窮鼠、空腹につき

 学生の一人暮らし、最初のうちは節約を意識して自炊の真似事をしていたが、一人分の料理は思ったより安くはならず、高校に入ってすぐに居酒屋で働くと賄いもあり早々に止めてしまった。住宅地しかないような地域は安いチェーン店や個人が経営している飲食店が多く、食べた後の始末を考えても利便性が高かった。従って台所にはあるべき物が殆ど何もない。代わりに違う物が散乱している。ポストに入っていたチラシ、請求書、紙袋等だ。手紙類については自分でも何とかしないといけないと常々思っていたが、帰って来るとつい全てを近くの台に放ってしまう。


「使わないなら物置にするのは良いと思うが、それなら棚か何か置いた方が良いな。あと、請求書が大分前のまで未開封だがちゃんと払ってるのか」


「払ってるよ。電気ついてるだろ」


 痛い所を突かれてつい語気が強くなるが、八瀬はじゃあ捨てて構わないなとさっさと捨ててしまう。次いで服やらのロゴがついた紙袋に手をつけようとして待ったをかける。


「それはゴミじゃないから」


「こんなに何に使うんだ。買ってここまで運んで物を取り出したならもう処分だろ」


「いや、まだ綺麗だし。何かに使うかもしれないじゃん」


「それなら使う時に買うなりすればいい。少なくとも頻繁に使わないだろ。入手と消費が合わない物はどんどん溜まっていく。それとも今すぐ使う予定があるのか」


 そういう訳ではないけど。口籠ると容赦なく全てゴミ袋に入れられた。紙袋の山を取り払うと、なけなしの食器とまな板や包丁等が置かれた水切りかごが姿を現わした。フライパンと小鍋も入っている。というよりここに置かれているので食器や調理器具は全てだ。そういえば最近見かけていなかったが、下敷きにしていたらしい。紙類だけでもういっぱいになってしまった袋をしばって玄関の脇に置くように指示される。ガス台の奥にあった僅かな調味料も期限を確認して中身と容器を分けていく。流しに醤油を薄めて流す為に水を出して、片眉を僅かに動かしたのを見逃さず、水道料金も払ってると言うと、少しだけ口角を上げた。完全に馬鹿にされている。いつかこの男の秘密を握ったら存分に笑ってやる決意を新たにした瞬間だった。


 細々した物も捨てられ、砂糖と塩だけを残し埃を拭きあげられた台の上は引っ越してきたばかりのようになった。何もしていないが爽快な気持ちになっていると、八瀬が台所の上に作りつけられている戸棚に手をかけようとした。そこは使ってないから下だけにしてくれと言うと、解ったと返事がきたのに一度棚を開けられ、未使用なのを確認してすぐに閉じられる。信用がない。


「だから使ってないって言っただろ」


「特殊清掃を頼む客の言葉は清掃時には信用しない。片付けを頼んでおいて、捨てると抵抗するし、隠すからな」


 当事者ながら、普段の客はどれだけ酷いのだろうか。テレビで見たような悲惨な状態だろうに、生活に困ってもゴミが手放せないなんて。それよりはずっと自分はまともだと内心でほっとしていると、下の収納棚を開けた奴が大きな溜息を吐いた。その中は特に散乱していないはずだが何かあっただろうか。


「あのな、繰り返すが料理しないならここを物置にするのは構わないと思う。けどしまうものは少し考えた方がいい」


 中から箱を取り出して開けた八瀬がこちらを見上げて無言の抗議をしてくる。


「別にいいじゃん。空間余ってるんだし。ちゃんと箱に入ってるだろ」


「だからといって、靴箱にするな」


 所狭しと押し込んである、大小やブランドを問わず集められた靴箱を次々取り出して棚を空にしてしまうと、全ての蓋を開けてどれを処分するか聞いてくる。


「いやいや。これは全部使うから捨てない」


「こんなに使わないだろ。季節で使い分けるとしても、半分以下に減らせ。いや、三足だ。今玄関にある分もあるし、コレクションとかでもないなら捨てろ」


「それ結構高いのとかあるんだけど」


「ならリサイクルとして売ればいい。このまま益田の使うからを聞いてるとこの部屋は何も変わらないぞ」


 ちなみにコレクションしているからという言い訳は第一声で出てこなかった時点で聞き入れないからな。続けて釘を刺されると、何も言えなくなる。使える物を捨てるなんてどうかしていると思うし、勿体ない。流行り廃れのない型も多いのに。


「まだ使える、で積み重なった家がどうなるか解るか」


 躊躇していると、八瀬が唐突に問うてくる。単純に物が増えて住居が圧迫されていくのだろう。そんな事は言われなくたって理解しているし、説得しているつもりかもしれないが正直何も響いてこない。


「物ってのは何でも寿命がある。そのままにしていたって保存環境を考えないなら擦れたり変形していくんだ。それに増えていくのは変わらないから最初は自分の中では整理できているつもりでも管理が出来なくなって無秩序に積まれていくことになる。少し前に受けた依頼主は親が高齢でな、独居の一軒家に天井に届くほど物を溜め込んでた。片付けて欲しくないと追い返してくる老人が依頼主に激昂して大きく動いた瞬間、不安定になっていた一部の荷が崩れて老人を飲み込んだ。積まれた物が劣化してバランスを失ったんだ。幸い足の骨折だけで済んだが、救出する最中に干からびた毛の塊が出てきた。何年か前に行方不明になってしまっていた飼い猫だったよ」


 淡々と告げられて、暗にお前もいずれこうなるぞと脅された。古くなった物に埋もれて潰れた猫を想像してしまって吐き気がした。かといってやはり自分はそこまでにはならないだろうから、テレビで見る他人事程度にしか感じないが、世辞も言わないが嘘も言わない八瀬の目を見返せずに、渋々靴に手を伸ばした。


 結果から言うと、提示された数に絞るのは難航したし、その度に揉めたが思ったよりも時間をかけずに選別は終了した。残さない物は売るか聞かれたが、それも手間がかかって面倒なので捨てる事に。そうと決まると慣れた手つきで次々と箱を潰し、靴と分別して袋に詰まっていく。残した靴の箱も潰してしまって、真新しい三足は三和土に置かれた。近々収納棚を買いに行かないといけない。八瀬の分を除いたとしても、大家族がいるような玄関になってしまった。


 すっきりした台所になったところで、思い出したように腹が鳴った。空腹を意識すると途端に胃が痛いほどに減る。ゴミを三和土の側に寄せた八瀬が鞄から財布を取り出し靴を履き出したので、腹が減ったのは同じらしい。自分も財布だけ持ち後に続いた。それにしても食べに行くなら一声かければいいのにと思ったが、普通の人間の配慮は既に期待していないので黙って横並びで歩く。そも、ここの地理に詳しくないだろうに先に出ていってどうするつもりだったのだろうか。ご丁寧にどこに何の店があるか言ってやるのも癪なので、少し後ろから黙ってついていくと迷いなく店に入っていく。家から最寄りのスーパーだった。ここだと家へ向かう途中で通過するし、地理が解ってなくても向かえるだろうが、飲食店に行くものだとばかり思っていたので少し驚いた。


「弁当買うならどっか食べに行った方が良くないか」


 買って帰ると、二人だけの空間にいる時間が増えて嫌なんだが。それに、外で食べる方が何かと楽ではないか。


「出来合い物なら外で食べるのも家で食べるのも楽かどうかで言えばそう変わらないだろ」


「いやいや、買って帰るとゴミが」


 出て散らかるだろ。最後まで言いかけて慌てて口を噤んだ。今し方片付けを手伝ってもらった人間が言うのは流石に滑稽がすぎる。言わずとも察したらしい八瀬が自覚があるのは良い事だ、と嫌味か褒め言葉か解らない口調で言う。横を見ると、口角が少しあがっていた。確実に悪意だ。


 入店してすぐ広がる色とりどりの野菜。関係ないので足早に抜けると肉や魚を通り過ぎて真っ直ぐ惣菜売り場に向かう。夜も少し深くなると人は疎らで、惣菜も余り残っていない。しばらく吟味していたが特に食べたい物が見つからなかった。乾麺でもいいかもしれない。カップ麺は量が物足りないが、追加でパンか何か買えばいいだろう。そちらの売り場に向かおうと踝を返すと、そういえば八瀬が来ていないと気付いた。決して広大ではない店内でまさか迷ったのだろうか。来た道を戻ろうとした時、丁度八瀬が姿を現わしてこちらへ向かってくる。まさかずっと野菜を眺めて過ごしていたのだろうか。持った買い物かごを覗くと明らかに調理が必要な食材と雑貨が入っている。それにソーセージの袋を入れ、淀みなくあと数点かごに入れると、何かを言う暇なくさっさと会計を済ませてしまった。


「待てよ。料理すんの?」


 買ったものを袋に詰めているのを見ながら慌てて問う。綺麗になったとはいえ、料理が満足にできるほど器具がない。


「ああ、そのつもりだが」


「面倒くさいし別に弁当とかでいいじゃん」


「もう買ってしまったしな。二人なら作った方が安いと思うぞ。…まさか、ガス代を払っていないのか?」


「払ってるわ!」


 全部奴が勝手にやるなら自分が困る訳ではないし、もう好きにさせる事にした。


 家に帰るとスーパーの袋からスポンジと洗剤を取り出して数少ない食器や調理器具を洗いだした。次いで手際よく玉葱、ピーマン、ソーセージを切り熱したフライパンに油をひくと全て入れて炒める。一人暮らしで安いからと適当に買った小さめのそれに具材が溢れかえらんばかりだ。ケチャップやコンソメが投入されて香ばしさとトマトの良い香りが充満する。火を止めるとフライパンごとまな板の上に置いておき、水を張った小鍋を火にかける。取り出したパスタを見て茹でるにはこの鍋は小さすぎないかと思ったが、沸騰するとパスタを半分に折って小鍋に円を描くように入れた。塩を多めに振り数分して茹で上がると、ざるなんてないので適当に湯切りをしてフライパンの具材とあわせる。その際空いた小鍋に具材を半分ほど取り分けた。聞くと朝食べるらしい。パスタにケチャップと胡椒を追加して水分が少し飛ぶまで炒めたら火を止め皿に盛る。皿は一枚しかないがどうしようかと思っていたが、紙皿を買ったらしく心配いらなかった。そつなく料理をする男の姿は男から見ても確かに好かれそうだ。社交性の全てが失われていたとしても。


 台所に座り皿を持って食べることに。机なんてものはない。正確には存在するが、今は使えない。受け取った皿は熱が伝わって熱いくらいだ。口の運ぶと歯応えのある野菜と甘く優しい酸味がパスタと絡んで手が止まらなくなる。収納棚に背を預けた八瀬も紙皿に乗ったパスタをスーパーで貰ったらしい使い捨てのフォークで掬っている。


「料理とかできるんだな」


「簡単にだけどな。人に食べさせたのは初めてだから美味いかどうかは」


「まぁ、普通に美味いよ」


 なら良いと返した八瀬とそれ以上会話はなく、無言で残りを平らげる。居心地が悪いような、妙な気分だ。ナポリタンは実際にとても美味い。頼んだ事ではないにしろ作ってもらったなら礼を言わなければと思ったが、口からは出なかった。代わりというわけではないがかかった費用を払うと申し出ると、作りたかっただけだからと断られた。せめて洗い物はしようとスポンジを手に取る。


「洗い物はすすいだ後ちゃんと汚れ落ちたか確認しろよ。小さい物から順に洗った方がいい」


「教えてもらわなくても洗い物くらい普通にできるわ」


 喉元でわだかまった礼だとかもやもやとしたものが霧散したのを感じる。横で見守っているらしい八瀬を無視して一心不乱にシンクを空にした。

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