第15話 ところでその頃、紙の町では(一)
さて、おやっさんこと元魚屋の小坊主と、ゼンコーことちいさい小坊主の、今日発ってきたばかりでなつかしいというには早いが、紙の町の話である。
紙の町。
ここは水と森の豊かな場所。紙職人や印刷工、製本工、植林屋が集まり、刷り物が欠かせない教会や学舎もあって、小さいながらもにぎわうところ。
ところで昼間、汽車の中でドンさんこと元僧正が申したように、この地には古くから住まう魔女がいた。
風や水の精霊たちと通じ、静かに世の理を学ぶ暮らしをしていたのだが、人に乞われるまま快くその知恵を分け与えるような人柄だった。
今は町で魔女様と呼ばれながら、茶や薬を商っている。
今宵、紙の町も雲ひとつなく、みごとな月夜であった。
魔女ともなれば、満月の晩はなにか特別な仕事をしているのだろうか。店はいつもの時間に閉められた。
そして、何が起こるのかというとーー彼女はこの季節、夜休む前に飲んでいる花茶を淹れるため湯を沸かし、小さな車のついた茶道具箱一式の箱を運んできたところだった。
「都の秋祭がみたいな」
「おや」
今宵は、話し相手がいる。
ただし、人ではない。猫足の優美な長椅子の上に伸びて、尻尾をゆらゆらさせている。
身体の大きさを自在に変えられるのだが、今のようにくつろいでいるときは、人よりもふた回り以上大きい。長椅子も、その大きさに合わせて造られている。
黒いけだもの。頭は獅子で、鹿の角を生やし、身体は熊。両手両足は虎で、尾は蛇である。
ここは、このけだものが封印されている鳥籠の中。
鳥籠だが、中を訪れてみれば調度品も揃い、快適である。
「秋祭がみたいな」
けだものが重ねて言うのを、魔女はふたつの茶碗に茶を淹れながら聞いている。
「この間、切り紙祭を見たばかりではないか」
今年の紙の町の祭の日、このけだものは教会の鐘つき塔のてっぺんに居すわり、騒ぎとなった。
「ちびにまた会いたいよ」
ははあ。祭の時に戻ってきた昔なじみが都へ帰ってしまい、さみしいらしい。
「まあまあ。
お前は身体を大きくしたり、小さくしたりもできるから、都へこっそり行くことはできなくはなかろうけれども、封印されているのだからね。そこはこらえなければいけないよ。
祭は、あやかしを嫌う教会の目の前でひらかれているのだからね。遠慮しなければ。こないだのように封印の鍵が盗まれることは、もうないのだからね」
魔女が諭すと、
「ちぇ」
けだものは黙って甘酸っぱい香りのする花茶を飲んだ。ふうふうと息でさまし、ぴちゃぴちゃと舌をつかって猫のように。
茶碗は金縁のついた白磁の丸い茶碗で、けだものの気に入りである。
「けれど、それもつまらなかろうから、都の今の様子でも眺めようかね。
月が明るいから、よく見えようよ」
魔女は、けだものが大事にしている鏡を貸すようにうながした。
けだものは従い、たてがみを探って、縁にモザイク飾りがついた丸い鏡を出した。
けだものには、ほんの手鏡のようだが、魔女が受けとると、その大きさに少しよろけた。
「広場には、もう明日の支度ができているだろうね」
並んでいた茶器を茶道具箱の上に移し、茶卓に据えてみると、茶卓の
けだものと魔女がならんでのぞきこむ。
たちまちふたりの姿が映っていたはずの鏡のおもてが揺れはじめ、闇夜に浮かぶ満月が映った。
「月だねえ」
けだものが感心すると、
「さて。
月から見える、都の今の様子を呼び出してみようかね」
これは、満月を通して遠くの景色を見る術なのであった。
都に並ぶ家々は、月に照らされてひっそりとしている。
「どれも立派な家なんだねえ」
レンガ造りであったり、模様が浮き出る漆喰の塗りかたが見事なものであったり、美しいものが好きなけだものは、まずそれらを楽しんだ。
「あれ、へんなやつがいるぞ」
大きな屋敷の中庭で黒い衣をまとった者が、なにやら祈祷書を片方の手に持ち、もう片方の手は振り上げている。
「評判の、物の怪払いの偽物ではないかね」
魔女が見破ると、
「なにも、あそこには怖いものはいないもんねえ」
けだものにも、あやしいものの存在がわかるらしい。
「広場の近くにいこうかね」
「これはなに?」
河川敷にしぼんでいる気球を、けだものが見つけた。
「これは、人を乗せて浮かぶ風船だよ」
「飛ぶのかい」
「小さいから、ほんの少し浮かんで、空から祭を見せるんだろうねえ」
「いいなあ」
けだものは、空を飛ぶこともできたが、誰かに乗せてもらって飛んだことはなかった。
さて、いよいよ教会前の広場である。
けだものは、身体を小さくして、魔女の膝の上に飛び乗り、鏡面に身を乗り出した。
身体を小さくして、大きな画で見たかったのだ。
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