005「【黄昏】」

「あの……。ここなら『死者に荷物を届けられる』っていうのは、本当なんでしょうか?」


 桂木かつらぎさんはたどたどしくそう言った。声は弱々しく、自分でも自分の口から飛び出した言葉を信じがたく思っているのが見て取れる。


 そりゃそうだ。「死者に荷物を届けられる」なんて、ごく普通の人生を歩む正常な人間なら絶対信じない。信じたくとも、信じられるはずがない。


「ええ、本当です。我々は亡くなった方々に荷物を届ける事が出来ます」

「……!」


 だから、僕がこともなげにそう言うと、誰もが似たような反応をする。

 僕の顔をまじまじと見つめ、表情のどこかに悪ふざけや冗談の気配がないかを探すのだ。しかし、そんな気配は見つかるはずがない。


 僕にとって「死者に荷物を届ける」ことは仕事であり、サラリーマンが朝が来たら会社に行くのと同じくらい、あたりまえ過ぎることだからだ。

 

 「運送」の名を冠しているにもかかわらず一般の運送事業から撤退してしまった黄昏運送が、それでも店を畳まないのは、この仕事が残っているからである。


 死者への配達。このビジネスこそが黄昏運送をギリギリ延命させている。ニッチもニッチ。競合他社などいるはずながい、オンリーワン(もしくはロンリーワン)のビジネスモデルだ。


 ここで言う、「死者に荷物を届ける」という言葉の意味は、墓石の前にお供え物をする、といったようなスピリチュアルだったりリチュアルだったりする話ではない。それならば寺院や教会で事足りる。祈りや儀式に収まりきらない死者への想いを持つ者だけが、この黄昏運送にやってくるのだ。

 

「ええと、ごめんなさい……やっぱりちょっと、信じられなくて……」


 桂木かつらぎさんは僕の表情に混乱しているようだった。自分でチラシを見て、事務所を訪ねて、想像したとおりの返事をもらっているはずなのに、それでも状況が飲み込めない、そんな表情だ。


「大丈夫ですよ。最初は皆さんそうおっしゃいます……順を追って説明させて頂いてもよろしいですか?」

「……はい、よろしくお願いします」


 桂木かつらぎさんの目がまっすぐこちらを向く。整った顔立ちと、活発な短い髪と、地味な眼鏡がいっぺんに視界に入ってきて、妙にちぐはぐな印象を受けた。


 僕は一つ咳払いをして口を開いた。


「……亡くなった方に荷物を届ける、といっても、今まで亡くなった人間全員、というわけではありません。渡せる人の範囲は決まっています……桂木かつらぎさんは【黄昏】をご存じでしょうか?」


 桂木かつらぎさんの眉がぴくり、と動く。

 お、反応あり。これなら説明しやすそうだ。


「……聞いたことはあります。ネットの記事で、ですけど」

「【黄昏】? なんっすかそれ。聞いたことないっす!」


 目の前の桂木かつらぎさんの声と、僕の後ろに立っていた大曲おおまがりの声がかぶった。


 コイツ……。つい先月研修やったのに……!


 僕は後で大曲おおまがりにげんこつと我が社マニュアルの抜き打ちテストをぶつけることを固く心に誓い、一旦は目の前の桂木かつらぎさんへの接客に集中した。


「ご存じであれば話は早い。【黄昏】、それは日没直後、雲のない西の空に赤く光る日の光に包まれる時間帯に現出します。この時間は『逢魔が時』とも呼ばれておりまして、昔から妖怪や幽霊の活動が活発になると言われています」

「ホエー。知らなかったっす。せんぱい、物知りっすねー」

「……」


 桂さんの目線は僕の後ろの大曲おおまがりにくぎ付けになっている。表情には困惑がみてとれた。自分の仕事についてこれほど知らない人間がいるなんて信じられないのだろう。気持ちはわかる。僕だって信じたくない。


「【黄昏】は死者の世界です。亡くなって肉体を失った方々、そしてその中でこの世に『未練を残して』亡くなった方々がその世界にひしめいています。僕たちはその世界に入って、お客様の荷物をお届けするのです」

「うへー。うさんくさー。そんな場所、ほんとにあるんすかー? せんぱい、嘘ついたらいけないんすよ!」

「……普通、この【黄昏】に生きている人間は入れません。基本的に彼らの世界に干渉することはできないんです。……が、ごくまれに、その世界に生きたまま紛れ込めてしまう人がいるのです」

「ええ!! そんな人がいるんっすか?! すっげー!! 会ってみたいっす!」

「……ただ、【黄昏】に紛れ込んでしまった生者の末路は悲惨なものになります。肉体の存在しない、いわば霊魂だけの世界。そこに足を踏み入れてしまうと、ほとんどの人は、生きて元の世界に戻って来ることはできません」

「なーんだ。じゃあ会えないんすね。ざんねんっすねー」

「……しかし、ごくごく稀に、【黄昏】から生きて戻って来ることができた人間もいます。そして、その人間が一定の訓練を積むと、自由に【黄昏】に出入りできるようになるのです」

「ええ!! そんなことができる人がいるっすか!! どえらい天才っすね!!」

「……それが我々、『黄昏運送』のメンバーなのです」

「どっひゃー! 凄い会社っすー! よっ! 唯一無二!!」

「……」


 ……マジでコイツうるせぇ……。


 大曲おおまがり的には上手に合の手を入れているつもりなのかもしれないが、完全に逆効果だ。めちゃくちゃ鬱陶しい。桂木かつらぎさんはの顔は引きつって、へたくそな愛想笑いを浮かべている。


「……ええと、とにかく、こちらに荷物を預けたら、【黄昏】にいる亡くなった方に、荷物を届けてもらえる……っていう理解で大丈夫ですか?」

「あ、はい。その通りです」


 僕らのグダグダな説明でも、とりあえず要旨は伝わったらしい。桂木かつらぎさんはテーブルの上の自分が持ってきた風呂敷包みに視線を落とす。


 そして、少しの間沈黙した後……。


「……わかりました。私の荷物、届けていただけますか?」


 意を決した目で僕らに向かってそう言った。


「え、いいんですか? 自分で言うのもなんですけど、めちゃくちゃ胡散臭い説明でしたよ? 信じてくださるんですか?」


 正直今の僕の説明は、大曲おおまがりの合の手を差っ引いても、信憑性は薄いものに思える。

 しかし、桂木かつらぎさんははっきりと言った。


「はい。お願いします。私が事前に調べてきたネットの記事とほとんど内容が一致していましたし、正直ダメで元々のつもりなので」


 彼女の声には芯があり、揺るがない決意みたいなものを感じた。


 そう言われれば是非もない。よほど届けたい人がいて、よほど届けたい荷物があるのだろう。それならば、僕らも全力を尽くさなければなるまい。


「承知いたしました。しかし、本日はもう日が落ちてしまいました。お届けは明日以降になります。詳しい説明、注意事項などございますので、日を改めさせていただけますか?」

「分かりました。今週末、また来ます」

「はい、お待ちしております」


 桂木かつらぎさんは風呂敷包みを抱えたまま、すっと立ち上がった。立ち上がった拍子に短い前髪が揺れる。


「週末まで、お荷物はこちらでお預かりしましょうか?」

「……いえ、結構です。また持ってきます」


 桂さんは妙に強い口調でそう言って、挨拶もそこそこに事務所から出て行った。事務所には僕と大曲おおまがりだけが残された。


「いやー。かわいい子だったすね~」


 気の抜けた声で大曲おおまがりが言う。


「おまえな……ちょっとテキトーが過ぎるぞ。お客の前ではまともにやれ。ただでさえうちの会社は怪しいんだから」

「あんなにかわいい子でも失恋しちゃうんだから、世の中って難しいっすよねー」

「聞けよ!……? あん? 失恋?」


 急に何を言い出すんだこいつは……。


「勘っすけどね~。あの子、多分最近髪の毛バッサリ切ってるっす。乙女が自分の髪をバッサリ切るのは、失恋と相場が決まってるっすよ!」

「そ、そうなのか……?」


 やや強めの偏見が含まれているように思われるが、確かに彼女の髪型には違和感があった。まるで自分の髪型に、自分自身が慣れていないような、自分でもどうやって整えたら正解なのか分かっていないような、そんな感じがした。


 失恋かどうかはともかく、最近バッサリ髪を切った、というのは正解かもしれない。


「せんぱいは女心とか分からなそうっすもんね~。多分、彼女とかいたことないっすよね?」


 にやにやといやらしい笑みを浮かべる大曲おおまがり

 本当にコイツは僕のことを馬鹿にしすぎだ。僕にだって恋人くらいいたことがある。ひどい目にあったこともある。まあ、確かに経験は少ないししばらくはいないが……。


「そういう大曲おおまがり、お前は経験あるのか? 失恋で髪を切る、みたいなこと」

「いや、ないっすよ。あたし恋愛経験皆無っす。知識は全部マンガとアニメから吸収したっす!」

「……」


 悪びれもせずに言う大曲おおまがりにぐったりする。ほんと、なんなんだろうな、コイツ。


 しかし、恋人か……。



『欲しがってたでしょ。それ、全部あげる』


 急に出て行った彼女の顔がフラッシュバックする。それに引っ張られて、いろんな記憶が僕の中で自動再生される。


 出会ったときのこと、二人で読んだ本、彼女の描いた絵、着の身着のままの姿、近くのコンビニにでも行くような足取り、残された画材、半端に塗られたキャンバス、閉まった扉の妙に大きな音、戻らない彼女をずっと待ち続けた部屋、最後の言葉の意味、新聞記事、ネットニュース、コメンテーター、奇形殺人、犯人不明、歪な身体をした彼女の死体、そして【黄昏】…………。



 僕はちょっと強めに頭を振った。

 全部過去のことだ。今は関係ない。


「……大曲おおまがり

「なんっすか!」


 僕は少しずれた眼帯をもとの位置に戻しながら言った。


「今週末は久しぶりの仕事だ、それに先立ってやらなければならないことがある」

「うっす! まかせてくださいっす! 腕が鳴るっす!」


 大曲おおまがりはやる気満々、とばかりに握りこぶしを作った。入社して初めてのまともな仕事に、張り切っているようだ。


 うむ。やる気があるのは良い事だ。


 僕はにっこりと笑って、大曲おおまがりの目の前に分厚い紙の束をドサッと置いた。


「……我が社マニュアルの抜き打ちテストだ。満点になるまで帰れないと思え!」

「…………ふぎゅう」


 僕の怒りの叫びと大曲おおまがりの悲しげな鳴き声が、静かな事務所に響き渡った。

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