025「回想〜桂木芽衣子(追記)〜」

 ヘアドネーション。


 癌や脱毛症、不慮の事故などで髪を失った子どもたち宛てに、寄付された髪の毛をもとにウィッグを作成する活動のことだ。


 多くは髪を失った子どもたちを対象とするボランティア活動だが、場合によっては成人も対象になる。


 昨日、大曲おおまがりが捨てた風呂敷の中から髪の毛が出てきた時は、僕も酷く動揺してしたが、後から冷静に見直してみればそれはウィッグだった。


 それが、人間の毛から作られているであろうことはすぐに推測できた。人工毛にはない、自然な触り心地に、柔らかなシルエット……。


 素人目から見ても、そのウィッグの出来映えが素晴らしいことは分かった。真っ黒で、真っ直ぐで、艶やかで、ずっと指を通していたくなるような優しさがあった。切られる前から随分丁寧な手入れがされていたであろうことが伺える。


 これが、桂木かつらぎさんから大貫おおぬきさん宛ての荷物の中身。


 それだけ分かれば、まあ、どんなに僕が察しの悪い人間でも結末に検討はつく。


大貫おおぬきさんは、長い闘病生活の末にこの世を去った。末期の頃に、薬の影響か何かで髪の毛を失っていたんだろう。桂木かつらぎさんも言っていたけれど、大貫おおぬきさんの黒髪は彼女のトレードマークだった。それを失うことは、少なからず彼女にとってはショックだったはずだ。そこで……」


 そこで、行動を起こしたのが桂木かつらぎさんだ。彼女は自分の髪の毛を使って、ヘアドネーションを行ったのだ。ウィッグの長さから鑑みるに、元々、桂木かつらぎさんはロングヘアーだったのだろう。それを一気に切り落としてしまったのだから、今のショートカットに違和感があるのは当然と言える。


 桂木かつらぎさんは大貫おおぬきさんの髪に憧れて、色々手入れの方法を真似していた。大好きだった憧れの人を目指し、努力を積み重ねていた彼女の髪だからこそ、ウィッグはこれほどの出来になったのだろう。


 ちなみに後から調べて分かった事だが、ウィッグを配達する場合、表示内容は「衣類」等にするのが一般的らしい。


「おお、心温まるストーリーっすね! 憧れの人に近づくため頑張ってきた自分の髪の毛を、憧れの人の為に使うなんて、激アツっす!」


 そこまで聞いて、大曲おおまがりが満足そうにうんうんと頷いている。


「って、あれ?」


 が、何かに気がついたように首をひねった。


「どうした、大曲おおまがり

「じゃあ……どうしてこのウィッグ、こんな所にあるっすか? せっかく作ったんだから、生きてる間に大貫おおぬきちゃんに渡してあげれば……」

「……そりゃあ」


 僕が言葉を継ごうとしたところで、


「……間に合わなかったんです。アヤノちゃんが亡くなるまでに」


 桂木かつらぎさんが後を続けた。


 やはり、そうだったか。


 本来なら、この荷物は生きている間に大貫おおぬきさんに届けられなければならないモノだった。決して死者に荷物を届ける「黄昏運送」に配達を依頼する代物ではない。


「おおむね、千曲川ちくまがわさんがおっしゃった通りです。アヤノちゃんは抗がん剤の副作用である時から髪の毛が抜けてしまっていました。そこにあるウィッグはアヤノちゃんのために私の髪の毛を使って作ったものです」


 取りあえず、ここまでは桂木かつらぎさんの口から事実を確認することは出来た。


 ただ、問題はここからだ。


「……しかし、そうだとして、まだ分からないことがあります」


 どうして、大貫おおぬきさんはこのウィッグを見るだけで豹変してしまったのか。


 桂木かつらぎさんの想いのこもったこの品が、なぜ彼女の未練を想起させたのか。


 こればっかりは、本人達でないと分からないことだ。


「……」

桂木かつらぎさん。何があったか話して頂けますか? そこが分からなければ、僕らは荷物を届けることができない」


 桂木かつらぎさんはじっと僕の目を見た。瞳の中の光が不安げに揺れている。きっと、思い出すのも、人に話すのも苦しいような話なのだろう。


 でも、だからこそ、聞く意味がある。【黄昏】にいる彼女を救うためには絶対必要な情報だ。


「……分かりました」


 長い長い沈黙の後、桂木かつらぎさんはゆっくりと話し始めた。




――――以前話した私がアヤノちゃんの出会いとか思い出に偽りはありません。ただ、話していないことがあります。


 私が最後にアヤノちゃんに会った時の話です。


 亡くなる直前、私はほとんど毎日のようにアヤノちゃんのところにお見舞いに行きました。


 病院のベッドに座るアヤノちゃんは、毎日少しずつ小さくなってくみたいに見えたし、顔色も段々悪くなって、青白いっていうか透き通ってそのまま消えてしまうんじゃないかと不安になるほどでした。


 それでも、私がアヤノちゃんの近くに行くと、本当に嬉しそうに笑いかけてくれました。無理をして笑っているって感じじゃなくて、心から私と話をするのを楽しみにしてくれていたことが分かるんです。声をかけると頬がぱあっと赤くなって、なんだか生き生きしてくるみたいな……。もちろん、私がそうであってほしいと思っていたからそう見えただけかもしれないですけど。


 私達の話は、いつも本当にくだらなくて中身のないものばっかりでした。もっと別のことを話せばよかったかもしれないけど、アヤノちゃんはそういう日常的な会話に飢えてたって言ってました。


 ご両親はアヤノちゃんの顔を見る度に泣きそうな顔になっちゃうし、くる友達くる友達みんなちょっと他人行儀だったみたいで、「気を使ってもらうのはありがたいけどなんか腫物扱いな気もする」って残念そうにしてたんです。


「だから、メイちゃんの話、いっつも楽しみにしてるんだ」


 私が話しに行くと、いつもそう言って、あの素敵な笑顔を見せてくれたんです。


 最後の日、その日も、私達はくだらない話をしました。最近見た映画があんまりおもしろくなかったこととか、友達の彼氏の悪口とか、アヤノちゃんにおすすめされて読んだ本の感想とか。とにかく、いろんな話をしました。


 アヤノちゃんはいつもどおり、ニコニコ聞いてくれていました。でも、どこか様子がおかしかった。何かを気にするような、どこかぼうっとしているような、遠くを眺めているような。かと思えば突然私の顔をジーっと眺めたりして、どこか不安定な感じでした。


 ……正直に言いますね。私はその時、どうしてアヤノちゃんがおかしかったのか、何となく分かってました。


 アヤノちゃんの髪の毛が代わってたんです。人工毛でできた黒髪でした。多分、形を整えるためだけの、その場しのぎのためのウィッグだったんだと思います。ご両親からクスリの副作用で髪が抜けてしまったと聞いたのはその少し後でした。


 分かりますよ。気づかないはずないじゃないですか。私、アヤノちゃんの髪、大好きだったんですから。今までと明らかに違う。ツヤとか、まとまりとか、もう全然違う。私の知っているアヤノちゃんの髪じゃない。


 多分、それがかなりこたえてたんじゃないかな。私にとっても憧れでしたけど、彼女にとっても、自慢の黒髪でしたから。それが抜け落ちてしまったことは、多分アヤノちゃんに「死」を強く意識させてしまったんじゃないかと思います。


 明らかにいつもより元気が無くて、生返事も多かった。でも、私は気にしてないフリをして話を続けました。そうすることが、彼女のためになると信じて。必死に日常を演じました。


 そしたら、ふと、アヤノちゃんが私の顔をじっと見て、聞いてきたんです。




「ねえ、私の髪……どう、かな?」




 ……今でも、たまに夢に見ます。この時、なんて答えるのが正解だったのか。いろんな答えを考えるけど、一つ分かっていることは、あの時の私の答えが間違いだったってことです。




「……きれいだよ? いつも通り」




 気づいてないふりをしてしまったんです。そうすることが、アヤちゃんのためになると思った。正直に印象を伝えてしまうことは、自分の髪を失って弱っている彼女に追い打ちをかけることになるんじゃないかって思って……。


 ……いえ、そんなに相手を思った言葉じゃなかった。何を言うべきなのか、私にはわからなかった。だから、単に気づかないふりをするっていう、一番安易な方法に流れたんだと思います。


 私がそう言った瞬間でした。


 ほんの一瞬、アヤノちゃんの顔がぐにゃっと歪んだように見えました。見たことないくらい悲痛な顔。ひどく傷ついたような顔。痛いはずなのに、全部を諦めてしまったような顔。色々な表情が一気に顔に現れて、ぐちゃぐちゃになった顔でした。


 それから、私は無理やりたわいのない話を少しだけして、すぐに席を立ちました。



 簡単に言えば、逃げたんです。

 自分がしてしまった失敗から。

 私がアヤノちゃんに付けた傷から。



 家に帰ってから、めちゃくちゃ落ち込みました。自分が言ったことの残酷さを冷静に振り返って、涙が出る程でした。それから、ほとんど一晩中考えました。なんて言うのが正解だったかとか、アヤノちゃんとこれからどう付き合っていけばいいのかとか、この後自分がどうすればいいかとか……。


 ヘアドネーションのことを知ったのはその時です。自分の髪の毛を、アヤノちゃんにあげる。それが、私がしてしまったことの償いになるんじゃないかと思いました。


 私の髪、アヤノちゃんに憧れて、アヤノちゃんとおんなじように手入れをしてきましたから、本人には及ばなくても、本人に一番近いクオリティのウィッグを作ることができるかもしれない。そう思ったんです。


 すぐに、専門の業者に連絡して、準備に取りかかりました。お金は自分の貯金をきりくずして、できるだけ丁寧な業者にお願いしました。アヤノちゃんに似合うウィッグですから、生半可のモノはよくないと思ったんです。


 完成までの間、この前のことがちょっとだけ気まずかったのと、サプライズでプレゼントしたいのもあって、私はしばらくお見舞いに行きませんでした。でも、それほど罪悪感は覚えなかった。


 私の髪でウィッグを作れば、アヤノちゃんも驚いてくれる。喜んでくれる。生きる気力を持ってくれる。そんな都合の良い妄想をしていたんです。





 ……アヤノちゃんが亡くなったのは、ウィッグの完成の3日前でした。


 間に合わなかったんです。そこまで彼女の病状が悪化していたとは知りませんでした。


 葬儀の時、彼女の生気のない顔を見て立ち尽くしました。涙すら出ませんでした。



 本当にバカだった。本当に愚かだった。最後の会話が、彼女を傷つけるようなものだったなんて。


 あんなにお世話になったのに。

 あんなに一緒に笑ったのに。

 あんなに大好きだったのに。


 ……ずっとずっと後悔しています。もしもあの時に戻れたらと思わなかった日はありません。もし、もう一度想いを伝えられたらどんなに幸せか。その可能性があるなら、どんな小さな望みでも縋ろうとずっと思っていました。


 どんなにわずかでも可能性があるなら、【黄昏】なんて怪しい世界にも、黄昏運送なんて怪しい会社だろうと、一人でやってきてしまうくらいに。


 アヤノちゃんに許して欲しいとはいいません。言い訳をするつもりもありません。あの世でアヤノちゃんに恨まれているのなら、それでもかまわない。私はそれだけのことをしてしまいましたから。


 でも、彼女が勘違いをしているのだったら、こんなに悲しいことはないです。


 私はちゃんとアヤノちゃんが大好きだった。それだけは間違えないで欲しいんです。


 だから、せめて……せめて、彼女にこのウィッグを受け取って欲しかったんです。

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