第一章最終話 私の愛しい世界
この場に生存者はいない。
私に剣を振り上げた男は死んだ。
私を殴り倒した男も死んだ。
何度も蹴りつけた男も死んだ。
この場にいたすべての兵が死んだ。
死んだ者の中に私もいる。
ただあるのは血と肉片で敷き詰められた死の空間である。
私はフラリと一歩踏み出した。さらに一歩、また一歩と進んだ。
立っているのがやっとだったが、足を進めずにはいられなかった。自ら血生臭い肉宴に分け入った。
何ともいえぬ光景である。ここは私の意思で作り出した地獄でもあるのだ。
だがまだ終わりではない。
私は膝を折り、振り払われた自分の剣を拾い上げた。
鞘から剣を抜き出し、上空にある浮遊戦艦に剣先を向けた。
「ほう、そこまでやるか」獣人から歓喜の意識を感じ取る。
「ああやってやる! 徹底的にやってやる!」
私は漆黒の闇をにらんだ。
「獣人の奥底で封印している魔法を使え」
「ほう、この一撃が何をもたらすのか分かって言っているのか?」
「後戻りは出来ないと言いたいのか? そんなこと知ったことか! 奴らはラサムの地に土足で押し入り、一国の女王である私を撲殺したのだぞ! もう気が治まらぬ」
「気に入った! 小娘の意思を尊重し、あえて特大の祝砲で沈めてやろう」
闇は私のすぐ後ろに舞い降りた。
背中に触れるような感触があり、それが次第に体内へと伝わっていく。
不思議な感じだった。
私は私のままであったが、全身の疲れも痛みも消えていた。
自分なのに別人なのだ。
これが同化の感触なのだな。私は大した理解もなく獣人との身体共有を受け入れていた。
大きく、力強く、見通せないほどの深み、奥底に燻る無尽蔵な力、触れるのが恐ろしいと直感するほどの力。
同化した意識が、ありとあらゆる力を解放しようとする。
思わず全身がブルっと震えた。
「あぁ構わない、やるというならやりきって見せよ! 見届けてやる。獣人の全力とやらをな!」
この時の私はどんな顔をしていたのだろうか。
狂気的な笑みを浮かべていたのだろうか? この瞬間、私はもはや人では無いのだ。
力は光となり全身を照らす。
足元に陣が描かれた。
部屋全体に無数のスペルが書きなぐられ、私を中心に広がっていった。
光の海に抱かれている気がする。
大海は荒波となり、私の周囲をぐるぐると回り始める。
強い獣人の意識に当てられいるのが分かるが逆らう気は無い。
私は私の中から突き上げてくる言葉を望むまま叫んだ。
「殺せ!」
光の大海は一瞬にして消える。
同時に私の意識も神殿から消えていた。
消えた光は浮遊戦艦直上に球体として具現し、船体を不気味に赤く照らしていた。
その光景を私は見降ろしている。
蠢く赤い光。この光が私自身だと気づくのに大した時間はかからなかった。
球体は浮揚戦艦をゆっくりと引き寄せ、船体を傾かせながら金属をきしませた。
しばらくして球体は破裂し、私を含め全ての視界を白一色に染る。
視界が戻ると、そこには不気味な黒い球体が残されていた。
球体に意識は無い。生もなく、個でもない、そこには私の負の感情だけが存在していた。
消えてなくなりたいと願う意識。
誰よりも助かりたいという意識。
皆殺しにしたいという意識。
私の願望や思いが混ざり渦を巻く、見るに堪えない肥大化した空間だった。
私の望みはかなうと、もう一人の私がささやく。
あぁ、かなえてくれ、すべてをなぎ払ってくれ、力を制御する必要は無い、全てを出し尽くしてしまうといい。
「私が許す!」
押し込まれた思いと共に黒い球体は動き出した。
鉄を曲げ、押しつぶし、岩を砕き光や空間までも巻き込む重力を発生させた。
森の大木が吸い寄せられるように伸び上がり、浮揚戦艦は自転しながらねじ込むように消滅してゆく。
球体も自身の重力で縮小し、一点の光となって消えて無となった。
私の思考は停止した。
だが、唯一感じられるものがある。
私の中の、様々な思いが重なり合った何か、肯定と否定が対峙し今にも破裂しそうな危うい何か。
この混沌とした思いを見て私は思わず赤面した。
さらに、多くの命が私の作り出した虚無な空間に捕らわれていることを知った。
私の意思にゆだねられた多くの命。
私は躊躇なくこれらを開放する。
押し込まれた思いと共に、切り取られた世界すべてを解放してやった。
辺りは一変する。それは重力の反作用だった。
白い閃光が出現し膨大な衝撃波を放射する。大地をえぐり、大量の土砂を舞い上げた。
その凄まじい作用力に例外はない、衝撃波は私の立つ神殿にも容赦なく襲いかかってきたのだ。
石柱が倒れ、石積の屋根が傾く、なぎ払われた大木が神殿正面に突きあたり、土砂に埋もれていった。
この瞬間、私は自身の肉体に意識が戻ったことを感じ取った。
肉体に獣人の存在は感じない。
力が抜け、半殺しの身体から激痛が伝わった。
立っていられず、私は仰向けに倒れこんだ。
「全てが壊れていく……」
視界に崩れ落ちる天井が見える。
結局、私は死ぬのだな。まったく。二度も殺しおって、人が悪すぎだぞ獣人のやつめ。
そんなことを思いながらも冷静でいる自分がそこにいた。
不思議な気分である。
多分、私はどこかで受け入れているのだろう、二度目の死を。
もがく気はないが、願わくばもう一度だけ、生まれ育った大地を見たいという気持ちが残っていた。
――辺境国ラサム。
森と草原、網目のように続く小川、山々に囲まれた小さな国。
つらく苦しいこともあったが、だからと言って国を捨てたいと思ったことは無い。
外界へのあこがれ、異文化への興味はあれど、それら全てはラサムの地があればこそなのだ。私にとっての始まりの地といってよいだろう。
せっかくの死に際だというのに、思い人ではなく故郷のことを思うとは、よっぽどこの地を愛しているのだな。
そう、今なら素直に言える。私はこの国が好きなのだ。
私は役に立たぬ女王であったが、この国はいつまでも変わらず続いてほしい。
愛してやまない私の祖国よ……。
頬に流れる涙を拭い私は叫んだ。
「さあ、持っていけ! 殺した報いなら受けて立つ」
叫びと同時に背中が持ち上がった。
自分の意思ではない力。
私はあわてて辺りを見回すと視界に蠢く闇がいた。
闇は私をつまみ上げ、覆いかぶさると、フワリと宙に浮いた。
闇は崩れ落ちる石積をすり抜けながら上昇した。高く、高く、どこまでも高く上昇していく。
――天に手が届きそうだ。
雲を抜けると、どこまでもつづく青い天空が広がっていた。
私はうたた寝で見ていた夢を思い出す。
どこまでも青くどこまでも広い、この蒼天に言葉を失った一瞬の間。
これら夢の光景が不思議と一致していた。
偶然か? いや、もうそんなことはどうでもよい、今はこうして生きているのだ。
私は視線を獣人に向けた。
「これが獣人の本当の姿か、私を小娘扱いする理由がわかったわ……」
城ほどある巨大な竜がそこに存在していた。
六枚の翼を持つ精悍な片腕の翼竜だった。
爆心地には異様な形をした雲が天高く伸びていた。光と音が荒れ狂い放電現象が発生している。それはラサム全体から目視できるほどの大規模なものであった。
雲を旋回しながら、私は眼界に広がる領地を上空から初めて見下ろしていた。
大陸の大きさから見れば、まるで豆粒のような小さな世界だった。
それにくらべ、この者の存在はなんと大きく頼もしく見えることか。
私の視線は翼竜の全身をなぞっていた。その姿に魅了されていたのかもしれない。
「のう獣人。おぬしの力、しばらくかしてはくれないか……」
これは私の願いであり本音であった。
「力をかせだと?」
私は身の丈ほどの眼球に睨みつれられていた。
それはそうだ。私はこの者の祖国を奪った種族の子である。
複雑な思いがあることはわかっていたし、好意を期待できる立場ではない。だが、たとえ疎まれようが、忌み嫌われようが私は守りたかったのだ。
生まれ育ったこの地を、この小国ラサムの大地を。
「奴らはまた来るのであろう……」
私は独り言のように呟いていた。
これだけのことをしたのだ、ただではすむはずがない。奴らはまた来る。私を殺すために、獣人を殺すために、生き続ける限り続く殺しの連鎖が始まるのだ。
手の平に寝かされていた私は、背中に感じる大きなそれに、自らの手の平を重ねていた。
翼竜の瞳が閉じられる。
「むう、たしかにお互いの利害は一致する。が、問題は小娘、おまえ自身だということに気付いているか?」
竜は一呼吸置きさらに続ける。
「覚悟を決められるのかということだ。戦う覚悟だ」
私は笑う。
何を今更と思ったからだ。
「獣人が放った祝砲が私の覚悟の証だ。もう後戻りが出来ないのは解っている」
翼竜は口を微かに開いた。無数に並ぶ鋭い牙が太陽光に照らされ、ガラス結晶のように輝いていた。
「いいだろう。貴様の嘆願、聞いてやる。だが、また剣を抜かず戦おうなどとすれば、今度は俺が貴様のはらわたを引きずり出してやる。いいかよく覚えておくことだ」
「ああ誓うよ……」
私は剣を胸に当てて小さくうなずいた。
不思議な安堵感に包まれていく。
私は笑っていた。供物台に寝そべり死を願っていた自分を思い出したからだ。
さらに涙が溢れ出る、大粒の涙が頬の上を転がり落ちていた。
私は世界を知った。自らの目で、女王として始めて我が国と世界を見下ろしたのだ。
私は誓う。私自身に誓うのだ。もう逃げも隠れもしない。私は女王ラヴィニア・ラサムなのだ。
「そういえば獣人の名をまだ聞いてはいなかったな?」
「エドゥアルド・ドラコーンだ」
「エドゥアル……ドラコ? うーん、ちと長いな。今度からはエドと呼ぶことにする。たのんだぞエド」
「ならばわしは贄姫と呼ばせていただこう。成長しろよ贄・姫」
「言っとくがその名はだめだぞ」
私は笑いながら首を横に振った。
~あとがき~
最後まで読んでいただき有難うございました。
第1章「辺境国の女王」が終わり、これより第2章「蛮族殺しの魔女」へと続きます。
蛮族殺しの魔女は1章で語られたエピソードの2年前の出来事であり、3章以降重要となる人物を掘り下げていくことになります。
1章の続きは3章からとなります。
近況ノートに『辺境国の女王』イメージイラストを飾ってありますので、興味がある方は覗いてみてください。
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何卒よろしくお願いいたします。
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