第3話 魔性の女
野犬のように樹々の間を駆け抜けるニッキーを見て真似できねえよと思っていたけど、地面を観察すると微かに道のようなものがあって、ニッキーは一応その上を走っているようだ。やっぱり真似できないっつの。こちとら運動は得意じゃないが頑丈さと生まれ持った高めの筋力でその場その場を凌いできた運動音痴だぞ。走り始めて五歩くらいで足を滑らせて顔面を強打する自信があるね。
とりあえずどうやって背中を追いかけようかと思案していると、若干困り顔でニッキーが帰ってきた。
「もしかしてショウ、ついて来れないの?」
「あー、うん。ちょっと速いかなって。もうちょいゆっくりめでお願いできる?」
「オッケー! じゃあゆっくり行くからついて来て!」
ニッキーはくるっと半回転を決めると、クラウチングスタートを切った。
「ストップ! ストーップ! あれ、今の会話部分だけ全部抜け落ちた? それともネタ?」
「さっきよりはスピード落としてるよ?」
不思議そうに首を傾げるニッキーは可愛かったがクラウチングスタートは許せなかった。だってそれ全力出す時に見せるやつだよ。絶対ゆっくり行く気ないじゃん。もしかして俺って嫌われてるの?
「俺、運動音痴、歩こう…………分かった?」
「あははっ、運動音痴なんだ! すごく運動できそうな顔なのにね!」
「顔のことは言うなし」
俺だって昔から周りの人間に言われ続けて自覚してる。知り合いどころか母ちゃんからも、あんた顔で詐欺してるわなんて言われる始末だ。顔で詐欺てなんやねん。
俺だって運動音痴を治したいとは思ってる。けどどれだけ気をつけても球技はボールが吸い込まれるように顔面にヒットするし突き指をする。持久走なんかは運が良ければ転ばずに済むが大抵一度は転ぶ。純粋な筋力のみが物を言う腕相撲とかは父ちゃん以外に負けたことはないけど体育の種目じゃないから評価にならない。体育なんて筆記で点数取るしかない状態だ。
そんな人間を捕まえて山道猛ダッシュしようぜってのは、お前死ねって言ってるようなものなんだ。
「歩くとちょっと時間かかるけど、本当に歩いていく?」
「うん、歩く。時間かかってもいいから歩こう。多分
走ったら今日が俺の命日になるから」
「あっははは、走っただけで、ふふっ、死ぬって!」
ニッキーは腹を抱えて笑い転げる。可愛い。何だろう、この幸せな感情は。俺の言葉で目の前の可愛い女の子が笑ってくれるこの幸福感。やばい惚れそう。
これ以上直視するとガチ恋しそうなので周りを見回す振りをして目を逸らす。すると同じ山の麓ながら向こうの方に古びた大きな鳥居が見えた。
「ニッキー、とっておきの場所ってもしかして山の上にある神社だったりする?」
未だ笑い転げていたニッキーが目を丸くした。ビンゴらしい。
「どうして分かったの⁉︎ あっ、もしかしてショウは特別なパワーを持ってるヒーロー⁉︎」
「あそこに鳥居が見えたから…………いや、鳥居があるってことはあそこは道があるってことじゃん。あそこから頂上まで登ろうよ」
今世紀最大のひらめきかもしれない。ノーベル賞も夢じゃないはず。
——それはそうと、
「ニッキー、背中が汚れてるよ」
「うそっ、払ってくれる?」
先ほど文字通り笑い転げていたニッキーのシャツは草と土で汚れていた。恐らく手で払ったら綺麗になると思うけど、俺にこの美少女の背中へ触れと申すか。背中を払って……ブ、ブラジャーとか触っちゃったらどうすんだ。間違いなく気まずさを感じるぞ、俺が。ニッキーはそういうの全く気にしない人間だってのは今までの会話で判ってるけど、それでも気が引ける。
……まあ、こんなチャンス二度とないだろうから遠慮なく行きますけど。
「おっけー、綺麗になったよ」
ニッキーの身体に触れないようにシャツだけを
「ありがとう、ショウ!」
「ほわぁああああ⁉︎」
この奇声は俺の喉から出ている。ニッキーが振り返ってガバリとハグしてきたから。しかも身体をがっつり密着させるタイプのエグいハグだ。色々当たってるし、色々当ててしまいそうだ。
俺からは
「ニッキー、これは他の男にはやっちゃ駄目だよ? いや、俺もあまりよろしくないけどさ」
「どうして? これぐらいワタシの国では普通だよ?」
「日本じゃそれは普通じゃないんだよ。ニッキーはとても可愛いから、運が悪ければ犯罪に巻き込まれることだってあるんだ」
「ワタシ、可愛い?」
「うん、きっと俺が見た女の子のなかでは一番可愛いと思う」
「そうなんだ! なんかショウに可愛いって言われると嬉しくなるね!」
ニッキーはその場でターンしながら無邪気に笑った。そして俺はニッキーの言葉に特大ダメージを受けて脚の震えが止まらなかった。
ニッキーは魔性の女の子だ。深い付き合いをすれば誰でも陥落させてしまう天性の人たらしで、きっと母国でも大勢の男の子を地に沈めているに違いない。かく言う俺も陥落一歩手前でどうにか踏み止まっている。……自覚がないだけで陥落してる可能性もゼロではないけど。
「ショウ、あっちに道があるなら早く行こ!」
「あ、うん。行こっか」
二人並んで歩く。これって実質デート……いやいや、こんなキモい思考は止めよう。ニッキーはこんなこと絶対に考えてない。だったら俺もニッキーみたいに純粋な楽しみ方を会得しなくては。
蝶や花に気を取られるニッキーのペースに付き合っていて多少時間はかかったが、ようやく赤鳥居の前に到着する。
——そして絶望した。
頂上の鳥居は見えている。そこにたどり着くまでの気が狂うような数の石段も見えている。正直言って見たくなかった。今からこの石段を登るのかと思うと、それだけで疲れてきそうだ。
「見てよ、ショウ! すっごく長い階段! ワタシたち今からこれを登るんだよね!」
「そうだね。じゃあ今日はもう帰ろっか」
「えぇっ、もう帰るの⁉︎ とっておきの場所、一緒に行こうよ!」
「いや無理だから。体力に自信はあるけどこれは無理だから」
「そっかぁ……」
ニッキーが残念そうに項垂れる。その姿を見たら腹を括るほかない。
「…………うー、じゃあ行こっか」
「一緒に行ってくれるの⁉︎ やったーっ!」
またもハグされた。ハグされた。もちろん大事なことだから二回言ったんだ。ニッキーは俺に抱きついたままぴょんぴょん跳ねる。俺の心もぴょんぴょんだった。
ショウとニッキーの楽しい夏休み 綱渡きな粉 @tunawatasi_kinako
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