028「回想〜大貫彩乃〜」
ゆっくりと目を開ける。見える景色は先ほどと殆ど変わらないが、身体の所在が曖昧な感覚がある。どうやらちゃんと【黄昏】に入ることができたようだ。
「せんぱい、準備できたっすか?」
こうして【黄昏】に入ると、こんな心理状態で何年間も生き続けている
「ああ、待たせたな。行こう」
「はいっす! どこに向かうっすか?」
「あの公園だ。病院の前のな」
昨日来た時のように街中で
僕らは急いで公園に向かった。日はかなり傾いて、世界は濃い橙色に染め上げられている。幻想的と言えなくもないが、どこか言いしれぬ不気味さがあった。
焦る心を無理矢理に押さえつけながら平静を保つ。息が荒れすぎないギリギリの速度で走る。
「
僕が声を張ると、
「どうしたっすか? もう公園はこの角曲がったらすぐっすよ?」
「状況を確認したかったんだよ。……そっと公園、覗いてみろ」
「……おおう。これは、なかなか」
そして、めちゃくちゃに渋い声でそう言った。
僕も並んで曲がり角から首を出して様子を確認する。
「……なるほどな」
公園の中は、巨大な黒い箱のようなモノで埋め尽くされていた。公園の敷地いっぱいに巨大な黒い立方体がすっぽりと埋まっている。一辺20メートル近くあるその立方体のせいで、公園の中の様子は一切分からない。黒い箱の平面はつややかで、夕日の光が軽く反射している。
「せんぱい。あの黒い四角いヤツって……」
「まあ、多分、お前が予想している通りだよ。……行くぞ」
僕と
そして、公園の入り口までたどりつき、残念ながら予想は確信に変わった。
壁はよく見ると細い糸のようなものが編み込まれるようにして出来ている。糸の一本一本が真っ黒で、わざとらしくない艶やかな輝きを放っている。
つまり、それは……。
「これって全部……」
「ああ、
改めて【黄昏】という場所は本当になんでもありだ。やりたいと思う事はどんなに突拍子がなくても何でも出来てしまう。
「感心してる場合じゃないっすよ! どうするっすか! もうこれ話を聞いてもらうとかそういうレベルじゃないっすよ! 面会謝絶っす!」
「落ち込んでいるヒマはないぞ。ともかく、手がかりを……ん?」
「どうしたっすか?」
「いや、なにか聞こえないか? この奥から……」
耳をすますと、黒い箱の奥から声がするのが聞こえる。細く、今にも消え入りそうな女性の声だ。
『ーーーーードウシテ。アンナコト、言ッテシマッタノ。メイ、許サナイ。メイ、ゴメンネ。メイ、メイメイ……』
「あたしも聞こえたっす。この奥、
「そのようだな……」
向こうの声が聞こえるってことは、こっちの声も聞こえるかもしれない。
「
『ーーーーードウシテ、ドウシテ。気ヲツカワセテイタ? 同情? イヤ。ソンナ風ニ思ワレタクナイ、メイ、スキ、メイ、キライ……』
何度か大声で呼びかけてみたが、反応らしい反応は得られない。
恐らく、すでに言葉の持つ「他者とのコミュニケーション」という役割が抜け落ち始めているのだろう。こうなると、同じ言葉を使っていたとしても相手は殆ど未知の言語を使う宇宙人みたいなものだ。
「ええ! じゃあもう無理じゃないっすか!」
「いや、まだ可能性はある」
「せんぱい、そんなのわかるっすか?」
「……分からん。でも、予想していることはある」
「おお! 流石せんぱい!」
しばらく僕は黙って考えた。どうすれば僕の言葉が彼女に届くのか。そして、荷物を渡すことができるか。
そして、一つの案がひらめいた。
「……
「お、なんっすか?」
「……ほんとにそれでいくっすか?」
すべて話し終わると、
「ああ、今の所僕にはこれしか思いつかない」
「もし失敗したらどうするっすか?」
「その時は、諦めて撤退だな」
きっぱりと言い切ると、
「……まあ、そこまで言うならいいっすけど……うまくいくっすかね?」
「大丈夫だ。さっきも言っただろ?」
自分で言うのと人から言われるのは全然違うんだよ。
———どのくらいの時間が経ったのだろう。ずっとずっとあの時のことを考えてしまっている。メイちゃんと会った最後の日のことだ。
自分の命が残り少ないことは、なんとなくわかっていた。自分の体調が日に日に悪くなっている実感もあったし、看護師さんやお医者さんの顔が深刻になっていくのも感じていた。
昨日出来ていたことが今日できない。今日出来たことが明日できなくなる。そうやって出来ることがどんどん少なくなっていって、最後はろうそくの火が消えるように自分の命が終わる。そんな想像ばかりしてしまっていた。
お母さんもお父さんも友達も、私に対してどんどん優しくなった。仕事や学校で忙しいはずなのに、お見舞いに何度も足を運んでくれた。ものすごく、気をつかってくれていたのが分かった。言葉一つ一つが私を傷つけないかどうか自分の中で吟味しながらしゃべってくれてるのが伝わってきたし、丁寧に扱ってもらっていることに感謝しかなかった。
でも……。
「欲しいモノあったら、何でも言ってね?」
「食べたいもの、ない? なんでも用意するよ?」
「辛かったらいつでも電話してね?」
そういうことを言われるたびに、「ああ、私、もう死ぬんだなぁ」って、寂しさが身体のそとからじわじわと染みいるみたいな感じがしたのも事実だった。
勿論、死ぬことは怖かった。夜、泣き出しそうになるのを必死にこらえたこともある。でも、意外と自分の中での折り合いはすぐについた。昔から身体は弱かったし、自分がそんなに長く生きないであろうことは何となく昔から理解していた。
自分の人生に後悔はさほどない。両親にも恵まれて、友達にも恵まれて、笑顔が絶えない一生だった。そりゃ、少し人よりは短いけれど、いろんな人に支えられて、いろんな人とつながれて、本当によかったと思える。
私の人生で出会えた人のこと、私は全員大好きだった。そう思えることは、きっと一番の幸せなんだろう。
だから、そんな大好きな人たちが、私のことで悲しむのが本当に嫌だった。私と話しながら、悲しそうな表情をする両親や、泣き出してしまう友達を見ていると、本当に申し訳ない気持ちになってしまう。
大好きな人達だったはずなのに、最後は「ごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」で終わりたいのに。申し訳なさで心がいっぱいになってしまう。
ごめんね。私のせいで、悲しませて、本当にごめんなさい。
そのころ私はそんなことばかり考えていた。
そんな中、メイちゃんだけは違った。
私が入院している時、毎日のように私に会いに来てくれた。でも、他の人と違って、メイちゃんは私のお見舞いというよりも、単純に私と会って話がしたいだけに見えた。
メイちゃんはいつも嬉しそうに私としゃべる。学校であった話、好きなアーティストの話、私がオススメした本の話、気になっている男の子の話……本当に他愛ないことばっかりだった。メイちゃんと話している間だけ、私は「病人」から「普通の女の子」に変わることができた。
「病気治ったら、いっぱい遊ぼうね!」
メイちゃんが屈託なくそう言うと、本当にそういう未来があるように思えた。
自分の病気が治って、彼女と一緒に遊園地に行ったり、つまんない映画見て笑ったり、お泊まりして恋バナに華を咲かせたり……そんな未来をほんの少し信じることができた。
抗がん剤の治療が始まって、私の髪が抜け始めた。自分の髪には少し自信があったから、正直かなりショックだった。無残にぼろぼろと抜けていく自分の髪を見ると、「いよいよかな」っていう寂しさがあった。流石に髪の抜けた姿を友達に見せるわけにもいかなくてウィッグを付けるようになったけど、自分が思い描いているかつての自分の髪とは全然ちがった。
私の周りはますます私を丁寧に扱った。ウィッグにも気づかないフリをしてくれたし、もし気づいても「似合ってる」と言ってくれた。
もちろん、皆が私のことをきづかってくれた結果だとは思う。逆に、私の友達の髪が抜け始めたら私だってそういう反応するかもしれないな、とは思うから、仕方が無いとは思う。
でも、意地の悪い言い方をすれば、私は腫れ物扱いだった。
こんなウィッグ、気づかないはずもないし、似合っているわけもない。触れたくない部分だから、みんな避けている。
そんな風に思ってしまう自分がとても嫌だったし、そうやって皆に気をつかわせていることが、私の姿のせいで皆が悲しむことが、たまらなく苦しかった。
そんなことばかり考えていたからだろうか。メイちゃんにあんなことを聞いてしまったのは。
「ねえ、私の髪……どう、かな?」
聞いた途端にしまったと思った。そんなことを聞いてもどうしようもない。気をつかわせたくないなんて言っておきながら、わざわざそんな話題を持ち出すなんて、どうかしていたと思う。
でも、それでも、メイちゃんなら。
私と、誰よりもいつも通り話してくれていたメイちゃんなら。
もしかしたら、この髪のことも……。
「……きれいだよ? いつも通り」
私の問いかけに、メイちゃんはそう答えた。
両親や、他の友達と同じように、無理矢理作ったみたいな悲壮な笑顔を浮かべて。
自分の顔をゆがむのを感じた。色んな感情が一気に吹き出してきて、悲しいやら、寂しいやら、悔しいやら、申し訳ないやら、わけが分からなくなった。でも、ここで泣き出してしまったら、完全に終わってしまう。そのことだけは分かっていたから、必死でこぼれそうになる涙を抑えた。メイちゃんとはその後本当に形式的な挨拶だけして、別かれた。
それから、メイちゃんは、私が死ぬまでお見舞いに来なかった。
あの時のひとことを、私はそれから死ぬまでずっと考え続けた。
あの時、私はなんて言って欲しかったんだろう。なんであんなこと言ったんだろう。正直自分でも分からない。
でも、このまま終わってしまうのがいやだった。あなただけには、分かって欲しかった。
好きっていってたじゃない。
私の髪、好きって言ってたじゃない。
ぐるぐるぐるぐる、嫌なことばかりが頭を流れる。
いつの間にか、自分は死んでいて、それでもずっとそのことばかりを考え続けている。
私の髪が好きって、嘘だったの? どうして気づかなかったの? 気づいていたのに無視したの? 酷いよ。もしかしてずっと私に気をつかってたの? もうすぐ死にそうな私に、あんなに日常を、未来をくれたのはなんだったの? 同情だったの? 無理させてたの? そんなの嫌。いや、イヤ……。
どうして会いに来てクレなくなっタの?
どうしてアンナコト聞いチャッタんだろう。
あたしノコト嫌いニなったの?
嫌わセちゃっタノ?
ドウシテ? ゴメンネ。ユルサナイ。ユルシテ。ドウシテ? ゴメンネ。ユルサナイ。ユルシテ……。
教エテ……。メイチャン。アナタハ私ノコト……。
「決まってるだろ。迷惑だと思ってたよ」
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