027「『いい【黄昏】を』」
「せんぱい、遅いっすよ! ダッシュダッシュっす!」
前を走る
悔しいが、足の長さの差が如実に出ている。ストライドが違いすぎるのだ。
「……時々思うっすけど、せんぱい、身長のことイジられたいっすか? イジられたくないっすか?」
「なんだ藪から棒に」
「いや、自分で低身長ネタにする割にはあたしが言うとめっちゃ怒るじゃないっすか!」
「そんなの決まってるだろ。自分で言うのは良いけど、人から言われるのは嫌。ただそれだけだ」
「えぇ……みみっちいっす……人間も小さいっす……」
うるさい。人間なんてだいたいそんなもんだろ。
別に、僕だって事態が一刻を争うことを理解していないわけではない。おそらく、
【黄昏】の中にいる時間が長い住人ほど、意思疎通を図るのが難しくなる。それには様々な理由があるが、一番は、「言葉」というものの使い方が変わってしまうからだ。
言葉は他者とのコミュニケーションの手段である一方で、自分の考えをまとめたり、思想を深めたりするための道具でもある。
他者との交流が一切無い【黄昏】において、前者のような言葉の使い方は退化し、後者の役割が異様に発達してしまう。伝えるためではなく、自分の内面を掘り返す為だけに使われる言葉は、その人の為だけの閉じた体系を作り上げてしまう。
要するに、言葉による対話が不可能になってしまうのだ。そうなればもう依頼は絶対に不可能、少なくとも、僕たちに出来ることはもうない。
大貫さんが完全に【黄昏】の住人になってしまってからもう丸一日経っている。時間はほとんど残ってないと言えるだろう。
しかし、全速力で走れば息が上がり、より強く自分の身体を、つまりは自分の「生」を感じてしまう。「生」と「死」が曖昧になった状態でないと【黄昏】に入れない以上、呼吸を整えながら進むのが一番の近道だ。
「そういうもんっすか?」
「ああ、【黄昏】で大事なのはバランスだ。できるだけアップダウンが少ない状態を維持する必要がある」
それは、身体だけでなく、心の状態においても同じことが言える。
今回の
しかし、強い気持ちは当然強い「生」を想起させる。そうすると生と死が曖昧な状態にならず【黄昏】に入ることもできない。
仮に入ることができたとしてもそれはそれで危険だ。「依頼の成功」が僕の「望み」としてとらえられる可能性がある。望みを叶えるために僕の身体が変化し始めたら、今度は右目程度では済まないかも知れない。そうなれば依頼どころではなくなってしまう。
綱渡りのようなバランス感覚。それが【黄昏】を往来することを生業とする僕らの必須スキルだ。
「よくわかんないっす……」
難しい話はごめんだ、とばかりに
……そういえば、コイツはずっと【黄昏】にいたんだったな。何も望まないままに「生」と「死」をたゆたう。そんな狂気じみたバランスを何年もとり続けているコイツには釈迦に説法だったかもしれない。
「……ん?」
ふと、疑問が浮かんだ。
じゃあ、コイツ、
何かを望むことが命取りになる【黄昏】の中で
そんな危険な綱渡り状態の
「つながり」を持つことだと社長は言った。
一家心中というあまりにも強烈な過去の体験のせいで、
しかし、他者と強いつながりを持つことができれば、自分が想い相手に想われる関係の他者ができれば、その存在が自らの「生」の輪郭を鮮明にする。それが、「生」と「死」が混ざり合った曖昧な状態から抜ける術だと、社長は昨日そう語ったし、僕もそう思う。
ただ、もし【黄昏】の中にいる
友達にしろ、恋人にしろ、パートナーにしろ、誰かと深く関わりたいと願ったら?
それは、間違いなく「望み」だ。それを望んだ瞬間、保っていた絶妙なバランスは崩れ、
つまり、それって……
詰み、じゃないのか?
「せんぱい、ついたっすよ!」
「あ、ああ。すまん」
「ほんと、さっきから大丈夫っすか? ぼーっとしちゃって……恋の初期症状っすか? せんぱいのくせに生意気っすよ!」
「どういう意味だそれ……」
まあいい。
「
「あいあいさーっす!」
コイツに【黄昏】に入る準備など必要もないはずなのに、そんな質問をした自分の白々しさに心が冷えるのを感じる。
僕はおもむろに例のファイルを取り出し、最初のページを開いた。そして、自分の脳に手を突っ込むように、過去のトラウマを引きずり出す。
昨日、
『……込めた想いが届かないのが、一番寂しいんだよ』
『……あなた、この絵、どう思う?』
『
『自分にしか出来ないモノが描きたい。ただそれだけなんだよね』
『【黄昏】……かな』
『創る側がどう見て欲しいかを押しつけるのは間違いだもんね』
『うーん。自分探し、かな』
『欲しがってたでしょ。それ、全部あげる』……
いつの間にか僕は駅のホームにいた。
黄色い点字ブロックのその先。
本来線路が敷かれている部分は暗闇になっている。
『また、来ちゃったんだね』
どこかから声がする。聞こえるのは声だけで、声の主は見えない。
聞き覚えのある声だった。
きっと彼女だ。
『ねえ、なんでいつも駅のホームなの?』
ホームであることに特に、意味はない。
単純に僕にとって「生」と「死」の境界線として一番イメージしやすい場所だったからだ。
『ふーん。そうなんだ』
声は頭の中に直接流れ込んでくる。以前からこんな風に声が聞こえることはあったが、今日はいつもよりずっと多い。会話のようなものが成立しているのも初めてだ。
『まだ、私のこと思い出せない?』
ああ、ごめん。
『謝らなくていいよ。いつか、その日が来るのを待ってるからさ』
うん、ありがとう。
『ところでさ。隣の子、誰?』
……別に、ただの同僚だよ。
『ふーん。あっそー』
……なんでちょっと嬉しそうなんだよ。
『べっつにー。ちゃんと生きてんじゃんって思ってさ。大切にしてあげるんだよ?』
なんだよそれ。変な勘違いすんなよ。
『まあまあ、いいじゃん……また依頼?』
ああ。
『そう……気をつけてね。私を探したりしちゃダメだよ?』
…………ああ。
『あ、ちょっと迷ったでしょ。ダメだからね! 流石にあの姿恥ずかしいんだから!』
……しないよ。もうそんなこと。
『……そう。ならよかった』
彼女は嬉しそうにそう言うと、ホームと暗闇の狭間に立つ僕の背中をそっと優しく押した。
遠くから電車に似た暗い塊が迫ってくるのが分かる。目を閉じ、その暗闇に身を任せる。すぐに暗闇が僕の身体を包み込む。中は妙に暖かく、僕の境界線を曖昧にしていく。
すうっと意識が遠く離れていく感覚がする。完全にイメージから切り離される直前、彼女の声が頭の奥で鳴った。
『行ってらっしゃい。いい【黄昏】を』
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