24時に消える記憶と一生消えない恋

水無月 葵彩

「おはよう、花陽」

その一声で彼女の1日が始まる。

彼女と付き合って7年。この会話で1日が始まることが始まったのは5年前。流石にこれだけの期間いると慣れてくる。

彼女の1日を始めさせることに成功した俺、大瀬良勇気はキッチンに戻る。熱を浴びる塩鮭を横目に見ながら黄色の層を作り上げる。黄色の層を作るタネは甘め。これが彼女の好み。弁当箱にできた黄色の層を入れる。余った部分は冷食にお任せする。いい感じに焼けた塩鮭をお皿の真ん中にのせ、わきに今日の余ったやつとレタス、プチトマト、昨日の夜のあまりのポテサラをのっけたところで彼女が着替えて部屋から出てきた。ソファに座り、テレビをつけたところで朝食を出す。俺も彼女も朝は和食派。

「いただきます」

しっかり手を合わせてから朝食をいただく。小さい頃の記憶は消えないみたい。

5年間、“前向性健忘症”と一緒に歩んできた 。

彼女と知り合ったのは大学の時。学部が一緒で隣の席だったことが始まり。俺があまりにも講義についていけなくて講義が終わってから必死に説明してもらってた。その流れで気づいたら一緒に行動するようになって、告ったらオッケーしてもらえた。人生はいい方向に向かっている。そう思ってた。でも神様は俺たちをいい方向には導いてくれなかった。

あの日は雨が強かった。他の地域では避難勧告が出るほど。幸いそこまでではなかったからよかったけども。講義の時間になっても隣は空のままだった。それは今日だけじゃなかった。次の日も、その次の日も席は空だった。彼女の親しい友人に聞いてみると 。


彼女は交通事故に遭っていた。雨で見通しが悪かった横断歩道、急いでいたダンプ、暗い色の傘、つかない街灯。そんな条件から彼女は生きることを許されなかった。と、誰もが思った。三日後、彼女は目を覚ました。でも記憶のほとんどが無くなっていた。記憶がない、24時で消えてしまうことは家族と僕しか知らなかった。もちろん大学は彼女はやめた。と言うよりも家族から半ば強制的にやめさせられた。彼女は事故に遭う前に行っていた。「どんな生徒からも愛されるような先生になりたい」と。その夢が消えた彼女は相当沈んだ。消えた彼女の夢は私が叶えてあげなきゃいけない、そう思った。いや、そう思うざるを得なかった。そして彼女と籍を入れたいと思った。もちろん彼女の両親は許してくれた。「このことを知ってるのは君しかいない。彼女を幸せにしてくれ」と。でも俺の親が許してくれなかった。そんな障がいを持っている彼女を幸せにできるのかと。仕事と両立できるのかと。正直親に腹が立った。でも逆らえなかった。そして彼女と同棲しながら生活している。彼女はこの症状を理解してくれる会社に就職した。向こうでは社長さんと一緒に仕事をしているらしい。理解してくれる会社に就いて俺も彼女の両親も安心した。そんな彼女を幸せに、楽しくさせる裏で勉強をしっかりこなす。あの後何回も親に許可をもらいに行った。何回行ってもおんなじ結果だった。そこで俺は一つ条件を出した。「現役で小学校の教員免許をとる」と。彼女から教わっていた俺が現役で教職を取るなんて夢のまた夢だと思ってた。無理だとも思ってた。けど、彼女と生涯を過ごすには成し遂げなければならない。彼女のとってたノートを借りた。彼女の親しい友人に必死に教えてもらった。死に物狂いて勉強した。




でも努力は実らなかった。親との約束は叶わなかった。



そんな自分が嫌になった。世界を嫌いになった。人生が嫌いになった。何もかもが嫌になった。自分は生きている価値がないのではないかと。そう思った。そして俺はこの世界からいなくなることを決心した。大学に行った。結果を報告した。教授からは労いの言葉をもらった。一番見てくれた教授は急成長を褒めてくれた。でもこの努力は無駄だと思ってた。そしてキャンパスの屋上に行った。もちろんいなくなるために、この世から。屋上から見える景色。彼女と何回も見てきた。真っ青な空、どんよりした空、オレンジに光輝く空、一番星が見える空。ここで彼女からいろんなことを教わった。教職試験の勉強、星座、いろんなこと教えてくれた。「あれがアルタイル、ベガ、デネブ、夏の大三角だよ。ベガは私、君はアルタイルだね」って。あの時は何もわからなかった。でも知った。七夕の織姫がベガだって。彦星はアルタイル。1年しか会えない二人。俺たちは毎日会った。でもその頃の君はいない。24時に消える記憶。今までの記憶が走馬灯のように駆け巡る。走馬灯を横目にフェンスを超える。日帰り旅行にも行った。デートだって行った。いろんなところに行っていろんなことをした。そんな彼女の記憶はどれだけ楽しくても、どれだけ悲しくても、どれだけ過酷でも、24時には、消えてしまう。消えてしまう記憶、

「本当は俺への好意なんてなかったのかもな」

「そんなことない!」

聞き慣れた声がする。フェンス越しに。

「花陽、なんでここにいるの?」

「私はここにお世話になったから挨拶をしにきた」

「お世話になった…お前覚えてるのか?」

「もちろん。ここで織姫と彦星の話をしたのも、いろんな色の空を見たのも。いろんなことだって教えた」

「お前、まさか…」

「私、全部覚えてる。勇気がしてくれたこと、勇気としたこと。全部ね」

「なんで…」

「不思議だね、他のことは忘れちゃうのに。勇気のことだけは全部覚えてる」


そういうとこっちに向かって両手を差し伸べた。そして


「勇気のことが好きだった。いや今も好き。勇気なしでは私は持たない。この病気でどれだけ落ち込んだか、知ってるでしょ?そんな中助けてくれたのは勇気なんだよ?そんな君を離すわけないじゃない

「それは本気なの?」

「もちろん。私はもう教師の道に進むことはできない。でも私の生きる意味はもう二つできた。一つは理解してくれる会社のために尽力すること。もう一つは勇気との思い出をいっぱい作ること。忘れることもあるかもしれない。病気は治らないから抱えていかなきゃいけない。料理だってできないし、それ以外の家事だってやってくれてる。そんな勇気が必要なんだよ。そして勇気には私の夢を追ってほしい。もちろん私も手助けする。いろんな生徒から愛される先生になってほしい。だから」


すぅっと大きな息を吸って


「こんな私でもいいかな?」


はちきれんばかりの笑顔でこっちを見つめてきた。すらっとした白い腕を伸ばして。浮かんでた雲が一気に晴れた。


「こんな僕であれば是非!花陽のために教職とってみせる」

「じゃあ帰ろうか!」


そうして俺と花陽のストーリーは続いていく…。

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