007「回想〜桂木芽衣子〜」
――――そうですね。私と
アヤノちゃんは私の家の近くに住んでたお姉さんでした。私が中学に入学したときくらいに引っ越してきて、確かその時高校一年生……。だから私とは三つ年が離れています。
ご近所さんになってすぐ、私の家に挨拶に来てくれたんですけど、一目見たときに、なんていうのかな。「こんな人と仲良くなれたら、どんなに幸せだろう」って思ったんです。
なんでだろう。アヤノちゃんが凄く綺麗だったっていうのはあります。透き通るくらいに白い肌、ちょっと色素の薄い瞳に、すらっとして綺麗な手足、それになんといっても、つやつやした黒くてまっすぐな黒髪……。お人形さんみたいだなって思ったの、よく覚えてます。
今も結構そうですけど、当時の私は人見知りがひどかったんです。ただでさえ初対面のご近所さんに緊張しているのに、その相手がこんなに綺麗な人……。私、ガチガチになっちゃって、一言も喋れませんでした。
でも、アヤノちゃんはそんな私に、ものすごく優しくて柔らかい笑顔で話しかけてくれました。アヤノちゃんの笑顔って、すっごく綺麗なのに、雰囲気は穏やかなおばあちゃんみたいな温かさがあって、見ているだけで安心できるんです。一目見るだけで、「ああ、この人は大丈夫だ」って思わせてくれる感じ。
アヤノちゃんは「これからよろしくね」って、「可愛い妹ができたみたいで嬉しい」って言ってくれました。今思えば、社交辞令みたいなものだったのかもしれないけれど、私、それですごく舞い上がっちゃって、それから、私達は本当の姉妹のように仲良くなりました。仲良くなったっていうか、私が懐いたっていう方が近いですね。何をするにも、アヤノちゃんと一緒にしたい、みたいな。
アヤノちゃんは、顔とか雰囲気がいいだけじゃなくて、すごく頭の良い人でした。学校の成績とかももちろんですけど、話し方がとっても賢いんです。かといって、それを鼻にかけるような感じもなくて、知性がにじみ出るっていうんですかね。何気なく使う言葉のひとつひとつが、すっと入ってくるんです。それだけじゃなくて、アヤノちゃんはとっても聞き上手でした。私のつたない話もちゃんと聞いてくれて、一緒に笑ってくれたり、怒ってくれたり、別の考え方を示してくれたりしました。
中学生にとって、高校生ってすっごい大人なイメージじゃないですか。でもそういうの抜きにしても、アヤノちゃんは大人でした。アヤノちゃんを見た後だと、同級生とか、通学路で見かける高校生たちとか、同世代の芸能人とかがとても幼く見えてしまいました。会った当初のアヤノちゃんよりも今の私は年上ですけれど、全然追い抜けた気がしません。
ああ、こんなにすごい人がこの世界にいるんだ。そう思うだけで、生きているのが楽しくなる。明日が来るのが嬉しくなる。そんな憧れの人だったんです――――
「せんぱいせんぱい」
いつの間にか僕の隣の席に座っていた
「なんだ
「……強い百合の波動を感じるっす!」
「波動て……」
「きれいなお姉さまとかわいい妹……徐々に二人の距離感は友達のそれを超えていくっす! ふとした表情にドキッとしたり、手と手が触れるだけで甘い痺れが走ったり……もっと深く、つながりたいという欲望と、今の関係が壊れる怖さに揺れ動いた末の、『私、女の子なのに……へんだよね、こんなの』……的な!!」
「いやいや、これはよくあるパターンっすよ。テンケー的な禁断の恋っす!!」
「典型的な禁断って……なんか矛盾してるような……」
テンプレートが存在する時点でもう禁断感は大分薄まっているような気がする。
いや、多様性が許容されてるわけだからいい事なんだけどね。
しかし……そんな
黄昏運送に依頼に来るという事は、そういうことだ。
それと、桂さんの髪型……。少々極端なまでのショートカットには違和感があった。
「あの……どうかなさいました?」
そんなことを考えて、不自然に黙り込んでいた僕を不審に思ったのか、
「ああ、申し訳ありません。続けてください」
「は、はい。それじゃあ……」
――――そんな感じで、私とアヤノちゃんは仲良しになっていったんですが……。アヤノちゃんは昔から身体が弱くて、時々学校を休んでました。私と喋ってる時や遊んでる時は、全然普通だったんですけど、実はかなり悪い病気だったみたいで……。私に気をつかわせないように、隠してたんだと思います。それなのに、私と一緒に受験勉強してくれたり、買い物に行ってくれたり、変わらずにお姉ちゃんみたいに接してくれていました。
だから私は、アヤノちゃんの病気がどれくらい悪くなってるかとか、全然分からなかった。時々、すごく顔色が悪い日とか、何日も連続で学校を休んでる時もあったけど、私が「大丈夫?」って私がきくと、「全然平気! 心配かけてごめんね」っていつも通り優しく笑うんです。だから、そのうち良くなるんじゃないかって思ってました。そうであってほしいって思ってました。
でも、ちょうど私が高校一年生になった時……だから、アヤノちゃんは大学一年生ですね。その時はもう学校にも行けないくらい悪くなってたんです。それからはずっと入院していて……。それでもアヤノちゃんは私がお見舞いに行くと、ほんとに喜んでくれたんです。
その喜ぶ顔が嬉しくて、私もつい学校の悩みの相談とか、アヤノちゃんに教えてもらった本の感想とか、そんな他愛もない話をしに病院に何度も通ってました。アヤノちゃんは出会った時と全然変わらない、柔らかい笑顔で私を迎えてくれたんです。これならすぐに退院できるねって、退院したら遊園地とかデパートとか本屋さんとか、一緒にいこうねって約束してました。
……でも、アヤノちゃんは、会うたびにやつれて、日に日に小さくなっていくようでした。話せる時間も短くなっていきました。
それでも私は、ほとんど毎日病院に通って、ほんの少しでもアヤノちゃんと話をしました。段々やつれていくアヤノちゃんを見るのはつらかったけど、その日を逃したら、もう二度と話せなくなるかもしれないって思うと、会いたくて会いたくて仕方なかった。学校が終わると、すぐに病院に行って、学校であったこととか、くだらないことをいっぱいしゃべりました。いつでもアヤノちゃんは私が来るのを喜んでくれて、いつでも素敵な笑顔で迎えてくれました。
その笑顔を見ていると、少しだけ安心できました。きっと大丈夫。アヤノちゃんが死ぬわけない。また元気になって一緒に遊びに行けるって。淡くても期待を持つ事ができたんです。
……でも、結局アヤノちゃんは私が高二に進級したころ、亡くなりました。
まだ二十歳でした。薄々分かっていたことでした。アヤノちゃんはもう長くない。むしろ長く生きた方だと、お医者さんはおっしゃったそうです。でも、アヤノちゃんにもうすぐ会えなくなってしまう事実から、私は必死に目を背け続けていました。
だから、お葬式で、棺の中で目を閉じるアヤノちゃんを見た時、私はもう何が何だか分からなくなってしまいました。いろんな感情が一度に出てきて、頭の中が、本当に真っ白になりました。
もうアヤノちゃんと話すことも、お出かけすることも、ご飯を食べることも、背中合わせで本を読む事も、勉強を教えてもらうことも、面白い映画の感想を言い合うことも、学校の愚痴をこぼすことも、笑い合うこともできないんだって。それに、大好きだったことも、感謝も、伝えることができないんだって……。
それがアヤノちゃんの、死化粧でいつも以上に真っ白になった顔からはっきりと伝わってくるのに、でもその事実をきちんと受け止めきる事ができなくて……。何をどうすればいいか全くわからなくなってしまいました。
それからしばらく、私は本当に何もできない人間になりました。何をするにも無気力で、学校に行くことはおろか、ベッドから起きることもできない。そんな状態です。昼とか夜とかそういう感覚もなくなって、何というか、この世のすべてがどうでも良くなって、自分が生きているのか死んでいるのかよくわからない、ぼんやりした感じがずっと続く……そんな毎日でした。
ちょうどその時、何気なく見ていたネットの記事で、【黄昏】を知りました。この世に未練を残して亡くなった人が集まる場所がある。その世界には生きている人間は入れないけれど、時々入り込むことができる人がいる。そこに入ってしまった人間は、生きて出てくることはほとんどない。だけど、その【黄昏】に荷物を届けることができる運送屋がある、と。
最初はよくあるくだらないオカルトだな、と感じました。普段だったら絶対に信じなかったと思います。でもその時、私自身、何というか、「生きていることと死んでいること」の境界線が曖昧になっていて、そういう「生と死の境目」みたいな世界があるってことを、素直に受け入れることができた。
ちょうどその時、見計らったようにあのチラシがポストに入っていたんです。
奇妙なほどにピッタリのタイミングに、運命みたいなものを感じてしまいました。
もしかしたら、その【黄昏】には、アヤノちゃんがいるかもしれない。もし、そうだとしたら。自分の想いを伝えられるかもしれない。会うことも、話すこともできないけれど、伝えることはできるかもしれない。今までの感謝とか伝えきれなかったこととか、そういうものを届けられるかもしれない。そう思ったら、いてもたってもいられなくなって……。
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