駐車場のザリガニ

尾八原ジュージ

駐車場のザリガニ

 私が恋人と同棲しているアパートの窓からは、大きなホームセンターが見える。当然広い駐車場が完備されているのだけど、そこに時々巨大なアメリカザリガニが、まるで高級車みたいな顔をして停まっていることがある。

 ザリガニが停まっているのを見つけるたび、私は窓辺に恋人を呼んで「あそこ」と指で示してみせるのだが、彼にはそれが見えたためしがない。

 私は「白い軽と青いワゴンの間だって」などと言いながら、時にはそのために買ってきたオペラグラスを渡したりする。でも彼は困ったように笑いながら「俺には見えないや」などと言う。

 恋人の反応にはちょっと不満があったけれど、あのザリガニはそういうもので、私にしか見えないのかもしれない。

 そう思っていた矢先、私はニガザワさんに出会った。


 ニガザワさんは宅配便の配達員で、新しくこのエリアの担当になったらしい。通販をよく利用する私は、自然とよく顔を合わせるようになった。丸い眼鏡をかけた目がキョトンとした印象で、初めて会った時から「なんとなくザリガニに似ている人だな」と思っていた。

 ある日大量の洗剤の詰め替えを届けてくれた彼に、私は気まぐれに「あそこのホムセンの駐車場、たまにザリガニいますよね」と話しかけてみた。即座に「変なこと言っちゃったな」と後悔したけれど、ニガザワさんはどこか嬉しそうに笑っていた。そして、

「ああ、いますね。高級車のフリしてるやつ」

 と言ったのだ。

 それから私とニガザワさんは、荷物の受け取りのたびによく話すようになった。「今日いましたね」「いましたか」みたいな話を繰り返すたびに、私の中で彼の面影がだんだん大きくなっていった。

 いつの間にか恋人がアパートから出て行って、ニガザワさんが私と一緒に暮らすようになった。巨大なザリガニは相変わらず駐車場に出没し、澄ました顔をしているのがなんとも可笑しい。

 私はニガザワさんとオペラグラスを手渡ししあって、「いるね」「ね」と言葉を交わした。


 ニガザワさんはだんだん家から出なくなった。いつの間にか配達の仕事も辞めてしまったらしく、アパートで日がな一日ゴロゴロしている。

 私が「仕事は?」と尋ねると、彼は「あそこにザリガニ来るか見てなきゃならないから」と答える。それが新しい仕事なのかと思いきやそんなことはなく、もちろんザリガニを監視して誰かにお給料をもらったりなんてこともない。せめて家事をしてほしいと言ったけれど、「ザリガニが家事なんかする?」と、答えになっていない答えが返ってきただけだった。

 なんだかおかしなことになったなと思いつつ、ホームセンターの巨大ザリガニが見えるニガザワさんはきっと特別な人に違いない。そういうことにして、私は毎日仕事に行った。

 ニガザワさんがガンガン冷暖房を使い、ご飯もたくさん食べるので、生活費が跳ね上がった。私は夜も働くことにした。それでも貯金はまったくたまらず、それどころかどんどん減っていった。ニガザワさんが私のクレカを勝手に使って、ザリガニを育成するアプリゲームに課金していたのだ。

 私がそのことを咎めると、彼はいきなり私の頬をぶった。赤い、大きな鋏が私の頬骨に直撃し、私は床に倒れた。目がチカチカした。

 見上げると、目の前に人間サイズのザリガニが立っていた。

「駐車場にいたの、あんたの仲間のザリガニだったんでしょ」

 私がそう言うと、丸い眼鏡をかけたザリガニは耳障りな声で笑った。


 夜の仕事のお客さんに、中華料理店の料理人がいた。何でも生きたエビに紹興酒をかけて、酔っぱらって動けなくなったところを殻をむいて食べる料理があるのだという。

 へぇ~と思った私は、仕事の帰りに24時間営業のスーパーに寄って、一番度数の高いお酒を買って帰った。

 アパートに着いたときにはもう日付が変わっていて、巨大なザリガニがベッドの上でいびきをかいて寝ていた。私は買ってきたウォッカの瓶を取り出すと、ザリガニの頭に叩きつけた。

 ガラスが厚かったので、何度か叩きつけないと酒瓶は割れなかった。ザリガニの顔はウォッカまみれになり、酔っぱらったせいか真っ赤に見えた。瓶に若干残った分は体にふりかけた。

 一仕事終えて濡れた指を舐めると、アルコールの匂いがツンと鼻の奥をついた。

 ザリガニは赤い顔をして痙攣していた。私は家にあった中華包丁で首と肢を叩き切り、腹から皮をめりめりと剥いた。

 可食部は案外少なそうだった。あんなにご飯をたくさん食べていたのに、このザリガニは痩せすぎている。おかしなものだと思った。腹を割ってみるとワタがずるずる出てきたので、とりあえず全部ゴミ袋に入れた。生のままの身を一切れ口に入れてみたが、全然おいしくなかった。やっぱり茹でた方がいいな、と思った。あと、とりあえずベッドマットは捨てなければ、とも思った。

 ザリガニの味はカニにもエビにも似ておらず、塩茹でにしてもやっぱりさほどおいしくならなかった。もっと念入りに食べ方を調べておけばよかった。もったいないから頑張って食べたけれど、冷蔵庫と冷凍庫はザリガニでパンパンになり、そこにも入り損ねた分は腐って悪臭を放ち始めた。

 仕方がないので、私はザリガニの残骸を近所の大きな川に運び、袋の口を開けて流した。ザリガニだからきっと川から来たのだろう。こうするのが一番しっくりくると思った。

 一仕事終えると、とてもすがすがしい気持ちがした。身軽になった私は、ホームセンターの前を通ってアパートに帰った。

 駐車場には巨大なザリガニが、相変わらず「私は高級車ですよ」とでも言いたげな顔で、澄まして鎮座していた。気が大きくなっていた私は、「あんたもいつか食ってやるからね」と言ってやった。

 ザリガニは飛び出した黒い目で私を一瞥したが、何も言わなかった。

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