033「回想〜大曲ななみ②〜」

 次に目を覚ました時、あたしは病院にいた。

 随分長いこと眠っていたらしい。


 あたしが目をさますと、お医者さんが神妙な顔をしてやってきて、ことの顛末を教えてくれた。



 お父さんとお母さんは自殺を図ったこと。

 お兄ちゃんとあたしはそれに巻き込まれたこと。

 そして、お父さんとお母さん、お兄ちゃんは死に、あたしだけが運よく生き残ったこと。


 あたしはその話をぼんやりと聞いていた。突然のことばかりで、全く理解が追いつかなかった。一家心中とか、練炭とか、言葉の意味も難しくて分からなかったし、事業とか借金とか生命保険とか言われてもイメージが出来なかった。


 でも、不思議と自分がひとりぼっちになったということはスグ分かった。


 最後のお父さんとお母さんの会話を思い出す。

 お父さんとお母さんは、この世界の苦しさから逃げ出したのだ。

 幸せな、閉じた世界へと逃避したのだ。

 お兄ちゃんはそこに連れて行ってもらえた。

 でもあたしだけが、この世界に取り残された。


 皆、あたしをこの世界に捨てていったのだ。


「……どうして、あたしだけ?」


 そんな答えのでない問いかけが、しばらくの間あたしの頭の中を埋め尽くした。病院のベッドの中で何度も何度も最後の二人の会話を思い出して、自分が捨てられた理由を考え続けた。


 でも、どんなに考えても、結局答えは出なかった。

 自分が皆に置いて行かれたという事実だけがそこにあった。

 自分が完全に「いらない子」であるという事実だけがそこにあった。


 それを自覚していく中で、あたしは段々と考えるのをやめ、この世界に対して一切の期待を持つことをやめていった。



 退院後、あたしはお父さんの姉の家に引き取られた。親戚たちは皆善人だった。あたしの境遇をきいて、涙を流さんばかりに同情し、沢山暖かい言葉をかけてくれ、あたしを何不自由なく育ててくれた。


 でも、申し訳ないことに、あたしはその親戚達のとのことをほとんど覚えていない。正直、名前さえもうろ覚えだった。


 心中騒動があった後から、あたしの記憶力は著しく悪くなっていた。何かを覚えるということが極端に苦手になった。


 なんというか、眠って起きるとすべてが無かったことになる夢みたいに、自分の中に記憶が積み重なる感覚がなくなった。


 いや、むしろ未来になんの期待も持たなくなったから、記憶なんてものはあってもなくてもいいものに思えたから、そもそも覚えようとすることをやめてしまったのかもしれない。


 ともかく、何も記憶に残らないから、常にその場の会話だけ合わせてやり過ごした。適当に話を合わせて相槌をうったり、悪ふざけをしてその場が盛り上がることに徹した。


 皆に失礼なことを言っていたかもしれないけど、気にしなかった。仮に嫌われて、親戚の家を放り出されたとしても、別にいいと思っていた。


 捨てられたあたしがこの先どうなろうが、ほんとうにどうでも良かった。かまって欲しいとか、気にかけて欲しいとか、そういう魂胆一切抜きに、あたしは自分の未来になんの期待もなかった。



 変な話だけど、未来に対する期待を全部捨てると、人はなんでもできるようになる。できるようになってしまう。殺人だろうが放火だろうが売春だろうが、なんでもだ。


 他人に迷惑をかけようと、病になろうと、刑務所に入ろうと、死刑になろうとかまわない。


 だって、どうせ捨てられているんだから。すでに死んでいるのと変わらないのだから。


 一応、あたしは目立った悪事をすることなく高校を卒業したけれど、そういうことをしなかったのは、単にする機会や状況がなかったからってだけだ。


 いや、もしかしたら本当はひどい悪事に手を染めていて、もうそのことすら忘れているのかもしれない。別に、それでもかまわないけど。




 そんな風にテキトーに生きていたから、街中のいたるところに化け物が現れるようになっても、あたしはそれほど気にしなかった。


 多分、高校生に入ったばかりの頃だったと思うけど、腕が異常に多かったり、脚が異常に長かったり、身体中から触覚のようなものが生えていたりする化け物たちが、夕方ごろから夜にかけて現れるようになった。

 その化け物たちはみんなわけの分からない悲痛な声を上げて自らの身体を痛めつけ続けていた。


 初めてその化け物をみたときは、その異様な見た目にそれなりにぎょっとしたような気がする。でも、すぐに慣れた。いや、正しくは、どうでもよくなった。


 仮にあの化け物があたしを襲ったとして、何が起こる? どうせ一番悪くて「死ぬ」だけだ。なら、今とさほど変わりはしない。気にする必要はない。


 それに、あの化け物たちの方も、あたしに完全に興味がなかった。こちらを見ようともせず、いつもなにか忙しそうに、必死に何かを求め続けている。自分の世界に閉じこもっていた。


 彼らにとって、あたしなんていてもいなくても同じだった。お互いがお互いに興味がない。そう思うと、自然と気にならなかった。


 ただ、なんとなく、本当になんとなくだけど、そんな彼らの姿は、あの車の中でみたお父さんとお母さんの姿に似ているような気がした。


 



「……それはね。【黄昏】の住人だよ」


 そう教えてくれたのは、曲淵まがりぶちと名乗る初老の男だった。


 高校を卒業してテキトーな理由をつけて親戚の家を出たあたしに、「その目が気に入った」などと言って話しかけてきた男だった。あたしにぴったりな仕事をくれるというので。ついていった。


 普通に考えれば明らかに怪しかったが、あたしにはどうでもいいことだった。どんな仕事だろうとかまわなかった。仮にひどい目にあっても、まあ、最悪死ねばいい。そのくらいの感覚だった。


 「黄昏運送」とかいう会社は、あたしが言うのもなんだけど、変な会社だった。いるのは社長と偏屈な眼帯男一人だけ。運送といいながら荷物はほとんど運ばない。ほとんどこの眼帯男と話をしているうちに一日が終わる。こんな変な会社、世界中探したってどこにもない。


 でも、居心地は悪くなかった。酷い仕打ちを受けるわけでもなく、他人に迷惑をかけるわけでもない。残りの人生に何も求めないあたしにとって、何もしない会社は時間をつぶすのにちょうどよかった。


 かといって、自分の生き方が変わるほどでもなかった。都合が悪くなったらいつでもやめればいい。ただ、今がやり過ごせればそれでいい。あたしの人生はずっとそうだった。これからもずっとそのつもりだった。




 「黄昏運送」にお客がやって来て、初めて依頼を受けることになった。桂木かつらぎという高校生がやってきて、大貫おおぬきという死者に荷物を届けたいという。本当にこんな会社を訪ねる人間がいるなんて思わなかったから少しだけ驚いた。


 依頼に先立って、先輩にあたる千曲川ちくまがわは、あたしが業務について何も覚えていないことに怒り狂い、それから妙に熱心に【黄昏】という場所について何度もしつこくあたしに教えた。


 いくらあたしが物覚えが悪いというか、記憶障害といえるほどに覚えることに執着のない人間であったとしても徹夜で何日もテストを繰り返されれば、嫌でも覚えてしまった。


【黄昏】という場所の特徴、【黄昏】の中の歩き方、【黄昏】に流れ着く人、自分たちの仕事、そして「救い」……。あの男の旧時代的なスパルタによって頭に残った知識で、今のあたしの現状も知ることができた。


 あたしはずっと、何年も【黄昏】の中にいる。しかも生きながら、だ。そんなことができているのは、自分がこの世界に対して何の期待もしておらず、何の望みも持っていないから。千曲川から教わった話と自分の中の知識を結び付けるとそういう結論になる。


 そう言われてみれば納得できることも多かった。『依頼書』に印が押せたのも、不思議ではなかった。正しい手順ではなかったけれど、自分もほとんど【黄昏】の住人みたいなものだったからだろう。


 でも、それが分かったところで、あたしにとっては特に意味はなかった。あたしの日常が変わるわけではないし、変えようとも思わない。「ふーん、あっそ」以上の感想を抱くこともなかった。





 ただ、妙に印象に残った話もあった。

【黄昏】にやってくる人々の「未練」と、【黄昏】からの「救い」についてだ。


 生きているうちに残した強い未練、それを【黄昏】の住人達は永遠に追い続けている。その未練がなくなれば住人は解放され【黄昏】から解放される。そんな「救い」がこの世界にある。


 それを知った時から、頭の奥底で、小さく何かがざわめき始めるのを感じた。


 最初はとても小さい違和感だった。眠っている時に遠くで聞こえる耳障りなアラームみたいなモノだった。だけど、千曲川と【黄昏】に入り、依頼が進むにつれて、そのざわめきは大きくなった。


 自分が、何かに気づこうとしている。いや、むしろ、何かに気づかないように押さえつけている。そんな感覚。


 いったい何を? あたしは何を抑え込んでいるのだろうか。

 それは、抑え込むべきものなのだろうか。


 桂木かつらぎ芽衣子めいこの荷物の中身と想いを聞いた時、そのざわめきはよりはっきりと形をもってあたしのなかでうごめき始めた。


 正体不明の感情が、自分の中で暴れている。全てどうでもいいと思っていれば感情のコントロールなんてどうにでもなっていたから、制御出来ない感情が自分の中にある事が意外だった。どうすればいいかわからず、必死に無視し続けた。


 なんなんだろう。自分の中に、何がいるのだろう。


 そして、大貫おおぬき彩乃あやの桂木かつらぎ芽衣子めいこの想いを受け取った時、つまり彼女が「救われた」瞬間だった。


 自分の頭の中を、その「何か」が突き破った。


 抑え込めなくなった色んな感情が爆発し、身体の隅々にまで広がっていく。

 随分久しぶりに自分の身体がそこにあることを感じる。

 身体中に力がみなぎっていく。身体がちゃんと自分の意志で動くのを実感する。


 自分が「生きている」ことを、自分自身が理解していくような……。



「そっか。そっかそっか」


 自然と顔がほころぶ。

「救い」はある。この【黄昏】から死者を解放することが出来る。


 なら、それなら、この【黄昏】のどこかにいるはずの、お父さんとお母さんとお兄ちゃんを救ってあげることができる。

 それができたら、きっと皆よろこんでくれるはずだ。消えていった大貫おおぬき彩乃あやののように、あたしの想いを受け取ってくれるはずだ。



「そしたら……」



 もう一度……あたしのことを見てくれるかもしれない!

 あたしは「いらない子」じゃなくなるかもしれない!

 あたしのことを、もう一度拾ってくれるかもしれない!!



「そしたら、そしたら……!!」



 あたしも一緒に連れて行ってくれるかもしれない!!!



 そう思うと、もういても立ってもいられなくなった。

 勝手に、足が動き出す。早く皆の所に行きたい。


「マッテテ、マッテテ……」


 アタシの足は勝手に動き始めた。

 皆はどこだろう。病院? そうだ。病院だ。みんなそこで死んだんだから……


「マッテテ、マッテテ、マッテテ、マッテテ……」


 つぶやきながら、アタシは一歩ずつ歩き始めた。

 踏み出した足の裏に、本当に久しぶりに地面が押し返す感覚があった————

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