第4話 深い傷あと

 私が十六の時に父が病死した。

 一国の王の死である。

 闇に包まれた気分だった。無力な自分に怒り、恐怖し、折れそうな心を必死に守ろうとした。

 世襲した責任すら理解できず、私はただ立ち尽くすしかなかったのだ。

 そう、ろくな思い出では無い。

 私が女王であるのも領主同士の反目を嫌っての事だ。

 国を割らないためのみしるしが必要なだけだったのだ。

 私に求められていたのは、それだけである。

 屈辱的であった。苦々しく思う状況は一度や二度ではない。

 我を捨て、口を挟むことの無いお飾りに徹することが望まれていたのだ。

 王宮に私の個としての存在は無い。 

 あるものは、死ぬまでつづく血の契約と精神的奴隷としての存在だ。

 王族の血筋というしがらみが自由の選択を奪ったのだ。

 

 もし、私が一般の家に生まれていれば……。

 

 世迷言と分かっていても考えずにはいられなかった。

 町娘としての人生と普通の家庭。

 だが私はラサムの女王として生まれたのだ。

 感情の高まりを抑えつけながら、私は首をよこに振る。

 分かっている。これは誰のせいでもない。私が何一つ事をなしてい無いだけなのだ。

 身に降りかかる境遇を変える努力をせず、逃げていることも知っている。現実から、覚悟から、それくらい分かっている。

 かといって何が出来るというのだ。小娘一人の力で何も出来はしない。

 がむしゃらに剣の腕を磨いたが、体勢に変化をもたらす事など無かった。

 あたりまえだ、一人ではどうにもならないのだ。

 結局それが精一杯であり、突きつけられた現実と限界なのだ。

 私は人身御供のレリーフに囲まれた部屋でこの身を晒した。

 胸を晒し心臓の場所を指さした。

 死への希望がそうさせたのだろう。

 自殺する勇気の無い者の、なんとも哀れな自慰行為ではないか。

 落ち着いて考えてみれば馬鹿な話である。

 まったく何にをやっているのだ。

 ふと気付くと私は笑っていた。悟ったような嫌な笑いだった。

 血の涙でも流せば少しは絵になるのか? いやいや、それはもはや哀れなだけだ。

 やはり私は壊れているのだろう。

 こんな事をこんな所でつらつら考えているのだから。

 はて? 私は怒っていたのではなかったのか?

 私は思い出したように天井を見上げた。

 今この瞬間にも、素性不明の危険人物が見下ろしているはずである。

 まったくこの獣人ときたら、こんな辺境にまで出張って何をやっているというのだ。

 覗きでも無ければ趣味性のかけらも無い。

 やろうと思えば壁に描かれたレリーフの再現も出来たのだ。

 殺すことも、空気に徹することも。

 しかしこの獣人は何もしなかった。まったく不思議な生き物だと私は思った。


「のう獣人、おぬしはここで何をしている? なぜ私の前に気配を晒したのだ……」


 意識に触れれば分かる事かもしれない。だがあえて私は言葉で尋ねた。

 私自身がそうしたいと思ったからだ。

 それが普通だし、気持ちも落ち着くというものだ。

 趣味深い性格だと自覚はしているが、だからといって無条件で心理の暗部まで晒す気は無い。

 もちろん知りたいことは多々ある。だが、それは言葉の交換で事足りる範囲でいい。

 今はそう思っているのだ。

 長々と考えている間に時間は過ぎていた。言葉もなければ意識の同化もない無言の時間だった。

 私は首を傾げる。

 意外なまでの長考だと思ったからだ。

 別におかしなことは聞いていない。

 ここで何をしている? これだけである。

 この神殿は私にとって絶好の隠れ場所だ。このような辺鄙な地に観光に来るとは思えない。ならばこの者も潜んでいたのか?

 なんのために……。

 色々なことが思い浮かぶが、どれも正解とは思えなかった。

 まあ、危害を加える気が無いのならそれでよい。考えても仕方がないことだ。

 私は腕を組んでうなずいた。

 だがその時だった。不意に重い空気を背中に感じたのだ。

 同時に大きな意識が流れ込んでくるのがわかった。

 怒りと憎しみ、さらに後悔。理解できるものから出来ないものまで、すべてが複雑に絡み混ざり合っているものだった。

 それは恐ろしく、どんよりとした意識であった。

 それが形となって見えたとき私は戦慄する。

 それは殺意だったからだ。

 息苦しさを感じ立ちくらみが襲った。

 私は誰かを殺したいなどと思ったことは無い。殺意を受けたこともない。実際殺意がどんものなのか分かりはしない。そんな平凡極まりない私が、本能敵に死の恐怖を感じ全身を硬直させていたのだ。

 この獣人の闇なのか? 

 間違って深層意識に触れてしまったのか?

 意識は重なり私に光を見せた。

 光は色を生み、形となり、やがて風景となって私の視界に広がっていく。

 ここはどこだ? 私は食い入るように覗き込んだ。

 死体の上に死体が積まれている。四肢の無い死体、切断された首、何体もが被さり高さは私の背丈を超えていた。

 いったいこれがいくつあるのだ。

 獣人から吹きあげる殺意の根源がこれなのか?

 私は状況が理解できず耐えるしかなかった。 

 身近に争い事はある。が、死体が転がるような話ではない。私が最後に見たのは父の亡骸だった。

 私は意識が見せる光景に目をそらした。

 震える足を押え呼吸整えようとした。

 しばらくすると、流れ込んだ意識は霧のように消える。消えた意識は言葉となり、私を取り巻いてゆく。


「ここでの目的は傷を癒すことだ、実は深傷でを負っていてな」

 

 重い羅列であった。


「深傷?」


 私は恐る恐る見上げる。

 獣人からの意識の同化は無い、言葉のみが認識できている。

 荒れた殺意は消え去り、どこか肩の力が抜けていくのを感じていた。

 いったいなんだったのだ。距離を取っている私にあえて意識を同化させ、殺意と記憶らしき断面を見せてきたのだ。

 そう考えると、妙な怒りが湧いてくるのを感じた。

 

「深傷と言ったな、誰かに狩られたというわけだな」


 言葉が少々荒ぶっていた。嫌味に聞こえるかもしれないが、それでもいいと思っていた。

 

「これは祖国で受けた戦の傷だ」

「戦?」


 私は見せられた記憶を思い出す。

 たしかに多くの死体が無残にも積み上げられていた。

 

 「あの光景は戦だったのか……」

 

 私は言葉を詰まらせ、無意識に剣の柄を握りしめていた。

 まだ一度も人の血を浴びたことのない、美しい銀の装飾で飾られた剣である。

 ラサムはこの数百年、戦もなく、国民のほとんどが戦を知らぬ世代である。戦そのものに興味もなく実感も持ち合わせていない。

 他国にとって戦略的価値が無い辺境に位置し。目立った産業は農業しか無く、飢えは無いが、資源も資金も乏しい何処にでもある小国なのだ。

 だからこそなのだろう。戦とは無縁な、貧しいながらも平穏がたもたれている国なのかもしれない。

 

「きわどい境遇の上に成り立っている平和というのはわかっているのだがな……」


 無意識に漏れた私の、女王としての独り言だった。

 しかし次の問いの答えが、私の物哀しい想いをあっさりと吹き飛ばす。


「気配を晒したのは、小娘に興味が沸いたからだ」


 私は露骨に眉を顰めた。

 

「それは私の肉体に興味があるということか?」

「何を言っているのだ小娘。人身御供の話か?」

「とぼけおって!」

「糧となりたいと言っているのか?」


 私は考える。どうも会話がかみ合って無いような気がするからだ。


「言葉をかえよう。おぬしは私にどう興味をもったのだ?」


 獣人と名乗る者はヘラヘラと笑い、触れられたくない私の一面を遠慮なくえぐり始めた。

 

「表向きは死を願い、一方では生に執着する酔狂な心理。人間でありながら人間を、いや自分すらも呪う酔狂な性格。始めて見るという獣人に一遍の恐れを抱かぬ酔狂な認識。俺の前に立つ人間は皆敵意をむきだしたが、貴様のような人間は始めてだ。こんな辺境の地で、ここまで酔狂な人間を見るとは思いもしなかったぞ」


 まったく言いたい放題である。

 

「小娘に言っておくが、そのような考えでは長生きは出来ぬぞ。まあ、小娘の抱く死への渇望は、ある意味成就されるかもしれねが、クフフ」


要するに。世間知らずの田舎娘が人知れずたそがれていたので、暇つぶしにからかったということである。

 獣人の笑い声はとまらなかった。

 

「わるかったな変な人間で」


 もはやすねる気にもならない。だが、この者の語りで一つ理解できないことがある。

 なぜ我ら人間が敵意を示し、獣人であるこの者と戦をしているのかだ。

 私は獣人に問うた。事の顛末をだ。

 そこで私は知ることとなる。

 西大陸北方。酷寒の大地で世界の理を塗り替える事態が発生したことを。

 それは各国を巻き込みながら、巨大なうねりとなりつつあることをだ。 

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