりの目は使い物にならなくなってしまう。自分の望みに身体が耐えきれず、崩壊を初めてしまう。


 まずい。どうする、どうすれば……?


 焦りが正常な思考を奪う。具体的な考えが全く浮かばず、「どうしよう」という焦燥だけが頭の中を埋め尽くしていく。おぼれているみたいに呼吸がおぼつかない。手が震えて、どうにも考えがまとまらない。雲をつかむみたいに頭の中で言葉が固まらない。



 落ち着け。そして、全力で思い出せ。

 あの時、僕が【黄昏】で死にかけた時、僕は何をしたっけ?

 何を、してもらったっけ?



『あなたは、ここに来ちゃ、ダメ』



 突然、彼女の言葉が蘇る。

 本当に耳元でささやかれたかのような感覚が、僕を一気に正気に戻した。


 そうだ。あの時……。

 大曲おおまがりがあの時の僕と同じ状態になっているなら……。


「……あった」


 僕はポケットをまさぐり、目当てのモノを引っ張り出した。そして、大曲おおまがりに向けて真っ直ぐに構え、出力を最大に設定して電源を入れた。


 爛々と光り続ける瞳を僕に向け、ぎょろぎょろと動かした。

 時は一刻を争う。手加減は無用だ。


「昨日の仕返しだ。悪く思うなよ……!」


 残った力を振り絞って、一気に距離を詰める。

 そして、ヤツの両腕をかいくぐり、首元にそれを押し当てた。



「くらえ! あきおヴォルテッカー!」



 叫びながらスイッチを入れる。バリバリという強い音と、肉が焼け焦げる強烈なにおいが立ち上った。




「ぐ、ぐへぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」




 大曲おおまがりは、聞いたことのないような強烈な断末魔を上げた。

 そして、全身から力が抜けたように、僕の方に倒れ込んできた。


 それを何とか受け止める。完全に力が抜けた大曲おおまがりの身体は重かったが、何とか支えてその場に寝かす。


 大曲おおまがりは酷く荒々しく息を吐いていたが、徐々に正常な呼吸に戻っていった。

 見たところ、身体に酷い外傷はない。取りあえず、急場はしのげたみたいだ……。


 安堵が胸の奥からせり上がってくる。僕も、早く【黄昏】を出ないと……。


「……やっぱ、ヴォルテッカーはダサかったかな……」


 そう独りつぶやきながら、僕は自分にスタンガンをあてた。

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