006「黄昏運送 利用要項」
「
「……」
「お渡しするのはこの風呂敷包み、と。こちらも問題ないでしょうか?」
「……」
「それではご利用に際しての注意事項を……」
「…………」
「
「え、ああ、はい」
週末、約束通り再びやってきた
応接室で『配達依頼書』を書いてもらっているときも、依頼内容を確認しているときも、目線がふらふらと動き続けている。僕の呼びかけにも生返事を返すだけだ。
「どうか、なさいましたか?」
「い、いえ、大したことではないのですが……」
妙に歯切れが悪い。何か気になることでもあるのだろうか。
「なんでもおっしゃって下さい。お客様にご不便があってはいけませんから」
「そ、そうですか? では、お言葉に甘えて……」
「あの方、
指の先には、完全に生気を失って、茫然自失のまま突っ立っている
いつものハイテンションは何処へやら、しゃべる気力も無いらしく、立っているのがやっとという有様だった。足はがくがくと震え、視線は虚空をさまよっている。見るからに満身創痍だ。
「もう少し騒がしい、というかお元気な方だったような……」
「大丈夫です。問題ありません」
「ホントですか? 今日、まだ一言もしゃべってませんけど」
「ええ、静かでいいでしょう?」
「でも、白目むいて痙攣してるように見えるんですが……」
「お気になさらないでください。背景の一部、インテリアか何かだと思っていただければ」
「あんなゾンビみたいなインテリア嫌です……あの、なんとかなりませんか? ちょっと気になってしまって……」
ふむ。個人的には
「おい、
僕がそう叱責すると、
「昨日はせんぱいが寝かせてくれなかったじゃないっすか!」
「……え」
「おい、ふざけんな。何で誤解を生むような言い方するんだ。単にテストが長引いただけだろ」
初めて
それに、
とはいえ、連日深夜までテストを行った上、何度も同じ問題を繰り返すことで、
「せんぱいったら、あの手この手であたしの弱いところをついて!」
「テストでな」
「あたしがもうやめてっていっても、執拗に攻め続けて!」
「復習な!」
「終わったと思ったら急に抜いたり打ったり!」
「抜き打ちな!!」
なんでわざわざいかがわしい言い方するんだ。
なんだ「抜いたり打ったり」って。言いたいだけだろ。
「男の人って、不潔です……」
僕らのやり取りを聞いて、
どうやら
「違いますよ! 僕と
「そんなこと、分からないじゃないですか! 先輩という立場を使って、後輩社員に手を出すなんて……」
「大丈夫です。絶対にありえません」
誠意が伝わるように、まっすぐ
「僕、自分より背の高い人は恋愛対象として見られませんから」
「狭! せんぱいのストライクゾーン、狭くてキモいっす!」
おい、狭いはともかく、キモいってなんだ。別にいいだろ。低身長なのちょっと気にしてるんだから。
僕の言葉を受けて、
そして、安心したように息を吐く。
「良かった……私、対象外……」
「
彼女も大分この黄昏運送の空気に慣れてきたらしい。
閑話休題。
「さて……
「あ、はい。なんでしょう」
事務的なトーンで話し始めた僕に合わせて、
「まず、最初に断っておかなければならないのですが、
「え……そうなんですか?」
「はい。詳しくは申し上げられませんが、この世界と【黄昏】の境界が曖昧になりすぎるのは、危険なんです。僕らはあくまで荷物を渡すだけです」
「で、でも……それじゃあ本当に渡せたかどうか分からないじゃないですか?」
「おっしゃる通りです。そのための、『配達依頼書』です。……こちらの押印欄に触ってみてください」
『配達依頼書』を
「……あれ? 触れない?」
しかし、指はその押印欄をよけてしまった。
「あれ? なんで? 気持ち悪い……」
それから何度か
「……このように、この押印欄は生きている人間では触れないようになっています。ですが、【黄昏】の住人達は、触ることができます」
「そんなの、どうやって……」
「それは……企業秘密です」
というか、僕も知らない。この『依頼書』は社長が独自のルートで仕入れており、原理、製造法、仕入れ値その他はすべて不明である。
実のところ僕もこの『依頼書』の押印欄に触れてみようと何度も試しているが、どうやっても触れることはできていない。あまりにも腹が立って紙を破ろうとしたこともあるが、僕の強靭なマッスルをもってしても、この紙を裂くことはできなかった。
「せんぱい! せんぱいにマッスルはないっす! この前あたしに腕相撲負けて半ベソかいてたじゃないっすか!」
「黙れ
心を読むな。そして、余計なことを言うな。
「ええ……」
ちょっと
「いえ、その、あれですよ? 後輩の女性に本気で腕相撲なんてするわけないじゃないですか。文字通りのパワハラですよ。パワー(物理)ハラスメントですよ」
小粋なジョークをからめて煙に巻こうとしたが、
「いやいや~。あの時のせんぱいの顔は絶対本気だったっす! あたしに負けてマジで拗ねてたじゃないっすか! しばらくあたしのこと、僻みっぽく『横綱』って呼んでたじゃないっすか! いい大人が何言ってんだってちょっとビビったっす!」
「えぇ……」
ケタケタと笑いながら楽しそうに喋る
「……話が少しそれましたが、配達が完了したら、受取人、つまり【黄昏】の住人には、この欄に受領印をいただくことになっています。受領印の押印を受けたこの『依頼書』をお返しすることで、配達完了、という運びになります」
「……なるほど、とりあえず、了解しました」
「それから、もう一つ。こちらの方が重要なのですが……」
「なんでしょう」
「実は、【黄昏】には住所のようなものはありません。僕たちは【黄昏】の中を歩き回りながら、受取人を探して回らなければなりません。さらに、【黄昏】では生きている間とかけ離れた容姿をしていることがあります」
「……そう、なんですね」
「ですから、僕たちは、受取人……今回は『
これも、黄昏運送の特徴だ。普通の運送会社は、送る側、受け取る側の事情などに立ち入ることはない。良くも悪くも、モノを運ぶだけ。その荷物が送る人にとって、また受け取る人にとってどういう意味があるかなんて運送会社には関係ない。
しかし、【黄昏】という場所の特性上、僕らは荷物を送る側、受け取る側双方の事情を聴く必要がある。そうしなければ、あの奇妙な空間では、荷受人を探すことも、荷物を手渡すこともできなくなってしまう。
「……」
この瞬間、誰かの個人的な部分に踏み込む瞬間が、僕はこの仕事の中で苦手だ。怪しい運送屋の怪しい従業員に、自分の過去や受取人との関係を洗いざらい話さなければならない。それに抵抗を覚えない人なんていない。
得体のしれない会社が、存在するかどうかも分からない世界に、原理もよくわからない方法で荷物を運ぶ。その上、自分の過去まで喋らされる。
どう考えても割に合わない。あまりにも怪しすぎる。
事実、説明の途中でここを去る人は多い。
しかし、それでも、ほんの少しでも可能性があるのなら。
そんな強い想いを持つ人はここに残る。
僕は静かに
「……わかりました。話します」
たっぷり三十秒ほどの沈黙の後。覚悟を決めたように
「……ありがとうございます。それでは、聞かせてもらえますか?」
僕は、少しだけホッとしながら、「
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