012「【黄昏】の住人」

「あ、そこのお嬢さん! 綺麗な髪してるっすね! ちょっとお話いいっすか?」

「私ネ、ズット女ノ子デイタカッタノ。結婚シテモ、子供ヲ産ンデモ、歳ヲトッテモズットズットカワイイ女ノ子」

「いいっすね~。あたしもいつまでも心は乙女っす! で、ちょっと聞きたいことがあるんすけど……」

「女ノ子ハ重イモノヲ持ッタリシナイノ。女ノ子ハ誰カニ守ッテモラエルノ。カワイイ女ノ子ハナニヲヤッテモ許サレルノ」

「そっすねー。可愛いは正義っす! そんな可愛いお嬢さんに聞きたいんすけど」

「カワイイ女ノ子ハネ、小サクナイトイケナイノ。カワイイ女ノ子ハネ、華奢きゃしゃジャナキャイケナイノ。弱クナイトイケナイノ。弱イカラ守ッテモラエルノ、助ケテモラエルノ」

「ちっちゃい女の子とか、か弱い女の子とか、男の子は大好きっすもんね~。ま、そんなことよりあたしたち人を探してて……」

「モット小サク、モット細ク……モット優シク……」

「あーあーそんなに小さくなっちゃって……大丈夫っすか~?」


 大曲おおまがりが話しかけていた少女は、みるみる小さく、細くなっていった。


大曲おおまがり、そのへんにしとけ。そいつは違う」

「えー。でも綺麗な髪してるっすよ?」

大貫彩乃おおぬきあやのは病気で亡くなっている。自分を弱く見せることで人の気を惹きたがるとは思えない」

「うーん、確かにそっすね! お邪魔しましたっす!」


 儚げな女性に惹かれる男は多い。かわいそうな姿に庇護欲を掻き立てられ、手を貸してくれたり支えてくれたりする人間も多い。しかし、それは現実世界の話だ。構ってもらうために自分を虚弱にしても、【黄昏】では意味がない。自らを弱らせることで誰かの気を惹こうとしても、【黄昏】では皆自分の欲望を追いかけるのに必死なため、相手にしてくれない。


「ワタシカワイイ、ワタシカワイソウ……」


 最終的に、少女は骨と皮だけの赤ん坊のような形になり、蚊の鳴くような声で呟き続けた。



「おお、綺麗な黒髪ロング! ちょっとお話うかがってもいいっすか?」

「ドウシテ私ジャナイノ? ドウシテアノ子ナノ?」

「いやいや、あたしは今お嬢さんに話しかけてるっすよ~」

「私トアノ子ノ何ガ違ウノ? アンナニ優シクシタジャナイ。色ンナモノ買ッタジャナイ。私ノホウガ、私ノホウガ……」

「おお……エキサイトしてるっすね。失恋っすか? 横恋慕っすか? 大丈夫っすよ! 男なんて星の数ほどいるっす! 次いけばいいんすよ!」

「私ジャ駄目ナノ?ワタシガ、アノ子ナライイノ? ドウヤッタラアノ子ニナレルノ? アノ子ニナリタイ。ナリタイナリタイナリタイ……」

「大丈夫っす、あなたにはあなたのいいところがいっぱいあるっすよ。それを良いって言ってくれる人を探せばいいっす! で、恋人探しのついでに、あたしたち人を探してて……」

「コレ? コレ? コレ? チガウチガウチガウ。ドウシテナレナイノ? ドウシテ私ハアノ子ニナレナイノ? モットイッパイツクラナクチャ……」

大曲おおまがり、もうやめろ」


 目の前の女が自分の腹を裂いて、次々と似たような顔の女を引っ張り出しては「チガウチガウ」と嘆き始めたあたりで、僕は大曲おおまがりを止めた。女の顔には目も鼻も口もついていない。


「あれ、ダメっすか? 黒髪ロングっすよ!」

「お前、髪型しか見てないだろ……。大貫彩乃おおぬきあやのに恋人がいたなんて桂木かつらぎさんは言ってなかった。【黄昏】に迷い込むほどの想い人がいたのなら、話題に出てきてもいいはずだろ?」

「いやいや~。親友だからこそ話したくない、みたいな話かもしれないっす! 女子の友情は強さと脆さを併せ持ったガラスの剣っすよ!!」


 大曲おおまがりは肩をすくめる。「ホント男子って何もわかってないんだから!」とでも言いたげな口調だ。


「妙に自信満々だな。経験でもあるのか?」

「ないっす! 雰囲気っす! あたし、友達ほとんどいなかったし!」

「……そんなことだろうと思ったよ」


 どうせまたどこぞの漫画やらアニメから仕入れた知識なのだろう。本当に発言の隅から隅まで信用のおけないやつだ。


「ともかく、この人は大貫彩乃おおぬきあやのじゃない」

「ほほう。その根拠はなんっすか?」

「……最終的には、勘、かな」


 桂木かつらぎさんの話だと、大貫彩乃おおぬきあやのは美しいだけでなく、とても聡明だったとのことだ。


 僕自身、彼女の写真を見て、その一端を感じることが出来た。彼女の表情には、なんというか、物事を深く考え続けてきた人間だけからにじみ出る、生真面目さと疲れと混ざり合う、優しい雰囲気があった。二十歳そこそこの若い女性がまとうとは思えない雰囲気だったから、とても印象に残っている。


 そんな彼女が、このような哀れな姿になるとは考えにくい。


 本当に欲しい男を自分に振り向かせるのではなく、男が欲しがっている誰かにひたすらなろうとしている目の前の女の姿は一見健気だ。しかし、目の前のこの女は、もう男のことなど見ていない。どうやったら「アノコ」になれるか、という事だけに執着してしまっている。


 自分である以上、誰かになることはできない。そんな単純なことに気づけないほど、大貫彩乃おおぬきあやのは愚かではない、と思う。


「写真見ただけなのにそんなことよくわかるっすね。せんぱい、天才っすか? はたまたエスパーっすか?!」

「別に……経験だよ」


 いくつか依頼を受けていると、自然と依頼人や受取人の様子を観察するようになるし、そこからどんな人間なのか想像するようにもなるというだけの話だ。


「なるほど、せんぱいは女の子の写真を見る経験豊富っと」

「おい、妙にいかがわしくなったぞ。訂正しろ」

「せんぱいは未経験っと」

「ちがう、そうじゃない」


 違う意味に聞こえるだろ。

 僕の反応に、大曲おおまがりが緊張感なくケタケタ笑った。

 


「にしても……なんでここの連中ってこんなに人の話聞かないんすかね~。全く会話にならないっす」


 【黄昏】に入ってから、何の成果もなく30分ほどが経過したころ、大曲おおまがりがぼやいた。


「ああ、それは多分、誰とも話してないからだな」

「誰とも話してない? どういうことっすか?」

「普通の人間だって、一か月も誰ともしゃべらず部屋の中に引きこもってたら、人との話しかたとか、会話での距離感とかちょっと忘れるだろ? ここの住人はそれを延々と繰り返してるんだ。長くいればいるほど、誰かとコミュニケーションを取ることが難しくなってしまうんだ」


 当たり前だけど、会話は話す誰かがいて初めて成立する。誰もが自分の未練に夢中のこの【黄昏】では、誰とも言葉を交わすことができない。だから、誰もが会話の仕方を忘れてしまう。一方的に、自分の話だけを延々と垂れ流すことしかできなくなってしまうのだ。


 そうなってしまうと、配達物を普通に受け取ってもらうことは相当に困難になってしまう。黄昏運送の仕事はスピードがかなり重要になってくる。



 僕の話を聞いて、ふと、大曲おおまがりはいつもよりも神妙な顔つきになった。


「……カワイソーっすね。共有も、相談もできないまんま、どんどん膨らみ続ける欲望を追っかけ続けるって。フツーに地獄っすよ」

「……そうだな。下手すりゃ地獄よりきついよ。ここは」


 大曲おおまがりは大きくため息をついた。


「……救いってないんすかね。この『黄昏』には」


 いつになく真面目な声だった。大曲おおまがりらしくもない。

 何というか、他人ごとではない切実さを感じる。


「……無いわけじゃないぞ。救い」


 それにつられたというわけでもないが、つい僕も余計な事を口走ってしまった。


「え、まじっすか?」


 大曲おおまがりが目を見開いた。いつものわざとらしい演技の表情でない、本当に、心から驚いたような顔だ。こんな表情、初めて見たかもしれない。


「【黄昏】という場所は、強い未練を持った者だけが流れ着く。なら、そこから出る方法は単純だ。未練がなくなればいい」


 驚くほどシンプルな結論だ。しかし、結論がシンプルであるからといって、簡単に解決出来るというわけではない。


「でも、それは滅茶苦茶難しいことだ。何せ、【黄昏】の住人達は現世、つまり僕らが普通に生きている世界に介入できない。身体がないからな。それなのに生前の未練を解消するなんて、無茶としか言いようがないだろ」

「まあ、そりゃそうっすけど……でもほら、考え方が変われば未練がなくなることってあるじゃないっすか! 例えば、フラれた男に未練があっても、次の男見つけたら解決する、みたいな感じで!」


 妙に大曲おおまがりが食い下がってくる。本当に珍しい。どうしてコイツ、こんなに必死なんだ?


「……そうだな。でも、それもほとんど不可能だ」

「えー。なんでっすか?」

「視点を変えるためには、自分が間違っていることに気づくためには、自分以外の誰かの存在が必須なんだよ」


 自分が間違えていたと気づかせてくれるのは、常に自分以外の存在だ。本でも映画でも親でも友人でも、自分じゃない誰かの言葉が、誰かの行動が無ければ、凝り固まった自分の考えを改めることはできない。別の答えがある可能性に気づけない。


「なのに、【黄昏】では他人と関わり合いになることがない。生きてる人間のほとんどは【黄昏】に気づかないし、住人同士は皆自分の未練の解消に必死で、交流なんてしない。だからここの連中は、いつまでも自分の間違いに気づくことなく、同じことを繰り返し続けてるんだよ」


 誰が作ったか知らないが、本当に意地の悪い、悪趣味な仕組みだ。


「そうなんすね~。それは残念っす……」


 大曲おおまがりががっくりと肩を落とす。が、すぐに何かに気がついたようにバッと僕の顔を見た。


「あれ、でも、あたしたちは? 『黄昏』に出入りできる生きてる人間なら、他人になるんじゃないっすか? それに、あたしたちが持って行く荷物……。これがもしかしたら未練ってやつを解消させることもあるんじゃないっすか?」


 本当にコイツどうしたんだ……?

 異様に食い下がるし、いつもの大曲おおまがりからは想像もつかないような執着があるように見える。


「……確かにそう言う事例もある」

「おお! それはアツいっすね!」


 もちろん、僕らが運んだ荷物で受取人の未練が解消されるなら、それが一番いい。僕らの仕事の最高のカタチといえるかもしれない。


 しかし、そんなことは滅多に起こらない。ここの住人たちは本当に僕らの言う事を聞いてくれないのだ。


「でも、ここの住人たち、見ただろ? ここに長くいる連中程、人の話を聞かなくなっちまうんだ。というか、人と喋る術を失っちまう。僕たちでどうこうできるケースは本当に万に一つだ」


 受取人たちは届いた荷物をちゃんと開いてさえくれないことも多々あるし、届けられたモノの意味を理解出来ずに捨ててしまうことも多かった。


 本当、意味が分からない仕事だ。不毛なことこの上ない。


 ……それでも、僕がこの仕事を続けているのは、大曲おおまがりの言うような奇跡が起こる事を期待しているからかも知れない。


「そうなんすね~。残念。あ、でもでも今回の大貫ちゃんは亡くなってから間もないっすから、もしかしたら間に合うかもしれないっすね!」

「……そうだな。でも僕らの仕事はあくまで荷物を届けて、受領印をもらうことだ。そこから先は、当人の問題だからな」

「うっす! あいあいさーっす!」


 いつもよりも気持ち明るめな声で、大曲おおまがりは威勢のいい返事をする。自分の仕事が誰かを救える可能性に気づいて、仕事に少しだけ前向きになったのかもしれない。それはとてもいいことだ。

 

 そういえば。


 桂木かつらぎさんは、どうして大貫彩乃おおぬきあやのが【黄昏】にいると、この世に未練を持っていると思ったのだろうか。


 そして、この荷物で彼女に何を伝えようとしているのだろうか。


 僕は少しだけ頭を振った。考えるのは後にしよう。今は大貫彩乃おおぬきあやのの居場所だ。

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