031「『救い』と狂気」
「
色々あって忘れていたけれど、
こうして改めて正面から笑いかけられると、あまりのまぶしさに目を細めてしまいそうになる。
こんなに綺麗で、心優しい女性と知り合えたことを、僕は誇りに思う。
だけど、だからこそ。
これから起こるであろうことに、心が痛む。
「せんぱい、顔がキモいっすよ! 得意の妄想はおうちに帰ってからして欲しいっす!」
「……」
「……? あれ、せんぱい? 反論しないっすか?」
本当に、残念だ。
「せんぱい、どうかしちゃったっすか?
「……そうだな」
「あ、あれ? せんぱい、本当にどうしちゃったっすか?!」
悪いが、付き合う気になれなかった。
「……しっかし、本当に美人っすよねー
今、
正確に言えば、彼女の輪郭がボンヤリと光始めている。
柔らかい光が彼女を包み、ほろほろと崩れ始めている。
「これ、なにが起こってるっすか?」
「……
【黄昏】は死してなお、強い未練を持つものが流れ着く場所。
その住人たちは延々と、自らの姿さえ失いながら、答えのない未練を追い続ける。
では、その未練が無くなったら?
簡単だ。その者は退場を余儀なくされる。
普通の死者と同様、完全にこの世界から消える。
これが、「救い」だ。
「……残念です。僕も、もっとあなたと話したかった」
「……嬉しいです。でも、仕方ありませんよ。私はもう死んでいるんです。それが正しい姿です」
悲しげで、でもどこか満たされた表情で、
日の光が水面に映るように、彼女の姿が揺らめき出している。
「せんぱい、これどうなっちゃうっすか?
「どうもしない。元に戻るだけだ」
「どこにいっちゃうっすか?」
「どこにもいかない。これで終わりだ」
「……もう、会えないっすか」
「……ああ」
僕が絞り出すように言うと、
そして、わずかにわなわなと震え始めた。涙をこらえるような静かなうめき声をあげている。
たった二日間しか関わっていないけれど、彼女が素敵な人間だということは充分に分かった。どれだけ想われる人であるかも、どれだけ人を想う人であるかも、痛いほどに分かった。
僕たちは所詮部外者だ。ただの運送屋でしかない。
それでも、形式的な言葉じゃなく、心から、彼女の冥福を祈りたい。
「あ、そうだ!」
空間にとけるみたいに、徐々にその姿が薄まっていく
「
「うお! ホントだ!」
言われて思い出す。感傷的になるのはまだ早かった。
受け取りの印を彼女からもらわなければ、
そんなことをお客から言われて思い出すなんて、僕も相当に動揺していたらしい。
僕はすぐに
そして、気がついた。
受領印に
「……うぉあああ!」
思わず叫び声が出る。自分でも驚くような素っ頓狂な声がでた。
「
「い、いいえ何でも……」
や、やべえ。やっちまった!さっき話聞いた時に
これ、いけんのか? 印鑑欄の空いてるところに押してもらえばいいのか?
でも、そんなことしたら「なんで二つ押してあるんですか?」って絶対に
その時「片方は
「配達依頼書」には【黄昏】の住人でしか印を押せない。その事実こそ、僕らの仕事の根幹であり、大前提だ。
ど、どうする? このままでは……。
「あの……多分私、あんまり時間なさそうなんですけど……」
「も、もちろんです。もう少し、もう少しだけ……」
祈るような気持ちで、もう一度「配達依頼書」を見る。そんなもの、何度見ても状況が変わるはずがないのに……
「……?」
どうも、「配達依頼書」の様子がおかしい。
受領印の欄の
火のついた導火線が徐々に灰になって消えるように、印が煙を上げながら消えていっている。
それからものの数秒で、
いったい、何が……?
「
大分輪郭のぼやけた
いかん。ともかく、印をもらわなくては……!
「お待たせしました。もう大丈夫です! こちらにお願いします!!」
「あ、はい。ええと……」
「……これで、メイちゃんに受け取ったって伝わるんですよね」
「はい。ばっちりです。……ごめんなさい。締まらない最後で……」
「いえいえ。湿っぽくなりすぎるのも嫌でしたから」
そう言いながら、
その笑顔に心から安堵すると共に、こんなに優しい人がいなくなってしまうことがやるせなかった。
「……そろそろ時間ですね。お二人とも、本当にありがとうございました。どうか、ご達者で」
「僕らこそ、ありがとうございます。
「メイちゃんを、よろしくお願いします」
その一言を最後に、
「……最後、
つくづく、この二人のつながりは、羨ましいくらい強くて綺麗だ。
きっと、そのつながりは「死」なんかに負けない。本当にそう思う。
「……さて、現実にもどるぞ、
あたりは既に陽が落ちかけて、いよいよおどろおどろしい色合いに変わりつつあった。妖怪変化が色めきだつ逢魔が時だ。仕事も終わったし、とっとと退散する方がいい。
「ああ、そうだ。『依頼書』の件は社長には言うなよ? もらい忘れそうになった、なんてバレたら一生馬鹿にされそうだ」
「……」
「おい、なんだよ。お前だって責任の一端はあるんだからな。そもそもお前あそこに印なんか押さなければ……」
「…………」
「わかったよ。なんか奢るから黙っててくれ、前言ってたラーメンでいいならこの後にでも……」
「……………………」
そんなにも「救い」の光景がショックだったのだろうか。こんなにも動揺している
「……
慰めるように
「………………………………きひひ」
聞いたことがないような、不気味な笑い声がした。
「……お、
僕の呼びかけを無視して、
「きひひ。きひひひ。きひひひひひひひ」
明らかに、僕の声が聞こえていない。どう考えても様子がおかしい。なにか暗い、危険な雰囲気がする。
「きひひひ。本当にあった。『救い』は本当にあった。あった。『救い』はあった。本当にあった。きひヒヒ。これデ、コレで、助けラレル。コレデ皆ニ会エル。皆、今イクカラネ。イマイクカラネ。アタシガタスケテアゲルカラ。『救ッテ』アゲルカラ。マッテテ。マッテテ。マッテテ、マッテテ。スグ、スグニイクカラ、キヒ、キヒヒヒヒ、キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」
狂気じみた高笑いをあげ、
やばい。これは……何が起きてるんだ?
「おい!
僕がそう叫ぶか叫ばないうちに、
「マッテテ、マッテテ……」
そして、そんなうわごとを残し、瞬く間に公園から走り去って行った。
一瞬見えた表情は、いつものヘラヘラした顔じゃない、狂気に満ちた笑顔だった。
「……どうなってんだよ」
取り残された僕のつぶやきが、ぽつりと公園に落ちた。
そういえば……昨日も、こんなことあったな。
ひどく混乱する頭の中、ボンヤリとそんなことを思った。
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