ただいま

尾八原ジュージ

ただいま

 父の仕事の都合で、七歳から二年ほど、関西の某市に住んでいたことがある。その頃、僕たちが住んでいた借家をたまにおかしなものが訪れた。

 それは大抵、夕方の六時くらいにやってきた。僕と弟が居間で遊んでいると、チャイムもなしに玄関のドアを開ける音がして、「タダイマァ」という声がそれに続くのだ。女性の声で、おかしなアクセントだった。日本語を習いたての外国人が無理に真似ているような感じだった。

 その声が聞こえると、母は僕と弟を台所に呼び寄せる。それから父が帰ってくるまで、僕たちはひっそりと台所に隠れるようにして過ごすのだ。決して玄関を見てはいけないと言われていたし、台所から出ようとすれば母は烈火の如く怒った。トイレに行きたくなったときは、台所にある裏口から外に出て隣の家に行った。隣のおばさんはなぜか嫌な顔ひとつせず、トイレを貸してくれたものだ。

 何が家に来ているのかわからないまま再び引っ越すことになったので、僕と弟はいまだにあれが何だったのか知らない。父と母は何か知っている様子だったが、頑なに語らないまま二人とも鬼籍に入ってしまった。


 その家に住んでいた当時、インコを飼っていた時期がある。居間にケージを置いていたのだが、あるとき例の何かがやってきて台所に避難する際、そのケージを持っていくのを忘れてしまった。

 居間は台所よりは玄関に近いけれど、玄関から直接は見えない。それでもインコはその一件以来すっかり元気をなくしてしまい、一ヶ月も経たないうちに死んでしまった。その一月足らずの間、インコはことあるごとに「ダァレモ、イナイナァ、イナァイ」としゃべっていた。

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ただいま 尾八原ジュージ @zi-yon

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