第5話 奇跡の力

 我が国は小国だ。

 国境まで陸路で数日とかからない。

 明確な国境線があるかも疑わしいほどだ。

 西には山脈と森林が見え、東に行けば海、まさに大陸最南端にその国はある。

 他国からは辺境の王国と比喩されるが、まったくその通りだと思う。

 いったい大陸の幾人がラサムの名を知っているだろうか。

 王宮から見渡す景色に、堅牢な城や砦など見当らたない。商売が盛んというわけでも無い。

 旅人から見れば退屈なだけの田舎町だろう。

 緊張感の無い表情の犬が散歩をしている。

 土地で暮らす人々も例外ではない。

 木々を揺らす風。

 小川を挟む草花。

 いつ見てものどかな風景だ。

 私にとって、ここが生まれ育った世界であり、知りうる全てなのだ。

 いやはや、こんな狭い世界が中心とは、箱入り人生も度が過ぎるというものだろう。

 何故か無意識に笑い声が漏れていた。

 私は肩をすくめる。

 そんな私に獣人は語りはじめた。

 幼き頃に憧れた外の世界の話である。



 大陸北の最辺境に酷寒の大地があった。

 人間が生存する土地としては、最北だと獣人は答えた。

 その地の名はランドール。冷気と氷に覆われた小国の名でもある。

 私のような温暖なラサム育ちには、想像すらできない大地だ。


「北に広がる酷寒の大地? 北ならば寒いのであろう」


 獣人の言葉に私はそう答えていた。

 自分の世界しか知らないのだ。北の大地と聞いて出来る想像とはこんなものである。

 このような場所に国があるというだけで驚きなのだ。

 氷の大地があるとして、人々はどんな生活を営んでいるのだろう。

 町並みは? 氷細工のような建物なのか?

 私の興味は絶えない。

 食事では何を口にしているのだろう、年始はやっぱり祭るのか?

 だが、聞かされた答えは驚くほど興ざめる内容だった。


「なにもない」


 の一言で終わったのである。

 聞き返そうとも思った。ある意味、私の期待を裏切る言葉だったからだ。

 現実的に考えてみればそうなのかもしれない、生存すら厳しい酷寒の世界である。

 こんな不毛な地に、安定した食料自給など望めるわけがない。

 

 飢えと餓死者。略奪と暴行。


 狩猟中心の食生活ならばあり得る話だ。

 話から察するに、国内は荒れ果て、治安は乱れ、内乱寸前なありさまに陥るのではないのか?

 すでに国として機能していない可能性だってある。

 獣人曰く、ランドールでは理不尽なまでの飢饉が毎年のように襲ったそうだ。ここまでは私の予想通りである。

 一方、私の暮らすラサムはどうだ?

 私にとって、煩わしい国ではあったが飢えはしなかった。

 誰一人餓死などありえない、田畑と森が続き、多数の小川があふれる緑の王国である。

 ここでは生存と安全が当たり前のように保障されている。

 変化の無い毎日がこんなにも素晴らしく思えてくるとは、思わず苦笑いしてしまうほどだ。


「おぬしはランドールの民なのか?」


 言ったそばから私は首をひねった。

 考えてみればこの者は獣人族。人間では無い。ランドールとは関係がないと思えたからだ。


「俺の国はランドールと国境を面した獣人国家だ」

「ほう。ならばおぬしの国も貧困にあえいでいたのか?」

「否」


 私は驚く。

 この者の故郷は不思議な事に、隣国ランドールとは対照的に栄耀栄華を極めていると言うのだ。

 これは、北の大地にラサム同様に豊かな国があるという事になる。

 まったく理解が及ばない。

 極寒での大地で、さらに国境を面するほどの隣国にもかかわらずである。


「俺は獣人族、人間ではないのでな」


 私はその言葉にハッとひらめいた。


「まさか……」


 聞いたことがある。この世界には人間には理解できない理があるという。

 私たちが奇跡と呼ぶ力、その名の通り奇跡を起こすと言われている。

 たしか、獣人族の間では魔法と呼ばれているそうだが。

 私は全身が強張ってゆくのを感じた。

 奇跡の力。まさか、ありえるのか……。

 私は恐る恐る見上げた。


「おぬしも獣人というならば使えるというのか? その、奇跡とやらを?」

「無論だ」


 獣人の即答に抑えられない衝動が沸き起こる。

 私は見てみたいのだ。奇跡と言われる未知の力を、文献のみで記された力を。

 そんな思いはあっさりと獣人に見透かされてしまう。


「おぬし。今、鼻で笑っただろう!」

「小娘の正直すぎる表情に思わずな。そんなに見たいのか?」


 隠してもしょうがない、私はありのままを求めた。

 

「あぁ見たい。ぜひ見てみたい」

「よかろう」


 私はニヤリと笑た。

 やっとそれらしくなってきたと思ったからだ。

 私にとって魔法とは異文化の象徴であり、空想上の理なのだ。

 人間には無い獣人固有の力ゆえに、私は一度も見たことは無かった。

 しばしの静寂の中、かすかな振動と共に赤い光がいくつも浮かび上がった。

 私は瞬きすら忘れ見入ってしまっていた。

 星の輝き、日の光。たいまつや炎の光。それらどれにも属さない、見たことのない輝きであった。

 空間が裂け、赤い光が漏れ出ているようにも見える。


「この光は……」

「陣のことか?」

「陣?」


 光はいくつも浮かび、伸び、文字のようなものを空中に刻み始めた。

 荒々しく達筆で描かれた数行のスペルに見えるが、それが何を意味しているのか私には理解できなかった。


「このスペルが陣というのか?」

「そうだ、発動に必要な術名が描かれている」

「ほう」


 陣はゆっくりと空中をさ迷いながら、四方に並ぶ石造の口の中へ消えていく。

 一瞬の闇の後。石造の口に炎が灯された。

 私は声を上げる。

 一滴の油もない場所に炎が灯され、消えることなく供物台を照らしているのだ。


「おどろいたな……」


 私は石造に駆け寄り、灯された炎を覗き込んだ。

 熱が頬につたわるのが分かる。

 幻覚ではない、まぎれもなく炎が灯されているのだ。 

 これだけでも理解できる。この力を使えば極寒の環境など関係ないだろう。こうも簡単に発動する魔法で、自然の摂理そのものを覆すならば。

 

 「それは、まさに奇跡そのものではないか……」

 

 私は開けっ放しの口に気づき、こっそりと手のひらで覆った。

 シットりと汗ばんでいるのが分かる。

 しかし、見せつけられた奇跡を前にある疑問が浮かんでいた。

 獣人の目的は戦の傷をいやす事と言た。これだけの力を持つ者がなぜ? と考えてしまうのである。

 ランドールとの戦か? いや在りえない。獣人族には魔法があるのだぞ。となれば内戦か?

 私が戦についてあれこれと考えていた時、ため息のような揺れが足元から伝わった。

 灯されていた炎が一斉に消える。

 触れている意識に困惑を思わせる思念が混ざる。

 後悔? 慢心?

 私はクスリと笑う。

 おかしな話だ。なぜなら、わくわくしている自分に気づいたからだ。

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