第2話 ニッキーという少女

 バッグを置いて床に寝転んだらどうやらぐっすり眠ってしまったらしく、目が覚めてスマホで時刻を確認すると昼を少し過ぎていた。いつの間にか窓が開いてるからばあちゃんが様子を見に来て開けてくれたんだと思う。蒸し暑いはずの部屋に心地良い風が入ってきて寝やすい環境になっていた。恐るべし田舎。


 部屋を出て階段を降りていくと居間からテレビの音が聞こえる。ガラス戸を開けるとじいちゃんが胡座をかいてテレビを観ていた。


「おう、よく眠れたか?」


「めっちゃ快適に寝たよ。全然暑くなくってびっくりした」


「はっはっは、そうだろ! ここは天気が良い日は風が強く吹いてっから窓を開けてりゃクーラーなんて必要ねえんだわ!」


「いやいや慢心して熱中症で知らない間に死ぬとか嫌すぎるからさ、暑い日は素直にクーラー使おうね?」


「はっはっはァ!」


「笑いごとじゃねえし」


 そういう家系なのか、うちは親族全員が頭おかしいくらい頑丈な人間ばかりだ。そもそも滅多に病気しないし、病気になっても完治まで秒読みで医者がドン引きするレベルのびっくり人間揃い。そんな両家の血が混じった最強人間候補が俺ってわけ。思い返してみれば今まで病気一つしたことがないのはやっぱり血筋なんだろう。


 大きく笑うじいちゃんを放っておいて台所に向かう戸を開けると、料理してるばあちゃんの後ろ姿があった。


「あらショウちゃん、起きたのね?」


「うん、めっちゃよく寝れたよ。窓開けてくれてありがとうね」


「うふふ、可愛い可愛い孫が久しぶりに来てくれたんだもの。どうせなら不自由なく楽しんでほしいっておばあちゃんは思っているのよ」


 ばあちゃんは可愛らしい笑みを浮かべて俺の頭を撫でてくれた。


 ぐふっ、ネットが繋がらないからって絶望感醸し出していた俺に特大のダメージが入った……。


「もうそろそろお昼ごはんができるからお手々洗ってお手伝いしてくれる?」


「ん、わかった」


 それからばあちゃん特製のお昼ごはんを三人で食べて、片付けを手伝ったらお駄賃として五百円を貰った。一応ボストンバッグの中には俺の財布も入っていたけど、そもそもこの辺りに店らしい店もないので使い道もない。


 手伝いが終わって特にやることもなくテレビを観ていると、散歩に行ったらとばあちゃんに言われてあれよあれよと家から出された。


 敷地から出たら一面の田んぼ風景が目に入る。本当に何もない。いや、民家はあるけど。むしろ民家か田んぼの二択か、山の三択くらいだ。だから田舎には金持ってる人が多いんだってどこかで聞いたことがある気がする。


 舗装された道を歩き始める。


 草の青臭い匂い、水の匂い、山の匂い。俺が住んでいた場所では嗅ぐ機会のない匂いがたくさんある。それが初めてな気がしないのは、幼い頃に何度もここに来たことがあるからか。


 ……しかし暑い。汗っかきは汗をかくのがあまり好きじゃないやつが多いと思うんだよな。だって俺自身、汗をかくのが好きじゃないからね。


 かんかん照りの下、気持ち良い強さの風に吹かれながら歩いていると、いつの間にか家から一番近い山の麓に着いていた。


 鬱蒼とした樹々と生い茂る名前も知らない草花が行く手を阻むが、今日は何故か行かなければならない気がした。


 ——ヒェッ。


 眼前を横切った黒い塊。気持ち悪い羽音。とんでもなく大きな虫がいた。間違いない、絶対に虫だ。


 ハハッ、行かなければならない気がしたのはきっと気のせいだ。今日は帰ってまたいつか来ようそうしよう。


 戦略的撤退を決め込もうと回れ右をした時、視界一杯に顔が映る。こちらから唇を突き出せばキスすらできそうな距離に他人の顔があることの怖さって尋常じゃない。でもものすごく顔の良い子だ。空色の瞳に俺の顔が映って見える。……あと、めっちゃいい匂いがする。


「あなた、誰……?」


「えーっと、近くない? もうちょい離れてもいい?」


「いいよ」


 どうして許可を求めたのか分からないが、許可を貰ったので三歩ほど下がる。離れて初めて彼女の顔以外が見えた。


 美しく輝く金髪に、空色の瞳と高い鼻。日本人離れした彫りの深さと顔立ちに残る幼さが組み合わさって、俺の人生で出会った女性の中では一番美しいと思った。危なかった、もしまぐれでキスでもしようものならストーカー化は免れなかったぞ。まだ初恋もしてない中学生男子の気持ち悪さ舐めんな。


「もう一度聞くね。あなたは誰?」


「おぉう、なぜ近づくし」


 せっかく離れたってのにまた顔を近づけてくるもんだから慌てて少女の肩を掴んで押し返す。


「あんまり近づかないでくれる? 好きになるよ?」


「……? 別にいいよ?」


 はい許可いただきました。もうこれって実質カップル、いやもはや夫婦では……? 同じお墓に名前刻むとこまで見えた気がする。


 ——なんて気持ち悪いことは考えても口には出せない。だってこんなド田舎に彼女みたいな外国人が居るって絶対おかしい。ただの偏見かもしれないけどニューヨークとか大都会をイカした格好でジュース片手に歩いてるイメージで、間違ってもこんな自然豊かすぎる場所にいるのは不自然極まっている。


 田舎が悪いんじゃなくて可愛すぎる彼女が田舎に合わないだけだということを世界中に伝えたいが、俺の語彙力ではそれを満足に伝えられないのが悔やまれる次第だ。


「あーっと、俺が誰だったかだよね? 俺はショウってんだ。ここから見えるあの家に今日から一ヶ月住むことになったんだ」


「へえ、そうなんだ。ちなみに何歳なの?」


「十三歳だけど……」


「十三歳⁉︎ この辺ワタシと同い歳くらいの子があまりいないみたいで困ってたの! ワタシはニッキー! よろしくね!」


「ああ、うん。よろしく、ニッキー」


 年齢を教えた途端、テンション爆上がりで饒舌になったニッキーの心情は簡単に察せる。だって田舎だもん、子どもなんていないんだよ。そんなところに来て方言で訛りまくったお年寄りくらいしか周りに居なくて、久しぶりに歳が近い人を見つけたらテンション上がるよね。俺だって上がるもん。


「ショウはこの辺に詳しかったりする?」


「いや、赤ちゃんだった頃に何回か来た程度だから全然詳しくないよ」


「そうなんだ! じゃあじゃあ、ワタシだけが知ってるとっておきの場所に連れて行ってあげようか⁉︎」


 目の前で瞳をキラキラ光らせるニッキーは、まるで散歩を前に尻尾を千切れんばかりに振る犬みたいだ。いやいや待て、美少女を犬に見立てるとか変態思考すぎるのでは……? 煩悩退散! 煩悩退散!


「とっておきの場所、是非教えてほしいな」


「う〜っ、じゃあ今から行きましょ‼︎」


 興奮が抑え切れずその場でぴょんぴょん跳ねたかと思えば、次の瞬間にはこちらに背を向けて山の中へ駆けて行った。やっぱり犬だわ、間違いない。


 というかそこ、俺がついさっき戦略的撤退を図った獣道モドキなんだけどなぁ。本当にそこ通らなきゃ駄目ぇ……?

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