026「ダサいキャッチコピー」

「私にいえることは、これで全部です」


 話し終わると、桂木かつらぎさんは一瞬、まばたきよりも長く目を閉じた。自分の言葉をしっかり自分の中に染みこませようとしているようだった。


 応接室の中が、しんと静まりかえる。


 ある程度推測していたことではあったが、桂木かつらぎさんの抱えていたものは予想よりも遥かに重いものだった。


 きっと彼女は、ずっと大貫おおぬきさんとの最後の日のことを後悔し続けるのだろう。それこそ、一生、死ぬまでだ。


「……ありがとうございます。正直に話していただいて」

「ごめんなさい、本当は最初から全部話すべきでした。そうしていればもっと……」

「そんな、気にしないで下さい」


 こんな怪しい事務所で、身の上を自分から洗いざらいしゃべるなんて出来るはずも無い。僕こそ、きちんと彼女の話を引き出すべきだった。


「……私、多分、嫌だったんです。自分がしてしまったことを言葉にしてしまうことが。自分の間違いをはっきりと自覚してしまうことが怖かったんです。あの日を思い出しながら、ひとつひとつ言葉にするの、ひとことひとこと身体の内側から切り裂かれるみたいでした」


 制服のスカートをぎゅっと握りしめる。痛みに耐えるように、いやむしろ自分自身を痛めつけるように。


「……そんなに自分を責めないでください。大貫おおぬきさんが亡くなったのは病気のせいであって、あなたのせいではありません」

「……でも、アヤノちゃんは私の荷物をみて、おかしくなったんですよね?【黄昏】の中で、髪の毛を伸ばし続けたんですよね? それって、私を、恨んでるってことですよね? 私がアヤノちゃんを深く傷つけたってことですよね?」


 桂木かつらぎさんの口調が熱を帯びる。感情がわき上がって、あふれ出た涙が頬に一筋流れた。


 ずっと悩んでいたのだろう。苦しんでいたのだろう。自分を責め続けて、どうにかなってしまいそうな日々を過ごしてきたのだろう。


 そして本当に、大貫おおぬき彩乃あやののことが好きだったのだろう。


 でも、桂木かつらぎさんは多分、思い違いをしている。


「……確かに、あなたとの一件が大貫おおぬきさんの未練に深く関わっているのは間違いないでしょう」

「やっぱり……」

「でも、それは、あなたのことを恨んでいるからではない。僕はそう思います」


 大貫おおぬきさんも、きっとあなたのことを大切に想っている。


 その事実を、桂木かつらぎさんは忘れているのだ。


「……気休めはやめてください。馬鹿にしてるんですか?」

 桂木かつらぎさんは苦々しげに言った。真っ赤になった瞳で僕の顔をにらみつける。


 生ぬるい同情ほど腹立たしいものはない。そんなこと僕だって分かってる。


「気休めではありません。一応僕たちは、あなたから大貫おおぬきさんの話を聞いて、【黄昏】で実際に彼女と言葉を交わし、大貫おおぬきさんの人間性に触れました。その上で、今のお話しを聞いて感じたことです」

「……どういうことですか?」

「仮に病で心が弱っていたからとしても、大貫おおぬきさんほどの人が、あなたからのひと言で【黄昏】の中であなたを恨み続ける道を歩むとは思えない」

「……!」

「もちろん、お二人が会った最後の日、あなたの言葉が彼女を傷つけたことは事実かも知れません。でも、それが彼女を【黄昏】まで追い詰めたとは限らない。なにか別の理由がある。もしくは、彼女は違う捉え方をしていた。僕にはそう思えてならないんです」


 これが、僕の素直な感想だった。気づかいや同情を一切含まない、一部始終を傍で聞いた他者としての意見だ。単に、二人の間に、誤解があっただけなんだと思う。



「死」は、この世とのありとあらゆるつながりを断つ。


 生者が何を問いかけても、死者に届くことはなく、もちろん答えが返ってくることもない。


 だから、残された人間は、考え続けるしかない。


 あの人はどう思っていたか、どうすればよかったのか。分かるはずも無い問いを自分に向けて繰り返すしかない。


 僕が並木楓なみきかえでのことを夢に見るように。

 桂木かつらぎ芽衣子が大貫おおぬき彩乃あやののことで心を痛めるように。


 でも、それは、死者にとっても同じことなのかもしれない。【黄昏】の住人達は、生きていた時の後悔や心残りに永遠に苦しみ続ける。自分の姿さえも歪め、原型をとどめない姿になってもなお、自問自答を繰り返す。


 生者と死者は、お互いのことを想いながら、絶対に出ない答えを求めて続ける。どこまでいっても決して交わることのない、ねじれの位置関係だ。


 ほんの小さな誤解でも、時間が経つにつれて大きな溝になっていく。その溝が埋まる機会は永遠に訪れない。


 とても残酷で、とりかえしのつかないもの、それが「死」というものだ。


「……でも、アヤノちゃんが本当は何を思っていたかなんて」

「ええ。分かりません」


 答えがでないと分かっているのなら、もう割り切って前を向くのが正しいのかも知れない。自分なりの解釈で、自分なりの結論を出して、残りの人生に向き合うことの方が、有意義なんだろう。


 その行為を否定できるはずもない。むしろその営みは尊いものだ。どうしようもない「死」というものと対峙してきた人間の軌跡だ。


 世界中の誰もが、そうやって喪に服し、大切な人の死から立ち直っている。


 そんなことは分かっている。

 でも、それでも。どうしても。

 自分の想いを伝えたいと想う者。


「でも、あなたの想いを伝え直すことはできる」


 そんな人のために、黄昏運送はある。


「依頼、改めて承りました。想い、届けます。あの世まで」


「……」


 桂木かつらぎさんは、流れた涙を袖で拭った。ごしごしと、涙を根元から拭き取るように強くこする。そして、何かを決意した、真っ直ぐな瞳で僕を見つめた。


 なんというか、その表情は、彼女の短い髪型にとっても似合っていた。


「千曲川さん」

「はい。なんですか?」


 涙の余韻か、少しだけかすれた声で桂木かつらぎさんは言った。


「やっぱりそのキャッチコピー。ダサいです……」

「……ほっといてください」



 それは、絶対に、今言うことじゃない……!!



「よく言ってくれたっす! 今シリアスな雰囲気だったからちょっと躊躇したっすけど、やっぱそっすよね! 激ダサっすよね!」

「黙れ大曲おおまがり


 大曲おおまがりがここぞとばかりにゲラゲラと笑い始める。なんか珍しく静かだったけど、一応コイツなりに空気を読んでいたらしい。


 読むなら最後まで読みやがれ。途中でやめてんじゃねえよ。ネット小説か。



 緊張がほどけたのか桂木かつらぎさんは笑った。それでも最後はしっかり姿勢をただして頭を下げた。


「千曲川さん。大曲おおまがりさん。どうか、アヤノちゃんをよろしくお願いします」




「あんな大見得切っちゃって、大丈夫っすか?」


 桂木かつらぎさんが事務所を出て行った後、大曲おおまがりが言った。僕のことを心配しているというよりは、単純に疑問に思ったことを口にしているという風だ。


「なんだ。不安か?」

「だって大貫おおぬきちゃん、昨日完全に【黄昏】の住人になっちゃったっすよね。あたしたちの話、聞いてくれないんじゃないっすか?」

「……まあ、その可能性はある」


 というか、その可能性が高い。一度【黄昏】の住人となってしまうと、対話のハードルは飛躍的に上がる。しかも、時間が経つほどにそのハードルは上がり続ける。すでに手遅れになっていることも充分に考えられた。


「やっぱり〜。せんぱい、可愛い女の子がお客さんだからって見栄張っちゃダメっすよ!」


 軽い調子ではやし立てる大曲おおまがり。自分も依頼を受けた当事者であるという自覚はあまりないらしい。マジで大丈夫かコイツ。


「そんなつもりはないけど……まあ、一応算段はあるよ」

「お、マジっすか! 流石せんぱい! ダンドリ上手!」

「今回は、荷物の中身が大貫おおぬきさんの未練に直結してるっぽいからな。未練を解決する鍵になる話なら、聞いてくれるんじゃないか?」

「確かに! ……あれ、でも昨日は荷物の中身見た瞬間に門前払いだったっすよね? ほんとに大丈夫っすか?」


 うぐ……。痛いところ突いてきやがる……。


 そこなんだよな……。ともかく話を聞いてもらう取っ掛かりができるかどうかが勝負になりそうだ。


「ま、その、上手くいく可能性がなくなくないわけじゃないから」

「めっちゃ予防線張るっすね! 流石せんぱい! ダンドリー臆病者チキン!」

「スパイシーな罵倒だな……」


 いろんな意味でちょっとうまいこと言われた。


「でも、せんぱい、昨日はちょっと乗り気じゃなかったのに、どうして急にやる気になったっすか?」

「……別に理由なんかないよ。この会社の先を案じただけだ」


 そう言ってみたものの、ほとんど個人的な動機だった


 さっき、桂木かつらぎさんに言ったのは、そのまま僕の願望だった。生者が死者のことを想うように、死者も僕らのことを想ってくれている。そうであって欲しい、という僕の個人的な見解だ。


 並木楓なみきかえでのことを思い浮かべる。

 彼女も、僕に対して、何かを想ってくれていたのだろうか。

 それがわかったら、彼女の顔を思い出すことができるだろうか。


「この会社の先? どういうことっすか?」


 大曲おおまがりが首をかしげている。いかん。ごまかさないと……。


「いいか、大曲おおまがり。これからの配達は、モノを届けるだけじゃダメだ。荷物に込められた想いまで届けてこそ、存在する意義がある。ただの配達じゃなくて、その先、ロジスティクスってやつだ」


 余計な事を考えていた気恥ずかしさから、ちょっと早口に聞きかじりの横文字を口走ってしまった。


「お、社会人っぽいっすね! 流石っす!」


 大曲おおまがりは特に気にすることもなく、いつも通りの薄っぺらい笑顔を向けた。


 何も考えていない、ノリとテンションだけの、その場限りの笑顔。


 生きながら【黄昏】の住人となってしまった大曲おおまがり


 生と死の区別も付かないボンヤリとした世界の中で、何も望まず、流れる時間に身を任すコイツは、もしかしたら、桂木かつらぎさんや僕の持つ感覚を理解できていないのかもしれない。


 「死」という壁に隔てられながらも、誰かを想おうとする感覚を。誰かに想われていたいという願いを、大曲おおまがりは知らないのかもしれない。


 だとすれば、この依頼は大曲おおまがりにとっても大切なものになるだろう。


「……? あたしの顔、何かついてるっすか?」

「いや、なにも付いてない」

「マジっすか! のっぺらぼーっすか! どこいったっすか! あたしの整った目鼻立ち!!」

「自分で言うなよ……ふざけてないで準備しろ」


 なんとしても、この依頼をやり遂げる。

 決意を固めるため、僕は自分の顔をぴしゃりとたたいた。

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