011 「【黄昏】の歩き方」

 今一度【黄昏】という場所について説明させて欲しい。


 僕らの仕事のことを話す上で、この【黄昏】という場所のことは説明しすぎてもしすぎるということはない。というか、説明しつくしたところで理解できるような代物ではないし、僕自身も完全に理解しているわけじゃない。


 もちろん、完全に理解するころには僕はもうこの世の人間じゃなくなっているだろうけど。



 【黄昏】は現世に対して強い未練を持ったまま亡くなった人間が迷い込む世界だ。基本的には死後の世界として現世とは分離されており、生きている人間が訪れることはほとんどない。


 ただ、太陽が沈む直前、西日に世界が包まれる一時、現世と【黄昏】がつながる瞬間がある。その瞬間に、一定の条件を満たしている者は生きながらにして【黄昏】の中に入ることができる。



 そしてそのほとんどがそのまま生きて現世に戻ることはない。

 戻ってこられた人間は、よっぽど幸運か、よっぽど不幸かのどちらかだ。

 



 【黄昏】の光景は、鏡の中のように僕らが普通に生きている世界ととてもよく似ている。

 現世と圧倒的に異なるのは、その住人達である。


 【黄昏】の住人達には「肉体」という枷が存在しない。物質としての肉体が存在しないため、自分の姿を好きに変容させることができる。


 現実世界では、自分がなりたい姿をいくら想像しても、肉体がそれに応答することはない。「足が速くなりたい」と願っても、家で横になっているだけではその願いは叶わない。寝っ転がってテレビを見ながら「腹筋が割れて欲しい」と祈ったところで、腹の肉はそのままだ。


 聞いているだけで英語が聞けるようになる教材や、飲むだけで痩せる錠剤が怪しまれるのは、そんなに簡単に身体が変わるはずがないという前提があるからで、また、そういう商品が怪しまれながらもなくならないのは、変わるはずがないと分かっているからこそ、余計に強く夢を見てしまうからだろう。


 だが、誰もが知るように、現世で人間が自分自身を理想に近づけようと思ったら、結局、手間と時間をかけて地道に変えていくしかない。即効性の比較的高い整形手術のたぐいであっても、その効果は限定的だ。そして、どれだけ自分を高めたところで肉体がただの物質である以上、そこには必ず限界がある。


 肉体の衰えや死という身体機能の停止は、人間が持つ最大の障害だ。どんなに精神的に強靱であっても、高い理想を心に抱いていても、身体が滅べば、その自分の想いを伝えることも、誰かの想いを受け取ることも出来なくなる。


 かようにして、現世では多くの場合、人々の理想に対して「肉体」が障害になっている。


 しかし、この【黄昏】ならば、住人たちは身体を持たず、現世で受けていた制約を受けない。思い通りに自らの姿を変えることができ、死という不条理な締切をもうけられることもない。


 好きなだけ、いくらでも、自分の望むとおりの自分になることができる。

 見ようによっては、とんでもない桃源郷だ。


 しかし、肉体という枷がないことで、問題もいくつか発生する。


 ようするに、「やりすぎて」しまうのだ。



「いやー。相変わらずココは気持ち悪いやつばっかりっすね!」


 大曲おおまがりが伸びをしながら言う。まだ【黄昏】に入ってから数分歩いただけだが、コイツの言う通り、周囲には異様な容姿の住人たちがあちこちに見られた。


 象のように巨大な鼻を引きずる男、顔に収まらないほど大きな目を顔からぶら下げている女、肥大化した乳房と尻を細い糸でつないでいる女に、脚だけが筋骨隆々の男、腕が何本も生え、指先が筆のように変形している者もいれば、自分の身体から異性の身体を生やして愛撫を繰り返している者もいる。大量のチューブが身体中に差し込まれたまましゃがみ込んでしまっている男もいた。誰もがブツブツと何かをつぶやきながら、その異様な特徴をさらに強めようとしている。


 そう、肉体と言う枷がないために、【黄昏】ではなんでもありだ。現実にはあり得ないレベルまで自分の姿形を形作ることができる。足の本数だろうが、背中に翼だろうが、脳みその数だろうが、変えたいことはなんでも、際限なく変えられる。


 【黄昏】の住人達は既にその命を終えているため、現世の未練が更新されることはない。その上、【黄昏】の住人同士はお互いに干渉することもない。皆、自分の理想を、未練を追いかけることに必死だからだ。


 結局、彼らはずっと変わらない理想を、比較対象も具体的な目標もないまま永遠に求め続ける。


 だから、長く【黄昏】にいればいる程、彼らの望みはエスカレートし、結果として皆異様な姿になっていってしまう。


 高い鼻を求めれば象のような鼻になり、大きな目を求めれば眼球は顔に収まりきらなくなる。最高のプロポーションを求めれば胸と尻は巨大化しウエストは糸のように細くなって、愛する人を求めれば自分の身体から生えてくる。


 ひどく歪に、人の理想をかなえ、無制限にかなえ続けてしまう。


 ある意味、理想郷。そしてある意味地獄よりも過酷な場所。それが【黄昏】だ。


 僕は油断なく周囲を見渡しながら、大曲おおまがりに呼び掛ける。


「荷物の受取人、大貫彩乃おおぬきあやのは桂木さんの話だとまだ亡くなって間もない。それほど極端な姿形はしていないはずだ。写真と特徴の『髪』を手掛かりに探すぞ」

「あいあいさーっす!」


 大曲おおまがりは気の抜けた返事をし、力ない敬礼を見せた。表情はヘラヘラと笑っている。【黄昏】においても大曲おおまがりは平常運転らしい。よほど肝の据わったヤツなのか、それともただのバカなのか。何度も【黄昏】に足を踏み入れている僕でさえ、緊張感で足の指から頭のてっぺんまで気を張っているというのに。


 コイツの、才能と言って差し支えないほどの泰然自若っぷりは頼もしい限りだが、余計なことをしないか少し心配だ。【黄昏】の中に生きたまま入り、動き回るのは危険極まりない行為だ。ほんの少しの油断が文字通り「命取り」となる。


 僕らは細心の注意を払いながら、大貫彩乃おおぬきあやのの捜索を開始した。

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