029「フリ×フリ大作戦」

「決まってるだろ。迷惑だと思ってたよ」


 遠くで声がした。男の声だ。随分久しぶりに自分以外の声を聞いた気がする。いや、どこか聞き覚えがあるような気もする。つい先日聞いたような……。


 いや、そんなことはどうでもいい。

 今、なんて言った?


「だから、迷惑だと思ってたって言ってんだよ。桂木かつらぎ芽衣子めいこは、お前のこと」


 もう一度男の声がする。今度ははっきりと聞き取れた。しかし、言葉の意味が分からない。


 桂木かつらぎ芽衣子めいこ? メイちゃん? どうしてこの男はその名前を知っている?


 迷惑? 誰が? 何に?


桂木かつらぎさんはな、お前のこと迷惑だと思ってたんだ。毎日のように気をつかって見舞いに行ってやってるのに、辛気くさい顔ばっかりしてな。でも、仲が良かった手前、見舞いに行かないとお前が傷つくんじゃないかって渋々病院に向かってたんだよ」


 どうして、そんなこと、この男が……。


「見舞いにいく度に弱ってくお前を見てると、普通に生きている自分が悪いことしてるような気がして気分が悪かったって。だからといって見舞いに行かないとそれはそれで自分が悪いことしてるみたいに感じたって」


 男の言葉が頭の中をかき回す。


 何を言っているんだ、と反論する自分がいる一方、そういうことがありえるかもしれないとも思う自分もいた。


 一度そう思ってしまうと、男の言葉が思考の中になだれ込んでくる。


「病人扱いするのも悪いかと思って、わざわざ自然な話題を準備してから病院向かったって言ってたぞいつまでもお前のことで重い気分になるのがしんどかったともな。だから、迷惑だって」


 ……そんな、メイちゃんがそんなこと言うはずない。


 でも、本当はそうだったのかもしれない。私が知らないだけで、メイちゃんは私を迷惑に思っていたのかもしれない。ずっと扱いに困っていたのかもしれない。


 それは、否定しきれないし、むしろさっきまで私もそれを疑っていた。


「ああ、最後の日のことも言ってたぞ。お前が付けてたカツラのこと。みすぼらしくて見てらんなかったって。カワイソウだから無視してやってたのに、わざわざ自分から触れやがって。人の善意を無視しやがって。何考えてやがんだ。それで嫌気がさして、もう見舞いには行かないって決めたんだってよ」


 そんな……そんなこと……。

 ありうるの? いや、ありうる。そうかもしれない。

 私自身、そう思っていたはずだ。


 でも、でも……。


「最後の方は早く死んで欲しいって思ってた。お前が死んでホッとしたってよ」




「そんなこと、メイちゃんが言うはずない!!」




 身体中が燃えるように熱くなる。この感情はなんだろう。


 怒り? 悲しみ? 痛いところを突かれたばつの悪さ? それとも自己嫌悪?


 分からない。それでも抑えきれず、声の方向に全部の感情をぶつける。



 感情に自分の髪が呼応する。声がする方向にむかって大量の髪を伸ばし、声の主を縛り上げ、自分の目の前まで引きずり込む。



「お前に、何が分かる!! メイちゃんの何が分かる!!! あの子は優しい子だ!!! 私を慕ってくれた、私のことを大切にしてくれた、私に綺麗な未来を見せてくれた、私に死を受け入れるだけじゃなくて、立ち向かう勇気をくれた!!!」



 そうだ。メイちゃんがどんなことを思っていたとしても、彼女がくれたものは全部本物だ。絶対にそうだ。二人で過ごした時間が、あの時の表情が、病人への気づかいとか同情の産物なわけがない。



「お前に、何がわかる!! お前なんかに!! 何が!!!」



 髪の締め付けをより強くする。この男、許さない。


 私たちのこと、知りもしないでメイちゃんのことを、メイちゃんと私の日々のことを馬鹿にしたこの男を、私は、絶対に……!!




「ほら、本当はあなたが一番わかってるじゃないですか。桂木かつらぎさんがどんな人か」




 縛り上げられながら、男はそう言った。


 はっとして男の顔を見る。随分小柄な男で、目には奇妙な眼帯がある———







「うわー!! せんぱいーーー!! 大丈夫っすかーーー!!」


 大曲おおまがりの悲鳴がかなり下の方から聞こえる。いつもはヤツの頭のほうが上にあるので、奇妙な感覚だ。


 僕は突然伸びてきた大貫おおぬきさんの髪の毛に縛り上げられ、上空に持ち上げられていた。すでに四〜五メートルほど持ち上がっており、このまま落ちたら流石に無事では済まないだろう。


「大丈夫だ。大曲おおまがり、そのままそこにいろ!」


 上空から大曲おおまがりに向かって指示を出す。正直めちゃめちゃ怖かったが、この位は想定内だ。むしろここで心を乱せばもっと大変な事態になる。必死に平常心を維持しようと、呼吸を強く意識する。


 持ち上げられたまま、僕は桂木かつらぎさんの心情をでっち上げて叫び続けた。


 気をつかっていただの、迷惑だっただの、死んでせいせいしただの……。思ってもないことを思いつくままにぶつけ続けた。


 僕が叫ぶ度、徐々に髪の毛の縛りがきつくなっていく。苦しくて仕方がないが、それはちゃんと言葉が届いている証拠だった。


 大貫おおぬきさんのことをあれだけ大切に思っている桂木かつらぎさんが、大貫おおぬきさんに「早く死んで欲しい」など、そんなことを思っているはずがない。客観的に見れば当たり前過ぎる話だ。


 でも、死によって分かたれ、永遠に混じり合わないねじれの位置関係にある二人は、どんなに小さなひずみでも拡大解釈してしまう。


 あの時、本当は自分が悪かったんじゃないか。自分の言葉が相手を傷つけたんじゃないか。もっとかけるべき言葉があるんじゃないか……。


 そんなことで頭がいっぱいになると、冷静な判断はできない。「桂木かつらぎさんが大貫おおぬきさんのことを嫌っている」なんて、あり得ない結論でさえも、真実めいてくる。


 だからこそ、この作戦だ。


 どれほどおかしなことを自分が考えているか、同じ考えの他者の言葉を聞くことで認識する。誰かがやっていると、冷静にそのおかしさを実感出来る。「人のふり見て我がふり直せ」の精神の体現。それが……



「フリ×フリ大作戦だ!」

「せんぱい! クソダサいっす!! まん中の×が特に!!」



 大曲おおまがりの叫びが聞こえたあたりで、僕は髪の毛の箱の中に引きずり混まれた。


「うぉぉぉぉおおおおお!!」


 強い引力で引き込まれた先は、髪で出来た四角い部屋だった。目の前には、恐ろしい形相で僕をにらみつける大貫おおぬきさんがいた。


「お前に、何がわかる!! お前なんかに!! 何が!!!」


 怒りのままに叫ぶ彼女の姿をみて、僕の予想が当たっていたことが分かった。


 彼女は、やっぱり、ずっと最後まで、桂木かつらぎさんのことを大切に思っていた。


 桂木かつらぎさんが大貫おおぬきさんのことを想い続けていたように。


 そのことを伝えるために、僕はできる限り優しく言った。



「ほら、本当はあなたが一番わかってるじゃないですか。桂木かつらぎさんがどんな人か」


「……!!」


 その瞬間、僕を縛っていた大貫おおぬきさんの髪が緩まる。その瞬間すぽっと髪の輪から抜け、そのまま真下に落っこちた。地面には彼女の髪が敷き詰められており、着地の衝撃はほとんどなかった。



「……あなた、見覚えがあります。千曲川ちくまがわ、さんですね」



 大貫おおぬきさんは警戒心をむき出しにして僕をにらみつけた。


 改めて彼女の表情を見る。流石に少しゆがみはあるが、【黄昏】に一日いたわりにはさほど顔のパーツの変化はない。髪の毛を伸ばすことに集中しすぎていたからだろう。


「覚えていただいて嬉しいです。黄昏運送の千曲川ちくまがわです」

「何をしにきたんですか」

「運送会社が家に来る理由なんて一つしかありませんよ」


 真っ直ぐ大貫おおぬきさんの顔を見つめながら、僕ははっきりと言った。


大貫おおぬき彩乃さん。お荷物をお届けに参りました。桂木かつらぎ芽衣子めいこさんからです」



 僕の言葉に、大貫おおぬきさんは目をそらした。



「……昨日も言ったはずです。受け取る気はないと」

「なぜですか?」

「……」

「代わりにお答えしましょう。多分、あなたは怖がっている。自分の予想が正しかった時のことを。本当に、桂木かつらぎさんが自分のことを嫌っていたらどうしようと。自分の間違いが形になってしまうことが、怖いんでしょう?」


 大貫おおぬきさんがぴくっと反応する。それだけで、正解だと言っているようなものだった。


 気持ちは分かる。答え合わせはいつだって怖い。自分がしたことが相手にどう伝わっているか。相手がどう思っているか。それがはっきりすることは、どんなことでも怖い。その気持ちに生者も死者も関係ない。


「あなたの未練。それは桂木かつらぎ芽衣子めいことの最後の日のこと……。あの日のひと言がどう思ったについてでしょう? あなたはその未練を解決したいと思っている。その解決に、僕らのもってきた荷物が重要なことは分かっているはずです」


 僕が坦々と自分の予想を言葉にしていくのを、大貫おおぬきさんはただ黙って聞いていた。


「でも、もしこの荷物で本当に彼女があなたのことを嫌っていたと分かってしまったら。そんな厳しさには耐えられない。だったらいっそ、このまま悩み続ける方がいいと。永遠にこの【黄昏】の中で、出るはずのない答えを求め続ける方が幸せなのではないか、とね」


 【黄昏】という場所は、一見非常に過酷な場所だ。怪物じみた姿となって、永遠に未練を追い求める孤独な場所だ。


 一方で、結論を出さずに思い悩み続けるということは、ある意味最も楽なことなのかもしれない。そこに居続けることは、一つの閉じた幸せと言ってもいい。


 でも、大貫おおぬきさんはそんな風になる必要はない。

 きっと桂木かつらぎさんはそんなこと望まない。


 だって、二人の間にはなんの問題もないのだから。

 ただお互いがお互いを想いあっていただけなのだから。


「……でも、あなたは今気がついたはずです。桂木かつらぎさんはあなたの妄想の中のような人間じゃない。心優しくて、あなたのことを心から尊敬して、あなたを慕っている女の子です」

「……!」


 大貫おおぬきさんははっとしたように目を見開いた。

 僕は、しっかりと頭を下げた。きちんと想いが伝わるように。


「お願いします。あの子の想いを、信じてあげてくれませんか?」


 大貫おおぬきさんは何も言わず、僕はそのままの頭を下げ続けた。

 そして、永遠とも思えるような長い時間が経った後。


「……千曲川ちくまがわさん。頭をあげてください」


 とても優しい声が、聞こえた。

 ゆっくりと頭を上げると、大貫おおぬきさんは静かな微笑みを浮かべていた。

 その表情は、生前の、きっと多くの人を幸せにしてきたであろう、彼女本来の笑みだった。


「受け取ります。メイちゃんの荷物。受け取らせてください」


 そう言った途端、彼女の髪がみるみる短くなっていった。公園を覆っていた黒い箱が彼女の頭に吸い込まれていき、公園は瞬く間に元の姿に戻った。


「ありがとう、ございます」

「まったく……ちょっと強引ですよ。最近の運送会社ってどこもこうなんですか?」


 大貫おおぬきさんが口を少しとがらせながら言った。文句を言うような口調だが、どこか楽しそうでもあった。


 確かにちょっとやり過ぎだったかもしれない。

 ちょっとだけばつが悪くて、僕は頭をかきながら言い訳がましく言った。


「最近はモノだけ届けてもダメなんですよ。想いまでとどけてこそ、です」

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