第7話 暗示

 世界が燃えていた。

 全てを焼き尽くしていた。

 日の光を遮っていた搭が炎に巻かれ、ゆっくりと横倒しとなってゆく。

 破壊音と熱風が吹き荒れ、煽られた火煙が天まで届きそうだった。

 

 焼きただれた何かが蠢いている……。

 

 それは炎にまかれ踊っていた。浮かび、弾け、消えながら。

 私はうなずく。この世に地獄があるならばここがそうなのだろうと。

 

「燃えろ! 燃えろ! 燃えろ!」

 

 思わず叫ぶ。

 迫る業火を見上げても動揺はない、悲観的感情もない。

 私はただこの地獄絵図を歓迎しているのだ。


「燃えろ! 燃えろ! 燃えろ!」


 私は両手を広げていた。

「このまま全てを燃やすがよい! 私はここだ! ここにいるぞ!」

 剛毅な炎は山のように競りあがり、傾きながら私を頭から飲み込んでいった。

「気のいい炎達だ……」

 私は荒れ狂う炎に愛撫される。

 熱風に吹き上げられ、落とされ、くるくると回りながら上へ上へと舞い上がった。


 私は驚く。

 

 そこには炎も地獄絵図もない。

 ただ、どこまでも続く蒼天の世界が広がっていたのだ。

 眼下に見える地獄とは対照的な空間である。

 怒りや憎しみが薄らいでゆくのを感じた。

 まるで浄化されるかの如く、魂が洗われてゆくのを感じた。

 いつしか腕を伸ばし指を広げていた。

 何をつかもうとしたのか? 

 私はハッと我に返る。

 振り返ると都が燃えているのが見えた。

 とてつもなく大きく広い、見たことのない都だった。

 私は安心するかのように焼かれる都を見て笑った。焼かれる異形を見て笑った。地平線まで続く地獄に心が躍った。

 思わず指を突き出し「趣味深い!」とまで叫んでいた。

 はっきり言うが、理屈で考え理屈で行動するヤツは馬鹿というものだ。そんな芸当ができるのは神か聖者ぐらいなものだろう。

 私は違う、決してそうはならない、自制心が忠告するが構うことはない。

 理屈で心を殺した先に何がある?

 私の経験がそれらを肯定しているのだ。

 これでよい。何も間違ってはいない。

 もう一度言う。


「何も間違ってはいないのだ!」


 私は大きくうなずいた。

 しかし何だろう、断片的だが何かを思い出す。心残りのような、何か重要な、私はそれを大切にしていたような気がするが、それが何なのかはっきりとは思い出せなかった。


「いま……この瞬間、たいせつな何かを忘れているということか」


 私はゆっくりと天を仰ぐ。

 どこまでも蒼く、どこまでも広い、魅了され言葉を失った一瞬の間。

 視界に広がっていた蒼天の世界は、一点の光となって消えようとしていた。

 光を上書きする炎、その炎すらも闇によって上書きされていく。無意識に伸ばされた手のひらが、空しく視界を塞いでいた。

 未練がましいことを考えていると私は鼻で笑った。

 子供のころから光を追い求めてきた。それがいつの間にか闇へと変わり、空しさへと変わっていった。

 今までがそうであったし、これからもそうなのだろう。不条理ではあるが仕方がない、これが私の生き様なのだ。


 いつしか炎は私から離れていた。

 焼き尽くす物がなくなったのだろう、これではただの出がらしである。

 私は大地に仰向けに転がった。

 物悲しい思いが込み上げるが、だからといって空っぽな私からは何も生まれてはこなかった。

 手先は震えているのに寂しいものだ。


「このまま息を引き取りたい……」


 これは本音である。

 私は硬く冷たい大地に抱かれ、腐り肥やしとなっていくのだろう。

 『大地に抱かれている』と考えただけなのに、一寸の救いを感じてしまうところが滑稽に思えた。

 こんな感傷を楽しむ私も趣味深い生き物なのだろう。

 まあよい、それも一興だ。

 私は意識が遠ざかるのを感じている。闇が視界を奪っていく。

 ようやくお迎えか?

 薄れゆく視界から黒い影が迫るのが見えた。城かと思うほどの大きな影だった。


「私を冥府へと導く御使い様か……」


 すがるような声だった。

 影は沈黙したまま私を見下ろしている。

 私は目蓋を閉じた。

 思い起こせば最悪ばかりに耐えていた人生だった。

 考え方を変えれば感慨深い人生だったのかもしれない。いずれにせよこれで終わるのだ。

 私は全ての元凶から解放される瞬間を待ちわびた。




 ――さて、奇妙である。


 なぜ私は見下ろされたまま放置されているのだ。

 この影は冥界への御使いではないのか。

 考えたくはないが疑念が生まれていた。

 おかしい、まだ生きているからか?

 過ぎ去る時間に不安を覚え失望感が全身を支配する。

 今だ影に反応は無い。

 この影は私に何用があって来たのだ? 見てのとおりの死体様(抜け殻)だぞ。

 御使いでなければ何だというのだ、通りすがりの獣か?

 ん、獣だと? 嫌な予感がするが、まさか私を食おうとしておるのか?

 失望感が一瞬にして焦りへ変わった。 

 たしかにいい感じに焼かれた後だ。このまま大地の肥やしと考えてはいたが、まさか糞尿になってとは、それはその、さすがに萎える話ではないか。


「ちょっと待て、私は焼肉ではない。希望は食われることでは……って、ああー!」


 言葉むなしく、私の体は影の中に取り込まれていた。

 覚悟がないまま闇の中に浮かんでいた。

 落下しているのか、回っているのか、それは世界を隔てるような、正直、生死すら実感できない空間だった。


「私は喰われたのか……」


 だがそこは不思議と居心地は良かった。恐怖もなく、懐かしい感じがあふれていた。母に抱かれてるような不思議な安心感である。

 こんな闇なら悪くは無い、お主が誰かはわからぬが気に入った。

 私は腕を枕に、空間に身を任せ、足を組んで睡眠の儀式に入る。このまま消化されるのか、闇の一部となるのか。疑問はあるが、今はこの瞬間を楽しむべきだと壊れた意識が私を説得するのだ。

 先の事ことなど考えても仕方がない、今だけを感じられればよい。


 これからもずっとそれでよいのだ。


 闇から一点の光が漏れ私を照らし始めた。

 光を見上げ、何のつもりだと小言を漏らした。

 今さら逃したものを掴めと、死に際に機会をくれたのか? いや、もう遅い、私は消えてなくなるのだ。だが、これが死にゆく者への祝福というなら、もらっておいてもいいかもしれない。そう考え、拒むことなく手を伸ばした。

 伸ばした先にある光。

 私は光の中に有る。

 だが、眩く光の中で何かを掴むこともなく、ただハッと我に返るような、自分の個としての存在を感じただけだった。

 

 私はゆっくりと目蓋を開く……。

 

 見回すが光はい。

 闇もない。

 ただ、焼かれた大地が見えていた。

 私を飲み込んだ影が足元に立ち、見下ろしているのも見えていた。

 

「いったい何なんだこの者は! 何を見せたいんだ!」


 私は怒りをぶつけた。

 影は黙っている。黙ったまま翼のようなものを広げフワリと舞上がり、怒る私の頭上をゆっくりと横切っていった。


「大きい……」


 思わず言葉が漏れるほどだった。

 私は影を目で追いながら、怒り任せに走り出した。

 どこへ行くのか分からなかったが、無我夢中で追いかけていた。

 両手を伸ばし、声を上げたが届きはしない、距離は縮まらず、とどかぬ先へと影は進む。

 私はなぜ追いかけているのか?

 私は何を得たかったのだ?

その先に何があるのかわからない、意味すらないかもしれない。だが、私はふらつきながらも無我夢中に追い求めていた。

 いつ以来だろう、ここまで必死なのは久しぶりだ。最近はすっかり忘れていた感情である。

 私の中で『あきらめたくない』と、気持ちが高ぶっているのだ。これ以上、繰り返し襲う絶望感にはうんざりなのだ。

 そんな私に消えたはずの炎が襲った。

 驚きのあまり両手で顔を覆う。

 指の隙間から見えたものは、見上げるほど大きな殺意の塊だった。

 炎は塊から吹き出している。

 金属のきしむ音が響き、獣の遠声が後に続く。

 耳を塞いでも、それらの音は止まらなかった。

 滑稽な話だが、いま私は怖いと感じていた。

 死まで望んでおきながら、進むことすら躊躇するありさまである。

 まるで生への執着だ。

 恐怖で委縮する体をなんとか支え、炎をかき分けようとするが前には進めなかった。

 全身が石のように硬直しているからだ。

 息が苦しい。

 仕方がない、進めないのなら戻ればいいのだ。

 情けない言い訳がさっそく浮かぶ、私はのけぞりながら笑いとばした。

 これは夢なのだろう。注に浮いたり地面に張り付いたり、いくら考えてもあり得ない境遇の連続だ。

 なのに、言い訳している自分に腹立たしさを感じていた。

 現実ならともかく、夢の中までヘタレとは泣けてくるではないか。

 場所が変われど、所詮自分は自分ということなのだろう。

 私は両手で頬を叩き、足を叩いた。

 何をしている、怖がるな! 進め、一歩でいいんだ。

 手を伸ばし必死に何かをつかもうとした。

 腕に炎が巻き付いてくる。

 ならば振り払って進め! 邪魔する者はけちらせ! 

 ありったけの勇気を叩きだせ!

 自分で鞭を討つんだ!

 動け! 動け! 動け!

 一歩でいい進んでくれ!

 

  ビクっと足が大きく振動し私は起き上っていた。




 人身御供を描いた石板が見える。

 不気味な石像が見下ろしている。

 ここは私にとって見慣れた空間だった。

 額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら天井を見つめた。


「やれやれ……」


 全身から力が抜けていくのを感じた。

 まったく、こんな悲観的な夢は初めてである。

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