第11話 怒りと虐殺と


「立て小娘。まだ終わってはいないぞ」


 ああ分かっている、まだ終わってはいない。

 被さる死体を脇に転がし上半身を起こした。

 衣服が返り血で染まっている。さらに内臓らしきものが足首に巻き付ていた。

 想像以上の惨状である。

 父以外の死体を見たのはこれが初めてだ。内臓を浴びるのも初めてである。

 不思議と動揺も恐怖もない、私は本当の意味で壊れたのかもしれない。

 そんな考えがよぎるが、だからといってなんの感銘も受けなかった。

 私は肉塊から這うように抜け出し立ち上がる。だが、足首に力が入らずよろめきながら供物台をつかんだ。全身に激痛を感じ、今は気力だけで持たせている状態である。

 しかし、おかしなものだ。

 あれだけ殴られ、叩き付けられ半殺しにされたのに、この痛みを実感できることがうれしく思うのだ。

 感じる体の重さも、境遇までも愛おしく感じている。

 私は肩をすくめながらクスッと笑った。

 せっかく拾った命だ。こんな辺境で終わらせる気は無い。意地でも生き抜くつもりだ。

 決して状況はよくはないが絶望的でもない、根拠などなかったがそう思えるのだ。

 私は漆黒の闇に視線を向けた。

 

「おい獣人、なぜ私を見殺しにした? これだけの力があれば、たやすく退けられたはずだが」

「見殺し? 何を言っているのだ小娘」


 確かに私は生きている。死んではいない『見殺しにした?』とは私の勝手な認識といえばそれまでだ。

 だが、なぜこんな手間を掛ける必要がある。私は死んだと思っていた。このまま殺すことも出来たのだ。

 獣人の思案とやらは、私を身代わりにして状況をやり過ごすことだと思っていた。しかし実際は殺すどころかかくまっていたのである。この者は私を生かしたのだ。

 なぜだ? なぜ見捨てなかった。わからない。

 何か理由があるはずだが今の私には考えが及ばなかった。

 私をためしているのか?

 まあいい、少なくともこれから死なすためではあるまい、ならば勝算はあるというものだ。

 

 ――私は不敵な笑みを見せる。

 

 なぜ生かしたかは知らぬが、今は脱出することが先決である。

 獣人に戦う意思があるならば、その意思に乗るべきなのだ。

 さげすむならすればよい、生きるために必要ならばなんでも利用してやる。

 死ぬのが私でなければそれでよいのだ。

 私はあえて触れずにいた獣人の意識に腕を伸ばした。

 言葉以上の意思の疎通が必要だと思ったからだ。

 

「獣人、私がどうしたいか分かっているな」

「この俺に指図とはいい度胸だな小娘」

「私は、獣人とつながっている。今、何を考えているかもわかっているな」


 そうだ、私たちは共通の感情を共有していた。

 それは『落とし前』である。

 獣人は笑い、続いて私も笑った。

 笑いの協奏曲がしばらく続いた。

 笑が飛び交う異様な空間に、ランドールの兵が次々と駆けつけ私を中心に包囲をしていく。

 彼らにとって、高々と笑う姿は絶望で気が触れたように見えるだろう。

 この時の私は正気では無かったのは確かだ。

 笑いがとまる。

 打って変って神殿内は静まり返った。

 

「お前たち、覚悟は出来ているな」

 

 私は殺す気で言い放った。

 全身は返り血に染まり、足元には死者の内蔵と肉片が転がっている。もはや処刑場だ。

 彼らの目には、どう見えているのだろう。きっと私こそが殺すべき獣人なのだと思っているに違いない、この惨状も私の仕業だと。

 それはそれで面白い、ならばこの状況も利用させていただく。

 私は腕をゆっくりとランドールの兵に向けた。腕の動きに合わせるように闇がスウッと地表から伸び出る。

 私は闇に視線を向けた。

 闇は不規則に形を変えながら蠢いていた。何かに例えるならば、さしずめ悪魔の手首といったところだろうか、いびつに揺らめく身の丈を超すほどの黒い手首であった。

 対峙する兵はお互いの顔を見合わせている。

 一人が抜刀すると波を打つように各自が抜刀した。薄暗い神殿内に金属音が響き緊張感が走る。

 闇で模った手の平がゆっくりと開き、手首を捻り、鋭く尖った指がランドールの兵を指し示した。

 

「よく見ているのだ小娘。これは剣の試合などではない、腕の差を見せれば引くような話でもない、相手は自分を殺しに来ているのだ」


 今なら解る、その言葉の意味も重みも、形はどうであれ生還したからこそ分かるのだ。

 死んだらそれまで、慈悲も情けも棚上げだ。戦場では誰が死に誰が生きるかなのだ。

 はっきり言う。私が奴らのために死んでやる道理など無い。

 奪うというならば上等だ、命がけで奪いに来い!退けてやる!


「全員皆殺しだ!!」


 私の意思に共鳴するように闇は動いた。

 期待していないと言えば噓になる。今の私にランドールの兵を退ける力は無い。

 この獣人が手を引けば、まちがいなく私はなぶり殺しだろう。

 だが心残りは無い、迷いもない、生きるために必要な殺しなら躊躇はしない、それを教えたのはこいつらなのだからだ。

 私の意思を尊重したのか、闇の動きは期待以上に狂乱でなにより残忍であった。

 敵兵の肉を裂き、骨を砕き、飛び出る内臓を見上げながら絶命してゆく。

 剣も防具も兵数すらも意味をなさない。

 叩き潰される者、頭部をねじ切られた者、下半身を切断された者、吹き荒れる闇の一挙一動に無駄はなかった。

 凄まじい光景である。こんなにも人とは無力なのかと落胆したほどだ。

 相手は実体のない闇だ、戦うための手段がないのであろう。

 実際、獣人との力の差がありすぎるのだ。

 そんな中、私は冷静に戦場を見つめることができた。それどころか状況の全てを見通していた。

 これは獣人との意識共有の影響なのだろう、獣人の視界も聴覚も空間全体の認識も自身の五感として認識できていた。

 兵達の混乱も絶望も例外ではない。

 

 「すごいな……」

 

 私は今、この空間すべてを把握しているのだ。

 なにより彼らの意識に触れることが面白い、中には私を悪魔と考えている者すらいる。

 これはウケル話ではないか。

 悪魔と罵るならそれでよい、あの世でいくらでも蔑むがよい。

 闇は動きを止め翻りながらゆっくりと天井に降り立った。

 獣人が考える次の一手が意識に流れ込んでくる。


 ――魔法詠唱。


 この行動に私は異議を唱えなかった。

 体の奥から熱い力が湧きあがってゆく、同時に赤く輝く光が顕現し達筆なスペルを描きはじめた。

 私は感じる。これが魔法陣の形成なのだと。

 陣の意味や発動までの時間、力の意味までもが私の脳裏に描かれていた。これは炎を灯すために見せた小手先だけの軽い魔法とは違う。

 この陣には殺意と破壊の衝動が滲みでているのだ。

 完成した陣は空中を旋回しながら分裂し、強い輝きと共にはじけ飛んだ。

 私は息を飲む。

 この陣は人を喰らった。発動した魔法は容赦なく人体を粉々にした。

 肉片が宙を舞い血流が噴き出す。悲鳴と絶命が混ざり供物台周辺は地獄と化した。

 獣人に慈悲など無い、私とて同じである。今にいたっては慈悲こそが酔狂に思えるほどだ。

 この者達の死は当然の報いと考えている。

 闇は殺し続けた。

 私に見せつけるように何度も殺し続けた。これが戦といいたいのであろう。

 私に言わせれば地獄絵図だ。

 それ以上の感想は無い。

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