第10話 心の反旗を掲げよ
『知っているか? 昔はこの石壇の上に人を乗せて、生きたまま心臓を取り出し神にささげたそうだ……。考えられるか? 生きたままだぞ』
すべての感覚が途切れていた。
ここは暗い闇の世界。
漆黒のような闇の世界。
生きているのか死んでいるのか分からない感覚。
私は死んだのか? こんな形で願いがかなったのか?
乱暴され、泥だらけで転がされ……。
死など思いもよらなかった。しかも撲殺である。なんと哀れな死に方なのだ。あまりにも可哀そうすぎるだろう。
不本意などと言い表せない切なさがある。
痛いのなんて嫌だ、苦しみも望んではい、そもそも私は本当に死にたかったのか。
果ての見えない闇の中で私は首を振った。
笑ってしまう。ほんとに笑てしまう。笑っているのになぜか涙は止まらなかった。初めて自分の本音を知ったような気がした。
貪欲なまでの生への願望。
普通の幸せを、普通の人生を、重い運命などない日々をただ望んでいたのだ。
生まれ持った血筋を呪い、浪費するだけの毎日を悔やみ、稚拙な思い付きで自身の人生を終わらせてしまったのだ。
今なら解る。なんと愚かで浅はかな人生の無駄遣いをしたのだと。こんなバカバカしい自分に笑ってしまう。
私は両手で顔をまさぐった。
声を殺すようにすすり泣いた。
口惜しさを枯れた声で押し殺した。
不条理に心をえぐられながら、私は泣き続けていた。
闇に落ちるわけでも無く、流されるわけでも無い、ただくすぶる思いを溢れさせた。
私は思う。もしやり直せるならばどんなに救われることか。
今さらそんなことを言ってもどうにもならないのは分かっている。
だが、私の奥底から吹き荒れる後悔と、自身に対する怒りが止まらないのだ。
やり直せるならやり直したい。
今からでもやり直したい。
私は全てをやり直したい。
「ご都合主義なのはわかっている。一方的な死があるのなら、その逆があってもいいじゃないか」
悲鳴のような言葉が私を突き上げる。
いやだ、こんなのいやだ! こんな所で終わりたくはない、だれか……だれかたすけて……こんな、こんな理不尽な死は絶対に受け入れられない。
生きたい。生きたいのだ。今も、これからも、私は生きたい。
両腕を突き上げて私は叫んでいた。
「私は生きたいのだ!!」
闇は答えない。
闇は導かない。
夢も希望も存在しない。
あるものは絶望的な現実だけである。
私は悲鳴を上げた。
言葉にならない声が私をしばりつけた。
所詮、世の中には現実という生き地獄と理不尽な世界でしかないのである。
何度も経験し、わかっていた事なのに、いまさら何を期待しているのだ。
いつだって世界は思いを拒絶したのだ。
今の私にそれを実現する力は無い。意志すらない。
わかっている。思うだけではだめなのだ。願うだけではだめなのだ。泣いてすむ話でもない。
こんな私に何ができるというのだ?
考える事か、思いにふける事か、いや閉ざされた空間で出来る事なんて一つしかないだろう。
思い出という無価値ながれきに埋もれ、振り返る事ぐらいだ。
多少は懐かしむことはできるだろうが、どれも見聞きしたくない現実であり、触れればたちまち痛みを伴うものばかりだ。
「馬鹿馬鹿しい!」
そう吐き捨てたが、悲しいことに私はこれしかないのだ……。
――私は思いの中に沈んでゆく。
様々な感情がそこにある。がんじがらめな毎日が見える。心を砕かれた人間がそこにいた。多分これは私だ。紛れもなく私自身だ。
なんて顔してるんだろう。私はいつもこんな表情だったのだな。
私は自分を見下ろしていた。なんとも不思議な感覚である。なぜか、この時の自分は哀れだったと他人事のように見るとができた。
もしかしてこれが走馬灯というものなのか?
この時期は逃げることだけを考えていた。何もかもが敵に見えていた。だが、今の私なら……。
私は笑う、死して反省してどうするというのだ。
心砕かれた日々は簡単に消せるものではない。
触れたくもないそれを、私は両手ですくい上げた。そう、これは私の一部なのだ。
まったく皮肉なものだ。死して始めて勇気を絞り出し、人生を振り返ったのだから。
死んだ後では遅いが、これも私ということなのだろう。
今度生まれる時のために、きっと来るであろう来世の自分のため言葉を残すのだ。
願わくばこの経験と記憶を。
私は手を組んで祈った。
闇は何も答えない。
闇は何も導かない。
ただ変化が一つあった。
立ち込めていた深い闇が薄まり、合間から光が漏れ始めていたのだ
祝福されているのか?
こんな無神論者にまで気を使っていただけるとは、趣味深い神もいたものだ。
もし存在するならば気が合うかもしれないな。
私は声を出して笑った。
納得したかのように笑った。
「来世こそは正しい選択をしてみせる!!」
突然、沈黙していた世界が動きだした。
闇が動いたのである。
天地を覆っていた闇は消え去り、真っ白な世界と入れ替わったのだ。
同時に私の五感がもどっていた。
――痛みが全身を貫く。
――血の味がする。
――視界が広がる。
私は何が起こったのか分からなかった。
唯一理解できるのは、今は死んではいないということだ。信じられない事だが生きているのだ。
聴覚に男の悲鳴がとどく。
私は声の主を見上げた。
血まみれの男が宙に浮かんでいた。私と剣で打ち合った三人目の男だ。
影のような何かが男の頭を掴み高々と持ち上げていた。
「あれはなんだ……」
男の悲鳴が途切れる。
腕は切断され足元に血だまりが出来ていた。
同時に恐怖と混乱に襲われた意識が私に触れる。
獣人との意識共有と思ったが質が違う、これは人間の意識だと直感的に思った。
それとは別に大きな意識がそこにある。これは獣人の意識だ。間違いない。
その意識は『影のような何か、蠢くような闇』の中に有った。
闇はぐるりと頭上を跳び越すと、一直線に二人目の男に襲い掛かった。
悲鳴と同時に男の腹が十字に裂かれた。
闇は躊躇なく男の臓物を引きずり出しガツガツと食らい始める。それは肉食獣が獲物を食い荒らすような激しさだった。
その後、バリバリと骨を砕く音が不気味に続く。
最後の一人、馬乗りの男は絶句していた。ありえない状況に戸惑い硬直しているようだった。
今、私はすべてを思い出す。
私はこの男たちに撲殺されたのだ。
素早く左右を確認し手足の指を動かした。意識ははっきりしている。私を覆った闇も光も無い、ここは神殿の供物台の前だ。なぜ生きているのか疑問は湧くが今は後回しである。
私は馬乗りの男を睨む。
男は口をあけたまま見下ろしていた。手に持った剣を突き下ろす気配は無く、目は恐怖に歪んでいた。
「一国の女王にいつまでまたがっているつもりだ!」
湧き上がる怒りをぶつけるが、男は何も語らなかった。
なぜならば、その首は胴から離れ足元に転げ落ちたからだ。
首無しの体は私に覆いかぶさり、大量の血を首筋に垂流していた。
薄暗い石積の部屋は静まり返る。
両腕をもがれた死体。
空っぽの腹を見せる死体。
首無しの死体。
人身御供の描かれたレリーフと不気味な石象。続くように漆黒の闇が私の消耗した顔を覗き込んでいた。
返り血と肉塊にまみれた私がそこにはいた。
「おやおや満身創痍だな小娘」
「獣人か、やはりお主であったか……」
闇は微かだが形を成していた。私には地上から伸び出た手に見えていた。
黒く影のように蠢いているが間違いない。
私はゆっくりと腕を上げた。
力の入らない腕を左右に揺らしながら、覗き込む漆黒の腕に指を伸ばした。
「獣人……獣人の手かこれは? 大きい手だな……」
よわよわしい声だった。
全身の振るえがとまらなかった。
大粒の涙が止まらなかった。
私はいま生きているのだ。
生への感触が私を安堵させる。
「死んだ気でいたようだが、思った以上に正気でなによりだ」
「誰のせいだと思っている……」
「まったく苦笑したぞ小娘の剣技には、もっとやってくれると思っていたのだが」
「この状況でまずそれか」
うたた寝をしていた時と変わらぬノリがそこにはあった。いやはや不思議なものである。
残忍な一面に戸惑わないわけではないが、なぜかホッとしているのだ。
獣人の嫌味も今は心地よく聞こえている。
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