第3話 意識の共有

 なんてことはない。

 この者は赤面する私を笑っているのだ。

 神殿そのものが全身を揺らして笑っているのだ。

 いや、神殿が全身を揺らして笑うなどありえない。

 

「姿をみせよ!」


 と言った私には客人の正体に心当たりがあった。


「神殿と同化しておるということは、貴様は獣人。いや聖獣か」

「ほう、ただの田舎娘ではないようだな」

「馬鹿にするな」


 それくらいの知識なら私にもある。

 この大陸には人であって人では無く、獣であって獣では無い種族がいると聞く。

 たしか名は獣人族。小柄な種族は人と同等、大型種は城ほどもあり、上位の獣人ともなれば、どんな物にも憑依することができる種族もいる。

 我ら人間は、上位の獣人を神に最も近い存在と信じ『聖獣』と呼んでいるのだ。

 神に近いと聞いただけで胡散臭く感じてしまうが、実際に存在を認識してしまった以上、否定はしない。

 だが、神に近い種族といった定義は、人間の勝手な解釈の一つであって実際は異なる可能性だってある。

 解釈によっては全く逆の存在でもいいのである。

 神が存在しない以上、神に近いと考える事こそがどうにかしているのだ。

 私は肩をすくめて鼻で笑った。

 神を否定し獣人を肯定する。そんな自己流の能書きはここまでにしとこうと思ったからだ。

 しかし、世の中は広いと思っていたが実際は狭いものだということか、書物でしか見たことの無い希少な存在に会えるとは正直驚きである。

 姿を見せない以上断言は出来ないが、おそらく間違いない、この者は聖獣なのだ。


「否!」

 

 私はドキリとした。

 いろいろ考察したがまだ言葉にはしていない。


「まさか私の思考を読んでいるのか?」


 嘲笑するような意識が私の中に流れ込んでくる。

 逆らうことも拒むことも出来ない力強い意思がそこにはあった。


「下賤のやからの考えそうなことよの」

「なんだと」


 私は不思議な感覚に包まれていた。

 同時に突きつけられた精神的序列、それは私の抱く固定観念を笑っているかのようにも思えた。

 まさか意識が同化しているのか?

 自分とは違う別の何か、不明瞭なもう一つの存在に触れている。

 これは、この者の意識なのか?

 ありえない。こんなこと絶対にあり得ない。

 だがそれは不本意な形で私の中で混ざり合っていくのだ。鋭く、熱い何かとなって。


「あっ!」


 その瞬間、私は肩をゆらして笑い出していた。

 薄暗い空間の中、私の笑い声はさぞかし響き渡ったであろう。

 迫る意識に恐怖し思わず委縮したが、この者の思考に触れたとたん何もかもが消し去ってしまっていた。

 面白いなこれ、私はもう一つの意識に手を伸ばし指でそっと触れていった。

 この者の意識の断片だろう、微かだが感じ取れる。

 思考に裏表が無く感情と態度の違いもない。

 人間特有の大人の対応など無縁の存在、あるのは支配者と服従者のみの力関係。

 これがこの者の思考、なんと簡素で分かりやすいことか。

 私の身近にいる者達とは正反対な思考にすっかり気が緩んでしまっていた。

 他人の描く世界に利用され打ちひしがれ、こんな場所に隠れている自分が馬鹿らしく感じるほどだ。


「まったく、うらやましい奴め……」


 ようやく笑いが収まり、私は我に返る。

 思考に取り付いていた感覚は今は無い、目を閉じながら一呼吸し、後ろの石積壇によりかかった。

 取り繕う毎日にうんざりし疲れてばかりだったが、久しぶりに笑ったような気がした。ほんと、久しぶりである。


「ほほう。今、小娘の意識を見せてもらった。非常に興味深い境遇だな」


 私は飛び上がる。

 

「まて! まて! 一体何を見たというのだ!」

「俺には到底理解が出来ぬが、人間というのはみなそうなのか? くだらぬ意識に支配されおって」


 真っ赤に染まった両耳が、羞恥心とともに溶け落ちそうになった。

 私は両手で耳を塞ぎ抗議する。

 

「乙女の秘密を覗き見しおって!」


 白状しよう。私は運命を呪っているのだ。この世のすべてを呪っているのだ。力の無い自分を呪っているのだ。

 私は口を尖らせる。

 じっとしているのも気まずく、思わず足元に落ちている絹織物を拾い頭に巻き始めた。

 本音は赤く染まった顔を隠したかったのだが、そこは態度でごまかした。

 まったくもってなさけない。

 あれほど疎ましく思っていた織物を、私は隠れるために拾い上げ頭部に巻き付けているのだ。

 見るたびに憂鬱になる忌々しい柄の刺繍が視界に入る。

 もう何をやっているのかわからなかった。

 意識が混乱しそうだった。

 しかも、この者にとって恥じ入る私など眼中には無い、供物台で私が全裸で横たわろうが知ったことではなかったのだ。

 命を供物として喰らう気も当然無い。

 一瞬ではあるがこの者の意識に触れたからわかるのだ。

 だが、そんな得体のしれない同居人が唯一興味をしめしたものがある。


「小娘、その刺繍の模様はこの地にある王国、ラサムの王室旗だな。王族の者か?」

 

 私は驚いて天井を見上げた。

 なぜ、こんな辺境の国の旗色を知っているのか? というのもあるが。実は、私が今一番触れたくない話題でもあったからだ。

 見上げた顔はさどかし嫌そうな顔をしていたことだろう。

 なぜか気まずい気分に包まれる。


「私がラサムの女王だ……」


 私は観念するかのように身分を明かしていた。

 我ながら自信なさげな小声であった。

 どうしてだろう、私は自己紹介の度に気分が落ち込んでいるような気がしていた。

 やれやれなのかイライラなのか、今の自分が嫌で仕方がないのだろう。

 気が滅入る瞬間が来るたびに、心の中で舌打ちしてしまうのである。

 私にとって身分を示す時が特にそうだ。

 

「ほほう。ラサムの小娘か」


 小娘と呼ばれ、さらに苛立ちが増すが言い返す気力は無かった。

 もはや返す言葉もない。萎えた気持ちが全身を支配し、委縮する自分を感じていたというのもある。


「そうだ、父が早くに他界してな、仕方なく女王をやっておる……」

「仕方なくとは文官も大変そうだな」


 私は睨む。

 

「大変なのは私の方だ! 一方的に降りかかってきた責任だぞ」

「なるほど。だからこんな場所に隠れているのか」

「うるさい!」

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