009「投げやりな後輩」

「じゃ、せんぱい!さっそく中身みてみるっす!!」

「えぇ……」


 桂木かつらぎさんが事務所をでてからわずか30秒足らず。風呂敷包みに早速手をかけようとする大曲おおまがりに僕はドン引きした。


「お前、責任もって僕に中身見られないようにするって言ってなかった?」

「吾輩の辞書に『責任』の文字はないっす!」

「欠陥品だろ……」


 ひどく道徳が欠如した編纂へんさんが行われたらしい。ナポレオンだってもう少し倫理観しっかりしてたと思うぞ。


「『道徳』も『倫理』も吾輩の辞書には載ってないっす!」

「都合よすぎるだろ……」

「『都合よすぎる』も載ってないっす! あ。『都合の良い男』はあるっす!!」

「廃刊にしろそんな辞書!」


 大曲おおまがりの間に割って入り、風呂敷包みの前に立ちはだかる。


「僕もお前も見るべきじゃない。依頼人に中身を見ないと言った以上、そこは最低限守らないといけないルールだろう」


 毅然とした態度で僕は宣言した。が、大曲おおまがりは不服そうに口をとがらせる。


「えー。だって気になるじゃないっすか! あんなかわいい子が綺麗なお姉さんに『衣類』を送るっすよ! これはもう、間違いなく禁断のラブっすよ!! インモラルな『衣類』だったら激アツじゃないっすか!」

「激アツて……」


 何を興奮しているんだこいつは……。


「いや、もしかしたら『衣類』ってのもカモフラージュかもしれないっすよ! もっとやばいモノ……体毛とか体液とかの可能性もあるっす! うっひょー!!」

「お前、よく僕のこと変態扱いできたな!!」


 さっき僕のこと変態呼ばわりしてたじゃないか。もう片方の目も眼帯にしてやるとか言ってたじゃないか。コイツの方がよっぽど変態的だ。なんだ、体毛とか体液って。そんなもん送ってどうするんだ。


「いやー。わかんないっすけど、愛のカタチはいつだってクレイジーでサイコっすよ! ジョーシキにとらわれちゃいけないっす!」

「知らんがな……」


 人間の愛は確かに複雑怪奇だけれども。いろんな形が認められるべきだとは思うけれども。

 なんでもかんでも「愛」って言葉で説明した気分になるのはどうかと思うぞ……。


「ていうか、せんぱいだってさっき中身気にしてたじゃないっすか! 同罪っすよ!!」


 大曲おおまがりがさらに口をとがらせる。なんだその口。トランペットでも吹くのか。

 てか、同罪って。お前、罪の意識はあったのか。あった上でやってるとしたらお前の方がよっぽどクレイジーでサイコだ。


「僕が聞いたのは、中身を知っていた方が依頼が円滑に進むかと思っただけだ。他意はない!」

「えー。でも本当にそう思っているなら、ちゃんと聞かなきゃいけなかったんじゃないっすか? ちゃんと仕事するために必要な情報だったなら、堂々と聞けばよかったじゃないっすか! なんで途中で聞くのやめっちゃったっすか?」

「うぐ……」


 まともなことを言いやがって……大曲おおまがりの癖に……!


 忌々しいことに、大曲おおまがりの指摘は痛いところをついてきている。聞くのをためらってしまったのは、正直僕のなかで「仕事」よりも「興味」が勝っていたという後ろめたさからだった。


 依頼人と受取人の関係、写真で外見も確認し、配達に必要な情報は大体集まっていたにもかかわらず、「衣類」と聞いてどんなものか気になってしまった。大曲おおまがりほどいかがわしい想像をしたわけではないけれど、誰かのプライベートを覗いてみたいという下衆な思いがあったことは否定しきれない。


「ともかく、包みの中身を見ないと言った以上、絶対に見ない。約束は守るってのは、社会で生きていく上で一番重要なことだろ」

「え~。バレなきゃいいじゃないっすか~」

「ダメだ。そう言う問題じゃない」


 僕がきっぱりとそう言うと、


「じゃ、いいっす。そこまで見たいわけじゃないっすから」


 大曲おおまがりはけろっとした顔でそう言って、拍子抜けするほどあっさりと引き下がった。



 大曲おおまがりと一緒に仕事をするようになって、約半年が経つが、こんなことばかりだった。


 出会ってから今まで、僕は一度たりとも大曲おおまがりの本音らしきものを聞いたことが無い。彼女はいつもその場のノリと勢いだけで会話をしていた。本当にうわべだけの、表面的な楽しさだけを求め続けていて、その根幹にある思想みたいなものが一切見えない。


 何かを主張することもあるが、僕が反論すればあっさりと取り下げる。今回だって「僕に風呂敷の中身を見せない」と桂木かつらぎさんと約束したにもかかわらず、次の瞬間には自分から包みを開けようとする。しかも、本気で中身が見たいわけでもない。


 何のこだわりもなく、何の矜持もなく、言葉の流れるままにその場限りの盛り上がりだけを優先し、息をするように約束を破る。「それをやってしまったら、元も子もない」、そういうことを平然とやってしまう。そんな危うさが大曲おおまがりにはあった。


「……あのな、大曲おおまがり。そんな風にその場のテンションだけでテキトーなことばっか言ってると、誰からも信用されなくなっちまうぞ?」


 僕は思わず説教臭いセリフを大曲おおまがりに言ってしまった。大曲おおまがりのこの先を案じた言葉のはずだったが、彼女は意にも介さない。


「わっ。せんぱい、あたしのこと心配してくれるっすか! 良い人っす~。惚れちゃいそうっす!」


 そんなことを言いながら、自分の頬に両手をあて、くねくねと身体をよじらせている。

 当然、これも言っているだけだ。その実、僕のことなんて何とも思っていないのだろう。


「おい、真面目に聞けよ。僕はお前がほんとに……」

「大丈夫っすよ」


 あまりにも会話に手ごたえがなく、つい声に熱を込めてしまった僕に対して、大曲おおまがりはいつもと変わらない軽い調子で返事をする。


「大丈夫っす。人から嫌われるのも、信用を失うことも、せんぱいに見限られることも、社長にこの会社クビにされることも……。あたしにとってはどうでもいいことっすから」


 大曲おおまがりは、そう言って、何を考えているか全くわからないヘラヘラした笑顔を浮かべた。


 その表情は腑抜けてはいるが、嘘をついているようには見えず、それがかえって不気味だった。


 僕は、時々、コイツが怖い。


「……まあいい。とりあえず、準備しろ」

「? 準備ってなんのっすか?」


 急に話題を切り替えたせいか、大曲おおまがりが頭上に疑問符を浮かべた。僕は無言で壁にかけている時計を指さす。年代物の壁掛け時計の針は、午後四時を指している。窓から差し込む光は少しずつ赤みを帯びてきており、もうすぐ今日という日が終わることを告げていた。


 つまり、ちょうどいいころあいだ。


「今から行くぞ。【黄昏】」

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