006「黄昏運送 利用要項」

大貫彩乃おおぬきあやの……お荷物を届けたい相手のお名前はお間違えないですか?」

「……」

「お渡しするのはこの風呂敷包み、と。こちらも問題ないでしょうか?」

「……」

「それではご利用に際しての注意事項を……」

「…………」

桂木かつらぎさん?」

「え、ああ、はい」


 週末、約束通り再びやってきた桂木かつらぎさんだったが、事務所に入るなりずっと上の空だった。

 

 応接室で『配達依頼書』を書いてもらっているときも、依頼内容を確認しているときも、目線がふらふらと動き続けている。僕の呼びかけにも生返事を返すだけだ。


「どうか、なさいましたか?」

「い、いえ、大したことではないのですが……」


 妙に歯切れが悪い。何か気になることでもあるのだろうか。


「なんでもおっしゃって下さい。お客様にご不便があってはいけませんから」

「そ、そうですか? では、お言葉に甘えて……」


 桂木かつらぎさんは部屋の隅を指さした。


「あの方、大曲おおまがりさん、大丈夫ですか?」


 指の先には、完全に生気を失って、茫然自失のまま突っ立っている大曲おおまがりがいる。


 いつものハイテンションは何処へやら、しゃべる気力も無いらしく、立っているのがやっとという有様だった。足はがくがくと震え、視線は虚空をさまよっている。見るからに満身創痍だ。


「もう少し騒がしい、というかお元気な方だったような……」

「大丈夫です。問題ありません」

「ホントですか? 今日、まだ一言もしゃべってませんけど」

「ええ、静かでいいでしょう?」

「でも、白目むいて痙攣してるように見えるんですが……」

「お気になさらないでください。背景の一部、インテリアか何かだと思っていただければ」

「あんなゾンビみたいなインテリア嫌です……あの、なんとかなりませんか? ちょっと気になってしまって……」


 ふむ。個人的には大曲おおまがりが静かな方が仕事しやすくていいのだが、依頼人にそう言われては仕方が無い。

 

「おい、大曲おおまがり。お客様の前で失礼だろ。ちゃんと立て。体調管理も仕事のうちだぞ」


 僕がそう叱責すると、大曲おおまがりはキッと僕の方をにらみつけた。


「昨日はせんぱいが寝かせてくれなかったじゃないっすか!」

「……え」


 大曲おおまがりの言葉に、桂木かつらぎさんの顔がこわばる。

 

「おい、ふざけんな。何で誤解を生むような言い方するんだ。単にテストが長引いただけだろ」


 初めて桂木かつらぎさんがこの事務所に来た日、大曲おおまがりが僕が精魂込めて行った社内研修を完璧に忘却していたことが発覚し、危機感を覚えた僕は、それから連日連夜、大曲おおまがりに我が社の業務マニュアルのテストを行った。


 大曲おおまがりの記憶力はひどいもので、数秒前教えたこともすぐに忘れてしまう。覚えるという機能がそもそも脳に搭載されていないのかもしれないと思わせる程だった。


 それに、大曲おおまがりのテキトーな性格。隙あらばボケを繰り出そうとする悪癖も相まってテストはさらに長期化した。大曲おおまがりは、穴埋め試験と大喜利の区別がついていないらしく、学力以前の人間性から叩きなおさなければならなかった。


 とはいえ、連日深夜までテストを行った上、何度も同じ問題を繰り返すことで、大曲おおまがりの体力とボケのレパートリーも限界を迎え、やっと今朝、大曲おおまがりは及第点をとるに至った。満身創痍なのは寝不足と普段使わない頭をほぼ一週間ぶっ続けで使い続けたためである。


「せんぱいったら、あの手この手であたしの弱いところをついて!」

「テストでな」

「あたしがもうやめてっていっても、執拗に攻め続けて!」

「復習な!」

「終わったと思ったら急に抜いたり打ったり!」

「抜き打ちな!!」


 なんでわざわざいかがわしい言い方するんだ。

 なんだ「抜いたり打ったり」って。言いたいだけだろ。


「男の人って、不潔です……」


 僕らのやり取りを聞いて、桂木かつらぎさんの顔がどんどん赤くなっていく。

 どうやら大曲おおまがりの言うことを真に受けているらしい。僕は僕の名誉を守るため、慌てて桂木かつらぎさんに言った。


「違いますよ! 僕と大曲おおまがりの間にそういう関係とか、ありえませんから」

「そんなこと、分からないじゃないですか! 先輩という立場を使って、後輩社員に手を出すなんて……」

「大丈夫です。絶対にありえません」


 誠意が伝わるように、まっすぐ桂木かつらぎさんを見つめて言った。


「僕、自分より背の高い人は恋愛対象として見られませんから」

「狭! せんぱいのストライクゾーン、狭くてキモいっす!」


 おい、狭いはともかく、キモいってなんだ。別にいいだろ。低身長なのちょっと気にしてるんだから。


 僕の言葉を受けて、桂木かつらぎさんは僕の全身をまじまじと見つめた。

 そして、安心したように息を吐く。


「良かった……私、対象外……」

桂木かつらぎさん? 段々遠慮なくなってきてません?」


 彼女も大分この黄昏運送の空気に慣れてきたらしい。



 閑話休題。



「さて……桂木かつらぎさん。これから配達をするにあたって、いくつか確認させていただきたいことがあります。よろしいですか?」

「あ、はい。なんでしょう」


 事務的なトーンで話し始めた僕に合わせて、桂木かつらぎさんも居ずまいを正した。


「まず、最初に断っておかなければならないのですが、桂木かつらぎさんから荷物を送ることはできますが、受取人の方から返事をいただくことはできません」

「え……そうなんですか?」


 桂木かつらぎさんが顔を曇らせる。少し返事が来ることを期待していたようだ。


「はい。詳しくは申し上げられませんが、この世界と【黄昏】の境界が曖昧になりすぎるのは、危険なんです。僕らはあくまで荷物を渡すだけです」

「で、でも……それじゃあ本当に渡せたかどうか分からないじゃないですか?」

「おっしゃる通りです。そのための、『配達依頼書』です。……こちらの押印欄に触ってみてください」


 『配達依頼書』を桂木かつらぎさんに渡す。怪訝そうな顔をしながら、桂木かつらぎさんは僕に言われた通り、押印欄に親指をあてようとする。


「……あれ? 触れない?」


 しかし、指はその押印欄をよけてしまった。


「あれ? なんで? 気持ち悪い……」


 それから何度か桂木かつらぎさんは欄に触れようと指を近づけたが、どうやっても触れることができない。触れようとしても、指が勝手によけてしまう。自分の思い通りに自分の身体が動かない不気味さに、桂木かつらぎさんは顔をしかめた。


「……このように、この押印欄は生きている人間では触れないようになっています。ですが、【黄昏】の住人達は、触ることができます」

「そんなの、どうやって……」

「それは……企業秘密です」


 というか、僕も知らない。この『依頼書』は社長が独自のルートで仕入れており、原理、製造法、仕入れ値その他はすべて不明である。


 実のところ僕もこの『依頼書』の押印欄に触れてみようと何度も試しているが、どうやっても触れることはできていない。あまりにも腹が立って紙を破ろうとしたこともあるが、僕の強靭なマッスルをもってしても、この紙を裂くことはできなかった。


「せんぱい! せんぱいにマッスルはないっす! この前あたしに腕相撲負けて半ベソかいてたじゃないっすか!」

「黙れ大曲おおまがり


 心を読むな。そして、余計なことを言うな。


「ええ……」


 ちょっと桂木かつらぎさん引いてるじゃないか。


「いえ、その、あれですよ? 後輩の女性に本気で腕相撲なんてするわけないじゃないですか。文字通りのパワハラですよ。パワー(物理)ハラスメントですよ」


 小粋なジョークをからめて煙に巻こうとしたが、大曲おおまがりは追撃をやめない。


「いやいや~。あの時のせんぱいの顔は絶対本気だったっす! あたしに負けてマジで拗ねてたじゃないっすか! しばらくあたしのこと、僻みっぽく『横綱』って呼んでたじゃないっすか! いい大人が何言ってんだってちょっとビビったっす!」

「えぇ……」


 ケタケタと笑いながら楽しそうに喋る大曲おおまがりだったが、それを聞いている桂さんの視線は呆れを通り越した哀れみの色を帯び始めていた。これ以上この話を続けても、僕は損をするだけだ。とっとと本筋に戻ろう。


「……話が少しそれましたが、配達が完了したら、受取人、つまり【黄昏】の住人には、この欄に受領印をいただくことになっています。受領印の押印を受けたこの『依頼書』をお返しすることで、配達完了、という運びになります」

「……なるほど、とりあえず、了解しました」


 桂木かつらぎさんは浅く頷いた。疑問は色々あるだろうが、一応僕の説明を受け入れてくれたようだ。


「それから、もう一つ。こちらの方が重要なのですが……」

「なんでしょう」

「実は、【黄昏】には住所のようなものはありません。僕たちは【黄昏】の中を歩き回りながら、受取人を探して回らなければなりません。さらに、【黄昏】では生きている間とかけ離れた容姿をしていることがあります」

「……そう、なんですね」

「ですから、僕たちは、受取人……今回は『大貫彩乃おおぬきあやの』様ですね。この方の特徴や過去を依頼人の方からヒアリングしなければならないんです。それも、出来る限り細かくです。こちら……ご協力、頂けますか?」


 これも、黄昏運送の特徴だ。普通の運送会社は、送る側、受け取る側の事情などに立ち入ることはない。良くも悪くも、モノを運ぶだけ。その荷物が送る人にとって、また受け取る人にとってどういう意味があるかなんて運送会社には関係ない。


 しかし、【黄昏】という場所の特性上、僕らは荷物を送る側、受け取る側双方の事情を聴く必要がある。そうしなければ、あの奇妙な空間では、荷受人を探すことも、荷物を手渡すこともできなくなってしまう。


「……」


 桂木かつらぎさんはうつむき、しばらく口を閉じた。膝の上に載せられている手のひらは、自分の膝をぎゅっとつかんでいる。


 この瞬間、誰かの個人的な部分に踏み込む瞬間が、僕はこの仕事の中で苦手だ。怪しい運送屋の怪しい従業員に、自分の過去や受取人との関係を洗いざらい話さなければならない。それに抵抗を覚えない人なんていない。


 得体のしれない会社が、存在するかどうかも分からない世界に、原理もよくわからない方法で荷物を運ぶ。その上、自分の過去まで喋らされる。


 どう考えても割に合わない。あまりにも怪しすぎる。

 事実、説明の途中でここを去る人は多い。


 しかし、それでも、ほんの少しでも可能性があるのなら。

 そんな強い想いを持つ人はここに残る。


 僕は静かに桂木かつらぎさんの返事を待った。


「……わかりました。話します」


 たっぷり三十秒ほどの沈黙の後。覚悟を決めたように桂木かつらぎさんはそう言った。その目に、迷いはないように見える。それだけ、彼女はこの依頼に本気らしい。


「……ありがとうございます。それでは、聞かせてもらえますか?」


 僕は、少しだけホッとしながら、「大貫彩乃おおぬきあやの」に関することの聞き込みを開始した。

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